愛を教えて
見て、しまった。まったく、なんというタイミングだろう。
ハンカチを口元に宛てられた女性が床に崩れ落ちる。曲がり角から、仲間らしき男が二人現れた。取り敢えず、三人。他にも仲間がいるかもしれない。そっと周囲を伺うが、それらしき気配はなかった。
倒れた女性がただの令嬢なら、レティシアは警備の者を集めるためにここを離れただろう。でも、すぐに気付いた。歩き方が、身を潜める動作が、フードから覗く瞳が……長年隣に居たから、わかってしまった。助けを呼ぶべきだ。でも、間に合わないかもしれない。数秒思考を巡らせて、レティシアはポケットから小さなネズミのブローチを出した。床に置いたそれをするりと撫でると、触れた端から艶やかな毛並みのネズミに変わっていった。つぶらな瞳でこちらを伺うそれは、大昔の技術をもとに生み出されたからくりの一種だ。高価で、市場にはまず出回らない。持っていて本当に良かった。
紙の切れ端に走り書きをして、ネズミに持たせる。
「学園長のもとへ、さぁ、行って。」
小声で促せば、ひとつ頷き、さっと駆けていく。小さな背中はあっという間に見えなくなった。
胸に手を宛てる。いつもより速い鼓動を深呼吸で落ち着かせて、静かに足を踏み出した。護身術は勿論習っているけど、警戒している大人三人を相手取るのは厳しい。たぶん、無理。でも、一人ずつならなんとか……。希望があるとするならば、ルイスの存在だろう。嗅がされた薬品は検討が付く。速効性の麻酔薬で、効果時間はかなり短かったはず。ルイスのこと、女性だと思って油断してくれれば良いんだけど……。
◇◇◇
見付からないように後を着けて、辿り着いた部屋の前。レティシアは周囲を見回してから、そっとドアに耳を寄せた。
「ったく、油断ならねぇな。目的はこの嬢ちゃんだけだろ? どうすんだ、このねぇちゃん。」
「ん゛ーー! ぐ、うぅ……ぷはっ!」
「あっ! こいつ、口布外しやがった!」
「あのねぇ~! あんた達の! お金儲けに付き合ってる暇ないの! 玉の輿に乗るんだから! 相手を見つけなきゃいけないの! 私は忙しいのよ! 早く放して!! あ、ちょ、近寄らないで!」
……モニカの声だ。何故、彼女が? がたん、がたん、と何かがぶつかる音。続いて、くぐもった少女の唸り声が響いた。
「そっちの嬢ちゃんはなんとかするって言ってたけどよぉ。見ろよこのドレス! ぜってぇ高いだろ。マジもんの貴族はやべぇって!」
「やっぱ、変態爺の依頼なんてろくなもんじゃねぇなぁ。さっさとずらかるかぁ? ……ん、起きたか?」
今だ。大きく息を吸って、木製の扉を蹴破る。かかっていた鍵ごと外れて、それは大袈裟に倒れた。身構えた三人の男、固まる少女、それから、見慣れた碧眼と目が合った。
「な、なんだお前!」
「うるせぇ! 早く押さえろ!」
一斉に向かってくる男達。ありがたいことに無手だ。掴み掛かろうとする腕を間一髪で避けて、横に転がる。拾ったドアの破片、片手サイズの角材を手前に居た男の頭目掛けて思い切り振る。余裕そうにかわす男。軽薄な顔に嘲りの滲む笑みが浮かんだが、背後で響いた鈍い音でかき消される。
視界の奥に、倒れる人影と、それを見下ろす金髪。音の方に視線を向けてしまった男が、焦った様子で振り返る。振り切った木片は今度こそ男の頭を捉え、粉々に砕け散った。
残った一人が鬼の形相でこちらを見る。確かに、弱い方から倒した方が良いだろう。でも、きっと目を離すべきじゃなかった。
繊細なレースに包まれた手が男の首に吸い寄せられ、あっさりとその体は倒れた。
◇◇◇
駆け付けた警備員と城の兵士によって、三人の男は連行されていった。学園長には無謀な行動を叱られ、でも、大事がなくて良かったと抱き締められた。ルイスの女装については私を驚かすためのイタズラ、つまり婚約者同士のじゃれあいとして流された。
人の居ない学園の応接室。聴取が終わってソファで一息付いていると、女装姿のままのルイスが入ってきた。無言で、隣に腰掛ける。
「……ありがとう。いつも、君に助けられる。」
「そんなこと、ないですわ。殿下にお怪我がなくて安心しました。」
横目でルイスを伺う。思い詰めた表情、なんだか懐かしい。幼い頃、ルイスはよくこんな顔をしていた。そして、その度に私が慰めた。
いくらか高い位置にある金髪に手を伸ばす。するりと滑るそれは作り物とは思えない指通りで。数回繰りかえせば、恐る恐るといった風に、ルイスの手が添えられた。
「レティシア……。」
「なんでしょう、殿下。」
「名前を呼んで。」
「えぇ、もちろん。……ルイス、言いたいことがあるのでしょう?」
碧の瞳が揺れる。
「好きだ。」
「はい。」
「愛してる。」
「はい。」
控えめに、肩に乗せられた重み。不器用な甘え方。年を重ねても、言動が洗練させれ行っても、ずっと変わらない。
「……。……捨てないで。」
「私がルイスを? ……えぇ、捨てませんわ。」
「君は、レティシアは、リーヴィス嬢のことを……その、想っているのではと。」
「モニカ様は確かに大変魅力的な方ですが……。あぁ、それで。」
「私を置いて何処かに行ってしまうのではと思うと、不安で。君の気を惹こうとこんな格好をしたけど……危険な目に合わせてしまった。」
「そう、でしたの。」
伺うような上目遣い。彩られた目尻が、唇に乗った紅が、脳の奥に焼き付く。
ドレスで上手く体の線が隠されているが、よく見れば男の体格だとわかる。彼は王族だ。この姿を見られて、ルイスだとわかってしまえば、噂はすぐに広がるだろう。それでも、危険を犯してでも、私を引き留めようとした。その事実に、心がくらりと揺れた。
何か言おうと口を開いて、扉の音に遮られた。
「お、お邪魔します。……あ、レティシア様!」
入っていた少女、モニカ・リーヴィスが嬉しそうに駆けてくる。髪色も相まって子犬のようだ。別塔で彼女の違う一面を垣間見たレティシアだが、モニカへの気持ちが曇ることはなかった。野心家なところも、少し抜けているところも、全部含めて彼女の魅力だ。あぁ、相変わらず可愛らしい。
ふと、レティシアの脳裏に天啓が降りた。
「……ルイス殿下。私が何処かに行くのが心配なら、モニカ様を妾に召し上げるというのはいかがでしょう。そうすれば、少なくとも王宮からは出ていかないかと。」
「レティシア……?」
「え? ……ル、ルイス様っ!? え、女性……?」
困惑する婚約者を宥めるように、旋毛にキスを落とす。それだけで固まっていた顔が緩み、頬が染まる。
あ、かわいい。無意識に浮かんだ感想に、理解が追い付く。このひと、すごく可愛い。どくり、と鼓動が高鳴った。ときめきだ。これは、間違いなくときめきだ。
ふと、落ちる影。見れば、すぐ近くにモニカの顔があった。
「ほんとだ……ルイス様だ……。」
驚愕の表情を浮かべても、美少女は美少女だった。隣にかわいいひと、目の前にもかわいいひと。レティシアのキャパシティは崩壊寸前まで追い詰められた。
「ところでレティシア様、妾のお話しを詳しく……レティシア様? レティシア様!?」
「レティシア! 大丈夫かっ!」
突然向けられた視線に、潤んだ黄金の瞳に、許容範囲を超えたレティシアは意識を飛ばした。遠くなる声をにきながら、まだ見ぬ未来に想いを馳せる。きっと、楽しい日々になる。そんな気がした。