50...この瞬間こそが運命の分かれ道なのかもって一人で立ち尽くしちゃうのよ。
この既視感は……どこから生じている?
ビレイのお姉さんの顔立ちは……確かにビレイには大層よく似ているけれど、それだけ。他の誰かにそっくりなわけじゃない。
オレは思わず目を凝らした。……ビレイの姉の身体の表面に、薄らと魔力を感じる。魔族、では無いよね。ツノがないし、魔力以上に聖なる力を抱えている。
じゃあこれは、魔法の攻撃によるもの? それで魔力の残滓が?
それ自体は無いとは言い切れない。魔法の攻撃を受けた直後ならば魔力に覆われることだってある。魔法は魔力で出来ているんだから当然だ。
でもそれが、今の今まで晴れることなく呪縛のように残るの? しかも魔王が死んだから、魔力は失われつつある状況下でビレイの姉に残存し続けている。……流石に、極めて少ない量だが。
となれば、この既視感は……ただ単純に魔法に対して?
「分かりましたか、コクー」
ギョーセーが数歩下がると声を潜めてオレに問い掛ける。
分かりましたかだって。恐らく原因のことだよね。わざわざビレイに聞かれないようにするってことは、この魔法に眠り続ける理由の答えが隠れていて、ギョーセーはそれにもう気付いたんだ。
オレも同様に壁際まで下がると、しゃがんで靴を直すふりをしつつ小声で告げる。
「そう聞かれるほどのことは、たぶん分かってないと思う」
姉の周りに魔力があるな、と見て取れる情報しかない。ギョーセーはそれに細部を付け足していく。
「纏わり付いている魔力は見えていますね。あれは魔法の攻撃を受けた際のものでしょう。そして、恐らく受けた魔法に含まれていた情報、それのせいで起きない」
「うん……ビレイに教えてあげないの?」
「魔法に詳しいのは、怪しさに繋がるじゃないですか」
「でも、ビレイは知りたがってる」
「……そうですね」
ギョーセーの細められた視線は、眠る姉に一方的に話し掛け続けるビレイに注がれる。その両者に憐れみを感じているのだろうか。
不意にパッと顔を上げたビレイがオレらを手招く。
「ほら! あんたたち、紹介させてちょうだい!」
「はぁい」
「はい」
オレは促されるままに立ち上がり、その寝台の脇に立つ。ビレイの姉、影を落とす睫毛は震えることすらない。まるで時が止まっているかのようだ。
「姉さん。この二人が前に話したコクーとギョーセーよ。仲良く、……しているの」
不自然な沈黙は出会うことになった理由が由縁か。もう今更監視した監視されたなんて気にしなきゃいいのに。どうして、していた方がいつまでもしこりに感じるんだろう、難儀だね。
「仲良くしてるよ。世話焼きな弟だね。……姉と弟ってこんな感じなんだ」
「ビレイにはとてもよくしていただいています」
オレとギョーセーがそれぞれに声を掛ける。……まあ、返事はないよね。そうなると会話を続ける言葉が見当たらない。
オレが顔を上げると、寝台を挟んで対面にいたビレイは眉を下げて寂しそうな面持ちを見せていた。
「……この魔力、見える? 魔王が死んでから結構薄れたのよ。この魔力がすべて消えたら、姉は目覚めるんじゃないかと思っているの……」
祈りや願いにも等しい声音。語尾に繋がるにつれて絞り出す音は小さく移ろっていく。ビレイは姉の白い手を握り締めた。
「起きると思ってるのに、どうしてそんなに不安そうなの?」
ビレイの眼前に髪が下りる。伏せがちの瞳は不安を湛えて姉を見ていた。
「だって……もしかしたら、逆に、この魔力に生かされているのかもしれないとも考えてしまうの。魔力が消えた瞬間に、姉の命も尽きてしまうんじゃないかって。今なら何か、本当は出来ることがあるんじゃないのかって。……ここに来るたびに、この瞬間こそが運命の分かれ道なのかもって一人で立ち尽くしちゃうのよ」
「だからオレたちに付いてきて欲しかった?」
「そうね……。あたしにも、誰にも、何も出来なかったって言い訳を残しておこうとしているのかもしれないわ……酷い弟よ」
自嘲する響きと裏腹にきゅうと握る手が姉弟の絆を示す。酷い人間がする所作にはとても思えない。
「例えオレたちが居なかったとしても、その時の全部をやってるなら実際何も出来なかったってことじゃん。言い訳じゃなくて」
「後々に、些細な見落としが発覚するかもしれないじゃない」
「その時に気付かなかったことがあったって、それは仕方がないことだよ。何もしなかったことにはならないでしょ」
「あたしのせいで、姉が永遠に目覚めなかったら……」
「攻撃した魔族のせいでしょ?」
それ以上でもそれ以外でもない単純明快な話だ。ビレイの姉が起きないのは攻撃した魔族のせい。
だからといってオレはその魔族を責めるつもりもないし、ビレイがその魔族を恨むことを止めたりしない。オレからしたら起こったすべてが遥か昔から続く仕方のない物語でも、当事者からしたらそれは現在進行形の話だ。引き摺られる気持ちを断ち切ることは難しいはず。
「そうね……」
ビレイの顔が晴れることはない。悲しみや怒りや恨みといった激しい感情は、時に強い疲労を呼ぶ。ジウが体調を崩すほどだしね。
そうして流れた沈黙は、今まで黙っていたギョーセーが破った。
「ビレイの姉が目覚めない理由に、人間が絡んでいるとしたら?」
「なに……どういうことよ?」
「眠ったきっかけは魔族だとしても、目覚めない本質には人間が絡んでいるかもしれません」
「ど、どうして? 他のひとは関係ないじゃない!」
狼狽したビレイが断定する。現にこれまで聞いた話じゃあ他の人間が出る幕はなかったはず。ギョーセーがビレイの姉の横顔を通して魔力を見つめていた。
「先ず、この魔力には情報が含まれています」
「分かるの? いったい何の情報が? 呪いとか死とか、そういうのかしら……?」
ビレイが姉の手を握る力を一層強めて、不安な単語を並べ立てる。
ギョーセーは淡々と回答を返していた。
「いいえ、この情報は眠気です」
「ね、ねむけ……?」
ねむけ。眠気。素っ頓狂な声が落っこちた。
「甘く見てはいけません。例えば人間が馬の上で眠気に襲われると事故に繋がりますから」
「それはそうだけれど……。じゃあ、その眠気の情報のせいで姉さんは起きられないの?」
「……通常であれば、一瞬人間の意識を暗転させるくらいの力しかありません。せいぜい足をつんのめさせるくらいの」
攻撃魔法というよりもびっくり魔法みたいなものだ。明確に目覚めた意志を前にしたら通じないし。しかしそれは通常の、ありふれた場合のお話。
ビレイは困惑を態度で示す。居ても立っても居られずに続きを急かした。
「通常って……どういうことよ? ぜんぜん、分からないわ!」
「結局のところ、所詮は眠気ですよ。起きたいと思う意志があれば、その程度で済むということです」
眠気の情報を含んだ魔法は、目覚める意志で打破出来る。
「待って……。それだと、姉さんは、」
「起きたくないと思っているんでしょうね。だから眠気の情報を纏ったまま今日まで眠り続けている」




