4 どういたしまして、だ
森の狭い街道。
冒険者らは横に広がり、馬車を守りつつジリジリと距離を詰めてくる。
その体はあまりにも小さく、手足は細い。
剣を構えた姿は蟷螂の斧だった。
ミノタウロスの肉体を得た男にとっては矮小な存在に思える。
(でも、魔法とかあると厄介だな……)
魔力による身体強化。
スキルの存在。
剣技や武技といった特殊技。
いずれも異世界あるあるだ。
赤い実がすべてイチゴではない。
舐めてかかってトウガラシでした、では笑えない。
男は逡巡した。
言葉が通じる。
対話して説得すれば誤解も解けるのではないか、と思わず弱腰が出る。
そもそも男は口喧嘩すらしたことがなかった。
命の奪い合いなど、それこそ異世界の話だ。
「……」
しかし、同時に戦いを望む自分も心のどこかに潜んでいる気がした。
手が震える。
だが、恐怖ではない。
脂ぎった肉を目の前に置かれ、「待て」と命じられた痩せ犬のような、前のめりな震えだった。
(武者震いってやつだな。俺は戦いに飢えているのか?)
体が芯から熱くなってくる。
鼻息が熱風に変わるほどに。
言葉より拳を交わし合いたい気分だった。
「ムモオォォ……!」
男は灼熱の吐息で草木をざわめかせた。
殴ったほうが早い――。
そう言ったのは誰だったか。
中学か高校の体育教師のセリフだったかもしれない。
今の男には刺さる言葉に感じられた。
(とはいえ……)
人を殺す度胸まではない。
かといって、すぐに背を向けると背中が危うい気がした。
(テキトーに引き分ける感じで、逃げるか!)
キリキリ、と耳障りな音がして弓が力を帯びる。
剣を低く構えたリーダー格の冒険者がすり足で前に出た。
「いつものヤツ、やるぞ。毒矢で奴の右目を狙え。オレが死角から斬り込む」
「了解だ、リーダー。魔法で援護する」
「いくぞ!」
冒険者が一斉に動いた。
丸薬のようなものが男の足元にまかれ、鋭い光と音を発した。
爆竹のようなものらしい。
たじろいだ一瞬の隙に、矢が弓を離れる。
「…………」
唖然とした。
それはあまりにも遅かった。
寝ぼけて泳ぐウナギのような鈍足の矢を男はじれったい思いで待つことになった。
やっと手が届くところまでくる。
ぱしっ、と。
シャボン玉を捕まえるほどの感慨もなく、男は矢を掴んでいた。
手の中でポキリと折れてしまう。
「う、嘘だろ……」
踏み込んだリーダー格が急ブレーキをかけて息を呑む。
「矢って素手で掴めるものなのか……」
「軽々と……。ありえねえ」
「ま、マグレだろ! もう一度仕掛けるぞ!」
ファイアボール、とローブの冒険者が叫んだ。
杖の先から火の玉が噴き出る。
男は平手を振った。
ハエを叩くような感触がして火球が掻き消える。
「……ん? え?」
ローブの冒険者は目を点にしている。
「舐めてんじゃねえぞ! 牛野郎がァ!」
リーダー格が木を蹴って跳躍。
その勢いのまま高みから剣を振り下ろす。
男は真剣白刃取りというものをやってみることにした。
片手で、それも、二本の指で、だ。
「な!?」
親指と人差し指の間で白刃がびたりと制止する。
男は宙吊りになった。
自分の剣にぶら下がり、ばたばたと短い脚を振っている。
「モオ」
そっと下ろしてやる。
剣を奪ってぽいっ、と投げ捨てる。
それは、さながら大の大人が幼稚園児からおもちゃを取り上げるような光景だった。
大人げなさすら感じさせるほどに。
もう白黒ついたようなものだが、ダメ押しだ。
男はリーダー格の額にデコピンした。
「ヴぇっ」
リーダー格はオーバーすぎて逆に寒いリアクション芸人みたいにスッ転がった。
だらだらと鼻血が流れる。
そこに涙の川が合流した。
「ひえええええ」
と叫び、股を濡らす。
ほかのメンツも戦意を失って泣き始める。
(俺、めっちゃ強いな)
赤子の手をひねるよう、という言葉があるが、まさにそれだった。
勝負にさえなっていない。
弱い者いじめであり、逆リンチ。
申し訳なさを覚えて、男は頭を掻いた。
その些細な動きにさえ冒険者たちは悲鳴を上げた。
先に去った馬車を追うように逃げていく。
(完全に怪物扱いだな。なにこれ、泣けばいいの?)
泣いたら泣いたで不気味がられるのがオチだ。
男は直立したまま見送るしかなかった。
「お前がしんがりを務めろ……! 薄汚い魔族が! オレら人間様のために死ね!」
「きゃ!?」
リーダー格が仲間の少女を突き倒した。
「ま、待って! 置いてかないで……!」
悲痛な声が森に響く。
その叫びも虚しく、街道には1人と1頭が残される。
「い、いや、来ないで……」
行ってない。
「こ、殺さないで……」
もちろん、殺さない。
だが、望むと望まざるとにかかわらず、そこに存在するというだけで男は恐怖の象徴だった。
少女は生まれたての小鹿のような足取りで後ずさる。
背後は崖となって落ち窪んでいる。
それでも目の前にそびえ立つものへの恐れが勝るようだった。
「ぁ」
少女の体が宙に踊った。
ぶわりと膨らんだ髪が、落下する体に引っ張られて縦に伸びる。
紙一重のところで、男の手が細い腰を掴んだ。
藁束を拾うように持ち上げる。
「きゃああああああ!」
少女は半狂乱で短剣を振り回した。
チクチクと心地よい銀の刃は悲しげな音を立てて根元から折れた。
それは少女の心が折れた瞬間でもあった。
一転してさめざめと泣く少女を、男は割れ物でも扱うようにそっと街道に下ろしてやった。
まあ、落ち着け、と頭をなでてやる。
「……?」
頭に硬い感触があった。
目深にかぶったフードの隙間から翡翠色の尖ったものがはみ出している。
(角……?)
さきほど《魔族》と呼ばれていたことと何か関係があるのかもしれない。
(質問してみたいが)
男は腕組みして顔をしかめる。
夜道でしゃべる犬に声をかけられたら誰だって怖い。
では、しゃべるミノタウロスならどうだろう?
(だいぶホラーだよな……)
少女の泣き顔を見ていると問いただす気にはなれなかった。
男はくるりと踵を返す。
なるべく音を立てないように配慮しつつ茂みに分け入る。
「あ、あの」
「……っ?」
声に振り替えると、少女の姿がすぐそばにあった。
男の巨大な手にその小さな手を重ね、揺れる蒼の瞳で見上げている。
「刺してしまって、ご、ごめんなさい。そ、それと……。ありがとうございます。助けてくれて」
それだけ言うと、少女はたぁーっ、と街道の向こうに駆け去っていった。
「どういたしまして、だ」
ありがとう、はお互い様だ。
怪物に転生した男にとって、それは初めて人間と心を交わした瞬間だった。
男は熱くなる目頭を押さえ、
「モオオオオ!!」
と空に叫んだ。
道が開けたような気がしていた。




