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 規則は増えた。

 増えたが、不思議と息苦しさは減っていった。


・起床後五分以内にカーテン(擬似照明)を点灯

・食事前に深呼吸三回

・不安を感じたらノートに理由を書く(理由が不明でも可)


「規則はね、罰じゃない」


 美沙はそう言って、ページを指でなぞる。


「守れば、安心できるでしょう?」


 実際、守っている間は考えなくて済む。

 考えなくていいというのは、自由よりも甘い。


 規則は毛布みたいだった。

 重く、温かく、動きを制限する。




 彼女はよく、こちらの表情を記録していた。

 小さなメモ帳。時間。反応。


「今の笑顔、昨日より自然」


 褒められるたび、胸が軽くなる。


「ね、ユイ。人は見られてる方が、ちゃんと存在できる」


 見られていない時間は、輪郭がぼやける。

 それに気づいたとき、ぞっとした。


 存在の証明が、彼女の視線になっている。




 ある日、わざと規則を破った。

 深呼吸をしないまま、食事を口に運ぶ。


 美沙は、すぐには止めなかった。

 ただ、じっと見ている。


「……今日は、どうしたの?」


 責める声じゃない。

 心配する声。


「ユイが苦しいなら、規則を調整する必要がある」


 調整。

 破棄ではない。


「私の設計ミスかもしれない」


 その言葉に、罪悪感が刺さった。

 反抗は、彼女を困らせる行為になっていた。


「ごめんなさい」


 そう言った瞬間、彼女は安堵した顔をした。


「大丈夫。言えて偉い」


 反抗は、彼女との距離を縮める結果に終わった。




 眠っている間も、彼女は関与してくる。


「最近、夢は?」


 答えると、彼女はメモを取り、分析する。


「外の夢が減ってる。いい傾向」


 ある夜、目覚めると彼女がそばにいた。

 触れない距離で、ただ座っている。


「うなされてた」


 その存在だけで、夢が静まる。


 悪夢の解決策が、彼女になる。




 禁止語が増えた。


・逃げる

・閉じ込め

・普通

・おかしい


「ネガティブな連想を切るため」


 代替語も用意されている。


・逃げる → 離脱

・閉じ込め → 保護

・普通 → 不特定多数

・おかしい → 未調整


 言葉が変わると、感情の形も変わる。

 怒りは、未調整になる。

 恐怖は、要再設計になる。


 感情が、問題点に変換されていく。




 突然、記憶がよみがえった。

 外での失敗。声。人混み。否定。


 過呼吸になりかけたとき、鍵の音がした。


「大丈夫、ここにいる」


 美沙は、規則どおりの距離で座る。


「外は、ユイを壊した場所」


 彼女の声は、薬みたいに効く。


「思い出さなくていい。私が覚えておく」


 記憶の保管庫を、彼女に委ねる。





「ね、ユイ」


 ある晩、彼女は珍しく問いを投げた。


「私がいなくなったら、どうする?」


 胸が締めつけられる。


「……困る」


 その答えに、彼女は満足そうだった。


「でしょう?」


 彼女は言う。


「だから、私もあなたから離れない」


 それは約束であり、宣告だった。


 お互いに逃げ場がない。

 それが、愛の完成形として提示される。




 初めて、美沙が弱った。


「今日は、少し眠れなくて」


 彼女の声が揺れる。


 その瞬間、役割が反転した。


「大丈夫?」


 そう聞くと、彼女は目を見開いた。


「……ありがとう」


 その一言で、胸が満たされる。


 支えられる側になれたことが、誇らしい。


 依存は、相互になった。





「次の段階に進もうと思う」


 美沙は、設計図を広げる。


「完全に、ここ仕様の生活に」


 外部を想定しない。

 比較をしない。


「ユイは、もう戻らなくていい」


 戻る、という概念自体が、薄れている。


「ここが、最終形」




 再び、ドアが開け放たれた。


「確認ね」


 彼女は言う。


「ユイが、自分で選ぶ」


 足は、前に出ない。

 外は、情報過多で、未調整だ。


 振り返ると、美沙がいる。


 設計者。保管者。観測者。


 そして、唯一の世界。


 ドアを閉める。


 自分の手で。




 鍵の音が鳴る。


 それはもう、合図だ。


 ここに属している、という確認。


 美沙は微笑む。


「おかえり、ユイ」


 その言葉に、疑問はない。


 外の名前は、思い出せない。

 思い出す必要もない。


 檻は、選ばれた。

 愛は、設計された。


 そして私は、

 安心の形に成形された存在として、今日も鍵の音を待つ。


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