苦い記憶
――シェリルさんの元を訪れた後に休眠日を経てさらにその翌日、既に時間は夜半に差し掛かろうとしている。外は相変わらず昼間のような明るさではあるが人通りは少なく、こうして歩いていても見知った顔を見かけることは無い。
特にこの道は天獄塔に向かう際にいつも利用しているのだが、昼間であれば所々で人がごった返しているくらいなので時間的な問題はある事はわかっていても少々寂しくはある。夜の街が明るくなったとは言え、そう簡単には人の習慣までも変わるものではないということなのだろう。
まあ、それでも既に夜間の生活基盤に当たる部分は出来上がってきてはいるので、じきに変化していくのだろうとは思う。夜に人の動きが増えれば自然と経済活動も盛り上がっていくものだ。
さて、それで何故にこんな夜も遅くに、この様な人寂しい場所を一人で歩いているかと言えば、勿論相応な目的があってのことである。
ちなみに今回の件に関しては、まだアリスには何も伝えてはいない。とは言っても勘は良いほうなので何かしらを察している可能性は否定できない。それでも何も言ってこないのは気が付かないふりをしてくれているのだろう。
しかし目的を話してしまえばそうはいかないだろう。意地でも一緒に付いて来ると言い出しかねない。だから、なるべく心配を掛けないようにこんな時間を選んで家を抜け出して来たというわけだ。まあ一番の理由はもっと別にあるけど。
慣れた道を歩きようやく目的の地点に到達する。そのままある種の儀式のように慣れた手順を済ませる。そしてポータルを抜けるとそこは淡い光源が散りばめられた薄暗いドーム状の壁が視界を埋めていた。そう、ここは天獄塔の異界・第二十五階層である。という事で既に明白だとは思うが、今夜の目的は勿論――
「青龍、か。前回は皆もいたし満足に時間が取れなかったからブレスの威力確認程度だったな」
前回受けたブレスの衝撃を記憶から取り出して強くイメージする。そしてその記憶とは別に更に過去の記憶を呼び覚ます。すると頭のなかに走馬灯のごとくイメージが次々と通り過ぎていく。
――古い記憶なので多少のバイアスがかかってしまっている可能性は否めないが、やはりドームの外に存在する青龍は昔戦った個体と比べて遥かに劣っていると、そこに関しては断言してしまっても良いだろう。
……まあ、それでも十分に強いとは思うが。
アリスを連れてこなかった一番の理由がコレである。アリスだけではなくパーティメンバーを含め誰ひとりとして誘わなかった理由。いくら皆が成長したとは言え、さすがに青龍と相対するにはまだまだ足りていない。
それでは僕はどうだろうか?
以前対峙した際の記憶を思い出す限り、当時はとてもじゃないが僕個人の戦力では到底討伐など出来る気がしなかった。それでも賢者の石を錬成するという人生最大の目的のため、文字通り死に物狂いで素材の採取だけは成功させることが出来た程度だ。一番大変だったのは素材を採取したことで更に激高した青龍から安全圏まで逃げ切る事そのものが大変だった。
しかし今の僕は亜神となったことで戦力は大幅に増加している。更に天獄塔の異界という地形的特異点が生み出したであろう青龍自身の弱体化。
これであれば十分な安全マージンを取った上で賢者の石を錬成するための素材を採取する事が出来るのではないだろうか?
「どちらにせよ戦ってみれば分かる話、か」
誰に話しているでもないがつい言葉が口から漏れてしまうのは悪い癖かもしれない。
苦笑いしつつドームを出て周りに敵がいないことを確認する。ひとまずは近くに魔物は存在していないようだ。そして――
「うん、真っ暗だね。これは都合がいい」
この第二十五階層は塔の外と同じ時間の流れで存在している事は確認できていたのでこれは予定通りとも言える。
わざわざこの時間帯を選んだのは正にこれの為、月詠が最もその力を発揮するのは陽の光が失われた世界、つまり夜だ。
セオドールから聞いた話で、東方の国には月詠という夜を統べる神が信仰されていると言う話があった。錬金術と全く関係ない話しだったから途中で寝てしまったので、それの詳しい内容までは覚えていない。
ただその《夜を統べる》とか格好いいと思って武器錬金時にコンセプトとして利用させてもらったのだ。後にセオドールに武器を見せて説明したら「中々のチューニっぷりだねぇ」とか言われたわけだが。
まあ、夜に性能が上がるとは言ってもせいぜい一割程度だったりするので夜を統べることは出来てはいない。それでも他に比べれば破格の性能なので今に至るまで愛用させてもらっていたりする。
階段を使うように中空を蹴り上がり十分な高度を確保した後、改めて周辺の安全確認を行う。幸いこの階層には空を飛ぶ魔物は青龍以外には存在していないようなので、この行為自体はあくまでも手順のようなものだ。
上空から足元を眺めると、視線の先の地面には力なく横たわるごく小さな物体が見える。――ガイア・クロウラーの亡骸だ。
先程、上空に上る前にたまたま遭遇したガイア・クロウラーを準備運動の一環で討伐してみたのだが、実に歯ごたえがなかった。まあ、弱体化している青龍のブレスで一撃のもとに沈められた程度なのでこの結果に関して特に意外性は無い。僕でなくてもそれほど大きな差は出ないのではないかと思われる。
「――さて、と。そろそろ出てきてもおかしくはないと思うのだけど」
上空に上がってから半刻程が過ぎ、あまりの退屈さに緊張感が抜けかけてしまいつつ青龍の出現を待ち続けている。
てっきりいつでも遭遇が可能だと思っていたので、その対策は行っていなかったのだ。こんなことならば前回の遭遇時にマーキングでもしておけばよかった。
そう思った矢先、遠くから微かにだが大気を震わせる咆哮が聞こえてくる。咄嗟にそちらへ振り向き目を凝らす。――来たか。
次第に大きく見えてくるその姿を見据えながら、緩みかけていたその緊張感は自然と引き締めてられていく。それとともに脳裏をよぎる苦い経験。……大丈夫、今の僕なら戦える。
「……それじゃあ、まずは挨拶といこうか」
不安を払拭するためにはまず行動を起こすべきだ。そう思い、月詠を構え直し斬撃の準備に入る。今回は周りに気を使う必要が全く無いので、当然のことながら月詠はフルパワーでチャージを始める。
刀身にエネルギーが溜まっていくにつれて、その色は赤く輝きを増していく。
今回は、更に神気をコントロールしてその刀身に纏わせる事にする。すると赤い光を黒い領域が少しずつ包み込んでいく
そしてその輝きが完全に失われた事を感じ取ったのを合図に全力を持って月詠を一閃し空間を斬りつける。するとその黒いエネルギーが刀身より放たれて夜空を切り裂いていく。さながらそれは夜空に出来た傷のようにも見えた。
「これじゃまだまだ足りない!」
斬撃が放たれたことを確認した後、返す刀で再び斬りつける。二度三度と立て続けに放った斬撃は一度目の斬撃のように一直線ではなく、弧を描くように青龍に向かい飛んでいく。これは少しでも青龍の意識を分散させる為の小細工ではある。
黒い斬撃が闇夜に紛れているとは言え、その高濃度のエネルギーは青龍にも十分に認識されているようだ。しかし青龍は何事もないようにこちらに向かい直進を続ける。いくら弱体化しているとは言え、豆粒のように矮小な存在が放った斬撃は意にも介さないということなのだろう。
青龍はもう一度大きな咆哮を上げながら斬撃を受け止める。そして――
「やはり受け止め――あ、落ちた」




