特別講義は終わったけど?
特別講義が終わり、皆が満足した顔で自身の研究室へ戻っていく――ものだと思っていたら、なぜか誰一人戻ろうとせず、その場で椅子に座ったままこちらを見ている。
「えっと、特別講義は終わったけど?」
「はい!」
僕の問いかけにメディナスが快活に答える。一応認識に間違いは無いようだ。つまり、特別講義以外にも何か用件がある、ということなのだろう。……さっぱり検討はつかないが。
そうして少し悩んでいると、パトリシアが遠慮がちに手を挙げる。
「遠慮しないで言ってみて。もし困っていることがあれば、何か手伝えるかも知れない」
真面目な彼女のことだ、研究を進める上で何かしらの壁にあたってしまったのかも知れない。本来であれば、自分の力で解決をしてもらいたいとは思う。しかし百年前の過ちはそういうところから始まっていたのかも知れない。
「そ、そういうことでしたら、お言葉に甘えさせていただきます」
「いいよ、気にしないで」
「は、はい、実は……」
パトリシアはそう答えながらも、若干遠慮気味なままで一旦言葉を止める。そして一度、何かを決心したように頷き、再び口を開く。
「隣の町に、ものすごく美味しいお店があるという噂は本当でしょうか?」
「……はい?」
「あ、やはりあるんですね」
想定外の質問に驚き、ついつい聞き直してしまう。しかし、それを聞いたパトリシアの顔はパッと明るくなった。
「あ、いや、その《はい》じゃなくて」
「……無いんですか」
「えっと、一応は一軒だけ心当たりはあるんだけど、あるなし以前になぜそんな話が?」
先程までは間違いなく近代錬金術の話をしていたはずだ。少なくともその話の流れの中で、飲食店の話はおろか、お腹がすいたような話も一切なかったように認識している。
「実は最近、隣町にものすごく美味しいお店があるらしいっていう噂があるんですよ。何でも、領主様が絶賛した程で、まさに天に登るような美味しさらしいです」
うん、さすがに天に登るような美味しさっていうのは言いすぎだとは思うけど、シェリルさんが絶賛って件は、間違いなく中り屋のことだろう。
「多分、それっぽい店に心当たりはなくもないけど、どうしてその話を今僕に?」
「噂を聞いていて、つい私も食べてしまいたくなってしまって。馬車を手配して隣町まで行くことはできるのですが、慣れない町でそのお店を探せる自信がないんです。国家錬金術師として認定されてから毎日忙しくて、なかなかまとまった時間が取れないですし」
「まあ、確かに一気に忙しくなってしまった気はしなくもないな。私は一向に構わんが、辛く感じる若者も多かろう」
少しずつ申し訳なさげになるパトリシアをフォローするように、フィリップ副司祭が声を上げた。こう言ってしまっては失礼かもしれないが、フィリップ副司祭との初対面のイメージが抜けきらない僕としては、非常に珍しく目に映った。
しかし思い返してみれば、近代錬金術に触れた後のフィリップ副司祭は、クローツ教の原点に立ち返り悩む若者たちの相談にのるような場面もあったことに思い至る。
「……どうしたというのだ、顔が妙に嬉しそうだぞ?」
「ああ、個人的な話だから気にしないでもらえると助かります」
「そ、そうか」
フィリップ副司祭がこちらを窺っているが、ひとまずは話を先に進めることにする。
「んー、確かに。一気に負担が増えてしまって、折角の才能がパンクしてしまうようではダメですよね。わかりました。上に掛け合って少し抑えてもらえるようにしてみますよ」
「それがいい」
期待をしてもらえるのは嬉しいことだ。しかし、過度に負担がかかるのは好ましくはない。今日はそれが知れただけでもよかったと言えるだろう。
「フィリップ副司祭も一緒にどうですか?」
「いや、私はもっと多くの研究時間が欲しいくらいだ。今は楽しくて仕方がない」
ああ、それはものすごく共感できる。やはりフィリップ副司祭はこちら側の人間だ。僕も近代錬金術に触れて暫くの間は、勉強や研究にほとんどの時間を費やしていたことを思い出す。
「その気持もよくわかりますよ」
「先生は今もそんな感じですしね」
「え?」
「え?」
メディナスがしみじみと同意の声を漏らす。どうも認識に隔たりを感じる。
「僕も確かに研究は好きだけど、のめり込みすぎるようなことは無いと思うよ」
「自覚はないようだな」
「無いみたいですね」
フィリップ副司祭とパトリシアにも同意されてしまう。……主に研究にのめり込むのは夜中だから、学生の誰にも見せていないはずなのだが?
「先生は夜中も研究してそうですしね」
……基本的に寝てないからな。
「メディナスさん、いくら先生でもさすがにそれは言い過ぎですよ」
「ふふ、そうですね」
そう言って二人が顔を合わせて微笑む。この勢いだと掘り下げられかねないので、話題を元に戻すことにする。
「ま、まあ、それは置いておいて。近い内に隣町まで行く予定だから、また日が決まったら連絡するようにするよ」
「あ、はい。お願いします」
パトリシアの表情は先程よりもずいぶんと改善されたようだ。この研究室に入ってきたときはあまりわからなかったが、今の表情と比べればすぐにわかる。……まだ、国家錬金術師に認定されてから数日しか経っていないとはいえ、こうやって顔に出るくらいのプレッシャーが掛かってしまっているということか。
もっと認定者が増えてくれば一気に改善するのだとは思うが、ここで改善しておかないと保たない人が出てきかねない。早急にシェリルさんと相談しないといけないな。
そして再び隣町へと赴く日程が決まり、パトリシアに連絡を取ったところものすごく喜ばれてしまった。なんでも期待はしていたものの、僕が忙しいことも知っていることから半信半疑だったようだ。
未来を担う大事な教え子たちのためだ。これくらいのことは一向にかまわない。
一応、前回の特別講義に参加できなかった者にも声を掛けてもらったが、今回は参加を見送るとのことだった。研究がはかどっているというのはよいことだ。
「それじゃあ、当日はうちに集合してもらうってことで」
「はい、ありがとうございます」
通信機の向こう側ではメディナスの声も聞こえていた。ちょうど遊びにきていたのだろうか?
無事に何事もなく当日を迎え、僕たちは手配しておいた馬車へと乗り込んだ。メディナスとパトリシアは、朝早かったにもかかわらず、集合時間よりもずいぶんと早く着いていて、出発の時間を待ち遠しそうにしていた。
「それでは、いってらっしゃいませ」
「うん、留守の間は任せたよ」
「はい、かしこまりました」
実はアリスも一緒に行きたそうにはしていたのだが、ちょうどシェリルさんとの約束がかぶってしまったようで、今回は一緒に行けないと謝られた。
――御者が手綱を引くと、馬車はガタガタと車輪を動かしながら動き始めた。
「今日はいい天気ですね。絶好の旅行日和じゃないですか」
「ふふ、確かにそうですね」
メディナスが周りを見ながら頬を緩ませる。そしてパトリシアも楽しみにしていてくれたようで、メディナスの言葉に頷いていた。
馬車は比較的ゆったりとしたペースで走り続ける。道中は二人が途切れることなく、とりとめのない会話をしていた。僕は特に混ざれそうな話でも無かったので、モノクル越しに研究資料を表示して内容の確認に時間を費やすことにする。
そして昼を少し過ぎた頃、再び隣町へとたどり着いていた。
次回更新はなるべく29日の夜中にする予定ですが、もしかしたら時間が取れなくて7月3日頃になってしまうかも知れません。




