序
此処は、あの世と呼ばれる処。
天国でも、地獄でもなく。
この目に映し出されるのは、思い描いた景色。
自分の、誰かの。
『眠れや、眠れ。全て忘れてしまうまで』
眠りを誘う声だけが、静かに響く。
『全て忘れてしまえたら。新たな生を与えよう』
そう、全て忘れてしまえたなら。
どんなにか、良いことだろう。
やり切れぬ想いを抱えた咎人たちは、眠ることすらゆるされず。
此の地を、彷徨う。
川が流れている。
三途の川、というべきか。
あの世といえば、おのずと浮かび上がるもの。
此処は、そういうものでできている。
誰に知らされたわけでもないが、そう悟る。
此処では、名を名乗ってはいけない。呼ばれてもいけない。
全て、忘れなくてはならないのだから。
代わりに、一輪の花が授けられる。
それを、己の証とするように。
たおやかな、白色のガーベラ。
かつての私であれば、喜んで、髪にでも挿しただろうか。
何と皮肉なことだろう。
煤けて、汚泥に塗れた今の私には、身につけることすら耐え難い。
手放すこともできない。
ただ、この手の中で、持て余すばかり。
多くが眠る静寂の中、水の流れる音だけが鮮明だ。
あらゆるものを、洗い流すかのように。
その音に心地よさを覚え、砂利を踏みしめながら、川辺に沿って歩いてゆく。
どうせ行く宛てなど、どこにもありはしないのだ。
いっそのこと、この川の果てでも目指してみようか。
全4話。
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