2-6 ベーコンレタスを学ぼう 予習編
皆大好き週末土曜日。多種多様な機材に囲まれた信長の部屋で過ごす中、俺は昨日からの疑問を口にした。
「BLとは何だ?」
直後、信長は飲んでいたカフェオレを吹き出した。
「汚ねっ! 顔にかかった!」
「ゲホッ……ゴメン。突然何じゃい?」
信長は咳き込みながら尋ねる。
「昨日教室でBL漫画というものを拾ったのだが、その持ち主が頑なに自分の物だと認めないのだ」
俺は昨日のことを信長に話した。
***
蜂谷エルフは俺の鞄からBL漫画を持ち出そうとしていた。人の鞄を勝手に漁るという行為は大変腹立たしいが、何か事情があるように感じたため、俺は彼の弁明を待っていたのだが……
「先輩。黙っていちゃ何も分かりませんよ」
蜂谷先輩は黙して何も語らなかった。彼は黙ったままミルクティーを口に含み、平静を装っている。ふと思い立ち、俺は漫画を掲げながら尋ねた。
「……もしかして、このBL漫画って蜂谷先輩のものですか?」
「ブフウウウ!!」
次の瞬間、蜂谷先輩はミルクティーを吹き出した。
「汚ねっ! 顔にかかった!」
「ゲホッ……な、何を言うか。違う。違うぞ。BLは腐女子が読むものだぞ。男の拙者が読むわけないだろう。さっき鞄を漁っていたのも、その、ちょっと……きに……、………………」
蜂谷先輩の言葉が、そこで途切れる。
気になったから。
恐らくそう言おうとしたのだろう。だがその台詞はBL漫画に興味があると言ってるも同然故、先輩は言い淀んだのだ。そして確信した。この『縮まる距離。遠のく思い。』は先輩の物だ。だが何故先輩は素直に認めないのだ?
「というか、恥ずかしいから早く鞄に戻してくれ」
「え? 分かりました……」
言われた通り、手に持ったままだった漫画を鞄に戻す。ついでに鞄の中の眼鏡ケースからクリーニングクロスを取り出した。
「ふう……BL漫画なんてものを公共の場で見せるなど不届き千番だぞ。変な勘違いされたらどうする」
俺は眼鏡の表面に付着したミルクティーを拭き取りつつ、先輩の言葉に耳を傾けた。
「田中君は知らないかもしれないが、そういう類いの漫画を男が持っているのは、とっても恥ずかしいことなんだぞ。いや恥ずかしいなんてレベルじゃない。キモい。キモいんだ。下手すりゃホモだと勘違いされるぞ」
蜂谷先輩の論調が激しくなっていく。
ミルクティーは眼鏡の内側にまで及んでいたため、俺様は眼鏡を外した。
「それをもっと自覚しろ。大体、そんな漫画を好む腐った奴の気がしれない。世に送り出す作者も会社も何考えてるんだか――」
「いい加減にしろ!」
遠まわしに己を乏しめ続ける魔獣に我慢ならず、魔王の咆哮。
「魔獣コブトリンよ。貴様は大事なものを自ら否定するというのか?」
俺様は鞄の中しまったBL漫画を表に出し、魔獣に突き付けた。
「このBL漫画は貴様の物であろう? 何故そこまで否定するのだ」
「だ、だから拙者のじゃ……」
「やかましい! このBLは間違いなく貴様のものだ! 何を恐れる。BLが好きならBLが好きだと堂々していればよいだろう。素直になれ」
「た、田中君、頼むから声を抑えて――」
「ほら受け取れ。貴様の大事なBLだ。何故嫌がる! 目を背けるな。己が目に刻み込め。見ろBLだ。貴様の求めるBLだ。正直にBLが好きと言え! セイ・ラブ・ビー・エル!」
「ホワアアアア゛ア゛ア゛」
魔獣コブトリンは断末魔のような奇声をあげつつ、その場から逃げ出した。俺は拭き終えた眼鏡を慌てて装着し、魔王モードを解除した。
クソッ……油断した。眼鏡を外したら中二症が問答無用で発症してしまうのだった。結構大きな声で中二ゼリフを連発したから、先輩恥ずかしかっただろうなあ。申し訳ない。
……どうしよう。遅れて俺も恥ずかしくなってきた。周囲からすっごい視線を感じるし、さっさとデザートを平らげて店を出よう。
だが俺は恐ろしい現実に直面した。
「これ……俺が払わなくちゃいけないの?」
テーブル上に残された伝票には、最新映画のブルーレイディスクが一本買えるレベルの値段が書かれていた。
***
「先輩可哀想」
一しきり説明し終えた後、信長は憐れむ声で呟いた。
「改めて聞くのだが、BLとは何だ? 何故先輩は頑なに認めないのだ」
「ググれカス」
「調べはした。Boy's Loveの略称で、男同士の恋愛に関する作品の総称。それがどうしたのだ?」
そう告げると、信長が呆れた声を上げた。
「そこまで分かってるなら……分かるんじゃね?」
「いや分からん」
BLが男同士の恋愛と知り、確かに驚いた。性的嗜好がノーマルな人間には縁の無いジャンルだろう。
確かに、恥ずかしく思う気持ちは分からなくもない。俺も自分の中二病を知られたら恥ずかしい。だが、あそこまで必死に否定することではない気がする。
「最近だと『月光』という作品がアカデミック賞にノミネートされた。あれは同性愛者である男主人公の純愛を描いた映画だ。あれがBLだろう?」
「えっ」
「書店の店頭で『俺は彼に恋をした』という同性愛者の赤裸々なエッセイを見かけたことがあるな。結構ヒットしていたようだ。あれもBLだろう?」
「いやあ……」
「この『縮まる距離。遠のく思い。』だって、あらすじを見る限り、中学生の初恋と失恋を描いた、いたって普通の作品のようだ」
「それは、どうかなあ……」
「『月光』しかり『俺は彼に恋をした』しかり『縮まる距離。遠のく思い』しかり、BLという題材も世間一般に認められているということだ」
「そ、そうかなぁ……」
「何か間違ったこと言ってるか?」
「いや、その、うーん……」
困り顔で相槌のみの信長。
BLとはそこまで難解なジャンルなのか? 何か、余計気になってきた。
「……よし。百聞は一見にしかず。読んでみようではないか」
俺の宣言の直後、信長は再度カフェオレを吹き出した。
「汚ねっ! 顔にかかった!」
「ゲホッ……ゴメン。ジローちゃん本気?」
「本気も何も、理解するためには実際に読むのが一番であろう。という訳で信長よ。これから一緒にレンタルショップへ――」
「断る!」
秒にも満たない速さで拒否された。
何故だ下僕よ!
***
レンタルショップ・ツルヤ。
それは映画、音楽、漫画、小説、ゲーム等々、様々な物を借りることの出来る、国内最大級のレンタル専門店だ。借りるためには会員登録が必要であり、手数料として200円徴収されるが、入会特典として200円引きになるため、実質無料となる。
「いらっしゃいませー」
入店と同時に、ツルヤの店員が挨拶してきた。
俺は店員を一瞥した後、真っ直ぐ漫画ゾーンへと向かう。ここのツルヤにはちょこちょこお世話になっていた為、漫画の棚がどの辺りに配置されているか把握していた。
棚の側面を一つ一つ確認していき、店の奥から3番目の棚でBLコーナーを発見した。丁度、少女漫画コーナーの真向いに位置していた。この配置を見るに、メインの読者層が女というのは本当の話なのだろう。
……何故、男同士の恋愛を描いたものが女に人気なのか、俺にはイマイチ理解できない。女は基本恋愛脳だからか?
解けぬ疑問はさて置き、俺はBLコーナー全体を軽く物色した。
『ワッショイワッショイ! 裸祭りだワッショイワッショイ! 裸祭りぞワッショイショオイ!』
「あ、少年漫画は逆のほうか」
独り言を呟き、左右をキョロキョロ見回すことで、目当ての漫画を探してる途中間違ってこのコーナーに侵入してしまったんですよ、的な空気を出しながら俺はBLコーナーから退散する。その後、早歩きで少年漫画コーナーに向かい、棚からMENMAを1冊手に取った。
ビックリした。ああビックリした。ホントビックリした。
初めてエロ本の表紙を目にしたとき以上の驚きだった。背骨を開かれ、髄に直接電極を繋げられたかのような衝撃だった。
肌色だらけだった。少年誌青年誌の表紙を飾るグラビアアイドルなんか目じゃない位に、BLコーナーは男キャラによる肌色成分過密地帯だった。
あまりの裸祭りっぷりに、間違って18歳未満立ち入り禁止区域に入ってしまったのかと思ったが、棚の配置的にそれはあり得なかった。あのBLコーナーは間違いなく全年齢向けとして開放されている。オカシクナイ?
だが落ち着いて考えてみると、少年漫画・青年漫画でも扇情的な女キャラが表紙を飾っていることがよくあるではないか。『とらべるダークネス』とか『ににんエッチ』とか。俺もボイン成分過多な表紙に、思わず本を手に取ってしまうこと多々。
即ち、俺は男だから、BLコーナーの裸祭りを異常に感じてしまうだけで、女を対象にした販売戦略的には普通なのかもしれない。きっと表紙がアレなだけで、少年漫画と同様、中身は全年齢向けなのだ。
そう考えると、気分が大分落ち着いてきた。
俺はMENMAを棚に戻し、BLコーナー近辺の様子を覗う。そして誰も居なくなったタイミングを見計らい、忍者如き立ち回りでBLコーナーへと再突入した。
『HEY! 雄だけのヌーディストフェスティバルへYO-KOSO!』
改めて肌色成分の多さに驚かされる。少年青年中年の裸体がコレでもかと言うくらい並べられており、見ているだけで気が滅入ってくる。案外、コンビニの成人誌コーナーを目にした女は、今の俺と同じ気分なのかもしれない。コンビニに堂々と成人誌置くの止めてくれない、という女の主張を少し理解できた気がした。
さて、このような異空間に長居は無用。俺は手近なBL漫画を手に取り、レンタルボックスから取り出した。
『Oh Yeah! ネコタチの戯れをご覧ください――』
「ウボァッ!?」
思わず皇帝的断末魔。投げ捨てる様にBL漫画を元の位置に戻した。
ツルヤで漫画をレンタルする際、基本的にカバー無しの状態――表紙剥き出しで借りることになる。だから、カバーがいくら裸祭りでも、借りるときは問題ないと考えていた。だが、その見通しは甘かった。
漫画を愛読する者なら御存じかもしれないが、偶にカバー裏におまけのイラストや漫画を仕込んでくる作者がいる。ここまで言えばもうお分かりだろう。不運にも、俺が手に取った本は裸祭りがカバー裏にまで及んでいたのだ!
しかも、よりにもよって行為中のイラスト。作者の好意マジナイトメア。夢に見たらどうしようっ……つーかこれ年齢制限ないんですよね。ヤってるイラストとか描いていいの? しかも何故店側はこれを堂々と置いてるの?
BLの 規則が 乱れている!
等といったことを胸中喚き散らしていると、いつの間にかBLコーナー周囲に人が集まり始めていた。
ヤベエ。万が一知り合いが居たらもっとヤベエ。
俺は神に祈りつつ、手近のBL漫画をカゴに入れ、すぐさまその場を離れた。そして店内の隅っこで表紙を確認。祈りが通じたのか、引っ張ってきた漫画は全て表紙が無地のタイプだった。これならば、一目ではBL漫画と分からない。
万全を期すため、カムフラージュ用の男性向け漫画を何冊か一緒にし、俺はレジに向った。後は店員に会員証を見せて、レンタル料を払うのみ。これにてミッションコンプ――
「それでは巻数のご確認の方をお願いします。『MENMA』35巻から37巻。『俺だけが居ない村』1巻2巻。『バック・トゥ・ザ・アス』1巻。『ボクと野郎の交尾生活』1巻。『イキ過ぎフレンドフォーエバー』1巻。『突撃ドピュッ! イケメン牧場。~搾りたて雄っぱいミルクティーはいかが?~』1巻。『はい喜んで!』1巻。以上でお間違いないでしょうか?」
「……ハィ……合ってます」
混雑中のレジにて、まさかのタイトルトラップ発動。題名を一切確認しなかったのは、完全に俺の落ち度だった。
つーかなんなのだ、そのタイトル。もはやただのAVじゃあねえか。特に最後から2番目!
そして仕事とはいえ、あのタイトルを恥ずかしげも無く淡々と読み上げる店員に、プロとしての矜持を感じた。
……ただ、偶然だとは思うのだが、タイトルを読み上げる順序に、店員のそこはかとない悪意を感じた。




