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図書館の出口を出ると、日陰になっているベンチにメイが座っているのが見えた。
「……あ、あのメイさん?」
「何ですか?」
涙目で睨みつけられたエレンは、「うっ」と後退る。
「ごめんなさい……」
「どうして、あなたが謝るんですか?」
「いえ……。私が余計なことを言ったせいで、諌山君と喧嘩になってしまったので」
おどおどしながらエレンが答える。
それを見て、メイが長い息を吐く。
「別にあなたの所為じゃありませんよ」
「で、でも……」
「大体、私と兄さんが揉めることなんて、以前は日常茶飯事でしたから」
「え? 諌山君とメイさんが?」メイの発言にエレンは思わず聞き返す。
「そんなに意外ですか?」
「それは、だって――」
いつもの二人を見ていれば、それはあまり想像が出来なかった。
メイは言葉を選ばずに言うなら重度のブラコンだったし、ソウも妹のメイをいつも気に掛けていた。
少し前だったら、二人が喧嘩をする所なんて想像さえ出来なかったと思う。
「――でも、それならどうして今はあんなに仲が良いんですか?」
「別に仲が良いわけではないんです。ただ、私も兄さんも、お互いに負い目があるから……」メイはそこまで言って口を噤んだ。
まるでそれ以上は話したくはないと言う様に。
こんなとき、カレンやマヤなら何のためらいもなく相手の中に切り込んで行くのだろう。
だが、エレンにどうしてもそれが出来なかった。
他人に踏み込まれることの痛みが、嫌でも分かってしまうから。
だから、黙ってメイの傍に立ち続けた。
何も出来ない私には、こんなことしか出来ないから。
……まったく、何であんなことを言ってしまったのだろう。
いつもみたいに、何も気付かない振りをしていれば良かったのに。
そうして黙ったまま数分が経過した。
「……あなたって、変な人ですね」唐突にメイが口を開いた。「鋭いのか、鈍いのか、よく分からない」
「多分、後者です」エレンにしては珍しく即答だった。
「やっぱり、変な人」そう言って、メイは笑った。「自虐する時だけ、自信あり気って……。どんだけネガティブなんですか?」
「だって……」
自分に価値がないということだけは確信があったから。
「……やっぱり、似ている」
「え?」
「あなたと兄さん……」
そう言ったメイは、悲しげな顔を浮かべたまま再び口を閉ざした。
◆
さっきのひと悶着で、図書館の職員から注意を受けた。
次に同じことがあれば、おそらく出禁になるだろう。
だが、今はそんなことよりメイのことだ。
「……やっちまった」ソウが頭を抱えていると、隣でマヤが肩を揺らした。「何だよ? 人が真剣に悩んでいるってのに?」
「ごめんって。ただ、あんたのシスコンぶりも大概だなって思って」
「は? 俺が?」
何言ってんだ、この子?
「自覚ないとかマジウケる」マヤは一しきり笑うと、不意に真剣な表情をソウに向ける。「でも、そのせいでメイちゃんのこと泣かしてちゃ世話ないけど。まあ、それはあの子も同じか……」
「君、何が言いたいの?」
「分かってるくせに」
見透かすような瞳でそう言ったマヤに、ソウは少しだけ不満そうな顔を浮かべる。
「心、読んだの?」
「まさか。そんなことしなくても、普通に分かるし? あんた、意外と分かり易いよ?」
え、マジ?
自分では割とポーカーフェイスだと思っていたんだけど……。
人の記憶を読み取ることが出来るマヤが言うと妙に説得力がある。
「ち、ちなみに、分かり易いって、どのくらい?」
ソウが恐る恐る尋ねると、マヤは少しだけ考えて口を開く。
「たとえば、さっき、諌山君がメイちゃんにきついことを言ったのは、精神状態が不安定になったメイちゃんを危険な場所から遠ざけるためだったから。違う?」
「正解……。よく分かったね」
「まあね。でも、理由はそれだけじゃないよね?」
「え?」
「あんたは、イレイザーズが、このループから抜け出す手掛かりを持っているって考えているんでしょ? だから、このチャンスを逃す訳にはいかないと思ってるんじゃない?」
「……ははは」マヤの答えに、ソウは乾いた笑い声を零す。「本当、すごいね、君」
「いや、あんたが分かり易いだけだから」
「そんなことはないと思うけど……」
能力も使わずに、どうしてこんなに人の考えていることが分かるんだ?
この察しの良さ。本当に日野森さんと両極端だな。
ただ、それでも流石に俺の気持ちまでは分からないようだけど――。
「まあ、メイちゃんを早くこのループから脱出させてあげたいって気持ちは分らないではないけどね」
「え?」
「本当、諌山君は、シスコンの鏡だね」
ええ……。
何か、俺の気持ちも完全につまびらかにされたんだけど?
これ、何て羞恥プレイ?
最早、「シスコンじゃねえ!」とツッコミを入れることさえかなわず、少しの間、ソウが閉口していると、マヤが言った。
「で、どうするの?」
「どうするって、何が?」
「メイちゃんのことに決まってんじゃん。このまま、放っておくって訳にもいかないでしょ? 言っておくけど、エレンにメイちゃんのフォローとか期待しているなら無理だからね。あの子、筋金入りの人見知りだから。ぶっちゃけ、うちも未だに余所余所しい態度、取られることあるし」
「それはたしかに、筋金入りだね?」
「でしょ? だから、早く行った方が良いんじゃない? エレンの奴、変に正義感強い所があるからさ。あの口下手にメンケアなんてされたら、メイちゃん、余計にひどいことになるかもよ?」
「マジかよ……」
でも、何だろう。
その光景が容易に想像出来る。
ソウは大きく息を吐くと、椅子を引いて立ち上がる。
「ちょっと行って来る」
「うん、行ってら~」図書館の出入り口に向かって歩き出すソウにマヤが言う。「……がんばれ、お兄ちゃん」
背中越しに掛けられた言葉に、歩む足が少しだけ軽くなった気がした。
◆
日野森エレンという人は、本当におかしな人だった。
イレイザーズを単独でやっつけてしまえるような能力を持ちながら、異常なほど自己肯定感が低い。
常に自信なさげで、目が合うと、すぐに逸らされてまう。
まるで何か悪いことをしたのが見つかった子供のように。
後ろめたいことでもあるのだろうか?
まあ、あるのだろう。
この人は、自分の存在そのものを後ろめたいものと感じている節がある。
そんな自虐的な態度が、どこか兄に似ていると思った。
もっとも、日野森エレンのそれは先天的で、兄は後天的なもののように見えるけれど。
ただ、どちらも優しい人なんだってことを私は知っている。
そうでなければ、こんな私のことを、わざわざ追ってなんか来ないだろうし。
メイはちらりとエレンの方を見た。
エレナは、この居た堪れない空気に限界を迎えたようで、口元からエクトプラズムのようなものを吐き出しいた。
人見知りの癖に、彼女のコミュ力を総動員してくれたのだろう。
申し訳ないことをしたな。
メイがそう思った時だった。
図書館の出入り口からソウが出て来るのが見えた。
ソウはすぐにメイのことを見つけると、急ぎ足でこちらに向かって来た。
どうしよう……。
まだ、気持ちの整理がついていないのに。
「……メイ?」
「何ですか?」
つい、睨み返してしまったメイに、ソウが目を逸らす。
「ああ、いや……」
多分、兄は、謝りに来てくれたのだろう。
だが、どうしても、今、無理に人助けを継続することを受け入れることが出来なかった。
前は自分が率先して行っていたというのに。
虫のいい話だと我ながら思った。
私が口を噤んでいると、諦めたように肩を竦めてソウが言った。
「メイ、悪かったよ」
「何がですか? 別に兄さんは何も悪くないでしょ? 私が駄々を捏ねているだけで」
「いや、お前の言い分も間違ってはいないんだ。みんなの安全を考えるなら、必要以上にイレイザーズに関わるべきじゃない」
「……でも、兄さんの考えは違うんですよね?」
「ああ」
深く頷くソウに対し、「分かりません」とメイは首を小さく振る。
「たしかにお姉様がいればイレイザーズを無力化することは出来るかもしれません。もしかしたら、兄さんの言ったように、奴らの情報も手に入るかもしれません。……でも、それが何だって言うんですか!?」
「メイ……」
「兄さんは、知っているじゃないですか? あいつらが、どれだけ危険か。これまでは、まだ良かったんです。イレイザーズをやっつけることが目的ではありませんでしたから。でも、これからは違う。正面からイレイザーズとやり合うことになるんです。……そんなの、危険過ぎます」メイはそこまで一気に捲し立てると、ソウの顔を見上げる。「兄さんだって、ずっと、そう言って来たじゃないですか?」
エレンたちが現れるまで、ソウはずっとイレイザーズとの闘いを避けていた。
それは、もう何回も前のループで大勢の仲間を失ったことが原因だった。
だが、メイはそれで良かったと思っていた。
これ以上、兄に危険なことをして欲しくなかったし、仲間を失うのもまっぴらだった。
どうせ救いのない世界なら、このまま兄と一緒に、最期の時を静かに迎えるのも悪くない。
きっと、兄も、同じ思いだと思っていた。
それなのに……。
しばらく返事のないソウに、メイが視線を下に落とすと、「……確かにそうだな」と声が聞こえた。
「でも、俺はどうしても、このループから抜け出したいんだ。そのためなら、イレイザーズとも戦う」
そう言った兄の声には、固い意思が感じられた。
もうずっと、死んだような目をしていたのに。
「どうして……? 何が兄さんを変えたんですか?」
メイはそう尋ねながら、二人の仲間のことを思い出していた。
日野森エレンと斉木マヤ。兄を変えたのは、間違いなくあの二人だ。
その事実が、俯いたままのメイに卑屈な笑みを浮かべさせた。
「それは……」ソウが口を開く。
聞きたくない。
メイが耳を塞ごうとしたとき、「メイちゃんの為だよ」と誰かが言った。
「このシスコン、徹頭徹尾、全部メイちゃんの為に行動してるんだから」
予想していなかった答えに、メイが顔を上げると、マヤがソウの横に立っていた。
「……私の、ため?」
「そうそう」
「……そんなの、ありえませんよ」
「ああ、まあ、メイちゃんは気付いていなかったかもしれないけれどね。でも、傍から見てると丸わかりだったよ。ねえ、エレン?」
「……え、ええ!? 私ですか?」マヤに話し掛けれ、放心していたエレンが我を取り戻す。「ま、まあ、確かに」
「ほら。エレンでさえ、気付くくらいなんだから」
エレンとマヤの話を聞いて、メイがソウに目を向ける。
「……兄さん、本当ですか? 全部、私のためって?」
「いや、それは……」
「ちょっと、諌山くーん? この期に及んで逃げるのは無しよ?」
「くっ……」ソウは恨めしそうにマヤを見ると、大きく嘆息を吐く。「ああ、そうだよ! ったく。っていうか、どうして君がそれを言っちゃうわけ?」
「だって、あんた、放っておいたらいつまで経っても本当のことメイちゃんに話さないでしょ?」
「そ、そんなことは……」
気まずそうにしていたソウと一瞬だけ目が合う。
だが、すぐに視線を逸らされてしまった。
それを見て、メイの肩から力が抜ける。
「分かりました……」
「え?」
「もう、いいです。私も、兄さんの意見に従います」
納得出来たわけではないけれど、もう一度だけ、私も戦ってみようと思った。




