35話
「どうして……襲ってこないって話じゃ」
まわりの犬を見て、ガクの全身から冷たい汗が吹き出す。
ガクは、ある事実に気づく―
先ほどの音波弾、あれはガクへの攻撃ではなかった。ヒトには聞こえない音、だが動物には聴こえる音がある、と聞いたことがある。犬を誘い、凶暴化させる音があるのだとしたら。
(戦律―激昂)
ソーニャが汗を拭い、ガクを見て、ささやく。衝撃波による攻撃をおこなう「震撼」対象を音波で凶暴化させる「激昂」そして、戦意を喪失させる第三の技。三つの技を使いこなせる自分に対し、どう対処するのか―そう問いかけているかのようだった。
ガクは、木刀を振り、大きな音を出し、犬たちを威嚇する。犬たちも、吠え、唸りはするものの、襲ってはこない。だが、動けば、その鋭い牙の餌食になるだろう。しかし、このままでは「戦律・震撼」による狙撃を受け、負ける。
ソーニャが装具をかまえ、ガクへ標準を合わせる。その背に、半獣の妖婦の姿が浮かび上がる。その身体は、大きな翼を広げた猛禽。しかし、その顔は、激昂する女性。鋭い牙を剥き、威嚇している。
セイレーンに惑わされないようにするには、無音の世界に自分を縛るしかない。もしくは、音を発される前に倒すか―
ガクは瞬時に後者を選択―《加速》を発動。
世界が無音になる。ソーニャは、先ほどまでガクが居た場所に、装具を向けている。
泥の中を進むように、ソーニャへと接近。そして、木刀の間合いへ。木刀を薙ぎ、装具へと叩きつける。
ばっ、と世界がうなる。ソーニャは、突然現れたガクに唖然とする。そして、咄嗟に木刀を避けようとする。
逃がさない―ガクは、ソーニャを地面に押し倒す。ソーニャは、装具でガクの木刀を受け止める。ガギぃ、と木がこすれる鈍い音がする。
ソーニャの顔が、苦痛に歪む。額から汗が滲み、苦悶の声が歯の隙間からもれ出る。
犬たちは大声で吠えたが、戦意を失ったのか、混乱したのか周囲を走り回っている。
ソーニャは、じりじりと、ガクの力に押され、地面へと押し倒されていく。だが、ガクは焦ってきた。
早く、ソーニャを拘束しないと、犬たちに2人とも食い殺されるかもしれない―
ガクは、《加速》を発動する。これで勝負を決めるつもりだった。
(戦律―帰零)
ソーニャがささやく―ガクの世界は、無音に―ならない。ガクの身体は、加速の動きに備えたせいで、力み、ソーニャから離れ、全く別の場所に来てしまう。
「なんだ……これ」
ガクは、ソーニャを見る。瞬時に考察―自分の周囲に、特定の振動を発生させ、戦意を喪失させたり、相手の心拍を乱しているのか。これが先ほど、ガクから戦意を失わせた第三の旋律だろう。
ガクは、太ももに生暖かく、柔らかい感触を感じる。ソーニャの技から、現れた生々しい幻覚―
足に、半獣の女性がからみついている。脚は魚、上半身は裸―音で人を惑わせ、死に至らせる怪物。白い乳房が柔らかくつぶれ、瞳が潤んでいる。その姿は戦意を失わせる。
ガクは、我に返り、足を振るう。あまりにも生々しい幻覚だった。
ソーニャは口を開け、喘いでいる。その腕は疲労で震え、眼は痙攣していた。対し、ガクは体力もあり、負傷もゼロに近い。
一対一で見れば、ソーニャの圧倒的な劣勢。だが、ガクには「勝てる」確信が持てない。
体力はあっても決め手に欠けるガクと、体力は限界でも決定打を持つソーニャ。異能の力ではなく、頭脳での戦いになる。
ソーニャは装具をかまえ、ガクをにらみつける。打撲で頬は膨れ、唇から血が流れている。
犬が周囲で唸り、白い牙を覗かせている。いつ、襲い掛かって来てもおかしくなかった。その熱い息が、ガクとソーニャの肌を湿らせる。
ガクは木刀を構え、対抗策を考える。そして、咄嗟に後方へ跳ぶ―ソーニャの領域の外へ。瞬時に鞘を手に取る。両手に持った武器を見て、ソーニャは目を細める。
《加速》―
ソーニャの装具が咆哮/音波弾の到来よりも早く、ガクは加速された世界で、鞘を投げつける。鈍い音をたて、ソーニャの頭に鞘がぶつかる。同時に、音波弾の衝撃が、ガクを貫く。
身体の奥底が爆発したかのような衝撃。猛禽類の鳴き声のような、強烈な高音が全身を打つ。頭痛のような、平衡器官を揺らされるような不快感。
「が……は」
ガクは、倒れ込み、動けなくなる。
物音がする。そちらを見ると、装具を使い、ソーニャが立ち上がろうとしていた。しかし、体勢をくずし、その場で倒れこむ。
ソーニャの額の布は取れかけていた。体力の限界などとっくに超えているのだろう。震えながら、それでも立ち上がろうとする。
正面を取り、眉間に鞘を当てたはずだ。だが、それならば立てるはずはない―つまり、ソーニャはギリギリでそれを避けたのだ。
杖をつき、よろよろとソーニャが近づいてくる。
ガクも、よろよろと立ち上がる。脳天が揺れ、派手に胃の中のものを吐き出す。
お互いが、最後の力を振り絞り、相対する。状況だけで言えば、ガクとソーニャは同等。だが、ガクには勝てる見込みがない。
もし、もう一度、(戦律―帰零)を使われれば、勝てない。もう空中に躍り出るような体力はない。
どうする―ガクは、割れるように痛む頭で思考する。
本当の自分の心拍を聴くにはどうすれば良いか?
ガクは木刀をかまえ、呼吸を整える。まずは、身体を整えるのだ。
《植物操作》によって、植物を使って、外部から自分の心拍を聞けばいい―
ガクは、植物に意識を集中させる。
ソーニャが装具を地面に押し付けるのが見える。
(戦律―帰零)
地面から、人魚が顕れ、ガクの身体にからみついてくる。
(もう戦わなくていいのよ)
(剣を置いて、楽になりなさい)
人魚の濡れた唇から発される耳障りの言い言葉。それはガクの心拍を緩やかにし、戦意を萎えさせていく。
心拍が静かになった瞬間―人魚の目が獰猛な色をおびる。ガクは、ソーニャを見る。その装具から、猛禽が飛び立つ―惑わせ、獲物を狩る半獣。
(戦律ー震撼)
音波が、猛禽となり、その鋭い爪をガクへと向ける。
「スキル……植物操作」
ガクはつぶやき、自分のスキルを信じる。植物が外から、ガクの本当の心拍を伝えて来る。本当のガクの心拍―強い戦意。
ガクは間一髪で音波をよけ、ソーニャへと接近。唖然とするソーニャの額から布を奪いとる。
「う……うそ」
ソーニャが呆然とする。
「僕の勝ちだね」
そう言い、ガクは倒れ込んだ。
読んで頂きありがとうございます。はげみになりますので、感想、評価、レビュー、ブックマーク、お待ちしております。




