第二十一話 自分の家の前だけ、深く掘るな
今回から、第二部「町をつなぐ」が始まります。
一軒の家から始まったレオたちの仕事は、家と家の間にある道や水、人々の暮らしへと広がっていきます。
雨季が終わるまで、あと半月ほどだった。
次の大雨が来る前に共同排水を使える形にする。それが、帰り火の最初の試験だった。
その工事は、開始して半刻もたたないうちに止まった。
「全員、鍬を置け!」
ハーレンの怒声が、帰り火の区画に響く。
土を掘っていた住人たちが、一斉に手を止めた。
止めたと言っても、全員が素直に鍬を地面へ置いたわけではない。
「今いいところなんだ」
「あと少しで隣の溝とつながる」
「ここだけ浅いから、もう少し掘らないと」
それぞれが言い返す。
「その『あと少し』をやめろと言っている!」
ハーレンは額に雨上がりの汗を浮かべながら、掘りかけの溝を指した。
昨日、地面へ引いた石粉の線。
俺とミラが縄を張り、家を避け、古い空堀を避け、水の流れる方向を考えて決めた線だ。
住人たちは、その線に沿って土を掘り始めていた。
作業を早く進めるため、溝をいくつかの区間へ分けている。
サラの家の前。
ベルンが移る予定の区画。
カイとルナの家へ続く場所。
俺たちの家に近い場所。
十人以上で同時に掘れば、一人で端から掘るより早く終わる。
そう思っていた。
「何が駄目なの?」
ミラが掘りかけの溝を覗く。
「見れば分かるだろ」
ハーレンが不機嫌そうに答えた。
「分からないから聞いてる」
「こっちは深い。あっちは浅い。途中で底が上がっている」
確かに、溝の深さは場所によって違っていた。
だが、地面そのものにも高低差がある。
「深さが違っても、水が低い方へ流れればいいんじゃない?」
俺は尋ねた。
「流れているか確かめたのか」
「まだ、全部つながってない」
「なら、なぜ流れると言える」
返せなかった。
「昨日、レオが印をつけたんだろ」
ベルンが鍬を肩へ担いだまま言う。
「地面から指二本分の深さで掘れって」
「ああ」
俺は昨日決めた印を確認する。
線の両側へ小さな杭を立て、杭の下から指二本ほどの位置まで掘る。
住人たちには、そう説明した。
「俺は言われた通り掘った」
サラも言う。
「私もだよ」
「俺のところは水がたまりそうだったから、少し深くした」
ベルンが続ける。
「深い方が流れるだろ」
「お前の前だけならな」
ハーレンがベルンの掘った溝へ棒を置く。
ベルンの区間は、ほかより明らかに深い。
その先。
カイたちが掘った区間へ向かうところで、底が急に高くなっていた。
「ここへ水が来れば、先へ進まずにたまる」
「なら、カイのところも深くすればいい」
ベルンが答える。
「その先もか?」
「深くする」
「最後まで?」
「流れるところまで」
「どこまで深くなると思ってる」
ベルンは黙った。
最初の区間を深くすれば、次も同じ高さまで下げなければ水は流れない。
さらに、その次。
最後の外周排水へ到達するころには、溝が人の膝より深くなるかもしれない。
「でも、浅いよりいいだろ」
「深ければ崩れやすい」
ドムが土の壁を手で崩した。
雨を含んだ土は柔らかく、簡単に溝の中へ落ちる。
「子どもが落ちる。荷車の車輪も取られる。壁へ近ければ、家の地面まで崩す」
「浅ければ流れない」
「必要な深さと、必要以上の深さは違う」
ドムはベルンの区間を見下ろす。
「それに、問題は深さだけじゃない」
「何だよ」
「底がでこぼこだ」
棒を溝の底へ沿わせる。
一見低くなっているようでも、途中に小さな盛り上がりがある。
「このくらい、水なら越えるだろ」
「少ない水は越えん」
雨が強いときだけ水が流れ、弱い雨ではくぼみに残る。
残った水が土を柔らかくし、虫や臭いの原因になる。
「同じ深さで掘るって言ったのが駄目だった」
俺は自分で引いた線を見る。
「地面から同じ深さにすれば、底も同じように下がると思った」
「地面が真っすぐならな」
ハーレンが答える。
帰り火の土地は平らに見える。
だが、実際には小さな起伏がある。
盛り上がった場所。
沈んだ場所。
古い空堀を埋めた跡。
地面から同じ深さを測れば、その起伏をそのまま溝の底にも写してしまう。
「地面からの深さじゃない」
俺は言った。
「溝の底そのものの高さを決めないといけない」
「今ごろ気づいたか」
ハーレンの言葉は厳しい。
「昨日のうちに確認するべきだった」
「そうだ」
「ごめん」
住人たちへ向き直る。
「俺の印のつけ方が間違ってた」
「役場の奴が見てただろ」
ベルンがハーレンを指す。
「昨日は経路だけを確認した」
ハーレンが答えた。
「深さの印を勝手につけたのは、そこの子どもだ」
「止めてくれてもよかった」
「聞かれなかった」
「聞かなかった俺が悪い」
言い返したくなったが、止める。
水の流れる道を作るのに、地面の高さを正しく測らなかった。
俺の間違いだ。
「掘ったところは、全部やり直し?」
サラが尋ねた。
「全部ではない」
ハーレンが溝へ長い棒を渡す。
「高いところは掘る。低すぎるところは、小石と土を戻して締める」
「せっかく掘ったのに」
「間違ったままつないだ方が、もっと仕事が増える」
家を建てたときにも、何度もやり直した。
柱の位置。
屋根板。
排水。
けれど今回は、俺だけの作業ではない。
大勢の人が、俺の印を信じて土を掘った。
自分一人の間違いで、全員の時間を使わせてしまった。
「次は、どうやって高さを決める?」
ミラが尋ねた。
ハーレンが道具を載せた荷車を見る。
「役場の測量台を使う」
「どれ?」
「南門の橋だ」
「ここにないの?」
「橋の工事で使っている」
町にある測量道具は、南門の工事へ持ち出されているらしい。
「戻ってくるのを待つ?」
「いつ?」
「橋の仕事が終わったら」
「それじゃ、五日どころじゃない」
住居区としての試験期間は始まっている。
排水がないまま次の大雨が来れば、家の周囲へ水がたまる。
「作る」
俺は言った。
「何を?」
「高さを見る道具」
前の世界で見た、簡単な道具を思い出す。
長い水平器や測量機ほど正確ではない。
だが、二つの場所が同じ高さか確かめるだけなら作れる。
「真っすぐな棒を三本」
地面へ、細長い三角を描く。
「二本を斜めに立てる。間へ横木を入れる」
「屋根みたい」
ミラが言う。
「頂点から、重りのついた糸を垂らす」
ボルツからもらった重り。
普段は柱の傾きを見る下げ振りとして使っている。
「地面が水平なら、糸が真ん中に来る?」
「真ん中の印が正しければ」
ハーレンが言った。
「最初から真ん中じゃ駄目?」
ミラが尋ねる。
「棒の長さが完全に同じとは限らん」
ガルドが答えた。
「接合も少しずれる」
「じゃあ、どこが水平か分からない」
「一度置いて印をつける。左右を入れ替えて、もう一度置く」
俺は地面の絵へ線を加える。
「一回目と二回目で、糸が止まった場所の真ん中が、本当の水平」
前世で見たA字型の水準器。
簡単な道具だが、正しく印を決めなければ使えない。
「本当に使えるのか?」
ベルンが疑う。
「作って確かめる」
「確かめ方は?」
「水」
平たい板へ少量の水を置けば、高い方から低い方へ流れる。
道具で水平と判断した二点の間に板を渡し、水が片方へ流れないか見る。
「水で確かめるなら、最初から水を流せばいい」
「全部掘ってから間違いに気づく」
俺は答えた。
「道具なら、掘る前に高さを見られる」
◇
ガルドが、解体材の細い棒を三本選んだ。
二本を同じくらいの長さへ切る。
上部を重ね、木栓と縄で固定する。
間へ横木。
頂点から、重りのついた糸を下ろす。
「名前は?」
ミラが尋ねる。
「水平を見る道具」
「長い」
「三角の下げ振り」
「もっと長い」
「名前なんか、使えればいい」
ガルドが言った。
「役場では、均し枠と呼ぶことがあります」
ハーレンが完成しかけた道具を見る。
「同じようなものがあるの?」
「小さいものならな。長い距離を見るには、測量台の方がいい」
「先に教えてくれればよかった」
「作ると言い出したから、見ていた」
「性格悪くない?」
「使えるものになるか分からなかった」
ハーレンは真顔だった。
道具を平らに見える地面へ置く。
糸が横木の少し左で止まった。
その位置へ炭で印をつける。
「左右を入れ替える」
同じ二点へ、足の位置を逆にして置く。
今度は、糸が最初の印より右で止まった。
「二つの印の真ん中」
ミラが指で測る。
「ここ?」
「ああ」
横木へ新しい印を刻む。
それが、二本の足が同じ高さにあるとき、糸が止まる位置になる。
「試すぞ」
ハーレンが板を二つの小さな石へ載せる。
その上へ均し枠を置く。
片方の石の下へ薄い木片を入れ、糸を中央の印へ合わせる。
次に、板の中央へ少量の水を垂らす。
水は左右どちらにも流れず、その場へ薄く広がった。
「水平」
ミラが言う。
「少なくとも、この長さではな」
ハーレンが答える。
「長い距離は、一回ずつ移動して測る」
「少しずつ誤差が増える?」
「増える」
「じゃあ駄目?」
「途中で、実際に水を流して確かめる」
道具だけを信用しない。
水だけで最後に確かめるのでも遅い。
測りながら掘り、途中で水を流し、間違いがあれば直す。
◇
「出口から決める」
ハーレンが、外周排水へつながる場所を指した。
「家の近くからじゃないの?」
カイが尋ねる。
「最後に水が出る高さを先に決める」
出口が高ければ、途中をどれだけ深く掘っても水は出ない。
「出口から上へ戻る」
一番下流となる場所へ短い杭を打つ。
杭の側面に、溝の底となる高さを刻む。
そこから大人の十歩ほど上流へ、次の杭。
均し枠を何度も置きながら、二本の杭が同じ高さになる位置へ印をつける。
「同じ高さじゃ、水は流れない」
俺が言う。
「だから、上流側を指一本分高くする」
ハーレンが杭の印を調整する。
「十歩で指一本?」
「この土と水量なら、最初はそれで試す」
「少なすぎない?」
「急に落とせば、水が土を削る」
勾配が急なら、勢いよく流れる。
だが、土の溝では底や側面が削られる。
「深い方がいいのと同じで、急ならいいわけじゃない」
「ああ」
水を流す。
土を流さない。
二つを両立させる必要がある。
杭から杭へ、細い縄を張る。
縄は溝の底と同じ高さではない。
底から一定の高さだけ上へ離して張る。
「縄の下から、この棒一本分が底」
ハーレンが短い測り棒を渡す。
「どこでも同じ棒で測る」
「地面からじゃなく、縄から測る」
俺は答えた。
「これなら、地面が少し高くても低くても、底の流れは同じになる」
「最初から、それをやれ」
「次からはやる」
「次があると思うな。今やれ」
◇
住人たちを、もう一度区間ごとに分ける。
ただし今度は、全員が勝手に深さを決めない。
掘る者。
土を運ぶ者。
縄からの距離を測る者。
底をならす者。
「一つの区間に、確認する人を一人つける」
俺は共同地図の横へ役割の印を加えた。
「誰が確認する?」
「役場の人が全部見るんじゃないのか」
住人の一人が言う。
「ハーレンさん一人じゃ、全部の場所にいられない」
俺。
ミラ。
カイ。
サラ。
簡単な測り方を覚えた者が、それぞれ区間を見る。
「子どもが確認するの?」
「縄から棒一本分か見るだけ」
「間違えたら?」
「二人で見る」
一人が掘る。
一人が測る。
区間が終わったら、隣の区間の人とも高さを確認する。
「自分のところだけで終わりにしない」
俺は言った。
「隣とつながって、初めて完成」
「俺のところは掘り直しか」
ベルンが深くした溝を見る。
「ああ」
「俺だけ仕事が増える」
「俺も手伝う」
「印を間違えたからか」
「それもある」
土と小石を薄く戻す。
一度に埋めれば沈む。
水路工事と同じように、層ごとに締める。
「深く掘るのは早かったのに、戻す方が時間かかるな」
ベルンが棒で土を締めながら言う。
「壊すより、戻す方が難しいことは多い」
「次から、深く掘る前に聞く」
「次はないと思って、今やって」
「役場の奴みたいになってきたな」
「嫌だな」
「聞こえているぞ」
離れた場所から、ハーレンの声が飛んできた。
◇
昼までに、最初の三つの区間がつながった。
「水を流す」
サラが井戸から運んだ桶を持つ。
「まだ全部できてない」
カイが言う。
「途中まで試す」
上流側へ、少しずつ水を流す。
水は細い筋になり、掘った溝を進む。
一つ目の杭。
二つ目。
サラの家の前。
途中で流れが遅くなった。
「止まる?」
ミラが水を追う。
完全には止まっていない。
だが、溝の左側へ寄り、小さな渦を作っている。
「底が平らじゃない」
カイが測り棒を入れる。
縄からの深さは合っている。
「深さは同じ」
「横が傾いてる」
俺は溝の幅を見る。
片側だけ深くなっている。
水がそこへ集まり、真っすぐ進まず回っていた。
「底は、進む方向だけじゃなく、横も見る」
ハーレンが言った。
「横へ傾けたら駄目?」
「道の横の溝なら、家側から少し離すことはある。だが、今は傾きすぎだ」
家側をわずかに高く。
道側を低くする。
ただし、水が片側だけを削らない程度。
「測り棒一本じゃ分からない」
「棒の先に横木をつける」
短いT字形の道具を作る。
溝の底へ置けば、左右の高さの違いが分かる。
「また道具が増えた」
ミラが言う。
「一つの道具で全部測れない」
「仕事板も、二枚になったしね」
底を削り直す。
再び水。
今度は渦を作らず進んだ。
「行った!」
子どもたちが水を追いかける。
「溝へ入るな!」
ネッサが止める。
「浅いよ」
「作業中だ」
「完成したら?」
「落ち葉を入れるな」
水が流れるのを見ると、何かを浮かべたくなるらしい。
ルナが小さな木の葉を握ったまま、残念そうにしている。
「試験が終わったら、一枚だけ」
カイが言った。
「流していいの?」
「外周排水まで行くか見るため」
「仕事ならいい?」
「一枚だけだぞ」
◇
午後。
作業は少しずつ速くなった。
縄から測る。
底の横方向を見る。
掘った区間同士をつなぐ前に、双方の確認役が立ち会う。
「こっちは、指半分高い」
「水は流れる方向だからいい?」
「急に段差になる」
「少しずつ削る」
最初は、ハーレンや俺へ質問が集まった。
だが、同じ作業を繰り返すうち、住人同士で確認するようになる。
「そこ、掘りすぎ」
「まだ縄から棒一本だ」
「棒が斜めだよ」
「本当だ」
「一度抜いて測り直して」
サラが、別の住人の手元を見ている。
カイは杭の印を確認し、子どもたちへ土を運ぶ場所を指示している。
ベルンは、自分の区間を直し終えたあと、隣の作業を手伝っていた。
「お前のところ、底が柔らかい」
「締めた」
「足で踏んだだけだろ」
「棒でやる」
誰か一人が全体へ命令しなくても、作業がつながり始める。
「レオ」
ミラが呼ぶ。
「何?」
「次の杭、どこ?」
地図を見る。
古い空堀の点線。
溝はその上を避け、大きく曲げる予定だった。
「もう少し東」
「サラさんの新しい作業場所に近い」
「どれくらい?」
「家の壁から大人一人分」
「狭い」
サラが地図を覗く。
「針仕事のため、明るい側へ窓を作りたい」
溝が近すぎれば、窓の下の地面が湿る可能性がある。
「溝を道側へ寄せる」
「道が狭くなる」
「人が歩ける幅は残る」
「荷車は?」
「住居側の道へ、大きな荷車は入れない」
「火事の水は?」
「小さい荷車なら通れる」
地面へ線を引く前に、使う人へ聞く。
前の俺なら、最短の線を選んでいた。
今は少し曲げる。
サラの作業場所を避け。
人が通る幅を残し。
水が流れる高さを守る。
「また曲がった」
ミラが言う。
「駄目?」
「いい溝」
「まだ流してない」
「じゃあ、たぶんいい溝」
◇
夕方までに、外周排水から住居区の中央まで、一本の溝がつながった。
全部の家へ枝を伸ばすのは明日以降。
それでも、共同排水の中心となる線はできた。
「最後の試験」
ハーレンが言う。
上流側へ桶を三つ並べる。
「一度に全部?」
「大雨よりは少ない」
最初の桶。
細い水。
二つ目。
流れが広がる。
三つ目。
溝の半分近くまで水が増えた。
「崩れない?」
水が曲がりへ到達する。
速すぎない。
遅すぎない。
土を大きく削らず進む。
サラの作業予定地を避けた曲線。
ベルンが埋め戻した区間。
最初に水がたまった場所。
今度は止まらない。
「行け!」
子どもたちが声を上げる。
「水に応援してどうする」
ベルンが言いながらも、水を目で追っている。
最後の区間。
外周排水へ流れ込む。
水面が少し上がり、そのまま町の外側へ進んだ。
「流れた」
サラが息を吐く。
「まだ、一回だ」
ハーレンが言う。
「雨の量は変わる。土も動く。明日の朝、沈みと崩れを確認する」
「少しくらい喜ばせろよ」
ベルンが答える。
「喜んだあとで見ろ」
役場の人間は、最後まで厳しい。
それでも、口元がほんの少し緩んでいるように見えた。
「ルナ」
カイが声をかける。
「一枚だけだぞ」
ルナは待っていた木の葉を水へ置いた。
小さな葉が流れに乗る。
溝の曲がりを進む。
一度も止まらない。
外周排水へ出たところで、水の中へ沈んだ。
「なくなった」
「流れていった」
カイが答える。
「どこまで?」
「町の外」
「そのあと?」
「川か、低い土地」
「見に行く?」
「今日は行かない」
水の行き先は、外周排水の先まで続いている。
俺たちが作った溝だけで、水の流れが終わるわけではない。
◇
道具を片づける。
均し枠は、共同地図の屋根の下へ置くことになった。
「誰でも使っていい?」
住人の一人が尋ねる。
「印を勝手に変えなければ」
俺は答えた。
「壊したら?」
「直す」
「持っていったまま戻さない奴が出る」
「使う人の印を、地図の横へ掛ける」
道具の使用札を作る。
家ごとの印。
針。
石。
月。
棒。
使う間は、均し枠の置き場へ自分の札を掛ける。
「また決まりが増えた」
ベルンが言う。
「共有する物が増えたから」
「面倒だ」
「なくなるよりいい」
「自分の道具なら、好きに使える」
「全員分を買える?」
「買えない」
「なら、面倒も分ける」
ベルンは返事をせず、自分の棒の印を描いた札を置き場へ掛けた。
◇
家へ帰る途中、ミラが俺の手を見た。
「今日は、あんまり掘ってないね」
「印をつけた。高さも測った」
「最初は間違えた」
「ああ」
「みんな、怒ってた」
「ああ」
「もう、地図を作るのやめたい?」
「少し思った」
線を引けば、誰かがその線を信じて動く。
仕事板の上なら、間違った線を消すだけで済む。
地面の上では、人が土を掘る。
木を切る。
家を動かす。
「一人で描いてたときより怖い」
俺は言った。
「でも、みんなで直したよ」
「最初から間違えない方がいい」
「絶対に?」
「それは無理かもしれない」
「じゃあ、間違えたって言える方がいいね」
ガルドも、自分が支えの地面を見誤ったことを記録へ残した。
俺も、今回の印を間違えた。
「仕事板に描く」
「失敗した溝も?」
「ああ」
地面から同じ深さに掘った線。
底にできた盛り上がり。
ベルンの前だけ深くなった場所。
その横へ、均し枠と基準杭。
「次は同じ間違いをしない?」
「別の間違いをするかもしれない」
「駄目じゃん」
「でも、同じよりはいい」
◇
翌朝。
共同地図の前には、ハーレンより先に住人たちが集まっていた。
「ここ、少し崩れてる」
「昨日の水で?」
「夜に誰か踏んだ跡がある」
「直す?」
「先に印をつける」
「底は沈んでない?」
俺たちが指示する前に、点検が始まっている。
溝の側面が崩れた場所へ、小さな木の札。
水がたまっていないか確認する。
縄と測り棒で、底の高さを見る。
「問題なし」
サラが記録板へ、自分の針の印と丸を描く。
「丸は?」
俺が尋ねる。
「異常なし」
「誰が決めたの?」
「昨日、カイと決めた」
「×は問題あり」
カイが答える。
「△は?」
「見たけど、分からない」
「分からない印も作ったの?」
「勝手に大丈夫って書かないため」
俺より先に、カイたちは考えていた。
「いいと思う」
「上から言うな」
カイが少し笑う。
「今日から、家へ伸ばす細い溝を作る」
それぞれの家から、共同排水へつなぐ枝。
「自分の前は、自分で掘っていい?」
ベルンが尋ねる。
「いい。でも、共同の溝とつなぐ前に隣の人と確認する」
「深く掘ったら?」
「昨日の仕事をもう一度やる」
「それは嫌だ」
「なら測って」
ベルンは均し枠を肩へ担ぐ。
「借りるぞ」
置き場へ、自分の棒の札を掛ける。
道具の使い方。
印。
点検。
昨日まではなかったものが、少しずつ暮らしの中へ入っていく。
◇
昼前。
最初の枝溝が、サラの家から共同排水へつながった。
屋根から落ちる水を受ける場所。
作業場予定地を避ける線。
水を流す。
問題はない。
二つ目。
カイとルナの家。
北側の排水溝から、帰り火の共同排水へ。
以前は外周排水へ直接つないでいたが、新しい経路に合わせて変更する。
「前の溝は埋める?」
カイが尋ねる。
「すぐ全部埋めない」
俺は答えた。
「新しい方が大雨でも流れるか確認してから」
「二本あった方が安全?」
「流れが分かれると、管理する場所も増える」
古い溝は、非常時に使えるよう一部を残すか。
完全に埋めるか。
雨を見て決める。
「何でも、すぐ決めないんだな」
「前よりは」
カイが水を流す。
新しい枝溝を通り、共同排水へ入る。
「行った」
「次は、俺たちの家」
家と家の水が、一本の溝へ集まり始める。
自分の家の前だけを見ていたときには、ただ外へ水を出せばよかった。
今は、出した水がどこへ行くのかを考える。
誰かの家へ向かわないか。
共同の溝が受けられる量か。
詰まったとき、誰が直すか。
一軒の排水が、町の排水へ変わっていく。
◇
その日の夕方。
共同溝へ、灰色の水が流れていた。
「雨は降ってない」
ミラが言う。
「どこから?」
上流へたどる。
水には、小さな黒い粒が混じっている。
木の欠片。
食べ物の皮。
炉から出た灰。
「誰かが捨てた?」
サラの家ではない。
カイたちの家でもない。
さらに上流。
新しく枝をつないだ小屋の前で、水が止まっていた。
溝の中には、冷えた灰が山のように入っている。
その灰へ野菜の皮と布の切れ端が引っかかり、水をせき止めていた。
「掃除した水を流しただけだ」
小屋の住人が言った。
「水は流れただろ」
「灰も一緒に?」
「家の外へ出したかった」
「共同の溝は、ごみ捨て場じゃない」
カイが言う。
「灰くらい、雨で流れる」
「今、詰まってる」
溝の後ろでは、水があふれ始めている。
完成してから、まだ一日もたっていない。
「止めるぞ」
俺は板を使って上流の水を別の浅いくぼみへ逃がす。
サラとカイが、溝の灰をかき出す。
「触るな、熱が残ってるかもしれん」
ガルドが灰の中へ棒を入れる。
白い煙は出ない。
それでも、手では触らない。
「火事になった?」
ルナが不安そうに尋ねる。
「今回は冷えてる」
ネッサが答えた。
「次も同じとは限らない」
火の残った灰を、木や乾いた草の近くへ流せば、火事になる可能性がある。
水路を詰まらせるだけではない。
「溝を作れば終わりじゃなかった」
ミラが言う。
「ああ」
「流していいものも、決めないといけない」
水だけ。
少量の土は仕方がない。
だが、灰。
食べ物。
布。
油。
何でも流せば、共同排水はすぐ使えなくなる。
「ごみを置く場所がいる」
地図へ描いたまま、まだ作っていない場所。
「灰を捨てる場所も別」
火が完全に消えたか確認できる、石で囲った場所。
「また仕事が増えた」
カイが灰を籠へ入れながら言う。
「町を作るって、溝を掘るより決まりを作る方が多いな」
共同の溝を掘れば、皆の水を流せる。
だが、自分の家の前だけを考えて使えば、隣の家まで困らせる。
深さも。
水も。
捨てる物も。
一つの溝でつながった瞬間から、自分だけの問題ではなくなる。
俺は仕事板へ、詰まった場所を描いた。
均し枠。
基準杭。
深く掘りすぎた溝。
そして、灰で塞がれた共同排水。
町をつなぐ最初の仕事で分かったこと。
つなげるだけでは足りない。
つながったあと、互いを壊さずに使う方法まで作らなければならない。
帰り火の最初の共同溝は、一日目にして流れ。
二日目にして、初めて詰まった。
お読みいただきありがとうございます。
第二部「町をつなぐ」が始まりました。
共同の溝は完成しましたが、一つの設備を皆で使うには、作り方だけでなく使い方の決まりも必要になります。
次回、レオたちは灰やごみの処理場所を作り、帰り火で最初の共同ルールを決めます。




