第一話 雨漏りのする異世界
初投稿です。
異世界で家を失った人々のために、建築の知識を使って家を造る物語です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
死ぬ直前まで、俺は雨漏りの原因を探していた。
「天井じゃなくて、その上だ。水は落ちた場所から入ってくるとは限らない」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、古びた集合住宅の屋上を歩く。
時刻は午前二時十三分。
十一月の雨は冷たく、作業着の中まで容赦なく染み込んでいた。
住人から連絡があったのは、日付が変わる少し前だった。天井から水が落ちてきて、子どもの布団が濡れているらしい。
本来なら、明るくなってから調査する案件だ。
けれど、電話の向こうで子どもが泣いていた。
それを聞いたら、放っておけなかった。
「ここか」
防水層の端に、小さな亀裂を見つけた。
しゃがみ込み、指先で状態を確かめる。
ほんの数ミリ。
建物に興味のない人なら、見落としてしまうような傷だった。
けれど、水は正直だ。
小さな隙間を見つけ、時間をかけて内部へ入り込み、見えない場所を腐らせていく。
人間と同じだと思った。
大したことがないふりをして塞がなかった傷は、いつか別の場所からあふれ出す。
「応急処置だけでも――」
立ち上がろうとした瞬間、足元が滑った。
身体が傾く。
手を伸ばした。
けれど、つかめるものは何もなかった。
視界が反転し、雨の夜空が遠ざかっていく。
落ちながら、俺は不思議と冷静だった。
ああ、明日の打ち合わせ、資料を途中までしか作ってないな。
母親から来ていたメッセージにも返信していない。
設計の仕事をしたいと思いながら、結局、何ひとつ形にできなかった。
自分の家どころか、自分の居場所さえ作れなかった。
最後に浮かんだのは、そんな後悔だった。
◇
次に目を開けたとき、俺は泥の中にいた。
「……冷たっ」
顔を上げる。
雨が降っていた。
また雨かよ。
そう思いながら身体を起こし、すぐに違和感に気づいた。
手が小さい。
腕が細い。
着ているのは作業着ではなく、麻袋に穴を開けたような粗末な服だった。
「何だ、これ」
声まで高い。
濡れた腕や脚の長さから見て、八歳ほどだろう。前世の身体感覚で立ち上がろうとすると、重心の位置まで違っていた。
周囲を見回す。
石造りの建物が並んでいた。
いや、建物と呼んでいいのだろうか。
壁は傾き、屋根には穴が開き、窓にはガラスの代わりに板が打ちつけられている。道は舗装されておらず、雨水と汚水が混ざった茶色い流れが、道の中央を川のように走っていた。
電柱も、車も、室外機もない。
遠くに見える城壁の向こうには、巨大な二つの月が浮かんでいた。
「……異世界?」
口にしてから、自分で馬鹿らしくなった。
しかし、それ以外に説明がつかない。
夢にしては寒すぎた。
泥の感触も、濡れた服が肌に張りつく不快感も、あまりに現実的だった。
「レオ!」
誰かが俺を呼んだ。
振り向くと、九歳くらいの少女が雨の中を走ってきた。
赤茶色の髪を肩で切りそろえた、痩せた女の子だった。
「こんなところで何してるの! 早く帰らないと、おばあちゃんが……」
少女は俺の顔を見て、言葉を止めた。
「レオ?」
どうやら、それが俺の名前らしい。
「ごめん」
何に対して謝っているのか、自分でも分からなかった。
少女は不安そうに眉を寄せたが、俺の手をつかんだ。
「とにかく来て。屋根が落ちそうなの」
その一言で、意識が切り替わった。
「屋根?」
「昨日から雨が入ってきてる。柱も変な音がしてて……」
「家まで案内して」
少女に引かれ、狭い路地を走る。
たどり着いたのは、町外れに建つ小さな家だった。
石積みの壁に、木造の小屋組を載せた平屋。
だが、屋根の片側が大きく沈み込んでいる。軒先から落ちる雨水の量も左右で違う。
まずい。
「中に誰かいる?」
「おばあちゃんが寝てる。動けないの」
「すぐ外に出す」
「でも、雨が――」
「家が潰れるよりいい!」
少女が息を呑んだ。
俺は扉を開け、中へ飛び込んだ。
室内は暗く、床にはいくつもの桶が並べられていた。
奥の寝台に、白髪の老女が横たわっている。
その真上を通る梁が、目に見えてたわんでいた。
木材は黒く変色し、表面には白い菌糸のようなものが浮いている。
腐朽している。
しかも、昨日今日の話ではない。
「おばあさん、運びますよ」
「レオ……かい?」
老女の声は弱かった。
「そうです」
本当は何者なのか分からない。
けれど今は、それでよかった。
老女の身体を背負おうとした。
だが、今の俺は子どもだった。
力が足りない。
「くそ……」
元の身体なら、持ち上げられた。
知識があっても、身体がついてこない。
焦っていると、少女が老女の足を抱えた。
「二人ならできる」
「……ああ」
俺たちは寝台から老女を下ろし、引きずるようにして外へ運び出した。
家を出て数歩進んだところで、背後から低い音がした。
ミシッ。
振り返る。
屋根がゆっくりと沈んでいく。
「伏せろ!」
少女と老女をかばうように地面へ倒れ込む。
直後、轟音とともに屋根の半分が崩れ落ちた。
泥水が跳ね、腐った木片が飛び散る。
少女は震えていた。
「家が……」
俺の腕の中で、小さく呟いた。
その声は、泣き声よりも痛かった。
「ここしかなかったのに」
雨に打たれながら、少女は壊れた家を見つめている。
老女も何も言わなかった。
俺は崩れた屋根を見た。
施工不良だった。
屋根勾配が足りず、水が一か所に集中している。軒の出も短い。少なくとも、この家には雨仕舞いの工夫がほとんどなく、壁の上部には長年の浸水跡が残っていた。
直す方法は分かる。
必要な材料も、おおよそ見当がつく。
しかし、ここにはホームセンターもなければ、電動工具もない。
俺は子どもで、金もなく、この世界の文字すら読めない。
それでも。
「建て直そう」
少女が顔を上げた。
「え?」
「今度は雨漏りしない家を建てる」
「そんなの無理だよ」
「無理じゃない」
自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。
前の世界では、施工管理として、ずっと誰かの図面を現場で形にしていた。
決められた図面を見て、納まらない部分を調整し、職人と工程をつなぎ、完成すれば次の現場へ向かう。
自分で考えたものを形にしたい。
そう思い続けていたのに、失敗するのが怖くて、一歩を踏み出せなかった。
そして、何も作れないまま死んだ。
でも今、目の前には家を失った人がいる。
俺の知識で助けられるかもしれない人がいる。
「俺が建てる」
「レオが?」
「ああ」
「釘もまともに打てないのに?」
どうやら、この身体の持ち主は不器用だったらしい。
「今日から覚える」
少女は、しばらく黙って俺を見ていた。
やがて、泣きそうな顔のまま小さく笑った。
「変なの」
「よく言われた」
もちろん、この世界では初めてだった。
雨はまだ降り続いている。
崩れた家から水が流れ出し、俺の足元を通り過ぎていく。
水の流れを目で追う。
地面の傾斜。
風の方向。
近くで手に入りそうな石と土。
再利用できる梁。
腐っていない柱。
考えるべきことが、次々と頭に浮かんだ。
まずは仮設の屋根を作る。
次に排水路を掘る。
材料を調べ、道具を借りる。
この町の建築方法を知り、俺の知識がどこまで通用するのか確かめる。
できない理由はいくらでもあった。
それでも、不思議と怖くなかった。
失敗した人生の続きが、ここから始まる。
今度こそ俺は、自分の手で作るのだ。
人が雨を恐れずに眠れる場所を。
帰りたいと思える家を。
そしていつか。
俺自身の居場所を。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
レオが異世界で最初の家を建てるまでを、じっくり描いていく予定です。
続きも読んでいただけたら嬉しいです。




