いつもの帰り道
久しぶりに桃坂先輩と一緒に帰ることになったのはいいけれど。
なんだか必要以上に視線を感じるのは気のせいでしょうか。
桃坂先輩は全く気にならない様子で、にっこりと笑って私に左手を差し出した。
えーと。
これは、この手を取らないとダメなのでしょうか。
しばらく眺めていたけれど、桃坂先輩が手を引っ込める気配がないので諦めました。
手をつないで校門を出ようとした時、ふとそこにいる人に気が付いた。
あれは、譲先輩だ。
別に悪いことをしていた訳じゃない。
だけど私の心臓はどきんと大きな音を立てた。
「やっぱり桃坂だったんだね。こころっち」
譲先輩はもたれていた校門から体を起こして、私たちの方に一歩だけ進んだ。
「はい。譲先輩のおかげです。ありがとうございました」
譲先輩に向かってぺこりと頭を下げる。
もし昨日の譲先輩の言葉がなかったら、私は今も訳の分からない絡まった思考の渦の中、もがいていたにちがいない。
「酒井先輩」
私の隣にいた桃坂先輩が、少し固い声で譲先輩に向かってそう呼びかけた。
酒井先輩?
譲先輩は酒井っていうんだ。
「そういう訳で俺たちきちんと付き合うことになりましたから。もう佐倉にちょっかい掛けるのは勘弁してください」
「あーあ。あわよくば妹のかたきを取ってやろうかと思ったんだけどな。ざーんねん」
譲先輩が頭をがりがりと掻いてそう言った。
ん? 妹?
「まだ夏輝は俺にこだわってるんですか?」
夏輝?
え? あれ?
「いやいや。夏輝はもう新しい学校で彼氏作って、ちょー充実してるよ? こだわってたのは、どっちかっていうと俺の方かな。俺、桃坂が義弟になるの超楽しみにしてたんだから。まあ、可愛い妹の気持ちを引っ張るだけ引っ張って、ポイ捨てされた兄貴のささやかな悪戯ってとこかな」
「ポイ捨てって、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「まあ逆恨みする奴の心情なんて、そんなもんだよ」
「ちょっと待ってください。妹って……」
「あれ? 佐倉知らなかったの? 酒井先輩は夏輝の兄貴だよ」
「えーーー!?」
知らないよっ。
だって名字教えてくれなかったし。
譲先輩が女子マネ酒井さんのお兄さんだったなんて。
「夏輝のことは別にして、こころっちに興味があったのは本当だけどね」
ぱちりと綺麗なウインクをする譲先輩。
「じゃあ卒業式までもう会うことはないと思うけど、また桃坂のことで困ったことがあったら何でも相談においで」
「結構です」
私に向けられた言葉だったのに、桃坂先輩がかぶせ気味に速攻で断る。
それに呆れたように笑って、譲先輩は帰っていった。
譲先輩の背中が見えなくなるまで見送ってから、私たちはゆっくり歩きだした。
「えーと。どういうことでしょう」
「え? お前、まだ分かんないの? 佐倉にしつこく付きまとってたのは夏輝の兄貴。振られた妹の鬱憤を晴らすために、俺とお前の仲を裂こうとしてたんだろ」
桃坂先輩と私の仲を裂こうとしてた、のかな?
どっちかというと、泥沼思考の中でもがいていた私を導いてくれたと思うんだけど。
「てかさ、なにあれ?」
「え?」
「譲先輩って。なんで酒井先輩の下の名前で呼んでんの?」
「ああ、それは譲先輩が下の名前しか教えてくれなかったから……」
「じゃあ名前なんか呼ばなきゃいいじゃん。それにさ、こころっちってなに? 『っち』って」
「……さあ?」
「俺が名字で呼んでるのに、なんで下の名前? しかも『っち』って」
「……」
「よく考えたらさ、一之瀬は『ここ』で他の奴らは『こころちゃん』とか『こころ』とか名前で呼んでんじゃん? なんで彼氏の俺だけ名字なわけ?」
いやそこ知りませんから。
「よーし。こうなったら俺だけの呼び方を考えてやる」
なにに対して張り合ってるんでしょう。
「うーんうーん。こころ。こころ……」
やめてください。
いきなり呼び捨ては恥ずかしすぎます。
「よしっ。決めたっ」
桃坂先輩が目を輝かせて私を見た。
なんだか嫌な予感がするんですが。
「今日からお前は『ころ』だっ」
「どこの犬ですかそれ」
「ころ。いいじゃん。ほら、ころ。行くよ」
「ちょ。ほんとにころにするつもりなんですか?」
「うん。だからころも俺のこと下の名前で呼べよ」
「……!」
「俺の下の名前、知ってるだろ?」
「えーと、何だったかなあ」
「なんだったら『ころ』じゃなくて『こころ』ってみんなの前で呼んでもいいけど」
「あっ。思いだしました。桃坂先輩の下の名前」
「じゃあ呼んでみて」
「……し」
「その先は?」
「しず……ル」
「なんか変じゃない? ちゃんと続けて呼んでよ」
「うぐぐ」
私が唸るのをとっても楽しそうに見ている桃坂先輩は、とっても意地悪な人だと思います。
「ほらころ行くよ」
足の止まってしまった私の手を、きゅっと握って、桃坂先輩が笑う。
一番大事な人の、私だけに向けられる笑顔を、こんなに近くで見ることが出来る幸せが、私の胸をじんわりと温める。
佐倉こころ。
今、恋をしています。
fin.
このお話はここで一旦完結とさせていただきます。
長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました。




