第1章 月影の哀歌(1-1)
帝都に吹くデモクラシイの風も遙かな山間の月影町は、静かに夏の夕暮れを迎えていた。
古来より信仰を集める月影大社の背後にそびえる月影山は黒々とした姿を夕空に刻み、朱塗りの鳥居の奥に続く参道に並ぶ提灯は苔むした石灯籠をほのかに照らし、神域は静謐な気配に包まれている。
最近開通したばかりの鉄道駅から続く目抜き通りには、洋装に身を包んだモダンな人々が目につくようになり、寄り添うように並ぶ瓦屋根の商家と赤煉瓦の洋館はガス灯と電灯が織りなす文明開化の光に輝いていた。
そんな華やかな一角にたたずむ『月光堂』は、舶来の雑貨を扱う小さな店だ。
ガラス扉から漏れるランプの光を背に、藍色の木綿着物をまとった娘が姿を現した。
「文乃さん、今日はこれで失礼します」
丁寧に腰を折る娘を、店の女主人が呼び止めた。
「瑠璃ちゃん、着物の肩が擦り切れて穴が開いてるわよ」
首を傾げて自分の着物を見やるものの、膝も裾もほつれ、つぎはぎだらけの粗末な姿に、娘は小さく肩をすくめた。
「おとといお給金を渡したばかりでしょ。もうすぐお祭りなんだし、たまにはおしゃれでもしてみたらどう?」
善意の言葉をかけても、瑠璃の長いまつげに隠れた瞳は、憂いを帯びた光を揺らすばかりだった。
「まだ着られますから」
呟くように答えると、彼女は視線を落とし、足早に通りへと消えた。
店のドアを閉めようとしたそのときだった。
月影山から吹き下ろす風が参道の木々を揺らし、寝床へ急ぐ烏のざわめきを誘う。
「いやな風ねえ」
モダンな思想の持ち主ですら、この町では山風を嫌う。
――あの山には鬼が棲む。
馬車の車輪が石畳と響き合う時代になっても、この町に住む誰もが闇を恐れていた。




