第48話 鴉と猫と鷲
氷の世界、雪が積もりゆく穏やかな庭。それが今、激しく火花を散らす戦場へと変わっていた。
ノアはバッカスに負けたことで自信を無くしていた。完璧を目指し、努力をし続けても勝てない自分に嫌気がさしていた。
だが、その自信の無さが、力への怯えが、皮肉にもノアを完璧へと近づけた。
この男は強い。気を抜いたらすぐ僕なんか殺される。初動や筋肉の動かし方を見ろ。 ミスは許されない。
見ろ 見ろ 見ろ ! 絶対に見逃すな!
ノアは必死に相手の筋肉の動きから行動を予測し、攻撃される可能性のあるもの全てをさばき始めた。
(負けるわけにはいかない。 僕はロイを救うと決めたんだ)
ーーーー獣族の男は鷲の特徴を持ち、名をホムラといった。彼はニヴルヘイムの騎士長を務めており、世に言う天才だった。筆を持てば画に奇跡が宿り、剣を持てばそこには鬼が宿った。努力せずとも世界が、神が自分を高みに連れて行ってくれた。成り行きで騎士になり、修行すらしていないため部下には好かれていないだろうが隊長にさえすんなりとなれてしまった。
そんな彼が今、人生で初めて壁へとぶつかった。
光の剣技で目の前の敵に猛威を振るうも、その黒鳥のマスクを被った男はその剣の軌跡を全て知っていたかのように避けていく。
眩く斬撃をあらゆる方向から放つも、躱され、避けられ、流される。ホムラは焦りからか、冷や汗を流して表情が驚愕に染まる。
(なぜ当たらない⁉︎俺の剣が目で追えるはずがない!)
ホムラは光の異能を所有していた。そして、ホムラには異能の才能もあり、攻撃にも守備にも治癒にも、全てにおいて高性能な能力を引き出せていた。そんな光を纏う剣を避け続ける敵に驚きを隠しきれなかった。
「「撃てぇぇ!」」
周りにいた部下達が駆けつけ、敵に向かって異能を放っていく。部下の騎士達もホムラほどではないが異能の威力や速度は申し分なく、燃え盛る炎の弾が敵めがけて飛び交った。
しかし、ノアは漆黒に染まる翼を広げ空中で身体を捻り全て躱しきる。
(避けるだろうな、だが! 隙が出来たぜ?)
こんな猛吹雪の中、翼を広げるには相当の訓練がいることをホムラは知っている。宙に浮かび、態勢を崩している敵にホムラは容赦なく剣を振り下ろした。
「ッ!! これでも当たらねぇのか」
完全に決まったと思い込んでいたため、思わず声が漏れてしまう。隙を突いたと思えた渾身の一振りさえも、ノアには当たらなかった。ホムラは完全に振り抜いてしまった剣を素早く構え直すが、急いで構えた半端な防御ではノアの攻撃は耐えきれず空中で放たれた回し蹴りがホムラに炸裂する。
(あの姿勢からなんて攻撃うちやがる)
完全に態勢は崩れていたはず、宙に浮いて力を入れることも困難なはず。それなのに地に足をつけているのと変わらない鋭さと安定感。いくら攻撃しても踊るように躱され、隙が出来たと思ってもそれは罠かのように逆に攻撃が返ってくる。
(こいつ……隙が無さすぎる)
ホムラは少し距離を取って手に握る剣を下げた。心の中に広がる動揺を隠しながら、何とか息を整える。
「お前が最近話に聞く八咫烏か。 賊には勿体ねえ強さだ。 どうだ?今からでも騎士にならねぇか?」
「遠慮しておきます。興味が湧かないし、なにより退屈そうだ」
ホムラは心臓を殴られたような感覚に陥る。退屈、確かに退屈だった。何もしないでも何でも出来てしまう。それは酷く退屈でつまらない。やりがいもなければ、苦しさもない。何も感じず、ただ目の前の味方や敵の前へ進んでいくだけ。そんな約束された道を歩くのをホムラは飽きていたのかもしれない。
「退屈か……。そうかもな。 でも、いまは久しぶりに楽しいぜ?!」
こんなにドキドキする戦いは久しぶりだ。剣が当たらない歯がゆさ。光を避けられる驚き。刃で貫かれる恐怖。どれもこれも味わったことがない。
ホムラは高揚感に包まれ、少年のような笑みを浮かべ、灰色の羽と煌めく剣を空高く飾る。
「死ぬ前に覚えとけ。俺はニヴルヘイムの騎士、ホムラだ。いざ、勝負」
ホムラは、この世でノアだけを見つめているとばかりに鋭い目を更に細めた。そうしなければ見失うのだ。目の前にいるはずなのに気をぬくと意識の外へ、粉雪に紛れて姿を捉えられなくなる。ホムラはこの短時間でノアを強者と認めざる負えなかった。才能に溢れ、努力する者を見下し続けていたホムラでさえも。目の前の敵には本気になった。
周りにいた部下達もあの一発以降、攻撃を放っていなかった。自分達の隊長に流れ弾が当たれば大惨事だから、敵の速度についていけず標準を合わせられないから。そんなものは言い訳だ。ここにいる騎士達全員、ノアとホムラの闘いに見惚れていたのだ。ここにいる騎士達はホムラのことがあまり好きではない。いつも怠けているうえに自分達を見下している気がしてたから。それでも隊長の実力だけは認めていた。そんな隊長とやりあう賊を、侵入者を排除するべきなのに身体は動かなかった。
もっと見たい、この剣筋をこの目に焼き付けたい。身体が熱くなり、この吹雪の中で自然と汗が流れていった。
「くそっ、何かないのか。 こいつの隙を作り出せるものは」
ホムラはひたすら思考を回してチャンスを伺っていた。ノアには隙が見当たらず、どんな攻撃も通用しない。だがそれはノアも同じで、ノアもホムラに対して有効な攻撃を喰らわせることが出来ていなかった。
そしてその時はきた。こればかりは慣れの差。戦場の足場が雪に覆われ、踏み続ければそこは固まり氷となっていく。ノアは雪を経験したことすらなく、足を滑らせてしまう。それは僅かな隙だ。しかしこの戦いにおいてその時間は致命的。予想外の事態に驚きを隠せないノアに、ホムラは必殺の一撃を放った。
「貰ったぁぁぁぁぁあ!」
光の剣は一本の線となってノアを襲った。しかし、その中に加わる新たな存在の気配を、熱くなりすぎていたホムラは気づけなかった。
壮大な金属音が響き渡り、足元の雪が衝撃波に飲み込まれ波打ちはじめる。
「な……に…」
ノアを見逃さまいとノアだけを見ていた結果、もう1人の賊にホムラは気づけなかった。光の一撃を止めたのは仮面を被り禍々しい大鎌を持つ毒猫、テトだった。
テトが放つ辺り一面に漂わせた異色の霧に気づき、ホムラは周りを確認すると騎士達は既に意識を失っていた。ここからは2対1、長期戦になると自分も毒に侵される。だが焦りは無い。ただただ高揚感が込み上げ乾いた唇を舌で湿らした。
「最高だ。 最高に楽しいぜ、こんな時間をくれた代わりに見逃してやりてぇくらいだ」
「それなら見逃してくれませんか?」
「ははっ。それほどの力を持ってやがるくせに女々しいやつだな。諦めろって言ったろ。 だが見逃してやりてぇってのは本当だ。 だがそれ以上に、戦いたくなった」
鴉と猫と鷲がぶつかり合い、それを歓迎するかのように吹雪が更に強まった。テトの鎌は全てを薙ぎ払わんと、力強く円を描いている。それを半端に防ごうものなら弾き飛ばされてしまうほどに、踊るように振り回される鎌はどんどんと加速していく。
(こいつの鎌はかなりやばい。おそらく一発でも当たれば即アウトだ。 しかもこいつ…)
ホムラはテトの猛攻に驚きを隠せない。その理由は圧倒的な速度だけではない。明らかにテトは無防備なのだ。乱暴に振り回して隙だらけな攻撃をテトは繰り出し続けている。だがホムラの剣はテトには届かない。なぜなら隙を全て、もう1人が塞いでいるからだ。
鎌を受け流して反撃しようものならノアのナイフに弾き返され、避けるために翼を広げて空へ逃げようとするもノアがナイフを突き立て翼に穴を空けられる。
台風のように荒れる斬撃の隙間を縫って、ノアは一撃一撃と、確実な刺突を放っていた。この芸当はテトが心の底からノアを信頼しているからこそ可能な諸刃の剣。だがその2人の攻撃に耐え続けているホムラの実力も本物としかいえなかった。ホムラは紛れもなく天才で、なにより今日ノア達と戦ってからホムラは圧倒的な速度で成長を始めていた。ホムラの才能はここからだったのだ。
(俺はもっと強くなれる。 ああ、剣ってのはこんなにもおもしれえのか。なんだよ、もっと早くお前たちが来てくれれば)
ホムラは楽しくて楽しくてたまらなかった。だが、楽しい時間もいずれは終わる。いままで才能だけで戦ってきた男にはこの永遠と加速し続ける猛攻についてこれなかった。男は少しづつ肩で息をするようになり、剣の鋭さがなくなってきている。そしてついに、雪雲から顔を出した月の光を反射する鎌の一撃に、その反動に耐えきれず手から剣が離れていく。そして、その死神の鎌を下から潜り抜けた、もう1人の死神の刺突はもう避けきれない。
人生初めての敗北を捧げた男を見てホムラは苦笑する。あれだけ自分とやりあって息ひとつ乱れていないのだ。負けをひしひしと感じるもホムラは自然と笑みがこぼれる。
(これが負けか。……悪くない)
光よりも早く、音よりも重いその刺突を胸に受け、大鷲の羽毛が宙にばら撒かれる。天賦の才を持つ男は怪盗2人の手によって積もる雪の中に沈んでいった。




