(5-6)
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晩秋を迎えた月影町は紅葉が山を染め、帝の行幸の余韻を残しつつも静かな日常を取り戻していた。
月光堂の奥で、瑠璃は文乃と新しい着物に袖を通している。
藍色地に扇と野菊の模様が控えめに織り込まれた着物は、彼女の新たな一歩を象徴だった。
それを贈った男が落ち着かない調子で声をかける。
「瑠璃、準備はできたか?」
それは、黒い三つ揃いのスーツに身を包んだ九条悠真だった。
文乃が視線を遮る。
「あらあら、殿方がのぞいてはいけませんわ。女の支度には時間がかかるんですのよ」
「これは不躾なことを」
引き下がる悠真を瑠璃が呼び止めた。
「悠真さん、こんな感じでいいかしら?」
瑠璃が少し照れながら着物の襟を整えると、悠真はあらためてのぞきこんだ。
「とても似合うぞ。そなたはどんな姿でも光そのものだ」
その言葉に、胸の勾玉が小さく脈打ち、瑠璃の頬がほのかに染まる。
文乃がガラス扉を開けて二人を送り出す。
「瑠璃ちゃん、楽しんできてね」
目抜き通りの歩道を並んで歩く二人の後ろ姿を見送っていると、駅の方から足音が駆け寄ってきた。
「なんですか、あれ?」
振り向くと、鳥打ち帽を握りしめた小林が唖然とした表情で立っている。
「あらあら、変なときに来ちゃったわね」
文乃は小林が手にした本に目をつけた。
「あら、それなあに?」
「帝都で評判の小説です。瑠璃さんと約束してたもので」
「へえ、おもしろそうじゃない」
「だけど、無駄になっちゃったみたいですね」
「じゃあ、私が読んでいい?」
「はあ、どうぞ」
気の抜けた表情で本を渡した小林がつぶやく。
「新聞記者なんてやめて、小説家にでもなろうかな」
パラパラとページをめくりながら文乃が笑う。
「当て馬が主役の小説なんて売れるかしら?」
ため息をついて肩をすくめる小林に、通りすがりの町の人が声をかける。
「あんた、帝都新聞の記者さんだろ」
「ええ、まあ。商売替えしようかと思ってますけど」
「何言ってんだい。あんたのおかげじゃないかよ」
他の男たちも集まってくる。
「そうだよ。あの記事のおかげでこの町は救われたんだ」
「俺たちのために頑張ってくれたんだ。あんた、飲めるんだろ。ぜひ、ごちそうさせてくれよ」
神輿のように押されながら連れていかれる小林を見送ると、文乃は月光堂に入って小説を広げて読み始めた。
悠真と瑠璃は月影大社の鳥居まで来ていた。
参道には提灯が飾られ、自分の手のような紅葉を拾って見せ合う子どもたちの歓声が賑やかだ。
悠真が茶屋を指さす。
「団子でもどうだ?」
「ええ、いただきます」
悠真が店員に声をかけ、二人分の草団子と抹茶を注文した。
縁台に並んで腰掛け、空を見上げる。
「そなたとこうして過ごすのは初めてだな」
目の前を行き交う参拝者の表情は朗らかで、光と闇の対決などなかったかのようだ。
二人は運ばれてきた団子を分け合い、茶をすすった。
「うまいものだな」
素直な悠真の感想に瑠璃が微笑む。
「ん、どうした?」
「餡子がついてますよ」と、瑠璃は悠真の唇の端に手を伸ばした。
「瑠璃も、な」と、悠真も手を伸ばす。
「え?」
照れながらうつむき合う若い二人を、参道の人々が立ち止まって眺めていく。
瑠璃は両手で茶碗を包み込み、顔を隠すように口をつけた。
「でも、こうやって穏やかな時間が過ごせるなんて、夢みたいですね。ずっと疫病神と呼ばれて、町の人たちの視線に怯えていましたから」
悠真の瞳が一瞬、氷血の冷たさを帯びたが、すぐに優しさで満たされる。
「そなたは疫病神などではない。月神の光、町の希望だ。坂巻家と闇月一族の野望を打ち砕き、如月家の名誉を回復したのは、そなたの力だ」
瑠璃は勾玉を握りしめ、静かに頷いた。
悠真は瑠璃を見つめて続けた。
「瑠璃、この町は新たな時代を迎えている。デモクラシイの風が吹き、町民の心も変わり始めている。そなたの光が、それを導いたのだ。だが……」
言葉を区切った悠真を瑠璃は見上げた。
「果たしてこれで終わりだろうか」と、悠真は眉を寄せて目を細めた。「悪を糾弾し、自分は正義であると信じ込むその心にこそ、闇がつけいる隙があるのではないかな」
鬼の仕業と煽られた人々は、坂巻親子が捕まると矛先を変えた。
糾弾する人々の正義こそが新たな闇を生み出すのかもしれない。
『心に空いた穴には光も差せば、闇も宿る。あんたも夜の闇に飲み込まれないように気をつけな』
霧島沙夜の捨て台詞が聞こえるような気がする。
「黒崎らの闇月一族は、坂巻のような欲にまみれた連中が呼び起こした魔物であると同時に、そういった心の闇に浸透していつの間にか民衆を支配しているのだ。闇はいつどこにでも顔を出す。それを封じ込めるのが俺の役割だ」
瑠璃は最近文乃から聞いた話を持ち出した。
「月影山で赤く光るコウモリが飛ぶという噂があるそうですね」
「闇月の残党かもしれんな」
悠真はふうっと肩の力を抜いた。
「まあ、今のところは大きな動きにはならないだろう。瑠璃は心配せずに、新しい人生に向かって踏み出すといい。それがこの町に新しい時代の光をもたらすのだからな」
瑠璃の目が潤み、勾玉が白く瞬く。
「はい。悠真さんと一緒に、この町を守っていきます」
悠真が瑠璃の額にそっと額を寄せてささやく。
「そなたの光がある限り、俺の氷血は決して凍りつかぬ。月下の花嫁よ、俺は永遠にそなたの側にいる」
神話の世界に息づく町で、二人は手を取り合って生きていく。
月下の誓いで結ばれた運命は、未来へと動き出したのだ。
月影大社の祭祀に参加する悠真と別れた瑠璃は、町を散策しながら月光堂に戻ってきた。
秋の夕暮れは早く、月影山の上には星が瞬き、ガス灯が照らす目抜き通りを石畳を鳴らしながら馬車が行く。
「あら、お帰りなさい」
小説を閉じた文乃は晴れやかな表情の瑠璃に歩み寄る。
「いいことあったみたいね」
瑠璃はほんの一瞬ためらいながらも口を開いた。
「文乃さん、私、女学校に行こうと思うんです」
瑠璃の声はかすれ気味だったが、しかし確かな希望に満ちていた。
「今なら、私にもできる気がするんです」
文乃は穏やかに微笑み、瑠璃の手を握った。
「自分の心を信じたその瞬間から、あなたはもう自由だから大丈夫。この町の神様もきっと見守ってくれるわよ。頑張って」
「はい」
瑠璃ははにかみながら頷き、夢への一歩を踏み出す決意を胸に刻んでいた。




