<第32話 拳闘尼僧エヴリーヌ その2>
親征軍の隊列が〝災いの大地〟の峻険な地形を進んでいた。
総兵力は1200を超える。この地域での軍勢でいえばかなりの大軍だ。
しかし、その隊列は長蛇となり、歩ける山道や崖の縁の人一人や馬一頭が辛うじて通れる地形を進むよりない。
高地に差し掛かって振り向けば、最後尾が遥かかなたで荷馬車を押している姿が見えるくらいだった。
「浮かない顔だね、エルネス」
白馬に乗って前を行くレアオンが振り返って声を掛けてくる。
周辺を警戒するふりをしてその顔から目を逸らし、エルネスティーナは答えた。
「奇襲が心配です。今の状況は1200の軍勢ではなくせいぜい10人そこらの小部隊が連なっているに過ぎません」
こういった状況で側面を突かれれば、いかに人狼族が弱体化していようとも戦いは数の上で互角となる。奇襲に向いた地形で襲われれば不利にすらなる。
「前回こちらが村を奇襲した時は無防備だったそうじゃないか。連中もそこまで目敏くはないのではないかい?」
「あれは人狼族が我々に無警戒だっただけです。今度は奇襲などさせてはくれません」
騙し討ちのようなものだったのだから、と言いそうになるのをエルネスティーナは堪える。
そうしていると、前線指揮官が大休止を告げる命令を発した。
「大休止! ここで食事と部隊の集合を行った後に再出発だ!」
伸びきった軍勢を再集結させる必要もあっての大休止だった。
適当な広場を選んで部隊が集結を始める。
「それに敵は人狼族だけではないかと」
「どういう意味だ?」
彼女は強行軍にへたばった兵士らの姿を見る。
「おーい飯はまだか? 腹ペコだぜ」
「食い物を積んだ荷馬車が遅れてるんだと」
「水筒の水もそろそろなくなるぜ」
進軍を開始してまだ二日目だというのに兵士の疲労は通常の進軍の倍はあるように見える。
特に、食糧などの補給物資を載せた荷馬車やロバなどの輜重団列の遅れが地形のせいで遅れている。
まだ〝災いの大地〟の奥までは入り込んでいないにも関わらずだ。
この補給は軍勢が奥へ進めば進むほど困難になる。
これまではその懸念から大部隊の投入はしてこなかった。
人狼族の追撃に向かった王都騎士団も馬だけで身軽だったから彼らに追いつけた。しかしそのせいでウッドドラゴン一頭に壊滅させられた。
この〝災いの大地〟は恐ろしく攻めにくい環境が揃っているのだ。
その話を設営された天幕の中で伝えると、思わぬところから声が上がった。
「それこそ神の試練です」
聖ナルチーゾ戦士修道会から派遣されている僧兵団長のエヴリーヌである。
「前回の大規模な聖戦は実に120年前。その失敗以来、大きな人類領土回復運動は行われておりません。此度の親征は120年ぶりの我々の信仰を試す戦いといえましょう」
信心深いかただの阿呆ならその言葉が響いたろうが、エルネスティーナはそんな精神論をしたくて話したわけではない。
「お言葉ですが。祈りで兵士の飢えは満たされません」
むっとして思わず言い返す。
今しているのは経典の話ではなく兵站の話だ。
「ごもっともです」
エヴリーヌは気分を害した様子もなく殊勝な態度だった。
それには少しエルネスティーナも驚く。
「ですので、我ら聖ナルチーゾ戦士団は戦いの最前線に立ちましょう」
エヴリーヌはその胸をドンと叩いた。
「尼僧の君たちが最前線に?」
レアオンが心配そうな顔をする。
貴族である以上、レアオンには面子というものがあった。
「ああ、もちろんご心配なく。騎士の皆さまの活躍の場を奪おうという意味ではありません。道中の安全は我々が受け持ち、皆さまの体力を決戦の時までお支えしようということなのです」
「ふむ」
レアオンは少し考えているようだった。
冷めた見方をすれば、自費で揃えている自軍の将兵は一兵でも失いたくないものだ。
華々しい手柄だけを受け取らせてくれるというなら、それはありがたい申し出といえた。
「では、頼もうかな。エヴリーヌ殿」
「ご期待に添えるよう努力いたします」
エルネスティーナも納得はする。彼女とて、家族同然の辺境領の兵士たちの方が大事だ。
そんな話をして会食していた時だった。
「て、敵襲ーっ!!」
天幕の外で兵士が叫ぶ声が響き渡った。
エルネスティーナが真っ先に剣を手にして天幕から外へ飛び出す。
声がした方へ駆けつけると、兵士らが剣や槍を手に森の方を警戒していた。
「人狼族の奇襲ですの!?」
「い、いえ、それが……」
兵士らの顔には恐怖と、そして戸惑いが貼り付いていた。
「こ、これは」
エルネスティーナも、森から現れた敵に、戸惑いを隠せなかった。
そこにいたのは――
ガチャコッ ガチャコッ
奇妙な機械音を軋ませながらこちらへ向かってくる、人型の物体。
いや、人型というのはやや語弊がある。
それはかつて人だったもの。
それも、エルネスティーナ達にとっては、同胞ですらあったものだった。
「〝歯車憑き〟だっ!」
兵士の一人が叫んだ。
それはこの〝災いの大地〟が呪われた地として悪名高い原因の一つだった。
人間の新鮮な死体を見つけた〝古より遺りし邪悪なるもの〟の悪霊が憑りついたアンデッドの一つ。
今目の前にいるかつて人だったものは、王都騎士団の甲冑を身に着けていた。
それも一体や二体ではない。
数にして十体はいるだろう。
のそのそと、新たな寄生先を増やすべくこちらへ向かってくる。
「なんてことだ、あれは王都騎士団の騎士さまだぞ……!」
人狼族の討伐へ向かい、ウッドドラゴンに皆殺しにされた騎士のなれの果てだった。
「あちらのお方にも見覚えがある」
「お若い方だったのになんということだ」
しかし、その目にはもはや人間としての生気はなく、片目に至っては機械式の赤外線投光装置にすげ代わっている。その赤く不吉な輝きの方が、今のあの人間の本体なのだ。
身体のあちこちからは神経細胞を乗っ取ったワイヤーが突きでており、それが不気味な寄生虫のように蠢いていた。
キュイイイン キュイイイイイン
両手の手のひらが真っ二つに割けると、中から飛び出してきたのは鋭利な刃が全周についたディスクカッター。
それが高速回転する甲高い音が辺りに響いた。
「くっ……!?」
兵士らは怯んだ。
あのディスクカッターの切れ味は、当たり所が悪ければ首や手首の動脈を切り裂いて致命傷になる。
動き自体はそれほど速くないものの、積極的に相手にしたい敵ではなかった。
なにより、同胞の亡骸が襲ってくるという心理的な抵抗感も強い。
殺されたくはないが、殺したくもない相手なのだ。
「拙僧が参りましょう」
「エヴリーヌ殿……!?」
はっとして横を見上げる。
そこにいた大柄の尼僧は、おもむろに上着を脱ぎ去った。
現れたのは、鍛え上げられた筋骨隆々の肉体。
防具は心臓を守るための胸甲のみ。その他は両手首のミスリル小手だけという一見すると軽装である。
「死してなお邪気に侵されたる哀れなる亡骸……なんと悲しい」
しかし、それは余計な防具は彼女の戦闘スタイルにはむしろ邪魔なだけだとエルネスティーナには分かった。
彼女の両手に嵌められたボクサーグローブがそれを如実に物語っている。
通常のボクサーグローブと異なり、革製ではなくミスリル製。
人間がパンチを喰らえば衝撃死しかねない凶器だった。
「拙僧が清めて差し上げますっ!」
ファイティングポーズを取った彼女へ、金切り声を上げて〝歯車憑き〟のアンデッドが群がっていった。




