第六十五話 同じ町にも、違う入口がいる
入口は、中へ入るための場所だ。
だから一つあれば足りるように思える。
けれど、人、荷物、動物、火、仕事のすべてが同じ入口を使えば、ぶつかり、汚れ、止まる。
同じ町の中でも、違うものには違う入口が必要になる。
◇
最初の問題は。
山羊だった。
「また食べられた!」
朝。
サラの声が。
北列の家々へ響いた。
洗った布を干すための縄。
その下に。
白い山羊のルルが立っている。
口には。
布の端。
「離して!」
サラが布を引く。
ルルも引く。
濡れた布が。
真ん中から伸びる。
「誰か!」
マーレが走ってきた。
山羊の首へ手を回し。
口から布を外す。
「すまない」
「これ、注文の布だよ!」
「弁償する」
「何で山羊が、こっちにいるんだい」
「柵の戸が開いていた」
「誰が?」
ルナが。
小さく手を上げる。
「餌をあげた」
「閉めた?」
「閉めたつもり」
「閂は?」
「かけた」
山羊小屋を見る。
戸は閉じている。
閂も。
横木へ入っている。
「じゃあ、どうやって出た?」
地面を見る。
戸の下。
土が。
少し掘られている。
「下から?」
「山羊は、これくらいなら通る」
マーレが言った。
「先に教えてよ」
「山では、石の戸口だ」
この町では。
木の柵。
同じ戸でも。
動物の暮らしが違えば。
必要な作りも違う。
◇
山羊小屋を。
家の隣へ置いたのが間違いだった。
人の入口。
動物の入口。
洗濯の道。
井戸への道。
全部が。
同じ場所で交わる。
「山羊は北へ移す」
俺が地図を指す。
「緩衝地?」
ネッサが眉を上げる。
「その手前」
「魔物が来る」
「夜は小屋へ入れる」
「匂いで呼ぶ」
「じゃあ南?」
「木場の荷車道」
「西?」
「待避所」
「東?」
「家が多い」
空いている場所は。
理由があって空いている。
どこへ置いても。
別の仕事へ当たる。
「山羊を置く場所がないなら、飼えない?」
イェナの娘が不安そうに尋ねる。
「そうは言ってない」
「でも、どこも駄目」
「一つの場所だけ見ない」
家。
小屋。
放す場所。
餌。
糞。
水。
全部を。
別々に考える。
「昼は、南の草地」
ネッサが言った。
「荷車が少ない時間だけ」
「夜は?」
「北列の内側。家と井戸の間は避ける」
「小屋を二つ作る?」
「移動できる柵」
ミラが言った。
軽い木枠。
縄。
折り畳める。
昼と夜で。
場所を変える。
「また動く壁?」
俺が言う。
「動く柵」
「同じだろ」
「違う」
「何が?」
「囲うもの」
三年前なら。
固定することばかり考えた。
今は。
暮らしが変わるなら。
動かせる形も考える。
◇
次の問題は。
石を削る音だった。
夜。
コン。
コン。
コン。
一定の音。
眠れないほど大きくはない。
でも。
一度気づくと。
次を待ってしまう。
コン。
「何時まで?」
ミラが布の向こうから言う。
「分からない」
「眠れない」
「俺も」
家を出る。
二回、声をかける。
ミラも出てきた。
夜着の上へ外套を着ている。
「寒くない?」
「誰のせい」
「俺じゃない」
「仕事場を決めたのは?」
「まだ仮」
音は。
ヴァリスから来たダンたちの作業小屋。
昼は。
役所の石工仕事。
夜。
自分たちの道具を直している。
「止めさせる?」
ミラが尋ねる。
「明日、仕事ができなくなる」
「じゃあ、眠れないまま?」
「入口を変える」
「音に入口がある?」
「ある」
作業小屋の開口部。
今は。
家の方へ向いている。
石を打つ音が。
壁で反射し。
帰り火へ来る。
「扉を反対へ?」
「すぐには変えられない」
「内側に壁」
「音を吸うもの」
布。
木屑。
藁。
ただし。
火の近くには置けない。
「作業台を、奥へ」
「床が弱い」
「石台」
「明日」
今夜は。
開口部へ。
厚い天幕を二重に掛ける。
完全には消えない。
でも。
音が少し柔らかくなる。
「コンが、トンになった」
ミラが言う。
「それでも聞こえる」
「前よりいい」
「寝られる?」
「たぶん」
◇
翌日。
帰り火の地図へ。
入口を描き足した。
人の入口。
荷物の入口。
山羊の入口。
夜仕事の入口。
火の入口。
水の入口。
「多すぎる」
ベルンが言う。
「町の入口は西門一つでいいだろ」
「町全体じゃない」
俺は答えた。
「仕事と暮らしが、ぶつからない入口」
「回り道になる」
「少し」
「毎日だぞ」
「毎日ぶつかるよりいい」
石作業小屋は。
材料を運ぶ道を。
家の間からではなく。
外周へ回す。
山羊の移動は。
洗濯の時間と重ならない。
木場の荷車は。
子どもが文字を習う時間に。
集合所の前を通らない。
「時間まで地図へ書く?」
ルナが尋ねる。
「別の板」
朝。
昼。
夜。
場所だけではなく。
同じ道を。
誰が、いつ使うか。
記録する。
「道が空いてる時間は?」
「人が使える」
「みんな同じ町なのに、分けるんだね」
ユリが言う。
「分けるけど、追い出さない」
ミラが答えた。
「どう違うの?」
「使う場所を作る」
「使わせないんじゃなく?」
「うん」
規則は。
駄目と言うためだけではない。
どうすれば。
同じ町で続けられるか。
別の入口を作る。
◇
描いた入口が、本当に使えるか。
朝の一番混む時間に試した。
井戸へ行く人。
木場の荷車。
石作業小屋へ材料を運ぶ人。
山羊。
子ども。
それぞれ。
普段の時刻へ動く。
最初の十分は、うまくいった。
人は、人の入口。
荷車は、黄色い車輪の道。
山羊は、緑の杭。
ところが。
共同井戸の前で。
水桶を持った人と。
空の石車がぶつかった。
「荷車道は、向こうだろ!」
ベルンが御者へ怒鳴る。
「向こうは、積んだ車が止まってる!」
石作業小屋から来た車が。
材料を下ろすため、道を半分塞いでいた。
入口を分けても。
中で止まれば、次が詰まる。
「荷下ろし場所がない」
ミラが言う。
「作業小屋の前へ寄せる」
「寄せたら、夜仕事の入口を塞ぐ」
「時間を分ける?」
朝。
水。
昼。
材料。
夜。
石作業。
しかし。
雨の前には、材料を早く入れたい。
水は、朝以外にも必要。
「時間だけでは足りない」
俺は。
作業小屋の横にある、積み上げた石を見る。
使っていない端材。
そこを整理すれば。
荷車一台が、道から外れて止まれる。
「石を動かすの?」
カイが尋ねる。
「使う順に積み直す」
「一日かかる」
「一日で、毎日の道が空く」
ドムは。
石の山を見て。
短く頷いた。
「やる」
次に。
山羊が、人の入口へ入った。
緑の杭は見えている。
でも。
山羊は印を読まない。
「入口を描いても、山羊には分からない」
ルナが笑う。
「綱を持つ人へ分かればいい」
マーレが答える。
ただ。
山羊を引く子どもは。
井戸へ行く母親について行きたがる。
入口だけ別にすれば。
家族が二つへ分かれる。
「山羊の道を、人の道の横へ」
ミラが言った。
「間に低い柵」
「同じ方向へ行ける?」
「見える。でも、布には届かない」
人と動物を。
遠くへ離すのではなく。
互いが見える距離で、触れないようにする。
仕切りと同じだった。
二度目の試験。
荷車は、荷下ろし場所へ入る。
水桶の人は、井戸へ進む。
山羊は、横の道。
子どもは、柵越しに母親を見ながら歩く。
今度は。
止まる人がいなかった。
「入口だけじゃなく、止まる場所もいる」
ユリが記録板へ描く。
「出る場所も」
荷車が。
前から入って。
後ろ向きに出ようとし。
人の道へ車輪を出した。
「もう一回、直す?」
「ああ」
町の道は。
一度線を引けば終わらない。
使う人が増え。
動物が増え。
仕事の時間が変われば。
入口も、止まる場所も。
また描き直す必要がある。
◇
朝の試験が終わった午後。
雨が降った。
強くはない。
道の表面が濡れ。
人が、屋根のある側へ寄る程度の雨。
それだけで。
朝に決めた入口の使い方が崩れた。
山羊の道は。
北側の土がぬかるみ。
最初の一頭が足を止めた。
後ろの三頭が押し合い。
人の通路へ入る。
「そっちは駄目!」
ユリが縄を張ろうとすると。
山羊が縄の端を引っかけた。
洗い場へ向かう女が避け。
木場の手押し車とぶつかりそうになる。
「止める!」
ミラが入口の札を横へ倒した。
山羊。
人。
荷車。
全部、一度止める。
「朝は通れたのに」
サラが濡れた布を抱えて言う。
「雨の日の道を試してなかった」
俺は、山羊の足跡を見る。
泥が深い場所。
水が流れ込む場所。
人は。
濡れない軒下へ寄りたい。
山羊は。
柔らかい泥を避けたい。
荷車は。
水溜まりを避けて大きく曲がる。
晴れの日に描いた線の上を。
誰も歩いていない。
「石を敷く?」
カイが尋ねる。
「山羊の道全部へは足りない」
「水を先に逃がす」
ミラが、北側の低い場所を指した。
小さな溝を一本。
緩衝地の排水へつなぐ。
ただし。
魔物の戻り道を横切らないよう。
人の道側へ浅く曲げる。
「雨の日だけ、人の入口をこっちへ変える」
ユリが集合所の庇を指した。
「晴れの日と違っていい?」
「同じ入口へ無理に合わせるよりいい」
雨の印がついた札を作る。
晴れ。
雨。
夜。
三つ。
入口そのものを増やすのではなく。
使う時間を分ける。
次に。
薪を運ぶ人が困った。
火の入口は。
炉へ近い。
しかし。
雨の日は、屋根から落ちる水の下を通る。
濡れた薪を。
そのまま共同炉へ入れれば。
煙が増える。
「薪は、先に乾かし棚へ」
「遠回りだ」
オーデンが言う。
「乾いた薪だけを火の入口へ持つ」
「誰が分ける?」
「薪番」
「また当番が増える」
「増やさない」
ガルドが口を挟んだ。
「火番が受け取る。濡れていれば戻す」
「運んだ人が怒る」
「煙を吸う人間の方が怒る」
入口を分ければ。
入口ごとに、見る仕事も生まれる。
線だけ増やしても。
誰も確かめなければ。
元の混雑へ戻る。
雨が弱くなったあと。
もう一度動いた。
山羊は、排水した北道。
人は、庇側の雨入口。
荷車は、朝と同じ外周。
薪は、乾かし棚を経て火口へ。
今度は。
誰もぶつからなかった。
「入口が増えたんじゃなくて」
ユリが札を掛け替える。
「同じ町の使い方が増えたんだね」
「ああ」
町は。
晴れの日だけに使われるわけではない。
雨。
夜。
荷が多い日。
病人がいる日。
同じ入口でも。
必要な幅と、優先する人が変わる。
◇
入口を分けた翌日。
治療所から。
急ぎの呼び声が上がった。
石作業小屋で。
カイが指を切った。
血が多い。
普段なら。
石作業の入口から外周を回り。
人の道へ入る。
けれど。
その道は遠い。
「人の入口を使う!」
サラが道具箱を抱えて走る。
井戸へ向かう人を止め。
最短の通路を通る。
「決まりと違う」
ルナが札を見る。
「緊急は別」
ミラが答えた。
「別って、書いてない」
入口を分けたことで。
守るべき順番が見えた。
同時に。
決まりを越えてよい条件も必要になった。
けが人。
火事。
魔物。
水路の急な崩れ。
赤い札が出たとき。
すべての入口は。
人を助ける道へ変わる。
ただし。
使ったあと。
元の札へ戻す人を決める。
けが人を運んだあと。
石の粉が、人の通路へ残っていた。
雨が降れば滑る。
治療が終わったカイが。
自分で箒を持って戻った。
「急いだんだから、片づけはあとでいい?」
ユリが尋ねる。
「あとでいい」
カイが答えた。
「でも、誰かのあとにしない」
緊急だから。
決まりを無視して終わりではない。
急いで使った道を。
次の人が安全に通れる形へ戻すところまでが。
特別な入口の仕事だった。
◇
市場の日。
灰河から来た小さな隊商が。
西門で足を止めた。
入口の札は。
色と文字で分けてある。
黄色は荷車。
青は水。
緑は家畜。
赤は火。
けれど。
先頭の御者は。
黄色い札を見ても動かなかった。
「読めない?」
ユリが尋ねる。
「色の意味が、向こうと違う」
サイラが通訳した。
灰河の港では。
黄色は。
傷んだ桟橋へ入るな、という警告。
御者は。
荷車道が閉じていると思ったらしい。
「色は見えるのに」
「意味は、町ごとに違う」
俺は札を外した。
色だけではなく。
車輪。
桶。
山羊の角。
火。
形を刻む。
「文字も残す?」
「残す」
リゼが答えた。
「一つで分からなくても、二つあれば確かめられる」
ところが。
車輪の印を見た二台目の荷車は。
正しい入口へ入ったあと。
梁を積んだ長い荷台を曲げられなかった。
入口の幅は足りる。
でも。
曲がるための空間が足りない。
「普通の荷車では通れた」
ベルンが言う。
「普通って、どの大きさ?」
ユリが記録板を開く。
帰り火で使う荷車。
石車。
灰河の長い荷台。
同じ車輪の印でも。
必要な曲がり方が違う。
西門の外へ。
荷車の長さを測る棒を置いた。
短い車は。
黄色い入口。
長い車は。
一度待避所へ入り。
案内役が外周路へ連れていく。
「面倒だな」
御者が言った。
「壁へ当てるよりは」
カイが答えた。
帰り火の人だけが分かる入口では。
道の外から来た人を安全に通せない。
入口は。
入る人へ合わせて説明する場所でもある。
西門の地図へ。
文字。
色。
形。
荷車の長さ。
四つの手がかりを加えた。
◇
夜。
石を打つ音は。
以前より遠くなった。
山羊は。
移動柵の中。
洗濯物も無事。
全部。
解決したわけではない。
雨の日。
冬。
荷車が増えた日。
またぶつかるかもしれない。
「今日は静か」
ミラが自分の部屋から言う。
「聞こえる?」
「声は」
「仕切り、閉まってる?」
「閉まってる」
「それでも聞こえる」
「壁じゃないから」
「壁にする?」
少し間が空いた。
「しない」
「どうして?」
「今くらいでいい」
声は聞こえる。
姿は見えない。
別々の寝場所。
同じ家。
完全に分けない。
でも。
勝手には入らない。
同じ町にも。
違う入口がいる。
同じ家にも。
それぞれの入り方がある。




