<第9話 オーク>
「う、うわあああ!?」
僕はその豚のような……いや、豚の顔そのものの大男が襲い掛かってきて完全に腰を抜かしていた。
ちびりそうになってるそんな僕に、血で錆び付いた斧を振りかぶった豚男はどすどすと向かってくる。
涎を垂らし、牙を覗かせた口から怒声を上げながら。
が、次の瞬間。
「グバァ!?」
その口から、槍の穂先が突き出した。
「うひゃああ!?」
白目を向いて血を吹きながら、豚男は腰を抜かした僕にどうっと倒れ込んでくる。
鼻が曲がりそうな獣臭と血の臭いに慌てて僕はそいつを押しのけた。
「な、なな、なんだあ!?」
パニックになっていると、鋭い女の声が森に響いた。
「ウメタローっ! タウテージジェムセッ!」
茂みから飛び出して来た人影は、ソリルだった。
彼女は駆け寄ってくると、豚男の後頭部から口にかけて貫通している槍を引き抜く。
それでようやく合点がいった。
彼女は槍を投擲し、見事に豚男に命中させていたんだ。
「た、助かったぁ!」
槍を手に周囲を警戒する女戦士の姿は後光が差して見えそうだ。
英雄というのはこういう人のことを言うんだろう。
「ソリル! オ、オークっ! オークッ! エネニアユルタィ!」
彼女の後ろから、おかっぱ髪の子とおじいちゃんも現れる。
おかっぱ髪が顔面蒼白になってしきりに豚男の死体を見て叫んでいる。
「オ、オークって、この豚の怪物のことか?」
ファンタジーもので見かけるモンスターの名前だ。
言われてみれば確かに、この醜悪な顔とムキムキの体格はそんな感じがする。
そう思った時、周囲からまた怒声が鳴り響いた。
「ブオアアアア!!」
「ギャオアアアア!!」
無数のオークの叫び声だ。
言葉なんか分からなくても、激怒してることくらい分かる。
いきなり僕を殺しにかかってきたことといい、話せば分かるなんて雰囲気じゃない。
『動体反応が集まってきます。数は確認できただけで25。包囲されそうです』
「え? まずくないそれ!?」
『端的に言ってまずい状況です』
こっちはたった四人。いくらソリルが強いっていっても無茶な戦力差だ。
『手薄な方角を示します。そちらへの突破を推奨します』
「お、おっけー!」
矢印が視界内に表示されると、僕はソリルの肩を叩いた。
「ソリル、こっちだ!」
「コッチダ?」
ソリルが信じてくれることを祈り、僕は駆け出す。
「ウメタロー!?」
「ついてきてソリル!」
ソリルに振り返った僕は最後に、磔になったタトゥーのマッチョ男を一瞥する。
せめて何か遺品でもと思うけど、全裸にひん剥かれてるのではどうしようもない。
名前も知らない相手だけど、一瞬だけ、手を合わせておく。
「いつかここにまた来れたらお墓作るんで!」
僕はそのまま走り出す。
幸い、ソリルも何かを察してくれたのか、他の二人を促すような声を発してついてきてくれる。
が、ついてくるのはソリルたちだけじゃない。
「フゴア! フゴア!」
「アゴオオオ!!」
オーク共も包囲の輪を狭めてくる。
茂みが揺れたかと思うと、進路に三匹のオークが飛び出してきて立ち塞がる。
「うわ先回りされた!?」
『突破しましょう。大気干渉能力を応用した緊急避難を推奨します』
「な、なにそれ!?」
『干渉端末を敵に向け、弾き飛ばすイメージをしてください。要領は前回の岩を持ち上げて投げつけた重力干渉能力と同じです』
「わ、分かった!」
非常時に疑問を挟んでる場合じゃない。
僕は立ち止まると、前方の三匹の子豚……じゃなくてオークに向かって右手を向ける。
(弾き飛ばすイメージって何さ? あ、そうだ)
イメージというざっくりした注文だったので、やってみたのは片手がエネルギー弾的なものを発射できる某宇宙海賊のアレ。
「それは紛れもなくヤツさっ!」
叫ぶと、右手の先にある空間が、ぎゅっと歪んだように見えた。
次の瞬間、ボンという何かが重く弾けるような音と衝撃波を立てて、目の前の三匹のオークが派手に吹っ飛んだ。
「うわあ!?」
やった本人が一番驚く。
『致命傷を与えたわけではありません。早急に突破を推奨します』
「え、そうなの!?」
『空気を圧縮して撃ち出す、ペットボトルや段ボール箱で作られた〝空気砲〟を強力化したような攻撃手段です。有効射程は短く、目標に衝撃波を与える以上の効果は期待できません』
見ると確かに、吹っ飛んだオークは別にダメージを負ったような様子もなく起き上がろうとしている。
が、それを見逃さない人がいた。
「フッ!!」
風のように僕の横から人影が飛び出し、中央のオークの首に全力でキックを見舞う。
「グギャ!?」
首の骨が折れるような凄い音がしたかと思うと、今度は槍で左のオークの心臓を一刺し。
立ち上がって背後から斧で襲おうとしたオークを、懐から抜いたナイフを投げて眉間に命中させる。
崩れ落ちるオークからナイフを引き抜き、こちらに向かって叫んだ。
「ウメタロー!」
「こ、こっちです姐さん!」
あまりの迫力に思わず手下みたいな感じで答え、僕は先を急いだ。
まだ背後からは二十匹以上のオークが追いすがってくる。
必死になって足を動かす。
ニートの運動量でいえば今日だけでもう2年分くらい一気に運動した気がする。
「はぁ! はぁ! え?」
急に森から視界が開けた。
そこは――
「が、崖……!?」
断崖絶壁だった。
「チナメグクルサァン!」
案の定、おかっぱ髪がキレてる。たぶん、騙しやがったなこの野郎的なことを言ってる。
「どこ誘導してんだよアシュラっ!? どん詰まりじゃないか!」
僕は僕でアシュラに責任転嫁で思わず絶叫する。
谷間にそれが綺麗に響いた。
『崖がある場合でも逃走経路は確保できる計算で誘導しています』
「は!? どういう……あ!」
その時ニートに電流走る。
『察しが良くて助かります。他の三人を連れていくかどうかはあなたの判断です』
「連れてくに決まってんだろ!」
僕は干渉端末を三人に向けた。
それが武器だと思っているのか、三人がぎょっとした顔をする。
同時に、森から追いかけてきたオークの群れが現れた。
追い詰めた快哉か、涎を垂らして叫びながら斧を振り上げてこちらへ向かってくる。
「みんなごめん!」
説明してる暇はないし、そもそも説明できるほど言葉が分かんない。
「アオっ!?」
僕はドラゴンと戦った時の重力干渉能力を使い、三人を持ち上げ、そのまま自分もろとも崖の下へと落下した。