第39話 会いたかった
水底に横たわる巨大な飛行機械の残骸。その内部は思いのほか状態が良かった。おそらくここにも何かしら超常の力が働いているのだろう、湖水の浸入を許していない。人口の照明器具は見当たらないが青色の薄明かりに満ち、空気もある。白い砂が入り込んでいて、足元は起伏が少なく平坦だ。
「ユユエと言いましたか。お礼があとになってすみません。弟のもとへの案内に感謝します」
ユユエはゆっくりと一度、まぶたを閉じた。それが頷きであると少女は受け取った。ユユエの視線がヒウノに向けられる。
「そなたのおかげか」
「僕は――できることをしただけです。ユユエさん、街では僕たちを助けてくれて、ありがとうございました」
「無事でよかった」
リトは短く息を呑んだ。ふたりの話は、ヒウノと自分の無事を指しているのではない、そう直観した。命こそ失われなくとも、それが起こってもおかしくない出来事があったのだ。少女は問いただしたい気持ちをおさえ、奥歯を噛んだ。
少年は強く握りしめられた少女の拳に、そっと手を重ねた。
「リト。君が思っているようなことはなかったから。安心して」
「……うん。ありがとう」
それきり三人は黙り込み、ぼんやりとした青い光を頼りに奥へと歩いた。
今いるのはおそらく船底なのだろう。甲板へ上がるための階段が見える。
巨大な支柱を横目に見ながら螺旋状の階段をのぼると、視界が開けた。そこに広がる光景にヒウノは思わず息を呑んだ。
「水が屋根になっている」
半球形の天井に湖水が揺れていた。ガラス越しにではない。水の揺れがそのまま目にうつる。甲板に出た三人の頭上に、水が作り出す空が広がっていた。
超常の光景に目を奪われるヒウノとは対照的に、リトとユユエは落ち着き払っていた。ふたりの目は、少年と異なるものを捉えた。
「――レレン!」
取り乱しぎみに、少女は大声をあげて駆け出した。口にしたのは弟の名だ。
前方に、白い砂が積もってできた小さな山が見えた。山の頂きへリトがまっすぐに駆けてゆく。遠目に、そこに人が横たわっているのが見えた。少女は飛び込むかの勢いでその細い体を抱きしめた。
「レレン、わたしよ。すっかり遅くなってごめんね」
姉弟の心と体の距離はとても近く、親しみの深さを物語っている。さがし求めた弟に間違いない。ヒウノは安堵しつつ、しかし、なぜかはわからないが不吉な予感がした。喜ぶべき場面であるのに。
「ねぇ、レレン。どうしたの? しっかりして」
声に不安の色が増してゆく。少女は弟の肩を何度もゆすり、呼びかけた。細い手をとると驚くほどに冷たい。青白い肌からは生気が失われ、彼女の声に応える気配はなかった。
「レレン。ねぇ、目を開けて。いつものように、わたしの名前を呼んでちょうだい。あなたの笑顔が大好きだったの。どんなときだって、笑ってくれたじゃない。ねぇ、お願いだから……」
か細く消え入りそうな少女の声が、少年の胸を締めつけた。
やがて少女は、声を殺して静かに泣き出した。知ってしまったのだ。弟はもう戻らないと。
肩を震わせる彼女を見て、ヒウノはたまらなく悔しさを覚えた。ふたりの再会はもちろん、リトと自分の旅の終着も、幸せな結末であって欲しかった。こんな終わりを迎えるなんて。
行き場のない感情が怒りにも似た熱を持ち始めたそのとき、抑揚のない、けれど澄んだよくとおる声が響いた。
「レレンは、最期まで姉を想っていた。自分がやり遂げられなければ、次は姉の番だと懸命だった」
少年は声の主を見やった。
胸騒ぎがした。
「鎮めの雪が降り止もうとしていた。それでも、諦めようとはしなかったよ、その子は。私に出会わなければ――」
「ユユエ!」
誰かを怒鳴りつけたのは、少年の人生でこれが初めてかもしれない。あとに続く言葉を言わせてはならない。悲しみに暮れる彼女に聞かせてはならない。そう直観したヒウノは、女性の語りを遮ろうと叫んだ。
女性はちらりと少年を見やり、言葉を続けた。
「私に出会わなければ、死なずに済んだ。レレンを殺めたのは私だ」
女性の声が静かに消え入ると、まるでそれを待っていたかのようにレレンの亡骸が白い砂となって崩れ去った。少女の両腕から、人の体の重みがなくなった。
少女の嗚咽が止む。
細い肩で震えていた美しい長髪が、瞬く間に銀色に染まり宙を舞う。
振り向いた彼女の瞳は深紅に染まり、怒りと憎悪に満ち満ちていた。
第39話 終
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