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第177話:フローラの叫び

 ――時計の針は、王子たちが第零格納庫へ駆けつける「十数分前」へと遡る。


 工場最上階、中央管制室。


 分厚い防音壁と防爆シャッターに閉ざされたその部屋は、戦場の喧騒から切り離され、墓場のように静まり返っていた。


 だが、壁一面に並ぶ監視モニターが映し出す光景は、ここが地獄の一丁目であることを無慈悲に伝えていた。


 モニターの青白い光が、フローラの蒼白な顔を照らす……。


 彼女の瞳に映るのは、ボロボロになりながら戦う仲間の姿だ。


 正門前。防衛システムで敵の装備を奪い、パンツ一丁にしたことでボルスが一方的に無双している。


 だが、その後方では限界を超えて戦ったリナとテオが瓦礫の山で気を失って倒れており、彼らを庇うボルス自身も、いつ失血で倒れてもおかしくない限界の状態だ。


 そして、最深部――第零格納庫前。


 たった一人で扉の前に立つセシリア。


 氷壁を展開し、必死に抵抗しているが、敵の魔導師団による炎の集中砲火を受け、その命の灯火は風前の灯だった。


「…………」


 フローラは、震える両手で口元を覆った。


 怖い。


 モニターの向こうから、血の匂いと死の気配が漂ってくるようだ。


 今すぐにでもここを飛び出し、どこか遠くへ逃げ出したい。そんな本能的な恐怖が、足元から這い上がってくる。


(逃げる? ……いいえ、逃げ場所なんて、この世界のどこにもありません)


 フローラは首を横に振った。


 もしここが落ちれば、アキラ様は奪われる。


 あの御方は、ただの研究材料として、あるいは政治の道具として、解剖され、辱められ、永遠に失われてしまうだろう。


 そんな世界で生き延びることに、何の意味があるというのか。


(戦う? ……私に何ができるというのですか)


 フローラは自分の手を見つめた。


 剣など握ったこともない細い指。魔法の才能もない。計算も苦手。


 自分はただの受付嬢だ。


 お客様にお茶を出し、アキラ様の武勇伝を記録することしかできない、無力な存在だ。


 ――ガガガガッ!!


 モニターの中で、セシリアの氷壁が砕け、彼女が吹き飛ばされるのが見えた。


 敵の魔導師が、卑しい笑みを浮かべて火球を構える。


「あぁ……! アキラ様……!」


 絶望に目を閉じたその時。


 脳裏に、いつかのアキラの言葉が蘇った。


『いいかフローラ。戦いにおいて最も重要なのは、剣でも魔法でもない』


『情報だ。情報は武器になり、盾になり、時に軍隊そのものになる』


 そして、海底に旅立つ直前、アンドロイドのルナが教えてくれた言葉。


『フローラさん。この管制室には、マスターが「もしもの時」のために構築した緊急システムがあります』


『工場内のスピーカーだけではありません。魔力波に乗せて、アステル全土……いいえ、出力次第では隣国まで声を届ける「強制広域放送システム」です』


 フローラは顔を上げた。


 目の前には、埃を被ったマイクと、赤いカバーのついたスイッチがある。


(……そうですわ。私には、これがありました)


 フローラは震える手でマイクを握りしめた。


 冷たい金属の感触。


 これが、私に残された唯一の武器。


(アキラ様……。貴女様はいつも、科学の力で不可能を可能にしてこられました。貧弱な肉体でありながら、知恵と勇気で神々をも従えてこられました)


(ならば私も……貴女様の第一使徒として、奇跡を起こしてみせます!)


 フローラの瞳から、怯えの色が消えた。


 代わりに宿ったのは、狂信にも似た、燃え上がるような使命感。


 パチン。


 スイッチを入れる。


 ボリューム、最大。


 リミッター、解除。


 キィィィィィィィィィィン……!!


 強烈なハウリング音が、工場全体に、そしてアステルの街中に響き渡った。



 ――交易都市アステル、中央広場。


 そこでは、国葬が執り行われていた。


 数万人の市民が広場を埋め尽くし、沈痛な面持ちで祭壇を見つめている。


 祭壇にはアキラの肖像画が飾られ、教会の司祭が厳かに祈りを捧げていた。


「……偉大なる賢者、結城晶。その魂の安らかならんことを――」


 その厳粛な空気を、耳をつんざくようなノイズが切り裂いた。


『聞こえますか! 聞こえますか、愚かなる子羊たちよ!!』


 広場に設置された街頭スピーカー、魔導ラジオ、あらゆる音声媒体から、悲痛な女性の叫び声が轟いた。


 市民たちがざわめく。


 その声には聞き覚えがあった。魔王城の受付嬢、フローラだ。


『私は今、魔王城の管制室からこの声を届けています! あなたたちが今、祈りを捧げているその裏で……本当の悲劇が起きていることを伝えるために!』


 フローラの声は涙声だった。だが、その響きは凛として、聞く者の胸を鋭く刺した。


『私たちの英雄、アキラ様が眠るこの場所が……今まさに、卑劣な暴徒たちによって穢されようとしています!』


『彼らは喪服を着て、表では祈るふりをしながら、裏では剣と炎を持って工場を襲撃し、アキラ様の安息を奪おうとしているのです!』


 広場に衝撃が走る。


 暴徒? 襲撃?


 人々が顔を見合わせる中、フローラの告発は続く。


『彼らの正体は、教会の過激派! そして欲望にまみれた一部の貴族たちです!』


『彼らはアキラ様を「人間」として扱いません。ただの「便利な道具」、富を生む「資源」として、その亡骸を解体し、奪い合おうとしているのです!』


 許せますか!? という絶叫が、広場の空気を震わせた。


『思い出してください! アキラ様が私たちに何をしてくれたのかを!』


 フローラの語りかけは、市民一人一人の記憶を呼び覚ましていく。


『日照りに苦しむ大地に、恵みの雨を降らせたのは誰ですか!?』


『魔の海域を開放し、食卓に魚を戻したのは誰ですか!?』


『安くて清潔な石鹸を、誰にでも買える値段で分け与えてくれたのは誰ですか!?』


「……アキラ様だ」


 誰かが呟いた。


 農夫が、漁師が、主婦が、それぞれの手を見つめる。


 ひび割れが治った手。豊かになった食卓。清潔な暮らし。


 この数ヶ月で劇的に向上した生活の全てに、あの偏屈だが優しい賢者の影があった。


『アキラ様は、私たちを見捨てませんでした。私たちの暮らしを、命を、科学という名の魔法で守ってくれました』


『なのに! 私たちはどうですか!? アキラ様が襲われている今、ただ黙って喪に服しているだけでいいのですか!?』


 フローラの声は、次第に熱を帯び、扇動アジテーションとしての魔力を持ち始めた。


 彼女の純粋すぎる信仰心が、言葉に言霊を乗せ、民衆の魂を直接揺さぶる。


『恩を仇で返すつもりですか!? 女神が辱められようとしているのを、指をくわえて見ているつもりですか!?』


 民衆の間に渦巻いていた「悲しみ」が、急速に形を変えていく。


 それは「怒り」へ。


 そして「義憤」へと燃え上がっていく。


「ふざけるな……! 俺たちのアキラ様に何しやがる!」


「恩知らずどもめ! 許せねぇ!」


「守らなきゃ……! 今度は俺たちが!」


 握りしめた拳が震える。


 涙は乾き、瞳に決意の炎が宿る。


 フローラは、モニター越しに伝わる「気配」の変化を感じ取っていた。


 彼女は涙を拭い、最後の仕上げにかかった。


『立ち上がりなさい、アステルの民よ! 選ばれし勇者たちよ!』


『武器を取りなさい! くわでも、金槌でも、フライパンでも構いません!』


 彼女は叫んだ。


 喉が裂けんばかりの、魂の咆哮を。


『今すぐ魔王城へ! 害虫どもを駆逐し、私たちの手で女神を守り抜くのです!! これは「聖戦」ですわぁぁぁぁッ!!』


 ブツンッ。


 放送が途切れた。


 一瞬の静寂。


 そして。


「「「ウオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」


 アステルの街が、地鳴りのように震えた。


 それは、数万の民衆が一斉に雄叫びを上げた音だった。


「行くぞぉぉぉッ! 魔王城へ!」


「アキラ様をお救いするんだ!」


「不届き者を血祭りにあげろ!」


 葬儀の参列者たちが、喪服を脱ぎ捨てる。


 露天商が包丁を握り、鍛冶屋がハンマーを担ぎ、農夫が鍬を持つ。


 老人も、若者も、女も男も関係ない。


 誰もが「アキラ信者」としての顔つきになり、雪崩を打って走り出した。


 その巨大な暴動うねりの中心で、国賓として参列していた各国の王子たちがいち早く動いていた。


「……聞いたか、野郎ども」


 獣人国のヴォルフが、ニヤリと笑ってマントを脱ぎ捨てた。


「姉御のピンチだ。……一番槍は俺がもらう!」


「ふん、抜け駆けはさせんぞ。……来いッ、俺の相棒!!」


 帝国のカイザルが指笛を鳴らすと、上空から巨大なワイバーンが急降下してきた。


「俺の覇道に、姐さんは不可欠なんだよ。お前らも乗れ! 空から一気に強襲するぜ!」


「やれやれ。随分と野蛮な相乗りだが、背に腹は代えられないね」


 ロゼのルシアンが、ワイバーンの背に優雅に飛び乗る。


「女神の寝所を荒らすとは、万死に値する」


「アステルの民たちよ、後続を頼みます! 我々は先発してアキラ殿をお守りする!」


 エルフのエルウィンが民衆にそう叫び、最後に飛び乗った。


 最強の戦力を乗せたワイバーンが、轟音と共に空へ飛び立つ。


 そして地上では、数万の民衆が地響きを立てて魔王城へと進軍を開始した。


 アステル史上最大にして最凶の混成部隊。


 その殺気は空をも焦がし、遠く離れた敵兵たちを震え上がらせるのに十分だった。



 ――管制室。


 フローラは、モニターに映るワイバーンの飛翔と民衆の波を見て、へなへなと椅子に座り込んだ。


 全身の力が抜け、指一本動かせない。


 だが、その顔には、やり遂げた者の恍惚とした笑みが浮かんでいた。


「……あぁ、アキラ様」


 フローラは祈るように手を組んだ。


「ご覧ください。貴女様が蒔いた種が、こんなにも力強く芽吹きましたわ……」


「さあ、間もなく『審判の時』です……!」


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