3
規則は増えた。
増えたが、不思議と息苦しさは減っていった。
・起床後五分以内にカーテン(擬似照明)を点灯
・食事前に深呼吸三回
・不安を感じたらノートに理由を書く(理由が不明でも可)
「規則はね、罰じゃない」
美沙はそう言って、ページを指でなぞる。
「守れば、安心できるでしょう?」
実際、守っている間は考えなくて済む。
考えなくていいというのは、自由よりも甘い。
規則は毛布みたいだった。
重く、温かく、動きを制限する。
⸻
彼女はよく、こちらの表情を記録していた。
小さなメモ帳。時間。反応。
「今の笑顔、昨日より自然」
褒められるたび、胸が軽くなる。
「ね、ユイ。人は見られてる方が、ちゃんと存在できる」
見られていない時間は、輪郭がぼやける。
それに気づいたとき、ぞっとした。
存在の証明が、彼女の視線になっている。
⸻
ある日、わざと規則を破った。
深呼吸をしないまま、食事を口に運ぶ。
美沙は、すぐには止めなかった。
ただ、じっと見ている。
「……今日は、どうしたの?」
責める声じゃない。
心配する声。
「ユイが苦しいなら、規則を調整する必要がある」
調整。
破棄ではない。
「私の設計ミスかもしれない」
その言葉に、罪悪感が刺さった。
反抗は、彼女を困らせる行為になっていた。
「ごめんなさい」
そう言った瞬間、彼女は安堵した顔をした。
「大丈夫。言えて偉い」
反抗は、彼女との距離を縮める結果に終わった。
⸻
眠っている間も、彼女は関与してくる。
「最近、夢は?」
答えると、彼女はメモを取り、分析する。
「外の夢が減ってる。いい傾向」
ある夜、目覚めると彼女がそばにいた。
触れない距離で、ただ座っている。
「うなされてた」
その存在だけで、夢が静まる。
悪夢の解決策が、彼女になる。
⸻
禁止語が増えた。
・逃げる
・閉じ込め
・普通
・おかしい
「ネガティブな連想を切るため」
代替語も用意されている。
・逃げる → 離脱
・閉じ込め → 保護
・普通 → 不特定多数
・おかしい → 未調整
言葉が変わると、感情の形も変わる。
怒りは、未調整になる。
恐怖は、要再設計になる。
感情が、問題点に変換されていく。
⸻
突然、記憶がよみがえった。
外での失敗。声。人混み。否定。
過呼吸になりかけたとき、鍵の音がした。
「大丈夫、ここにいる」
美沙は、規則どおりの距離で座る。
「外は、ユイを壊した場所」
彼女の声は、薬みたいに効く。
「思い出さなくていい。私が覚えておく」
記憶の保管庫を、彼女に委ねる。
⸻
「ね、ユイ」
ある晩、彼女は珍しく問いを投げた。
「私がいなくなったら、どうする?」
胸が締めつけられる。
「……困る」
その答えに、彼女は満足そうだった。
「でしょう?」
彼女は言う。
「だから、私もあなたから離れない」
それは約束であり、宣告だった。
お互いに逃げ場がない。
それが、愛の完成形として提示される。
⸻
初めて、美沙が弱った。
「今日は、少し眠れなくて」
彼女の声が揺れる。
その瞬間、役割が反転した。
「大丈夫?」
そう聞くと、彼女は目を見開いた。
「……ありがとう」
その一言で、胸が満たされる。
支えられる側になれたことが、誇らしい。
依存は、相互になった。
⸻
「次の段階に進もうと思う」
美沙は、設計図を広げる。
「完全に、ここ仕様の生活に」
外部を想定しない。
比較をしない。
「ユイは、もう戻らなくていい」
戻る、という概念自体が、薄れている。
「ここが、最終形」
⸻
再び、ドアが開け放たれた。
「確認ね」
彼女は言う。
「ユイが、自分で選ぶ」
足は、前に出ない。
外は、情報過多で、未調整だ。
振り返ると、美沙がいる。
設計者。保管者。観測者。
そして、唯一の世界。
ドアを閉める。
自分の手で。
⸻
鍵の音が鳴る。
それはもう、合図だ。
ここに属している、という確認。
美沙は微笑む。
「おかえり、ユイ」
その言葉に、疑問はない。
外の名前は、思い出せない。
思い出す必要もない。
檻は、選ばれた。
愛は、設計された。
そして私は、
安心の形に成形された存在として、今日も鍵の音を待つ。




