第二話
「ほれっ、ここじゃ・・・!」
川に面した土手、橋の下。
轟と翠の二人は厳八に連れられ彼の住処へと来ていた。
「げっ・・・」
「これは・・・」
そこにはボロボロの大きなテントと何処で入手したのかも分からない、汚れたトレーニング器具が無造作に散らばっていた。
「へっへっ、いつかこんな日が来ると思って色々用意してたんだ。どうよ?なかなかのもんだろう?」
何故か得意気な厳八を他所に、二人の表情は浮かなかった。
「うへえ、すげえガラクタ・・・早くも選択を誤った気がするぜ・・・」
轟が呟く。翠も何も言わず引いていた。
厳八が激怒する。
「なっ、馬鹿野郎てめえ!そもそもファイトなんてもんは体一つありゃあ出来るんだ。」
「それにしたって・・・このテントなんていかにも虫が入り込みそうだし・・・」
ぺらりと中を覗きながら轟が言う。
「寝床なんてぇのは雨風しのげりゃそれでいいんだよ!贅沢言ってんじゃねえ!」
大声を出す厳八に、翠は呆れ顔で轟の肩を叩いた。
「今までもっと悪い環境もあったじゃねえか。とりあえず細かい事言うのはよそうぜ・・・。」
「ちっ・・・。」
舌打ちしながら轟も同意した。確かに、これまでブラブラと様々な地を転々としてきた彼らにとっては耐えられぬ程の環境では無い。
「だいたいよ、オッサンは俺らの事をチャンピオンにしてやるなんてぬかしたが・・・」
轟のぼやきに翠が続いた。
「ああ、そもそもチャンピオンになれるのは一人じゃねえのか?」
「・・・へっ、確かにな。単なる口説き文句と吐き捨てられるかと思ったが、二人揃ってチャンピオンになる気とは大きく出やがったな・・・」
厳八は二人の威勢の良さにニヤリとした。
「いや、その通りだ。確かにチャンピオンになれるのは一人。だったら最後の最後、てめえら二人でチャンピオンの座を争えばいいだろう。お互い知り尽くした最強のライバル、最高じゃねえか。」
「・・・!」
思わぬ言葉に二人は顔を見合わせた。
・・・肩を並べ、背中を合わせ戦う事はあっても、面を向かわせて戦う事は無かった。
「・・・なるほどな。・・・轟、俺は正直言ってお前と戦ってみたい。」
「・・・!」
翠の言葉に轟はより一層、じっと彼を見た。
「へへっ、面白え。良いぜ、やってやろう・・・チャンピオン決定戦、俺とお前で・・・!」
二人は決戦を誓った。
「さてと、じゃあ早速始めるとするか。」
おもむろに厳八が立ち上がった。
土手のブロックに腰掛けていた二人は不思議そうにそれを見た。
「あん?何を始めるってんだ。」
「決まっとるじゃろう、トレーニングだ。」
尋ねる轟を一瞥すると厳八は辺りに散らばったトレーニング器具を物色し始めた。
「トレーニングって・・・もう夜中の二時だぜ。早く寝ねえとそのハゲかけた頭がツルツルになっちまうんじゃねえか。」
「阿呆!体鍛えるのに昼も夜もあるかい、起きてる間はぶっ倒れるまで体をしごいて限界が来たら死んだように眠る、それが基本だろうが!」
何処で拾ったのか、厳八は竹刀を地面に叩きつけながら怒号を飛ばした。
「やれやれ・・・とんだスパルタコーチだな。」
二人は腰重げに立ち上がった。
「そらっ!筋肉を極限まで伸ばすんだ!」
叫びながら厳八が実演してみせる。ぺたりと座り込み伸ばした足先へと前屈する。轟と翠も同じ動きを真似る。
しばらくして、突然轟はぴたりと動きを止めた。
「いつまでこんな事やってんだ、柔軟運動ばかりもう三十分以上やってるぜ。俺達をバレリーナにでもしてえのかよ。」
「ふんっ、事前によく体をほぐす大切さもわかんねえのか・・・まあいい、そこまで言うなら次の工程に移ろうじゃねえか。」
不満そうな轟に厳八は渋々応じた。
「よしてめえら、捕まらねえ程度に服を脱ぎな。そんで川の向こう岸まで行って帰って来い。それを十回繰り返すんだ。」
「はっ!?今何月だと思ってんだよ!?それにこの川は片道でも数百メートルはあるぜ。俺達を競泳選手にでもする気かよ。」
再び不平の声を上げる轟。
今度こそ厳八は爆発した。
「何だてめえは文句ばっかいいやがって!全部ワールドチャンピオンズファイトの選手にする為に決まってんだろが!つべこべ言わず行きゃあいいんだよ!!」
ブンブンと竹刀を振り回す厳八に二人は堪らず川に飛び込んだ。
日が昇り、人々が活動を開始する頃になってやっと二人は地獄のトレーニングから解放された。
「はぁ・・・はぁ、おい翠・・・生きてるか?」
大の字に寝そべり息を切らしながら轟が呟く。
同様の状態で翠が応じる。
「ああ・・・流石にこたえたけどな。ここまでキツいのは東京の繁華街でイカれたチンピラ五十人相手にした時以来じゃないか。」
「あー・・・あん時もキツかったな。全く、トレーニングで死にかけてどーすんだって・・・わっ!」
突然厳八がバケツに汲んだ水を轟の顔に浴びせた。
「喉が乾いたろう・・・よく水分補給しとけ。」
次はお前だと言わんばかりにバケツをもう一つ片手に持ち、ちらりとこちらを見る厳八に、翠は慌ててそれをぶんどった。
「ふん、さてわしはちいと働きに行ってくる・・・帰ったら続きをやるからしっかり休んどけよ。」
「なんでえオッサン、気ままな宿無し暮らしじゃねえのかい。」
顔を拭きながら轟が問う。
「わしだけならそれもいいがてめえらにはしっかり栄養を取ってもらいてえからな、トレーニング器具も新品を入れてえし・・・下らねえ心配してねえでてめえらは強くなる事だけ考えろ。」
そう言うと厳八は去っていった。
・・・そして、彼がいなくなったのを確認すると轟は呟いた。
「ちっ、こんな事ならとっとと逃げてやろうかと思ったが・・・しゃあねえ、もう少しだけ付き合ってやるか。」
「・・・ふっ。ああ、仕方ねえな。」
微笑みながら翠はうなづいた。
再び日が沈む頃、厳八はたくさんの袋を抱えて帰って来た。
「遅くなって悪かったな、すぐに飯にしよう。」
「ああん?オッサン飯なんか作れんのか?食べ物を粗末にするとバチが当たるぜ。」
腕まくりをし食材を広げる厳八に轟が訊く。
「馬鹿野郎、舐めんじゃねえこう見えてわしは器用なんだ。」
「へ、へえ。」
不安そうに二人は彼の調理を眺めていた。
「待たせたな。完成だ。」
拾い物の机に並べられた料理は意外と様になっていた。
して、味の方は・・・。
恐る恐る二人は口に運ぶ。
「こ、これは・・・」
「美味い・・・!」
思わぬ味に箸が進んだ。厳八は満足気にそれを見る。
「そうだろう、そうだろう。」
「いや、ほんとに美味えぜ・・・!」
ガツガツと丸呑みにする勢いで料理をかき込んでいく。
実際厳八の料理はなかなかの物であったのだが、それ以上に今まで親も無く放浪する様に暮らしてきた二人にとって、初めての暖かい食事は格別なものだった。
「ああ、食った・・・こんなに食ったのは初めてかもな。」
幸せそうな顔で一息付く二人。厳八もまた嬉しそうだ。
しかし次の瞬間厳八のニコニコ顔は消えた。
「ん?あっ!て、てめえら全部食いやがったな!!わしの分が!!」
ガックリとその場に崩れ落ちる。
「へへっ、悪いな・・・さて、飯も食い終わったことだし・・・!」
すくりと二人は立ち上がった。厳八も顔を上げる。
「んん?」
「早速トレーニングといこうや。こちとら準備万端だぜ。」
グッと拳を握り締めながらニヤリと笑う。
「て、てめえら・・・」
やる気に満ちたその表情を見て厳八の空腹も何も吹き飛んだ。
「へっ、へっ・・・覚悟しろよ、今日は昨日よりハードに行くぜ。」
悪戯な笑みを浮かべる厳八に二人は望む所とばかりに微笑み返した。
四ヶ月・・・。
当初の厳八の見立てでは半年以上はかかると思われた。だが二人は驚異的な成長を見せ、瞬く間に厳八の目標とする所までのパワーアップを果たした。
「お前ら・・・最後の課題だ。」
食事を終え、これからトレーニングに入ろうとしていた二人に厳八がおもむろに言った。
「ほーう、これにて俺達ゃ卒業ってわけかい。」
茶化す様に轟が笑う。翠は真剣な目で厳八を見た。
「・・・それでその課題ってのは?」
厳八はうなづき間を取りながら言った。
「これからお前ら二人で戦え・・・!」