第四話
「おおおっ!」
意気揚々と轟が足を振り上げるが、最早そこに全くキレは無かった。
ひらりと翠はそれを避け鋭い反撃を放つ。またも轟の体は大地に転がされた。
「ワーン!トゥー!」
厳八のカウントが耳の中へ響いてくる。
(ちくしょう・・・どうなってやがる。まるで攻撃が当たりやしねえ。)
カァーッ、カァーッ。
薄れゆく意識の中、何故かカラスの鳴き声だけが鮮明に聞こえてくる。
轟は静かに目を閉じた。
「おい、轟ちょっと来い。」
翠と共に筋力トレーニングに打ち込んでいた轟を厳八が呼び出す。
「何だってんだよ。人が懸命に筋トレに打ち込んでる最中だってのに。」
「・・・これからお前に必殺技を授ける。」
「・・・。ぷっ、必殺技?そらご大層なこって。子供の漫画やアニメじゃねえんだ、冗談は顔だけにしとけよ。」
馬鹿にするように笑う轟に厳八は吠えた。
「おふざけで言ってんじゃねえ!何も火を吐いたり空を飛べってんじゃない、現実的な話よ。だが、決まれば名前の通り必ず相手を倒せる。」
「ふん、本当ならそいつはおもしれえ話だな。・・・どれ、話してみな。」
「へっ、いいか・・・ごにょごにょごにょ・・・」
別に周りに聞いている人間などいないのだが、厳八は仰々しく耳打ちをした。
その内容に、流石の轟も目を丸くした。
「なんだと・・・本当にそんな事ができるのかよ・・・?」
「できる・・・!おめえのファイトスタイルなら・・・おめえなら間違いなくそれを可能にするさ!」
(ちっ、やるしかねえようだな・・・ぶっつけ本番、当たって砕けろって奴よ・・・!)
轟ははっきりと意識を取り戻した。
「エーイト!ナーィ!」
(や、やはり無理か・・・当然だ、アレは一朝一夕で身につけられるもんじゃねえ。・・・だが轟よ、今は駄目でもおめえさんならいつかは身に付けられると信じてるぜ。)
厳八は顔を顰めながら最後のカウントを取ろうとした。
・・・ぴくっ。瞬間轟の体が僅かに動く。
「・・・いつまでカウント取ってやがんだよ!」
そう言うと彼はひらりと身軽に飛び跳ね立ち上がった。
「うっ、・・・まだやれるのか?」
厳八が脂汗を浮かべながら訊く。
「当然だろうが、見ていなオッサン。お待ちかねのモンを出してやるからよ。」
口調は軽いが、轟は明らかに虫の息だ。
だが、厳八は確かに見た。その目が激しく燃え上がっているのを。
(ううっ、やる気か・・・轟よ!必殺技と言っても万能じゃねえ、タイミングを逃せば莫大な隙だけが残る諸刃の剣。だがここぞ・・・ここぞというタイミングを見極めれば・・・!間違いなくお前の最強の武器になる。)
ぽたり、もう冬も近いというのに厳八の頬を汗が伝う。
「待たせたな、翠。最終ラウンドと行こうぜ。」
「・・・。」
翠は何も言わずその不敵な笑みを見つめる。
・・・轟と厳八が何らかの秘密特訓を行っている事には気付いていた。
何故自分では無いのか・・・翠は納得いかなかった。
確かに轟は強く才能に満ち溢れている。ずっと共に暮らしてきたのだ、それは分かっていた。
だが、自分も・・・十分にそれに見合うだけの力を持っているはずだ。
ちらり、翠は横目で厳八を見た。
(・・・見ていろ厳八オヤジ、それを今証明してやる・・・!!)
翠は飛び出した。
びゅん!びゅおん!
先程までと打って変わって翠が轟を攻め立てる。
(お前がどんな策を持っているのかは知らない・・・だが!)
『基本に勝る奇策無し』それが厳八の教えだった。そもそも奇策などという物は基本が出来ているからこそ生きてくると・・・そう教えられてきた。
軽やかなステップ、隙の無い攻撃・・・お手本のような動きで攻める翠に轟は再び追い詰められる。
(終わりだ・・・!!)
ずんっ!翠の会心打が轟の鼻っ先に決まる。
ぐらり、スローモーションの様にゆっくりと轟の体が後ろによろける。
決まった。翠は勝ちを確信した。厳八もまたそう思った。
・・・だがその考えはほんの僅かな時で撤回される事となる。
(む、違う・・・これは!!)
次の瞬間、よろけた轟の体はそのままくるりと後ろに回転した。
そして、その右のつま先で翠の顎を蹴り付ける。
蹴り上げられた翠は宙を舞った。何が起こったのか全く理解できない。地に叩きつけられやっと、自身が何らかの攻撃を受けた事を理解した。
そして傍から全てを見ていた厳八だけは全てを理解していた。それはまさしく、轟に伝授した必殺技であったから・・・!
(出た・・・!!必殺のムーンサルトが・・・!!!)
「へっ、いいか・・・・・・」
そっと厳八が耳打ちをする。
「この技を打つ前に、お前は一旦ボコボコのズタズタにされるんだ。だが、この技を打てば、瞬時にボコボコのズタズタになってるのは相手に早変わりって訳だ。」
その内容に轟が目を丸くする。
「なんだと・・・本当にそんな事ができるのかよ・・・?」
「できる・・・!おめえのファイトスタイルなら・・・おめえなら間違いなくそれを可能にするさ!」
唖然とする轟に厳八が説明を続ける。
「・・・轟、おめえ足どこまで上がる?」
「?なんだ、いきなり新体操でもやらせようってのかよ。・・・まあ、顔の辺りまでかな。」
「そうだな、その辺りで人間の足って奴は止まっちまうんだ。」
ひょいと厳八は足を腰のあたりまで上げて見せた。
「へっ、オッサンの場合腰までしか上がってねえじゃんか。」
「うるさいわ。・・・とにかく、人間の足はここで勢いが止まっちまうんだ。じゃあこれを止めないでもっと勢い良くぶち込むにはどうするか・・・答えは簡単、回っちまえば良いんだよ。」
そう言うと厳八は回転しようとジャンプした。しかし、その勢いはたらず背中から落下してしまった。痛そうに腰をさする。
「あっつつ・・・」
「おいおい、大丈夫かよ。・・・原理はわかったけどよ、本当にそんな大袈裟なもんが当たるのか?」
轟が手を差し出すと厳八はゆっくり起き上がった。
「無論普通では当たるまい。だからこそさっきのボコボコにされる事が生きてくるんだ。・・・人間必ずしも油断が生まれるタイミングがある、それは勝ちを確信した時じゃ。」
ぱんぱんと背中の土を払いながら厳八は続けた。
「お前の攻めて攻めて攻めまくるスタイル。雑魚には有用だろうが、真の強敵は必ず耐えてこちらが疲労する隙を狙ってくる。となれば必ずお前は追い詰められるだろう。そこにチャンスがある。」
「なるほどな、それで疲れ切った俺がまさかそんな反撃をしては来ないだろうと、油断する訳か。」
「その通りだとも。後はお前がその最大のタイミングまで我慢できるか・・・そこが勝負の別れどころじゃな。だがお前なら必ずそれを会得できる。・・・一発逆転、必殺のムーンサルトをな。」
「ナーィ!テン!・・・試合終了だ!!」
厳八の合図を聞いてなお翠は立ち上がれなかった。
グッと拳を握り締め、轟は勝利を噛み締めた。
(やったぜ・・・俺は!)
厳八はすぐに翠に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
ぺちぺちと厳八が乱暴に頬を叩くと、翠は目を覚まし身を起こした。
「ああ・・・負けちまったのか、俺は。」
「・・・なあに、勝負は時の運。落ち込む事は無かろうて。」
ぐっ。歯を食いしばりながら翠は厳八の腕を握りしめた。
「・・・オヤジ、なんでだ。何故俺は負けたんだ。『基本に勝る奇策無し』じゃなかったのか・・・」
「確かにその通りじゃ。だが、アレは違う。轟は必殺技を仕掛けるべく最初から緻密な戦略を組んでいた。となればそれはもう奇策などでは無い。」
「・・・。」
翠は悔しさを噛み締めながら腕を下ろした。
だがその時・・・
ぐっ!厳八が突然翠をぐっと抱きしめた。
「確かに負けたのはお前だ。だが、だがな・・・わしは嬉しい・・・!お前は完璧にわしの教えをマスターしていた。後は経験さえ積めば、誰にも負けることはないじゃろうて・・・!」
厳八は涙声を震わせた。
「オヤジ・・・。」
翠はどうしたらいいかわからなかった。
「・・・ふっ。」
轟はそんな二人を見て静かに微笑んだ。
兎にも角にも、これで二人は厳八の最終試験を終えた。