第81話 疑いの目
気がついた時には身体は壁にめり込み、肺から酸素は絞り出されていた。
「……なんだ、何が起こったんだ」
ノアは崩れ落ちるように壁から這い出る。最後に覚えている出来事といえば三番隊隊長であるオズワルドと一戦交えようとしたところだ。龍族の象徴である二本のツノをへし折ってやろうと腕を伸ばした瞬間、壁にねじ込まされたのだ。これはただの異能の能力ではない。ただそれがオズワルドの能力なのか、その疑問は目の前の光景を見てかき消された。何故ならオズワルドもノアと同じように壁に埋まっていたからだ。オズワルドは気を失っているようで動く気配はなかった。
「馬鹿ども、味方同士の争いほど醜いものはないわい」
怒気を含む言葉が降り注がれ、顔を上げると騎士長であるトオエンマがこれが本物の鬼だと言わんばかりの形相で睨んでいた。
「オズワルドは騎士としてのプライドが高すぎるのが問題じゃのお。あとはお前もお前さんじゃ。罪人という不名誉を被っとるんじゃ、少しは大人しくしとれ」
トオエンマは壁に埋まっていたオズワルドを摘み上げて床に投げてノアを呆れたように眺めた。だが、気を失っているオズワルドとノアを交互に見比べて口を歪めた。
「そうじゃな、ならこうしよう。ワシも騎士隊長に弱い奴はいらんというのは賛成じゃ。そこで、行方不明の問題をお前さんが一人で解決してこい。それができればお前の強さも有能さも認めてやるわい」
試すような視線を送るトオエンマ。ホムラはやる必要はないと言ってくれるが、ノアは考える。ここで騎士長に認められるというのは今後に大きく影響してくるだろう。遺跡への衛生の任務なども任されるかもしれない。そして何より、あの少女の守りびととしてやっていくには今のノアではダメだ。騎士隊長になり、周りに認められれば今の環境も変わり円滑に事が進むようになるだろう。周りにもっと媚を売り、少女の生きやすい世界を作り上げなければならない。
ノアはトオエンマの提案に頷いた。
「すまんな、うちの馬鹿が迷惑かけて」
ノアが席を立つとそれに合わせて女騎士が立ち上がった。紅蓮の髪を後ろで結んでいるその女性は頭を下げた。
「あたしは四番隊隊長のクレアだ。お互い仲良くしてくれたら嬉しいよ」
クレアは妖精族らしく長く尖った耳をした美しい女性だった。クレアは友好的な笑みを浮かべて握手を交えた。
「そしてこいつが二番隊隊長のジャッカルだ。無口ではあるが根はいいやつだ。今日は不在だがもう一人隊長の男がいる。オズワルドはああは言ったが、今後は仲間だ」
クレアは、座っていた男を無理やり引っ張ってノアの前に立たせた。ジャッカルと呼ばれた男は騎士の鎧の上からローブを羽織っており、フードを深々と被って顔を隠していた。袖から見える手は黒く、鋭く伸びる爪は禍々しい。フードの下から見え隠れする継ぎ接ぎだらけの枯れた顔を見るにおそらくは魔族、ゾンビと言われるものだ。
「宜しくお願いします。ノアといいます」
ノアは礼儀よく頭を下げると、ジャッカルはおどおどと逃げ場を探すように辺りを見回す。ノアは苦笑しながらも握手を求めるように手を伸ばした。するとジャッカルは驚いたように目をぱちくりさせた。ゾンビである自分を、ノアが気味悪がらなかったことに困惑したのだ。それにノアは気づかずに首をかしげていた。
「いいか、ノア。夜の街の件、調査してくるだけでいいからな。お前の力なら大丈夫とは思うが無理はするなよ。この国で最も危険なのは上界でも下界でもねえ。中央街こそ一番の闇が潜んでる。やべぇと思ったら俺らを呼べよ」
中央街、それは一見平和な街並みが広がる場所だ。だが何も力がない街が平穏を保つために、巨大な勢力が裏で蠢かされえいること。それをホムラは言い聞かせるように説明した。
ノアは会議室を出ると食事処へ向かった。今から夜の街へと出かけるのだが、その前に少女に食べ物を食べさせてやりたかった。未だに彼女はパンしか口にしておらず、ろくな食べ物を食べさせてやれていない。
だが食事処に行くが、料理人にはノアの顔を見ると嫌な様子を隠そうともせずに拒否された。
「皿洗いでも雑用でも何でもします。食事も僕が作るので食材と厨房だけでも貸してもらえませんか?」
ノアは少女のためにも何とか美味しいものを食べさせてやりたく、頭を下げる。だがその料理人には舌打ちして無視をする。
ノアは迷った。どうすべきかを。そしてしばらく考えて出した答えは料理人を殺すことだった。償いを、優しさを邪魔をするなら殺すしかない。そう思って空間の隙間からナイフを取り出そうとした瞬間、後ろから声がかけられる。
「それくらいいいじゃないか、貸してやれ」
背後に現れたのはクレアだった。ノアは力を収めてゆっくりと振り向く。クレアはノアに手を振ると料理人へと向き合った。
騎士隊長に話しかけられ驚く料理人を、クレアは諭すように優しく話す。
「お前の気持ちはわからんでもないが、それとこいつは関係ない。それにこいつは近々騎士長から騎士隊長として認められるかもしれんぞ?」
料理人は何か事情があるのか、ノアと少女の存在を過剰に毛嫌いしている。だが罪人が騎士隊長を務めるかもしれないという事実を知って驚き、悔しそうに表情を歪めた。
ノアは厨房を使わせてもらえることになったことに感謝してクレアに礼を言った。お陰であの少女に食事を作ってやれるだろう。
「気にするな、これからも苦労が多いだろうが頑張れ」
クレアは、頭を下げるノアに片手を上げて食堂から出て行った。
ーーその時のクレアの心は不信感でいっぱいだった。クレアが今ノアの前に現れたのは偶然ではない。ずっと後をつけてきていたのだ。
(あいつ今、あの使用人を殺そうとした? いや、頼みを断られただけでそんなことをするか? しかもこんな場所で。 だがあの殺気は本物だった)
クレアは洞察力には自信があった。ノアが使用人に対して殺意を向けたことに勘づき咄嗟に声をかけた。すると途端にその殺意は、幻だったかのよう消失した。
ノアを最初に見た時。いい人そう、この言葉が何よりも似合うと思っていた。だがオズワルドの言葉に不自然なほど怒りを覚えて騎士長の前で暴れ出した。しかし凶暴な荒くれ者だと思えば、確かに優しさや感謝の心も持っている。その不安定なノアの心情がクレアの判断を惑わした。
(会議の時も確かに感じた。気のせいかと思ったが、ドロドロとした殺意。今まで見てきたどんなやつよりも嫌な感じがする)
ノアが会議室で感情に混ぜた殺意、それにクレアは気づいた。おそらくはオズワルドもその殺意に刺激されてノアを威嚇したのだろう。
(それにあいつはオズワルドも反応できない騎士長の攻撃に反応していた。咄嗟に身体を引いて衝撃を流し、なんとか意識を保っていた。並の反応じゃない。あいつはいったい……)
クレアは振り返り、今来た通路の奥を、ノアが居るであろう方向をじっと眺める。
もしかして。そんな疑惑が頭をよぎって仕方がない。怪盗の名前が頭に思い浮かんで仕方がない。
「……まさかな、もしヤツだとしても騎士になる理由はない」
あの有名な怪盗なら騎士にならなくとも侵入は可能なはずだ。それに怪盗なら目的はきっと財宝か何かなはずだ。食べ物のためにノアが情けなく頭を何度も下げていた場面を目撃しているのだ。クレアは断定出来なかった疑惑を保留として、今は気のせいで済ませることにした。




