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タイム・トゥ・ゴー  作者: たつ
11/11

マンイーター

 1982年も11月になり、キャンパスの匂いにも冬を感じ始めていた。


 その日は授業に、ヤスシもヒロキもエイちゃんも出ていなかった。

 僕は一人で教室の後ろの方に座った。かっちゃんやマー坊は、その授業を選択していなかった。その授業は社会学だったのだが、教授は高齢で、ボソボソと何を喋っているのかわからず、出席も取らないので、出る生徒も少ない授業だった。かく言う僕も出たことが無かったのだが、一度も出たことが無いというのも、学生としていかがなものか…という罪悪感がどうしてもアタマから離れず、とりあえず、そう、とりあえず一回くらいは出てみるかと思い、たまたま出たのだった。急にそんな風に思ったのは、ひょっとしたら、先日のソープで、ソープ嬢はるみさんの話しを聞いたからかもしれない。僕もちゃんと生きなきゃ…と。


 しかし、噂通り、教授の話は全く聞き取れず、出席も取らないので、授業に出た証が残るわけでもなく、ただ無意味な時間を過ごしただけで終わった。僕は、こんなことならバイトに行けば良かったナ…と後悔した。

 やれやれ、柄にもない事すると、こうなるんだな。さ、バイトに励むか。

 僕が席を立とうとしたその時だった。


「井原さん。」


 突然一人の女性に声を掛けられたのだ。

 声がする方を見ると、僕が座っていた烈の奥の方の席に、長い髪を可愛らしいピンク色のリボンで束ね、ポニーテールにした角山麗華が立っていた。彼女は目がパッチリとしたスレンダーな美人で、白地にバラの花柄のワンピースを着た、お金持ちの家のお嬢様という感じの子だった。彼女はみんなと距離を置いている感じの子で、どちらかといえば、近寄りがたい雰囲気だった。僕も会えば挨拶をするぐらいで、話したことも殆ど無かった。

 僕は、突然彼女から声を掛けられて驚いたが、笑顔の彼女を見て、本能的に

「あ〜、おはよう〜!」

 と、明るく挨拶した。

「井原さんもこの授業取ってたの?知らなかった。」

 僕はちょっと恥ずかしくなり、

「うん、一応…。でも、授業出たの今日が初めて…」と、照れながら言うと、

「私も似たようなものだから…」と、彼女は笑った。

「井原さん、今日は一人なの?英さんや安藤さんは一緒じゃないの?」

「ああ、アイツらも、この授業は出てないから。オレは今日たまたま…」

「そうなの?マジメなのネ。井原さん、少し時間ある?カフェでも行かない?」

「イイよ。」

 僕は高嶺の花だと思っていた麗華から、突然お茶に誘われて動揺しつつも、努めて冷静に返事をして、二人でキャンパス内にあるカフェに行った。


 僕らはカフェで、まるで初対面同士が互いに自己紹介をするように、互いのことを話した。と言っても、彼女は肝心なことは話さなかった。例えばどこから通っているの?と聞くと、彼女は「港区の方…」とだけ答えた。僕が別に意味もなく「最寄り駅だと何駅?」と聞くと、それは…ちょっと…、という感じだった。

 僕は、彼女に、家に押しかけて来る…と警戒されているような気がして、それ以上、あまり彼女に質問出来なくなってしまった。

 彼女はそれ以外にも、クラスの何人かの女子のことを悪く言ったりするので、話しているうちに僕は、なんだか不快感を覚えた。同時に、彼女が誰とも関わろうとせず、いつも、一人でいる理由がわかった気がした。

 僕は「じゃ、オレ、そろそろバイトに行かなきゃ…」と、席を立とうとすると、彼女は

「じゃ、私も帰る。井原さん、今日はありがとう〜」

 と言うので、僕も

「こちらこそ、角山さんに声をかけられて、とっても光栄でした。ありがとう〜」

 と返した。

 彼女は笑って

「井原さん、また行きましょうネ。」

 と言った。

 僕は、警戒心をあらわにする割には、そんな風に言う彼女が不思議だった。僕は何も言わずに、ニッコリ笑って彼女に手を振って別れた。


 僕は、その後もなんとなく麗華のことがずっと気になっていた。そして、もう一度彼女と話しをしてみたいと思うようになっていた。それは、やっぱり彼女が綺麗で美人だったからだ。こればっかりは理屈じゃない。本能だ。

 僕は次の週も、社会学の授業に出てみた。教室に入ると、やはりエイちゃんもヤスシもヒロキも授業に出ていなかった。

 僕はまた、先週と同じ後ろの方の席に座った。するとすぐに後ろから

「おはようございます。」

 と、麗華の声がした。

 僕が振り向くと、赤いリボンで束ねたポニーテール、薔薇柄のワンピースに革ジャンを羽織った彼女が、控え目に手を振りながら、「お隣、いい?」と聞いて来た。

 僕は「どうぞ、どうぞ〜」と掌を席の方に差し出した。

「井原さん、今日も授業出たんだネ。マジメなのネ。」

「たまたまバイトも無くて、ヒマだったから…」

 僕は照れ隠しでテキトーなことを言った。

「今日、バイト無いの?じゃ、授業が終わったら、ランチする?」

「ああ、イイとも〜!」

 僕は、ちょうどこの頃始まったタモリの「笑っていいとも!」のマネで返事をしたら、彼女もケラケラ笑った。


 いつものように、教授がボソボソ何を言ってるのかわからない退屈な授業が終わった後、僕らは、学食に行っておしゃべりした。

 彼女はお母さんと二人で暮らしているようだった。何故お父さんがいないのか、亡くなったのか、離婚したのか、それはわからない。彼女はそれ以上のことは言わなかったし、勿論僕からは何も聞かなかった。

「母が心配するから、私は5時までには家に帰らないといけないの。」

 と、彼女は言った。

「それじゃあ、みんなと遊びに行くことも出来ないじゃん。飲みに行ったり…」

「私はお酒飲めないから。それに、大勢でワイワイ騒いだりするのは苦手なの。大声を出す人もダメ。一緒にいると疲れちゃう。」

「だから、いつも一人でいるの?」

「そういうわけではないけど…、でも一人でいる方が楽かなぁ…とも思う。」

「オレは、角山さんがワザとみんなから離れて、関わらないようにしてるのかと思ってた。たぶんそう思っている人は多いと思うけど。」

「それは、そうだと思う。私はグループとか団体行動が苦手だから。」

「じゃ、どうしてオレに声を掛けてくれたの?」

「どうしてかな?何となく…かな。井原さん、優しそうだったし、一人でいたから話せるかなぁって…」


 僕は、麗華の言うことも、少しわかる気がした。確かに集団行動では、自由に出来ないこともあるし、僕もどちらかといえば、一人でいるのが好きなタイプだから。

 しかし、みんなと一緒だから楽しいこともたくさんあるし、生きていく上で学ぶべき事や大事な情報など得るものも多い。おそらく彼女は、そういう経験をしたことが無いのではないか。

 麗華が僕に話し掛けたということは、とりあえず、根っからの人間嫌いということではないかもしれない。少なくとも今彼女は、僕に心を開こうとしてくれている。

 僕は、彼女の考え方や発言に、まだ違和感を感じることもあるが、全く付き合っていけない子ではないのかな…とも思えた。いや、たぶんそれは、彼女が美しいからで、僕が単に綺麗な彼女と付き合ってみたい…と思っているだけのことなのだろう。でも、とりあえず、そう、いつものように、とりあえずは、もう少し彼女と話しをしてみよう…


「私ネ、一応、この授業ずっと出てるからノートも取ってあるの。おそらく試験のポイントは入っているから、井原さんにも貸してあげる。」

「え〜っ?ホントに?助かる〜。ありがとう!」

「その代わりお願いがあるの。私が井原さんと話していることは、絶対誰にも言わないで…」

「あ、ああ…わかった。」


 僕は、それからは毎週社会学の授業に出た。麗華も毎週出席して、いつも僕の隣に座った。そして、授業が終わった後は二人で学食に行き、ランチを食べ、おしゃべりして別れた。僕は、彼女が「二人で話していることは内緒…」と言う割に、何故いつも学食なのか?と思ったが、不思議なことに、僕らが二人で学食にいるところは、知り合いの誰にも見られたことが無かった。

 たしかに、僕らの仲間内では、学食はあまり行ったことが無かった。なんとなく学食で食べるのはダサいというムードもあった。彼女はそれをわかっていて、あえて学食で食べていたのかもしれない。

 麗華は、相変わらず僕以外のクラスメイトとは、関わらない姿勢を崩していないようだった。僕もみんなといる時は、麗華とは目も合わせず、話しをしなかった。勿論彼女も、僕が友達といる時は、一切僕に近づかなかった。

 彼女と話す内容は、その後も好きな食べ物だったり、好きな場所とか趣味といった、たわいもないものであった。不思議なことに僕は麗華に対しては、何故か恋愛感情を持つようなことは無かった。勿論ルックス的には、僕には勿体ないくらいだし、だからこそ僕は彼女と話すようになった。しかし、いつもたわいもない話しをするだけで、ちょっとでも踏み込んだ話しになると、途端に拒絶反応を起こす彼女を見ているうちに、自然に恋愛感情も起こらなくなってしまった。


 そんなある日、僕は同じクラスメイトの河東さんと久しぶりに、別の授業でたまたま顔を合わせた。

「たっちゃん〜、久しぶり〜」

 河東さんは、教室の前の廊下で、僕を見つけると、ニコニコ手を振りながら、僕のところに駆け寄ってきた。僕は彼女に会うのも、約一年振りくらいであった。いかに僕は学校に行っていなかったか…という事を改めて実感した。

「他のみんなは?たっちゃん一人?」

「みんな、バイトに励んでんじゃないかな。オレも人の事言えないけど…」

「アハハ、あっ、ねえ、たっちゃん最近、お嬢とよく一緒にいるでしょ?」

「お嬢…って?」

「角山さん。結構噂になってるよ。まさか、付き合ってるの?」

 麗華は女子たちの間で「お嬢」って呼ばれてるのか…

「まさかって、何よ?どういう意味?オレには似合わないってこと?…まあ、付き合ってはいないけど…」

「だよね〜。いや、違うの。彼女、気をつけた方がいいから…」

「気をつけた方がいい?」

「うん。彼女、お母さんと二人暮らしで、問題は彼女のお母さん。彼女に対して、例えば門限とか、友達付合いとか、とっても厳しいらしいの。でね、時には学校にも見に来ているらしいよ。しかも、お母さんには愛人がいるみたいで、それがどうやらヤクザみたいなの。もし、彼女に手を出したりすると、そのヤクザにボコボコにされて、挙げ句の果てお金まで取られるらしい。ま、あくまでも噂で、どこまでホントなのかは私にもわからないけど。」

 僕は、頭の中が真っ白になった。

 河東さんの話しを、僕は、にわかには信じられなかった。イヤ、信じたくなかった。

 僕は河東さんに、

「ありがとう。気をつけるよ。」

 と、一言だけ言って、教室を後にした。僕は、そのまま学校を出て、バイト先に向かった。とりあえず、学校にいたくなかった。駅に向かう途中、商店街のどこかの店から、ホール&オーツの当時大ヒット中だった「Maneater」が聴こえて来た。


「ああ 彼女がやってきた

 気をつけろよ

 君を食い尽くしてしまうから

 ああ 彼女がやってきた

 彼女はマンイーターだよ


 もし僕が君だったら遠慮しておくよ

 彼女なら、

 どんな事が出来るかわかっているから

 彼女は致命的だよ

 君の世界を引き裂いてしまう

 事態をよく考えてみろ

 見た目は美しくても

 心の中には野獣が潜んでいるんだ」


 すっかり混乱し、動揺していた僕に、ダリル・ホールの言葉が、布を切り裂くようなサックスの音と共に突き刺さった。


 言われてみれば、なるほど河東さんの言う通りだった。麗華が母親と二人で暮らしていること、門限があること、プライベートに関することに過敏に反応すること…。ひょっとしたら、いつも学校からは出ずに、キャンパス内のカフェや学食に行きたがったのは、母親からの指示だったのか?僕らは常に監視されていたのか?…そう考えると不可解な彼女の振る舞いも、なんだか理解出来た。

 勿論河東さんの言うことがすべて本当だという確証は無い。しかし、僕はゾッとした。彼女の薔薇のワンピースが、彼女の本性を象徴しているように思えた。美しい花には棘がある…


 午後バイトに出ると、サトシが

「あれ?たっちゃん、はえ〜ジャン。また学校サボった?」

 と、キョトンとした顔で迎えてくれた。

「違うよ、今日はサトシが一人で大変だろうと思って、学校早めに切り上げて速攻で帰って来たんだよ!」

 と、僕は恩着せがましく言ってやった。

「よく言うぜ。どうせまたオンナに振られて、早々に引き上げて来ただけだろ?」

 サトシの何気ない一言は、ある意味図星だった。僕は引きつりながらも、何も答えずに、入荷商品を台車に積み、バックルームにしまい始めた。


「お、”せがれがタツヤ”、三流大学二年、悩み無し!今日は早いな。」

 後ろからチルド食品(冷凍・冷蔵加工食品)担当の川崎チーフから声を掛けられた。川崎チーフは10月に別の店舗から異動して来た三十代半ばの社員で、小柄でちょっとブルース・リーに似たひょうきんな人だった。

「悩むと、オレもすぐチーフみたいにアタマ薄くなっちゃうから。ウチの親父もハゲなんで〜」と返すと、

「違うんだよ、ちっとは悩まないと、オレみたいな万年ぺーぺーになるんだよ〜 さ、ぺーぺーとバイトはさっさと仕事仕事。」

 と、川崎チーフは笑った。

 僕は、バイト先でのサトシや川崎チーフとのいつもと変わらないやり取りで、ようやく落ち着いた。

 まあ、また一つ勉強になったってことかな。本能だけで動くと危険なこともあるってことだ。河東さんのお陰でそれが事前に分かったのはラッキーだったナ…

 僕はやっぱり悩みがないガキだな~と、改めて思った。


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