幕間 ユウの料理化学
やっぱり異世界で科学チートは必須だよね…
side 悠
皆は知っているだろうか。この異世界において、過去の転移者が残した技術は数知れず。文明発展はもちろん、衣服のデザインや文化的な部分にも一部根差している。
そこにはもちろん、食物も含まれる。
中世みたいなガチガチ黒パンではなく、地球ほどではないが、ちゃんと柔らかいパン。日本人には欠かせない米。異世界定番マヨネーズなど、様々な食物が普及している。
かくいう俺も、異世界に来てなお、米が食えるとは思わなかった。
「とはいえ、だよな…」
大きな屋敷の広い居間で一人呟く。
そう、何もかも中途半端なのである。米はあっても味噌や醤油はない。豆腐はあっても納豆はない。調味料は多少あっても、スパイスは非常に高価で単なる市場じゃ売っていない。
「和食が恋しい…」
だだっ広い居間で一人、切実に呟いた。
しかし、どんなに待ち焦がれてもないものはないのである。
なら作ればいいのだ。
「やるか、料理チート」
そうと決まれば、まずは買い物だ。
思い立って早々、市場に繰り出した。
* * *
勇者としての顔は知られてないからか、比較的街には出やすい。
知られてたら今頃、絶対すごい目で見られてるからね。
市場に並んでいるのは野菜や果物がほとんど、長期保存できる調味料や工芸品、雑貨、行商できた珍しい衣類や化粧品なんかがちらほら見える。
そんな中、妙に青臭く、鼻に張り付くような異臭が漂ってきた。
「……なんだこれ」
臭いを辿ると、魚の塩漬けを扱う露店の隅に、小さな壺が並んでいた。
蓋の隙間から漂う臭気に、周囲を歩く人間も少し距離を取っている。
「…なんでぇ、物好きのあんちゃん。興味あるか」
ガタイのいい中年がにやりと笑って話しかけてくる。
「えっと…ここって魚の塩漬け扱ってますよね。この壺のものは…」
と言って指さす。
「おお、それか。そいつは『魚醤』ってんだ。港じゃあ、みんな使ってる調味料だ。しかも腐らねぇ。買うかい?」
「魚醤…」
魚醤。癖も塩辛さも強烈だが、魚を丸ごと大量の塩に漬けて放置するだけで出来る発酵調味料だ。
確か、魚の内臓に含まれる消化酵素――プロテアーゼ、だったかな?――が、たんぱく質を分解してアミノ酸を生成するんだったはず。
そういうのを学校で習った気がする。
しかも塩分濃度が高いから雑菌も繁殖しにくい。
「じゃあ、二つほどください」
「毎度ありぃ!」
見るからにうれしそうに壺を手渡してくる。思ったより安い。一般的というのも強ち嘘ではないらしい。
「ったく、あんちゃんみたいな客がもっといてくれりゃなぁ」
「まぁ…この臭いは強烈ですからね」
「一口食ってみてから文句垂れろってんだい。なぁ?」
「あ、はは…」
こっちに話を振らないでほしい。臭いは俺でもきついんだから。
とはいえ、魚醤が手に入るとは思わなかった。
魚醤を抱えたまま、少し浮かれ気分で家へ戻った。
早速使ってみよう―――と、思ったところでふと足が止まる。
この臭いはどうするんだ?と。
魚醤は、とにかく臭い。料理に使えばなおさらだ。
しかも保存場所を間違えれば屋敷中が魚臭くなるというおまけつき。迂闊に捨てることもできない。
「あれ…?詰んだかこれ…?」
一気に冷や汗が噴き出す。
いや、待てよ…?たしか、魚の匂いは加熱すると取れるって聞いたような…
焼き魚とか美味そうないい匂いするしな…
「とりあえず焼いてみるか…」
調理場へ直行し、鉄板を加熱する。
程よく熱くなってきたところに、魚醤を少しかけてみる。
ジュワァァァッ!と一気に蒸発し、鼻を刺していた生臭さが、一瞬で香ばしい匂いへ変わる。
「おお!あんなに臭かったのが一気に飛んだ!やってみるもんだなぁ!」
上がったテンションのまま、氷室に保存されていた肉を取りだす。
そのままでは使えないので、トレーにおいて常温解凍する。
「…待てよ?ここなんか魚臭くなってない?」
蓋の隙間から漏れ出た臭気が厨房一帯に充満し始めていたらしい。
急いで窓を開け、換気用の魔道具を起動する。
次第に、臭気は薄れていった。
遠くで叫び声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだ。
そういうことにしておく。
少しでも臭いを抑えるために、蓋を押し込み、その上から布をぐるぐる巻きにして固定する。
これで少しはマシになるはずだ。
次に棚を開け、香草を探す。
ここに入居した時に、エリーゼ達が色々運び込んで、ちょっとした食材もそれなりにある。
が、問題はどれがどれか全くわからないことだ。
「肉に使われてる匂い消しの香草ってなんだっけ…ローリエ?ローリエってどんな見た目してるんだ…」
こんなことならちゃんと調べておけばよかった。
とりあえず匂いのいい乾燥した葉っぱを引っ張り出す。
小瓶に入った香辛料もいくつか見つかった。一皿分にはちょうどいいだろう。
「さすがにまだ溶けないよなぁ…」
全て出し終わってなお、短時間では肉は解凍されず、待ち時間が億劫に感じる。
そう思っていると、厨房の扉が開いた。
「くっっさ…」
鼻を押さえながら、不機嫌そうにアルミナが厨房に入ってきた。
「なぁにやってんのお前…」
露骨に顔をしかめて、こちらを見つけると非難の目を向けてくる。
「いやぁ…ちょっと料理しようかぁ、と」
「なんで料理しようとしたらこんな異臭まき散らすことになってんの?外まで臭ってんだけど。屋敷の近く通ったら鼻もげるかと思ったわ」
どうやら気のせいにした悲鳴はアルミナのものだったらしい。ごめんって。
「で、何作ろうとしたらこうなったの」
「えっと、偶然市場で見つけた魚醤を使って肉料理でも…」
「魚醤!?」
「え、あ、うん」
どうやら知っていたらしい。魚醤じゃなくて魚醤で通じたのは驚きだが。
シュールストレミングとか、くさやとか、ああいう“臭いけど食う奴は食う”枠なんだろうか、これ。
「…この臭いでほんとに使えんの、それ?」
「焼けば何とかなる…と思う」
「思うって…ていうかそれなんとかしなよ」
と、アルミナが指をさした先には、臭気が染み出して布が変色した壺があった。
「なんでだよ!」
頭を抱えた。密封してだめならどうしろというのか。
「…しょうがないなぁもう」
アルミナがめんどくさそうに壺の布を外し、ああばっちぃばっちぃ…くっせ!と言いながら水で洗浄。
壺口のフチをなぞるように指を回し、窓を二か所開けて魔法で空気を丸ごと入れ替え、完全に換気してしまった。
「うぉお…」
思わず感嘆の息が漏れる。さすがは賢者の弟子である。
いいなぁ。俺も魔法使いたい。
「一応その壺には臭いを出なくするように空気を中に押さえ込んでくれるやつかけたけど、圧力高まると普通に漏れるし、時々でいいから蓋開けて空気抜いてね。場合によっちゃ壺が割れるから」
壺が割れた時を想像して身震いする。
「で、次は何すんの」
「肉焼きたいから、解凍…お願いしていい?」
「へいへい…」
やれやれ、といった感じでアルミナがため息を吐く。
その様子に、かつての親友の影が重なった気がしたが、気のせいだと頭から振り払う。
じんわり温められて、だんだんと氷が解ける。
アルミナが指で感触を確かめて、こんなもんかな、と肉を差し出してくる。
「ほい、終わり」
「ありがとう。そしたら次は…」
香辛料、小瓶に入っていた黒胡椒を砕き、香りのいい葉っぱ(多分香草)をすり込む。
熱した鉄板に広げ、表面に焼き目を付ける。
塩分の強い魚醤は直にかけず、端に垂らしてから被せることで、香りと旨味を移す。
ジュワァァァッという、匂いと音のダブルパンチが二人の食欲を刺激する。
「ジュルリ…これは美味そうな匂い」
「だろ?…ていうか吸血鬼って食べれんの?」
「無問題よ。魔力乗っかってないからもやし食ってるようなもんだけど、食うことはできる!」
「へぇ」
吸血鬼が食を楽しめるのか…意外な発見だ。
「それはそれとして…そろそろいいかな」
鉄板から肉を引き上げ、断面を確認する。
「これは…どうなんだ?」
綺麗なピンク色、ミディアムレアと判断していいのだろうか。
焼き目はついているし、十分に火は通したはず。
するとアルミナがひょいと摘まみ上げ、ためらいなく口に放り込んだ。
「いただき」
「あっ、まだ焼けてるか確認が」
「焼けてなくても死なん死なん。…ん、うまい!」
そう言うが、アルミナは少し首をかしげる。
「けどなんだろうなぁ…なんか、妙に覚えのある匂いが…」
「え、魚醤の臭い残ってた?」
「じゃなくて、風味はいいんだけど、明らかにおかずにあってはならないような謎の匂いが…」
その時、厨房の外から扉を叩く音がした。
「今日は何をしていらっしゃるんですか?」
続いて聞こえたのはエリーゼの声だ。
扉が開き、シャルロットと並んで二人が顔を覗かせる。
「うわ、なんかすごくいい匂いしますね」
「この香りは肉か? まさかお前が焼いたのか、ユウ」
「まさかとはなんだよ」
「いや、さっきまで外に異臭が漂っていたからな」
アルミナが横で吹きそうになるのを睨みつけつつ、俺は肩をすくめた。
「色々あったけど、一応できた。せっかくだし、食卓で食べようか」
そう言うと、エリーゼがぱっと表情を明るくする。
「では、私、お皿を並べますね」
「私はパンを持ってこよう」
「じゃあ俺は運ぶか」
アルミナはもう一切れつまみながら、当然のような顔で言った。
「私は味見係ね」
「お前もう味見しただろ」
* * *
パンと共に、簡素なステーキを食卓に並べる。
「なんだか、庶民の食事みたいですね」
「そうだな」
「これで庶民的はさすがに嫌味かな?」
「そういうわけではありません!」
「はいはい、喧嘩しない」
窘めながら、手を合わせる。
倣うようにエリーゼ達も祈るように手を組んだ。
「いただきます」
そう口にするのは俺だけだ。まぁ、文化が違うのは仕方ない。
ステーキを一口サイズに切り、口に運ぶ。
少し筋張った硬さはあるが、胡椒と肉汁、魚醤から出た旨味が口いっぱいに広がり、鼻から抜ける。
美味い。確かにそう形容できる。が、確かに香草は変えたほうがいいかもしれない。ステーキにはちょっと合ってない気がした。
「美味いな。だが、なんだ?この妙に嗅ぎ慣れた匂いがするな」
「まさか…ユウ様、この香草、一体何を使われましたか?」
険しい顔で問いただすエリーゼ。
少し待ってもらい、奥から使った葉っぱを引っ張り出して見せる。
「これ、なんだけど…」
「やっぱり…これ、茶葉ですよ」
数秒、沈黙。
「え」
辛うじて絞り出した第一声。
直後、空気を割るように、アルミナの爆笑が響いた。
「んぶっ、はははははっ! お茶っ葉!? お前、肉にお茶っ葉ぶちこんだの!?」
そのまま腹を抱えてしゃがみ込み、ついには床をごろごろ転がり、べしべしと自分の膝を叩き始める。
シャルロットは口元を押さえて肩を震わせている。
「……っ、いや、確かに、この香りは……言われてみれば、ふっく…そうだな……」
死ぬほど恥ずかしい。
香草を使っているつもりで、自信満々に出した結果、使っていたのが茶葉というオチ。
穴があったら入りたい。
「ファーwwwwwww」
「アルミナぁ!いい加減笑うのやめろ!」
「m9(^Д^)プギャー」
「それも腹立つからやめろ!」
……そういえば、和食を食べたかったのに、どうして普通にステーキを作ってたんだろう。
今度こそ、ちゃんと和食を作る。
そう心に誓った。




