第16話 旧王国流
翌日の訓練場には、なぜか人垣ができていた。
「伯爵家のご令嬢が手合わせを申し込んだらしい」「相手はあの岩山の?」「おい賭け札作れ」
ガストンが勝手に賭けの元締めに収まり、ノエルが「兄貴の圧勝に全額!」と叫び、マスターが「壊すなよ、床も人も」と気の抜けた許可を出した。リゼは受付を抜け出してきて、最前列で複雑な顔をしていた。
「約束どおり来たわね、几帳面さん」
エルシアは訓練用の細剣を提げて、中央で待っていた。昨夜の旅装と違い、動きやすい訓練着に髪を結い上げている。
「ルールは一本勝負。寸止め、または武器落としで決着。それでいい?」
「異存ない」
審判役のガストンが手を上げ、振り下ろした。
エルシアは、速かった。
踏み込みに予備動作がほとんどない。細剣の切っ先が三度、角度を変えて喉元へ伸びる。連撃のひとつひとつにフェイントが編み込まれ、視線と剣先が別の嘘をつく。対人戦の、それも生粋の技だった。魔物相手には出ない種類の速さと虚実。
(いい教材だ)
俺は三連を、最小の払いで流した。受けず、流す。第三「払い流し」は、こういう剣のためにある型だと、手が理解していく。
「……っ、それ! やっぱりそれよ!」
エルシアは跳び退がって、目を輝かせた。
「受け流しの角度、手首の返し――間違いないわ。それ、『旧王国流』よ!」
「旧王国流」
「ええ。三十年前まで王国騎士団の正式剣術だった流派。うちの書庫に型の図解が残ってるの。でも変なのよ。あの流派、ある年を境に記録ごと廃止されて、今は教える人間がどこにもいないはずなのに――」
彼女は細剣を構え直した。
「あなたの『拾った手記』の主は、旧王国流の使い手。それも、図解と寸分違わない正統。……ますます欲しくなったわ、この一本!」
会話の間も、俺は思考の隅で点を繋いでいた。三十年前。記録ごと廃止された流派。試験官の「あの時以来」も、確か三十年ほど前の口ぶりだった。点と点の間隔が、初めて少し、狭まった。
――だが今は、目の前の一本だ。
エルシアの次の踏み込みは、今日一番の速さだった。低い突きと見せて、剣先が跳ね上がる。二段の虚実。
俺は、半歩。
足裏全体で地面に置く、あの半歩で懐へ滑り込み、跳ね上がる細剣の腹を、柄頭で軽く叩いた。
からん、と乾いた音がして、細剣が床で跳ねた。
訓練場が、一拍置いて沸いた。
「……武器落とし。私の負け、ね」
エルシアは自分の手のひらを見つめて、それから、晴れやかに笑った。悔しさと嬉しさが同居する、初めて見る配合の表情だった。帳面に書く。
「ねえ、今の半歩、旧王国流じゃないでしょう。あれはどこの?」
「Sランクの見学で盗んだ」
「見て盗んだ!? あの一瞬で!? ……あなた、何なの、ほんとに」
彼女は転がった細剣を拾い上げ、俺に向かって差し出した。柄をこちらに向けて。
「クロフォード家の家訓はね、『実力は身分に優先する』。祖父の代からのものよ。――エルシア=クロフォード、あなたを対等の剣友と認めます。以後、稽古相手を申しつけるわ。光栄に思いなさい?」
「稽古相手は、こちらにも利がある。受ける」
「即答! いいわね、そういうの!」
*
「――剣友。けんゆう、ねえ。ふうん」
その晩の受付で、リゼは書類を揃えながら、抑揚のない声を出していた。
「対等の剣友ですって。かっこいいですねー。おまけにあの子、綺麗だし、強いし、身分まであるし」
「事実の列挙に、異論はない」
「そこは違うって言うとこ!!」
ばん、と書類が揃えられた。それから彼女は、カウンターに肘をついて、上目遣いに俺を見た。
「……ね。ひとつだけ、教えて。手合わせの最後の半歩。あれ、あの子の前で、初めて出した?」
「いや。岩山でも、路地でも使った。実戦投入は三度目だ」
「そ。じゃあ、あれを毎朝千回見てるのは?」
「……お前だけだな」
リゼは、ふにゃ、と笑った。さっきまでの低気圧が嘘のように晴れて、鼻歌まじりに書類を棚へ運んでいく。
現金なものだ、と思う。思って、気づいた。「現金なものだ」という感想は、事実の記録ではない。分類するなら、これは――親しみ、の項に入る。
帳面の項目が、また増えた。最近、増えてばかりだ。
(次話:狐耳の少女、ギルドの扉を叩く。)




