<第38話 盗んだ魔石で走り出す その1>
「あわわわわ……!?」
衝撃に尻もちをついた。
そして土煙の中から、ずしんずしんと足音が聞こえてくるような気配がした。
シスターの尼僧服のシルエットが土煙の中に見えた。
でもそれは神の使いではなくて地獄の使者のようにしか思えない。
「全員下がっていろ」
ソリルが槍を手に彼女の前に立った。
「我が血族を侮辱した報い、必ず受けさせる」
彼女がさっき激昂して矢を撃ったのは、家族を相当侮辱されたかららしい。
でも、いくらソリルでもあんな怪物相手に勝てるとは思えなかった。
「ソ、ソリル、よした方がいいよ! あいつシスターっていうかウッドドラゴンとかのカテゴリーにいるようなヤツだよ!?」
「それくらい分かる。だから――」
ソリルが僕を一瞥して言った。
「だから、オレが時間を稼いでいる間にツァスとネルグイを連れて逃げろ。ここはもう駄目だ」
ぎゅ、と僕の心臓が縮まるような感覚がした。
「ひょ、ひょっとして、死ぬ気じゃないよね……?」
「死ぬ気はないが、人狼族が逃げてばかりの腰抜けだったと思われるのも癪だからな」
彼女は冷静だけど、その冷静さにはどこか諦めのようなものが隠れている気がした。
「もし敵に捕まって奴隷にされたら、ウメタロー、いつかお前が買い戻してくれ。それで温泉の借りはチャラにしてやる」
少し笑うソリルの横顔。
誇り高い彼女が奴隷の身になってまで生き延びようとするだろうかと思った。
この笑い、きっと、自分で言っていてそんなことになるくらいなら死んだ方がマシだと思ったんじゃないだろうか?
「だ、駄目だよソリル、そんな……」
「なにをワンワン会話しているんですか? 神はケダモノがお嫌いなのですよ」
土煙の中から、ぬっとあのシスターが現れた。
(言葉が分かるってことは翻訳が完了したんだ)
『大きな声で軍勢が叫んだり会話していたのでデータ収集が楽でした。基本的な会話なら高精度で解析できたはずです』
凄いことなんだろうけど、今のこの絶体絶命な状況ではあまり嬉しくない。
どす、どす、とあのシスターのブーツの重い音が接近してくる。
うひい、と僕はびびる。
僕らにとっては神の使いではなくまるで死神だ。
「おい、ウメタロー」
袖を引っ張られた。
「な、なんだいツァス」
見ると、ぶるぶると震えて今にも泣きそうになっているツァスがいた。
「ボクは、逃げないからな」
「え?」
ツァスはまだ小さいのに、僕なんかよりよっぽど毅然としている。
「ソリルまで置いて逃げて、生き延びたって、何の意味もない」
「ワシももう逃避行は無理じゃのう。腰も膝もいとうていとうて」
死を受け入れるっていうのは、簡単なことじゃないはずだ。
でも、彼らはもうその覚悟を決めていた。
『彼らがそう決断したなら、単身で逃走した方がいいでしょう。今ならソリルが時間を稼いでくれるでしょう』
(それ本気で言ってる!?)
合理的かもしれないけど、あまりに血の通わないアシュラの物言いにさすがにイラッとした。
『感傷では生き残れません。ここで彼らと共に全滅する気ですか?』
(そうじゃない! そうじゃないけど、なんかないのかよ!? 彼らを助けられるルートはさ!?)
『ないです。準備も戦力も足りていません。こういった状況で掴み取れるのは勝利ではなく惨敗の中の微かな成功です』
(このポンコツAI! それでもスーパーシナモンかよ!?)
駄々をこねる子供みたいに頭の中でキレ散らかす。
一方で、キレ散らかしたのは僕だけじゃなかった。
「さあ、来なさい、雌犬」
「ガルゥッ!!」
シスターの挑発にソリルが駆けた。
身を低く、地を払う一陣の風のようだ。
まさに人間離れした速さだった。
この速さで刺突されたら避けられそうもない。
「遅い遅い」
が、シスターにはそうではなかった。
ソリルの刺突をギリギリで、いや、最小の動きでかわすと、カウンターで彼女の腹にミスリル製のグローブを叩き込んでいた。
「がはぁっ!?」
長身のソリルだというのに、嘘みたいに後ろへ吹き飛ばされた。
数メートルは吹っ飛んだだろうか。
「ソリル!?」
僕とツァスが同時に叫んでいた。
「うぐ……が……!?」
ソリルは腹部を押さえ、呻く以外できない。
「かはあ……」
槍を杖に、なんとかして身を起こすが、同時に口から喀血した。
「へえ、普通なら内蔵が破裂して即死しそうなところですが、ケダモノだけあって頑丈ですね」
シスターはソリルの苦悶の様子をせせら笑う。とてもじゃないが慈悲を司る立場の人間には見えない。
「でももうその一撃だけで戦うことはできないでしょう?」
ガチ、とシスターが両の拳を合わせて金属音を鳴らす。
死神の鎌の刃滑りの音とは違う、嫌な死刑宣告のように聞こえる。
「そろそろ死んでもらいましょうか」
シスターがどうすることもできないソリルの前に歩み寄ろうとした時だった。
「……おや、これはどういうことでしょうか?」
紅い瞳が、横から現れた剣の切っ先をぎょろりと見る。
「どうもこうもありませんわ」
涼やかな声がした。
シスターのどこか丁寧でも陰湿な感じがする声とは違う。
(この人……!)
見ると、鎧姿でお嬢様口調の少女が馬に乗ってシスターの背後にいた。
そして、剣を抜いて味方であるはずのシスターを制している。
「その人狼族はもう戦えません。捕虜にして情報を得るべきでしょう」
「エルネスティーナ殿は随分とケダモノにお優しい」
エルネスティーナ……
ああ、やっぱり!
僕は話だけは聞いていた、ソリルとツァスの友人だった騎士のお嬢様だと確信する。
「はぁ……はぁ……エル……ネス、きさ、ま……」
「エルネス……」
ソリルも、ツァスも、彼女の姿に呆然としていた。
しかし、そんな彼らの胸中を思いやるほどシスターは甘くなかった。
「慈悲は美徳ですが、神が今お求めなのは、慈悲ではなく生贄なのですよ」
「う!?」
シスターはエルネスティーナの剣をミスリル製のグローブで握ると、そのまま剣を握って取り上げた。
「あうっ!?」
剣を取り上げられた際に体勢を崩した彼女は、情けなく落馬してしまう。
「脅すならもう少し殺す気で脅さないと通用しませんよ、お嬢様」
エルネスティーナの無様な姿を、貴族相手だというのにまるで汚い物でも見るかのように冷ややかに一瞥し、剣を放る。
圧倒的過ぎる暴力を、もはや誰も止めようがない。
(ああ、どこの世界でもこうなんだな)
僕はもっとこの状況を打開できることを考えなきゃいけないのに、脳裏をよぎるのはそんな考えばかり。
(一回、力があるヤツがいじめる目標を定めたらもう覆らないんだ)
この異世界も、高校生の頃のあの教室も。
実は原理は同じにできてるのかもしれなかった。
(力……僕に力がもっとあれば良かったのかな?)
結局、どんな正しい振る舞いをしているかとか、どんなに良い人なのかは関係ない。
力の有無が、理不尽を前には一番大事なのだった。
『力が欲しいか?』
「え?」
頭の中に、妙に甲高い、そう、まだ小さな少女の声のようなものが響いた。
唐突も唐突だ。
(え? アシュラ、そんな声だっったっけ?)
『私じゃありません』
すると、何の補足もなく、また女の子の声が頭に響いた。
『もう一度聞くぞ、力が欲しいか?』




