絶対に言えないな
遠目に小さくではあるが、確かに青龍はその威厳を以って僕の斬撃を受け止めようとしたのは確認できた。しかし青龍は脳天に直撃した斬撃に傷を負い、その勢いを失って垂直に落下を始めた。その傷は遠目に見ても中々の深手に見える。
「……やったのか? いや、でもそれはさすがに――」
想定外の出来事にどうにも思考が追いついていかない。さすがにまさかこれで終わってしまうということはありえないだろうが、この展開は少々衝撃的に過ぎる。
恐らくは体勢を立て直して再び怒り狂いこちらに襲い掛かってくるに違いない。気を緩めてはいけない、そう思いながら固唾を呑んで青龍の様子を見つめる。
ほぼ垂直に落下した青龍はその勢いのまま地面に激突する。あれだけ硬かった地盤が激突の衝撃の影響で一部がひび割れている。……まさか、本当にこれで終わりなのか?
その時、一瞬ピクリと青龍の身体が動きを見せる。
「やはりあれくらいじゃ終わら――」
などと独り言を発しかけてすぐ、想定していた事がすぐには起こらない事を認識してしまう。一瞬動きを見せたかと思われた青龍だが、そのまま継続して動きを見せないのだ。
……終わった、のか?
しばらく呆然とその光景を眺めていると、青龍が伏している周辺の地盤が揺れ始めた。そして間もなく数体のガイア・クロウラーが出現した。
青龍が健在ならば激情のもとにブレスが放たれてガイア・クロウラーは瞬殺されるのだろうが、どれだけ待ってもそれは起こることはなかった。
少しの間、青龍に近づくこと無く一定の距離を置いて、周りを動き様子をうかがっていたように見えたガイア・クロウラーだったが、ついに警戒を解いたのだろう、一斉に動かぬ青龍へと殺到しその身体を貪り始めた。
「――ってちょっと待て、勝手に食べるな! それは僕のものだぞ!」
我に返り慌てて青龍の落下地点へと向かう。幸い障害物はないので全力で走ればそれほど時間はかからないとは思われるが、そうこうしている間にも次々と地面からガイア・クロウラーが飛び出して青龍へと食らいつく。
しまった、せめてもう少し近づいて様子をうかがっておくべきだった。
「はあ、……せっかく青龍を倒したのにほとんど素材が取れなかった」
深く大きなため息が漏れてしまう。こんなため息をついたのは久しぶりな気がする。大きく肩を落としているのが自分でもよく分かる。多分今の僕を知り合いが見たらとても驚くことだろう。
しかしそれも仕方がない事ではある。
これまで青龍を討伐出来たことなんて無かったし、誰かが討伐した話など聞いたことが無いのだ。青龍から採取した素材なんてほとんど市場に出回ったことがない程だ。出回る素材だって僕と同じように素材を採取して何とか逃げ帰った事で手に入れた物だから当然といえば当然か。
その青龍の素材を総取り出来る絶好のチャンスが目の前にあったというのに、あまりに想定外の流れに正常な判断が出来ていなかったがために、その殆どをガイア・クロウラーに食べられてしまったのだ。
腹いせに群がっていた全てを一掃したものの、失った素材は決して返ってくることはない。錬金術師バーナード一生の不覚である。
「ま、まあそれでも前回賢者の石を錬成する為に使用した量以上の素材は採取できたから良しとするしか無いか。……全然良くないけど」
自らを慰める為の独り言が非常に空虚に感じてしまう。あれ、異界の風ってこんなに身にしみるものだったかな? そういえばこの階層は地上部分に何も無いから、きっとそれが原因かな。ははは。はあ。
異界?
「いや、待てよ? よくよく考えてみればここは天獄塔の異界だ。……ということはつまり、この第二十五層に青龍が再び沸く可能性があるってことじゃないか」
以前見たカーボネーテッドウォーター・エレメンタルの発生地点のように、青龍が発生する場所が何処かに存在するのかもしれない。それがどこにあるのかは未踏地形探索魔道具によって取得された地形情報をもってしてもわからないが、今はそれに期待する他ないだろう。
問題はその周期が判らないことだろうか。まあ、それに関してはある程度の期間を置きつつ定期的に見に来るしかないだろう。少々面倒な行為ではあるが、青龍の素材が手に入るのであればその程度の苦労は安いものだ。
そして青龍が討伐出来てしまったことでもう一つの可能性が頭をよぎる。それは勿論、青龍と同じ四神である玄武の事だ。これだけ容易に青龍が討伐できたということは、当然のことながら玄武も討伐できる可能性が高いということである。
「きちんと回収することが出来れば貴重な玄武の素材が大量にこの手に――いや、それはダメか」
ついつい欲張りな気持ちが湧いてしまったが、玄武討伐には大きな問題がつきまとっている事に思い至る。それは――
「折角の月虹花が群生している環境が失われてしまうのはマズいか」
今の玄武には何故か月虹花が群生しているが既存の玄武を討伐した場合、次の個体に月虹花がきちんと群生してくれるという保証は全く無いのだ。それこそ全く生えてこない可能性だってあるのだ。それでは非常に困ってしまう。
異界産の月虹花から生成される錬成粉は例によって非常に高品質である。今後、新たな世代の近代錬金術の発展には決して欠かせない、とても重要なファクターである以上はそれを失ってしまうという愚行は可能な限り避けるべきである。
ひとまず最低限の目的は果たした。いつまでもこんなところに居ても時間の無駄なので、第二十五層から地上に戻り家に帰る事にする。
帰り道は特に何かが起こることもなく、異界も地上も実に静かなものだった。家に近づくと窓から漏れる照明の光が目に入る。リビングの灯りが点いているようだ。
家を出る時には照明を付けずに静かに出てきたはずなので、僕以外の誰かが明かりをつけたということになる。まあ、もしかしなくてもアリスだろうけど。
玄関の扉を開けて家の中に入る。扉の向こうにはアリスが特別な事は何もなかったかのように立っていた。心配をしつつも努めて僕に合わせてくれていることがわかる分心苦しくもある。
青龍と戦ってきました。というか一撃で終わりました。……絶対に言えないな。何もなかったように接してくれることのありがたさよ。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、バーナード様。何か温かいものを用意しますね」
「ありがとう、それじゃあリビングで待ってることにするよ」
「かしこまりました」
アリスがキッチンに向かうのを横目にリビングへと足を運ぶ。そのまま部屋に入るなりソファーに腰を掛けて体重を預ける。柔らかい生地の感触が身体を包み込むのを感じながら考えを巡らせる。
想定していた展開とは異なっていたため、実際に異界にいた時間はそれほど長いものではない。それにも関わらず、この倦怠感はなんだろうか?
「……ちょっと気を張りすぎてたのかな」
どうしても過去の記憶が色濃く残ってしまっているが故に、必要以上の緊張から逃れることが出来ていなかった事は痛感している。
いや、必要以上という言い方はおかしいか。確かに結果だけを見れば心配は杞憂に終わった。しかしながら過去あれだけ苦労した以上は今回に関しては気をつけておくことは決して過剰ではなかった。
想定よりもマイナスになる事は想定していたが、プラスに傾くことを想定していなかっただけのことだ。単純な機会損失なので賢者の石を錬成するための素材を採取して生還するという目的には影響はない。
「あとは白虎と朱雀か。第十五層の次が第二十五層だったわけだから、このペースだと三十五層と四十五層あたりになるのかな。研究室に戻る頃までには素材の用意が終わっていれば良いなあ」
独り言を呟いていると、キッチンの方から足音が近づいてくる。アリスが飲み物を持ってきてくれたようだ。
「失礼します。随分お疲れですね」
「僕なら大丈夫だよ。一応後で疲労回復用のポーションでも飲んでおくよ」
そう言って腰に手を当てて飲み干すジェスチャーをすると、アリスはクスっと小さく笑いながら用意した飲み物をテーブルに置き始めた。
「良い香りだね。新しい茶葉?」
「はい、先日シェリルさんにいただきました。この香りが疲労に効くそうですよ」
「それはありがたいな。――うん、味もいいね」
「本当、美味しいですね。バーナード様、今日はお疲れのようですし、少しゆっくりされてはいかがですか」
「そうだね、そうするよ」
さて、と。これを飲み終わったらゆっくり研究でもしてリフレッシュしますか。
結局いつも通り研究するんかい。
というのは置いておいて。
ひとまずこの話で章を区切ろうと思います。
ようやく未踏階層の踏破まで話が進んだわけですが、この後の展開はまだ一部を除いてぼんやりとしていたりします。
なかなか話が進まなくてヤキモキしている方も居るやもしれませんが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
今後も楽しく書いていければ良いなあ。
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