<第31話 拳闘尼僧エヴリーヌ その1>
リーリオ王国辺境領・アーザ城。
星と夜空をあしらった紺色の旗が城門をくぐり、軍勢は更に膨れ上がっていた。
その旗が教皇庁の配下にある騎士修道会――国によっては僧兵とも形容される部隊であることを知らぬものはいない。
「おお、教会も我ら辺境の民をお見捨てにはなられておらぬ!」
「どうぞ星神のご加護を……」
アーザ城に避難している焼け出された戦災民である人々は、レアオン王子への喝采の次は、手を合わせて信仰に涙している。
〝聖彗の導き教〟――王国を含むこの大陸で広く信仰されている宗教である。
城の天守閣の中には、貴族の特権として礼拝所が設置されている。
ちょっとした教会がそのまま収まったような華麗な礼拝所は、質素を好むエルネスティーナでもやはり好きな場所だ。
そこで神に民と国の平和を願うのは、エルネスティーナの日課でもあった。
「今祈らなくてもすぐにもっと高位の聖職者が来てくれるぞ? エルネス」
片膝を突き、聖女のように祈る彼女の背に美しい青年が声を掛けた。
本来なら、祈りを捧げていてもすぐに取りやめるべきところだったが、エルネスティーナは振り返らない。
「……ここで一人で祈るのが好きなのですわ。幼い頃からの日課ですので」
彼女は自身が敬虔な信徒の一人であると思っていた。
たとえ、人狼族という異教徒と交友があったとしても、他者への寛容を教会も説いているのだから不道徳とは思わない。
「それに、信仰心は高位の聖職者に捧げたからと箔が付くとは思いません」
むしろ、自分の日常の中に入ってきて欲しくないとさえ思っていた。
よりにもよって、僧兵の団長になど。
レアオン王子の率いる王都騎士団に加え、更に〝聖彗の導き教〟から派兵された僧兵まで加わるなど、それを目の当たりにしたエルネスティーナは眩暈すら覚える。
「しかし、どうして教皇庁がこんな辺境にまで僧兵を……」
祈りながら、彼女は疑問を投げかける。
レアオンは肩を竦めた。
「君のお陰さ、エルネス」
その時、初めてエルネスティーナは振り返った。
「わ、私が……? なぜですの?」
教皇庁にはそれこそ、焼かれた村の人々への支援しか頼んでいない。
アヴレイユ家はリーリオ国民の一人として、教会へ寄進をしてきたし、こうして自費で建てた礼拝所もある。
だが、それはあくまで信徒として常識的な範囲。こんな軍勢がいきなり駆けつけるほどの影響力はないはずだった。
その答えはすぐに分かった。
「失礼いたします」
女の声がした。
ゆっくりと礼拝所の扉を開く軋んだ音が続く。
エルネスティーナはぎょっとする。
――その人物の異様さに。
「レアオン殿下ですね?」
レアオンのもとへ、ブーツの重く、それでいて聖職者らしい丁寧で静かな足音を響かせてやってくる。
修道女の黒いベールと尼僧服に身を包んだ姿は比較的高位の尼僧だと分かる。
しかし、その体格がおかしい。
身の丈はこの城で最も屈強な大男と良い勝負だ。その盛り上がった筋肉を、着ているのはゆったりとした尼僧服であるにも関わらず隠し切れていない。
だが、その外見はとにかくとして、着ているのは尼僧服であること、そして、胸の膨らみと体型の流線は女性に違いなかった。
顔も整った女のそれに見える。
年齢的には二十代半ばから後半くらい。緋色の瞳と、その目元にある泣き黒子が印象的な美人だった。
ベールに大半が隠されているものの、長くウェーブがかった黒髪であることがその隙間からうかがえる。
「いかにも」
「失礼いたしました」
修道女は深々と頭を垂れて名乗る。
「聖ナルチーゾ戦士修道会、第二階級修道女エヴリーヌと申します。以後お見知りおきを」
その声は体格に反して美しい発音である。
聖歌を歌えばさぞ聞きほれてしまうことだろう。
「うむ」
レアオンは頷くが、反面、エルネスティーナは〝聖ナルチーゾ戦士修道会〟の名に血の気が引いた。
(僧兵の中でも特に武闘派で知られる部隊……苛烈な異端者狩りの噂も聞いたことが)
エルネスティーナは彼女の背後に控えている他の尼僧を盗み見る。
エヴリーヌと名乗った僧兵団長の他も全員が尼僧によって編制されているようだ。といっても、規格外の体格をしているのはエヴリーヌだけのようだが。
それでも、部下も例外なく手練れの目つきをしている。
尼僧であるにも関わらず顔中傷跡だらけの者、聖印の刻印された眼帯を片目にはめた者……まるで戦場を渡り歩いてきたような歴戦の傭兵団の戦士のような風格の者ばかりだ。
(神のためなら躊躇なく死ねる目をしていますわ)
味方であるはずなのに、しかも、自らの信じる神を守る守護者であるはずなのに。
そこにあるのはひりついた死の臭いのする緊張感だった。
「レアオン殿下が直々に〝災いの大地〟へご親征なさるとのこと、教皇庁としても人類領土回復運動の再来と歓迎しております。こちらは当管区枢機卿より賜った正式な書状です」
エヴリーヌの顔には笑みがあった。
その笑み自体は純粋さが感じられる。
純粋過ぎる、とも言えるものが。
「つきましては、我らも此度のご親征、お供させていただけないでしょうか?」
その申し出に、エルネスティーナの中で様々なものが繋がった。
はっとしてレアオンを凝視する。
「なんと、それは心強い。星神のご加護もあろうというもの。もちろんだとも」
彼は飄々としていた。
そうだ。
このためだったのだ。
私が再三、民を守るために姿を見せてくれ、軍議に出てくれと頼み込んだのも。
興味がなかったのではない。教皇庁からこうして支援を取り付けるための下準備だったのだ。
人類領土回復運動の一環という大義名分まで教皇庁から得た今、レアオンの遠征はただの辺境領での蛮族退治ではない。
ここで大軍を率いて遠征し、人狼族を討伐して〝災いの大地〟の一部を領土回復して凱旋すれば、彼の名声は王国のみに留まらない。
(なんて馬鹿なのわたくしは……!)
自分で自分をひっぱたいてやりたかった。
(王子がわたくしだけが目当てでここに来て遊び惚けているだなんて……そんなの自意識過剰なバカ娘の妄想ではありませんの!)
そんな彼女の心中など誰も知ることなく、会話は続いていた。
「聞けば〝災いの大地〟の奥深くへ逃げ去った蛮族は神の教えを解さず、あろうことか古より遺りし邪悪なる遺跡を祀っていたとか」
「ええ、それについてはこちらの辺境伯名代のエルネスティーナ殿が詳しい」
「え……」
思わぬ紹介を受けた。
「彼女は蛮族の言葉を独学で学ぶほどの努力家だ。魔法学校でも優秀だった。今回の遠征にも道案内や蛮族の行動について助言してくれる大切な存在さ」
「えっ……違っ……」
「それは素晴らしい」
ぬっと歩み寄り、エルネスティーナの手をエヴリーヌは両手で包み込んだ。
その手は驚くほど優しく、そして、岩のごとく硬かった。
(拳闘士の手……!)
剣士として、エルネスティーナも素人ではない。
エヴリーヌがその様子を見てにこりと微笑んだ。
「共に戦えて光栄です。エルネスティーナ様」
「は、はい……こちらこそですわ」
エヴリーヌの血のように赤い瞳に、何かを見透かされそうでうまく見つめ返せない。
「それでは、これから――」
拳闘尼僧はエルネスティーナの手を放し、ゆらりと部下達を振り返った。
「神の教えを解さぬ者に天罰を布教しに行きましょう」
それは「皆殺し」を美しく飾った言葉だった――




