18...戦い果てた先に名誉が待っている。希望だね。
たまには休息日にしましょうというギョーセーの提案によって、今日の予定は無し。
ギョーセーは自室で休むらしい。子どもの身体は疲れやすくて困ると布団に突っ伏して静かに嘆いていた。こればかりは変わってやることもできないし、お休みと告げてそそくさと街へと繰り出してきた。
帰りに果実でも買って行ってやろう。
ということで、ビレイは予定があると言っていたし、ジウは買い物に行ったため、時間を持て余して本屋へと足を運ぶ。
ビレイのおかげもあって、金銭事情に僅かのゆとりが出来たから人間の本でも買おうという判断。買い物も手慣れたもの。
一冊手に取りぱらりと適当な頁を捲った。
歴史書だ。建国について書かれている。
それも遥か昔のこと。せいぜい得られる情報といえば、掻い摘んで……昔、人間は魔族に虐殺されていたとか。後は昔の王たちが如何に素晴らしかったとか、人間が魔族に負けずに頑張ってきたとか、そんなの。
……魔族だって等しく人間の多勢の手によって無に返されている。お互い様まで言うつもりもないけどね。
人差し指が紙面をなぞっていたところで、真横から咳払いが響いた。店員だ。じとりと横目で睨め付けている。……この本が商品だからだ。
閉じた本を元あった場所に仕舞って、背中に襲う居心地の悪さに押されて店外へと出る。
陽光が瞳の奥底を焼くように照る。
「いけない。商品の内容は購入してから楽しみたまえ」
「……だれ?」
だれ? だれなの?
手のひらを額に当てて影を作り、目前の人物に目を凝らす。いやだれ?
「歴史について調べているのかい? こう見えてぼくは歴史については詳しい。ぼくが指導してもいいが」
「だれだ〜?」
ほんとだれ。
「どのようなことを学んでいたんだい?」
ものすごい突破力。撃破力。壁をものともしない。誰過ぎる。
「ちょっと待ってよ。先ずは誰なの」
「ネハンだよ」
「名前はいいよ。どういった人なの?」
「街の子どもたちに勉強の指導をしているのだよ」
「へえ……そう……」
「おや、疑惑の眼差しだね」
これを信用できる人間っているの? 真っ直ぐ背筋を伸ばしてようと、一切揺らがずに注がれる視線があろうと、ひとのいい笑みを浮かべていようと関係ない。むしろ胡散臭ささえ感じてきた。
「ネハン様〜! 置いていかないでくださーい!」
「これはこれは。すまない。迷える子羊がいたのだよ」
「ご自身の立場を考えてください!」
「街ではただの先生だが?」
後ろから足早に追いかけて来たのは一回り以上も年上の大人。如何にもお付きの人とって会話だ。
誰だろう。城の偉い人とか? 髪をすべて仕舞うように帽子を目深に被っているから、容姿を隠す必要があるくらいには地位のある人なんだろうな。そんなに年齢は変わらなそうなのに。
お付きの人は困ったように眉尻を下げている。
「そろそろお帰りになられませんと……」
「いけない。まだ勉学の指導が済んでいない」
「オレのことは気にしなくていいよ。忙しそうだから」
「いいや、構わなくて結構」
「それはこっちのセリフじゃん」
幾分か低い位置にある帽子の下は影で覆われている。けれど薄らとにこにこ浮かんでいる笑顔は見て取れた。
その笑みの前に相手の人差し指が立てられる。指の先端はすぐ近くの店へとゆっくりと移ろうから、つられて視線で追い掛けた。
「そこの喫茶店でいかがかね」
「……。……まあ、教えてくれるなら教えてもらおうかな」
根負けした。まさか。オレが。
とはいえ、情報源なんて多ければ多いほど有用だ。嘘に騙されないためには多方面からの情報を受ける必要がある。
後ろのお付きのひとが、小声であああああと頭を抱えているのが気にはなるが誘われた立場だし。
お転婆な主人を持ったね。
「ぼくはこれをいただく」
「オレこれ〜」
案内された隅の席で飲み物を頼む。お付きの人は少し離れたカウンター席に座って、視界の端にこちらを捉えているようだ。
店内はゆったりとした音楽が流れる落ち着いた雰囲気。客層は高齢の方が多い印象。飲み物ひとつの値段もなかなかのものだ。ほいほい付いてくるんじゃなかったかも……。
「では勉学に励もう」
「うんうん。じゃあさ、この国の始まりについて教えて」
すべてを突破してくる相手に対して回りくどさは不要だろう。差し障りのない会話が増えるだけだし。建国なんて本当にただの興味でしかないしね。
敢えて付け加えるなら、隠されている歴史には何か不都合が隠されていそう、っていうだけ。
不都合がない隠し事なんてないでしょ。
「よろしい。始まりか……。超常的存在が三つの根源に分かれたことから始まったと言い伝えられているのだよ」
「……それ話してもいいの?」
明らかに本からはその部分が取り除かれていた。その部分というか、それを含んだ最初の部分。
そんなに簡単に話しちゃって、やっぱり後で金銭要求する詐欺師か何か?
「隠す必要のない、誇り高い歴史だよ」
「あ、そう……」
変わり者なのか、オレはこの後指導費用として大金を持っていかれるのか。
相手は飄々と丁寧な動作でカップをつまんでいる。
「三つの根源が、何なのか分かるかい?」
ふるふると首を横に振って分からないことを示す。
「ぼくたちはその三つの根源を、人間の男、人間の女、そして……そう、魔王だと考えている」
人間の子孫を残すこと、魔族を増やすことを考えるとまあ始まりはそうなるのかな。
けど、そこに魔王が出てくるって。ゆっくり尋ねるように口を開く。
「それって、国の始まりっていうよりは……」
「世界の始まり」
「うん……」
「そうだね。まだ確定的な歴史ではないから、大々的に公表されていないようだよ。知る人ぞ知っている」
通りで本には書かれていなかった訳だ。
今後確認が進んだら世界の始まりとして発表されるのかな。別に隠されているという訳ではなさそう。
「なるほどね。じゃあその後は?」
世界が始まって、人間と魔族から続く道。
「ご存知の通りではないかね。人間と魔王は別々の場所で暮らしていたが、魔族はある日人間のもとにやってくる。これが虐殺の歴史の始まりなのだよ」
「そこら辺は本で見たよ。どうして……最初、魔族は人間を虐殺したの?」
「諸説あるが。有用な説として、人間が増えたから、と言われている」
「増えたから?」
「それまで保たれていた均衡が、数の多さに圧倒されるのが分かったのではないかな。さらに人間は技術の進化を求める。飛躍的に進める。故に、魔族は滅ぼされる前に、滅ぼそうとした。この間の大規模な魔族の攻勢と同じようなもの」
だったら、もっと早くに人間を滅ぼせば良かったはず。均衡が崩されそうなのを待たなくても。
やっぱりその歴史はおかしいんじゃない?
脳裏をよぎった意見を安易と口にできるほどの立ち位置を獲得したわけではないから、逡巡の後。
「魔族は、それまでは人間に何もしなかった?」
「そう。それまでは格下に見ていたのでは、と考えられている。それこそ虫が巣作っているのを眺めているのと同じように」
「随分な言い方だね」
「今でこそ人間は抗うたくさんの術を得たが。昔は、人間にとっての魔族は害獣であり、魔族にとっての人間は虫ケラだったのではないだろうか」
「それも誰かの説?」
「ぼくの説」
「わーお」
思わず今までしたことのない反応が舌を滑って飛び出て来た。結構過激な先生だね。
何となくの理解を進めているところ、不意にジウの言葉が浮かんだから、心の中でジウに同意を示すようにそうだねと思いながら疑問を呈した。
「どうして、最初、魔族と人間は仲良くしなかったんだろ」
綺麗事、と言えばそう。
だけど両方重なる歴史の始まりが虐殺なんてそんなことある? 魔族は獣ではない。人間と同じ言葉を持っている。理性だってある。
「……それは、」
相手が唇を開いた。ゆったりとした所作で相手の指先が帽子を軽く上げる。
「重要かい?」
打って変わって冷ややかな声がしんと響く。まるでどうだっていいという温度。
思わず続く言葉を一度呑み込んでしまったけれど、双眸に映る相手の表情が再びにこっと微笑むから生唾で喉の渋滞を取り除く。
「……だってさ、ただ向こうで生きている生物が増えたからって、なに? 自分たちに害が無かったら減らそうなんて思わないでしょ」
いくら襲ってきたら危ないからって、わざわざ喧嘩を売りに先手を打つ? 相手をナメすぎじゃない? 実際ナメてたかもしれないけどさぁ。
「そういうのって、少しでも害があってはじめて動かない?」
「相手は魔族なのだよ。乱暴で非道で野蛮で他人を慈しむことのできない哀れな生き物だ」
そうまで言われるほど……?
口半開きで唖然としちゃったよぉ……。
「しかしながら、確かにそれは諸説のひとつでしかない。理由はまったく異なるのかもしれないね。ただ……、魔族が人間を虐殺した……という確かな記録は残っているのだよ。こればかりは覆りようがない」
「ふうん……そか……」
今まで始まりなんて際立てて興味を持ったことはなかったけども、今度ギョーセーに聞いてみようと今日を記憶に刻んでおく。
そのために「ネハンだよね」と名前の確認をしておいた。偽名の可能性もあるけど。
「その通り。貴殿は……」
「コクーだよ」
「コクー。識りたいことがあったらいつでもぼくの元へ来るといい。ぼくは城で祈りを捧げているか、図書館で勉強を見ているよ」
新しい話題を提供した相手は、何食わぬ顔で飲み物を一口含んでいる。
オレはまんまと言葉を反芻した。
「祈り……?」
「魔族と戦った者たちへの栄光ある弔いと、戦う者たちへ退路を断ち国を守る勇気を捧げる。祈りなのだよ」
「ふうん。その祈りがなんの役に立つの?」
「戦い果てた先に名誉が待っている。希望だね」
「希望……」
「また、恐ろしくて怖くてどうしようもない時に、自分の国に命を捧げる決断をしてもらう。いつの日かのための勇気の後押しだ」
「勇気って……」
「勇気だよ。最大の自己犠牲をもって」
夜更けのジウが思い起こされる。
オレは、ジウに勇気の言葉を送った。その勇気の言葉が、今度は国のために戦う者たちに贈られている。
ジウも、自己犠牲に近い部分がある。誰かのため、という動機だってあるだろう。それでも他でもない自分で決めて、自分で奮い立っている。時には褒めて貰えない行動かもしれないのに。逃げ道だってあるだろうに。
祈りを捧げられた者たちはどうだろう。
「死を誉れとすることで正当化して、逃げることを恥じとする。それを本人が決めずに、搾取している側の人間がそうだと定義する……」
「……? そうなのだよ。国は全員で築いていくものなのだから」
「攻撃されて傷を作るって、すごく痛くて逃げ出したくなるほどなのに」
「全員が逃げ出したら国が滅ぶ。さすれば、結局待っているのは死、なのだよ」
「そう唱える人たちは、危機感煽るだけで死ななそうだね」
ネハンは微笑みを緩めたりはしない。
「国が真っ先に考えなくてはならないことが、分かるかい?」
「え……国民の命?」
「国の存続だ」
人間が現在に至るまで繁栄してきた理由が分かる気がしてきた。
個よりも集団を選択しなくてはならない生き物。そうしないと滅ぶのだ。
「……滅私の祈りはあっても、赦しはないんだね」
オレは、なんだかとても、不自由だなあと思った。
洗脳みたいだね。
思っていても言わないけども。
喉まで出掛かった音を飲み物で流し込む。ごくんごくん。
だって、洗脳するお前が一等洗脳されているみたいだったから。




