生活拠点
もうそろそろ日が傾いてくる頃だろうか、帰る道すがら人々の暮らしに目をやると、すでに帰りの支度を始めている人もいるようだ。きっと夕食の準備を始めている家庭も多いことだろう。
家に帰ると玄関前でアリスが手を振って居るのが目に入る。数日間会っていないだけなのだが随分と久しぶりにあったような錯覚に陥ってしまう。
「バーナード様、おかえりをお待ちしておりました」
「ただいま、アリス。留守の間に変わりは無かった?」
「はい、変わりありません」
言葉をかわすアリスの表情からは、とても上機嫌であることが窺える。いや、僕もかな。
やはりこの時代に目覚めてから一番長く一緒に居る事もあり、彼女の顔を見ると疲れが若干和らぐ気がする。いつ頃から待ってくれていたのかはわからないが、こういった事は何気に嬉しく思う。
そんな僕の様子に反応するように柔らかい微笑みを浮かべると、一歩横に避け玄関の扉を開けて中に入るように促してくれた。
「お食事の用意は出来ておりますが、すぐにお召し上がりになりますか?」
「んー、できれば食事の前にお風呂に入ってさっぱりしたいかな。森の異界でも携帯の風呂は使っていたけど、それでもやはり家で入るのとはちょっと違うからね」
「はい、そちらも用意はできております」
玄関口から自室に移動する間に交わされる会話も、相変わらず阿吽の呼吸と言うかかゆいところに手が届いているなあと実感する。
すでに用意できているようなので、荷物だけを自室に放り込んで風呂に向かう。
「そういえばイネスはもう帰ってきてる?」
「いえ、まだ帰ってきてはいないです」
「そうか、多分そろそろ帰ってくると思うからイネスの事もお願いね」
「かしこまりました」
「ありがとう。それじゃあ風呂にはいるよ」
「それでは風呂上がりに合わせてお食事の用意を致します」
そう言って深く一礼するアリスと分かれて風呂の扉を開き中へと入る。久しぶりの自宅お風呂なのでゆっくりと入らせてもらうかな。
風呂上がりの一杯が喉から全身を潤す。やはりこういった無防備な時間というのは心を深く癒やしてくれる。
廊下を歩いているとイネスと鉢合わせた。後ろに荷物を持ったアリスがいることと、その格好からするとつい先程帰ってきたばかりというところだろうか。
「兄上様、ただいま帰りました」
「おかえり、イネス。トライアルはよく頑張ってくれたね」
「はい、兄上様のお陰でとても気の良い方々と知り合うことが出来ました」
今回はトラブルが発端とは言え、イネスには結構無理をしてもらったという自覚はある。ただ偶然が積み重なったことではあるが、イネスが言うように良い縁にも恵まれたのではないかと思ってもいたりする。イネスにはこの良縁を大事にしていってもらえれば嬉しく思う。
機嫌よく続けて話を始めようとするイネスだったが、この場はあまり適していないことと、ひとまずは疲れを癒やして欲しいので、それを手で一旦止める。
「積もる話は後でゆっくり聞かせてもらうよ。まずはお風呂にでも入って体を綺麗にしてくると良い。トライアルの最中はお風呂にも入れていなかっただろうからね」
「あ、申し訳ありません。それでは御言葉に甘えせさて頂きます」
「それじゃあアリス、食事はその後で一緒に取ることにするよ」
「かしこまりました」
二人を見送ってひとまずリビングへと移動する。それにしても元々丁寧な口調で話すアリスに加えてイネスが話すとものすごく丁寧な会話になるなあ、と若干苦笑してしまう。ブリジットやファエルがいればもう少し――
「ご、ごはん……」
そう思ってリビングに入るとソファーに突っ伏して気力の殆どを失っているブリジットがいた。
ああ、これはもしかしてアリスが早めに食事の準備をしたのは良いが、ブリジットが待てを食らっている最中ということなのだろうか?
「た、ただいま」
「……お兄ちゃん、ボク死んじゃうかも」
「お、おう。多分もう少しの辛抱だよ」
顔だけこちらに向けて深刻そうに生命の危機を主張するブリジットを若干心配しつつ、少しだけ離れたところに座ることにする。その後は数回ブリジットに声を掛けるものの、気のない返事が返ってくるだけだった。
そんな微妙な時間が少し続いたが、アリスとイネスが部屋に入ってきたことで状況が大きく動く。
「バーナード様、お待たせしました。それではお食事にしますので食堂へお願いします」
「ああ、ありが――」
「ごはんだー!」
「あ、ブリジット! 廊下は走らない! ……もう」
アリスの声掛けを心待ちにしていたであろうブリジットは声を上げるなり食堂へと走り去ってしまった。途中でアリスが注意をするも既に意識は一つの場所に向いていたのだろう。もしかしたら大人しかったのも、離れた場所にある匂いに集中していたからかも知れない。
相変わらず仕事人間なファエルは帰ってきてはいなかったが、その後の食事が中々賑やかな物となった事は言わずもがなだろう。
トライアルを終え森の異界から帰ってから数日後、食堂の椅子に座り用意された朝食を食べ始めると、先に朝食を食べていたイネスが何かを決心したような真剣な様子でこちらを見ている。
「イネス、どうかしたの?」
「……急な話なのですが、これからの探索者として始まる生活のために、この家を出て生活拠点を変えようと思います」
「確かに急な話だね。僕とアリスもここを拠点にして探索者としてやっているし、イネスもこの家から通っても良いんだよ?」
「兄上様の提案は嬉しいのですが、それではどうしても自分に甘えが出てしまいそうなので」
「イネスがそう言うならば尊重するよ。もう宿は決めてる?」
「まだ決めてはいませんが大体目星は立っています。初めは安宿から始めようと思います」
「そうか、拠点を移してからも遊びに来ていいからね」
「はい、もちろんです」
イネスが嬉しそうに答える。彼女たちはホムンクルスなのでいつでも自立は可能なレベルで知識は保有している。ただ、まだ生まれてから間もないので、僕としてはどうしても過保護気味になってしまう。
イネスは一旦アリスへと視線を移し、それから再び僕と目を合わせる。
「それに、ここは若干手狭にも感じてしまいますし」
「んー、確かにこの家もちょっと手狭にはなってきたかなあ。研究室として使っている部屋もそろそろ限界だし」
「そうですね、普段の生活で常用しないものはなるべくストレージにしまってはいますが、それでも限界は近いかもしれません」
僕の言葉にアリスが頷く。同じ趣旨の発言をするにしても、普段からあまり部屋の掃除をしていない僕が言うのと、普段からきちんと整理整頓を心がけているアリスが言うのでは言葉の重みが遥かに異なる。
確かに普段から研究を続けている都合上、出しっぱなしにしておかないと困る錬成道具は多い。その為、隣の居室も使っていたりはするがどうしてもかさばってしまうのは避けられない。
まだ家を購入してからそれほど時間も経っていないはずなのだが、手狭感は大きくなっていくのだから不思議なものだ。
いや、それほど不思議な話しでもないか。
必要に迫られてのことではあるが、当初の予定よりも早くホムンクルス達が増えていっていることが主な原因だろう。本人たちの希望もあって各々が勤め先の寮などに引っ越してはいるが、それでもこの家に残る者はいるし、当然のことながら外で暮らし始めた者もわりと良く訪ねてくる。
その一番の理由がアリスの料理だったりする。最近は更に料理の腕も上がっており、それこそ店を開いて大繁盛出来るレベルになっていると思う。
半数以上は料理もできるはずなのだが、聞いている限りではアリスと同じレベルの味を出すことが出来た者は一人もいなかったりする。それも大きな差がを感じるほどに。
唯一エステルの料理が一番近いかもしれないが、こちらは孤児院の運営を手伝っている事もあり、他者に食事を都合できる程の余裕は無いだろうし、あまりこちらには帰ってくることはないので無理がある。
ランディス達の話が思ったより長くなってしまったので一旦章を区切るかもしれません




