第68話『衝突する心』
「――それでは改めまして、ひよりは花澤ひよりって言います! 小夏さんとは同じクラスで、何かをきっかけにすぐに仲良くなりました!」
放課後。帰りのホームルームが終わればそこに待つのは授業という鎖から解放される素晴らしい時間。
学生の本分は勉強だが、学生の敵もまた勉強。故に、放課後という時間は勉強に縛られずに過ごせる学生が最も愛している至福の時間。
そんな至福の時間に集まった俺たちは改めて自己紹介を交わしていた。
今自己紹介してくれた花澤ひよりという女の子は何というか……犬みたいな元気な女の子だと思った。感情が表に出やすいのか、表情を見ていれば何となしに何を考えているのかが伝わってくる。
「これで一通り自己紹介は終わったな。いやそれにしても、転校初日から友達がたくさん出来て、嬉しいの一言に限るな」
日が傾き始めて来た教室には、俺たち六人の姿以外は無かった。自己紹介をしている間に、クラスメイト達は部活に行ったり、直帰してしまったようだった。
少しずつオレンジと黒を混ぜたような色に包まれていく教室の壁に、長く伸びた俺たちの影が影絵のように映り込んで揺れている。
ふと、葵雪の手が俺の手に触れた。
影絵の中の俺たちは手を繋いでいる。実際は重ねているだけなのだが、壁に映るその光景を見たひよりがニヤニヤと笑いながら話し掛けてくる。
「修平さんと葵雪さん、とってもお似合いですよ!! いいなー、ひよりも彼氏が欲しいですよー」
俺と葵雪の重ねられた手を見つめながら指を咥える。
その姿が妙に可愛らしく、俺は小動物を愛でるような気分になっていた。
「ひよりは可愛いんだから、自分にもっと自信を持ってもいいと思うわよ?」
「むむむ……。葵雪さんみたいに綺麗な人にそう言ってもらえるのはとても嬉しいんですけど、女の子に必要なのは可愛さだけじゃないんですよ……」
「まぁそうね。見た目じゃなくて、中身とか性格とかの方が大事だもの」
「いいえ葵雪さん。女の子が男の子を落としたい時、その時に一番必要なのは胸です!!」
「「「「「胸!!!??」」」」」
ひよりの堂々たる発言に、スマホを弄っていた巡と小夏も、みたらし団子を幸せそうに食べていた椛も、そして俺と葵雪も、えっへんと無い胸を反らすひよりへと視線を向けて戸惑っていた。
確かに、人の第一印象は見た目で決まるという説もある。しかし、その項目に果たして胸は含まれているのだろうか?
女性陣はひよりの発言を受け、自ずと自身の胸へと視線を落とした。俺も一瞬流れに乗りかけたが、寸前で意味が無いことに気づき、行き場の失くした視線を葵雪の元へと向けた。
「……」
改めて葵雪の胸を見て気づく。
あれ? 俺の彼女、胸めっちゃでかくね?
さりげなく目を動かして今この場にいる全員の胸元をチラ見していく。そして再び葵雪の胸元に注目した俺は確信する。この中で一番でかい。
「葵雪さんは大きな胸でいいですよねー!! ひよりなんて葵雪さんと比べたら月とスッポンですよ……」
自分の胸をわしわしと揉みながらひよりは肩を落とした。
「わたしは大きい方だと思うけど〜……葵雪ちゃんと比べると小さいんだよ〜」
「……椛ちゃん、さりげなく喧嘩売ってるよね」
椛を見る巡の目が氷のように冷たかった。
しかし椛は絶対零度の敵意を正面からぶつけられているにも関わらず、ほんわかとした笑顔を崩すことなく真っ向から敵意を受け止めていた。
「巡ちゃんもまだまだ成長すると思うんだよ〜」
「その根拠は?」
「わたしがまだまだ成長しているからだよ〜」
「うん。椛ちゃん? ちょっと校舎裏行こうか?」
「待て落ち着け巡」
満面の笑みで喧嘩を売ってく椛のスタイルに感心しつつ、今にも殴りかかりそうな巡の首根っこを掴んだ。
ふぎゃと、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げ、巡は涙目になりながら俺を睨んでくる。
「だって聞いたよね今の発言!? 私もう成長期終わってるんだよ!? 完っ全に喧嘩売ってるよね!? 私はもうどう頑張っても椛ちゃんに追いつけないんだよ!?」
「まぁ、そう声を荒らげるな。いいか? ひよりがさっき男を落としたいなら胸と言ったが、それは間違いだ」
俺の言葉に獰猛な獣と成り果てていた巡が途端に大人しくなる。他の面々も俺の話に興味を示したらしく、話を聞く体勢になっていた。
よしよし。掴みは完璧だな。あとはこの場を丸く収めるために上手いこと話を繋げていくことにしよう。
今から話す内容は俺の主観の話になり、他の男がどう思っているかは定かではない。だから俺個人の考えが貧乳一同に届いてくれることを願う。
若干盛って話すが……まぁ、多分バレないだろう。あくまでも俺の考えではなく、男たちのとしての考えだと思ってくれないとこの場を丸く収めることができないのだから上手く立ち回る必要がある。
「確かに胸も大切かもしれないが、実際のところ男はそこまで胸を見ていない」
無論、俺個人はそんなに見ていないだけであって、他の男がどうかなんて知らん。
ちなみに、さっき葵雪の胸を凝視していただろというツッコミは無しにしてもらいたい。胸の話題をされてしまうと見てしまうのは自然の摂理と言える。
「そもそもだ。女の子を胸で判断するという考え自体が間違っている。口ではやれ貧乳だの、やれ巨乳最高などとほざいてはいるが、頭の中ではきちんとその子の内面的なものを見ている」
「修平くん今、さりげなくひよりちゃんと葵雪ちゃんの胸を見比べていなかった?」
「目の錯覚だ」
「お兄ちゃん……」
小夏が呆れたような目で俺を見ていたが、さりげなく胸を寄せて大きく見せようとする妹の哀れな姿を見てしまった俺はどう言葉を返せばいい?
「話を戻そう。確かに外見に判断基準が無いとは言いきれない。例えばそうだな……休日に出掛けたらたまたま気になっている子に会ったとしよう。その子の格好が上下ジャージにサンダルだったらどうだ? 百年の恋も一瞬で冷めちゃうだろ?」
自分に出来る努力を精一杯していく女の子は必然的に可愛く見えるものなのだ。
ただ勘違いしないで欲しいのが、別に努力をしない人を否定するつもりはないということ。纏っているオーラが違う女の子ってのは確かに存在する。実際問題、転校前の学校にそういう子がいた。
そういう子は努力をする子に目の敵にされることが多い。何もせずともモテてしまうというのは努力を怠らない子にとって不愉快でしかないのだ。
けど、それはその子の持つ魅力の一つであり、決して卑下されるようなことではない。そもそも自分と他人を見比べること自体が間違っている。
自分は自分。他人は他人。他人の魅力に嫉妬している暇があるのなら、自分の魅力の一つでも見つけて、それを自分の武器にしてしまえばいい。
「確かにオシャレは大切だよね〜。わたしも少しの外出でも着る服はちゃんと選んでいるんだよ〜」
「私もその辺のことはちゃんとしているかな? いつ誰が見ているか分からないからね」
「その点制服って便利ですよね! ひより、時に用事もなくぶらぶらしたい時、たまに制服着てその辺散歩してますよ!」
「……」
そういえば……あの時、葵雪はどうして制服姿で風巡丘にいたんだ? しかもあんな遅い時間に。
まぁそもそも葵雪との出会いを追求しだしたらキリがない。頭に浮かび上がってくる様々な疑問のシャボン玉を指でつついて思考を切り替える。
「さて、外見の話はここまでだ。で、話は最初に戻るが、結局今話したオシャレの話は内面的なものに繋がってくる」
「へぇ? 興味深いわね?」
「少し考えればすぐに分かることだが、努力をして可愛くなろうとするのは内面的なことだろ? 気になる人に振り返ってもらいたくて頑張る女の子姿ってのは、かなりグッとくるものがある。あとは小さな気遣いとかも大切だよな。下心があろうがなかろうが、困っている時に手を貸してくれたらそれだけでときめく」
優しさとは甘い毒のようなもの。
その甘さに騙されてしまうともう戻っては来れない。
少しずつ蓄積されていく毒は何よりも甘美な蜜へと変化する。
「男の子ってわりと単純な生き物なんですね」
ひよりは俺の話を聞いて何かを悟ったのか、納得したように何度も頷いていた。
「まあそうだな。否定はしない。特にモテない奴ほど優しさには弱いんだよ。ついでに言うと、哀れな男子が世の中に溢れかえっている理由の大半は、優しくしてくれたからこの子自分に気があるんじゃね? と思って何も考えずに突撃するからだ」
「妙に説得力のある言葉だね? もしかして修平くんの体験談?」
ニヤニヤしながら訊ねてくる巡に俺は首を横に振る。
「残念ながら俺は生まれてこの方葵雪以外の女の子に告白したことはないんだなぁ」
「……そっか」
「巡?」
急に表情に影を落とした巡。
微かに浮かべている微笑からは寂しさと悲しさ――その二つが混じり合った負の感情が読み取れる。
不意に、教室がトンネルの中のように薄暗くなった。
俺は顔を上げて空を見上げる。ついさっきまであんなにも晴れ渡っていた空。しかし今は分厚い雲に覆われていた。
開けたままの窓から入り込んでくる土の香り。もうじき雨が降るのかもしれない。
「――修平くん」
顔を下ろすと、巡の顔が視界に入る。
空を見上げていたのはほんの数秒。そんな一瞬と言っても過言ではない時間で巡の表情は戻っていた。
あの日見た笑顔と変わらない微笑みで、俺のことを見つめていた。
「葵雪ちゃんのこと、好き?」
「……え?」
その質問は愚問だった。
俺は葵雪のことが好きだ。あの丘で、あの日、あの瞬間、恋に落ちた。一目惚れだった。巡の質問はそんな俺の想いを試すようなもの。何か意図があるように感じる。
「どうしたの? 答えられないの?」
「……お前、何が聞きたいんだ? ここで正直に好きだって答えるのは簡単だ。実際、俺は葵雪のことが好きだからな。でも――巡が聞きたいのはそんな単純なことじゃないんだろ」
「……」
巡は黙ったまま何も答えない。けれど、目線だけは俺をずっと捉え続けていた。
俺と巡の間で見えない何かが起こっていると感じ取った他の四人も、俺たちの雰囲気から何も口を挟むことができないらしく、口を固く閉ざしていた。
ポツリ、ポツリ――ポツリ。
そんな静寂を遮るように雨が降り始めてきた。
窓枠が弾いた雨の雫が手に触れる。小さな欠片なのに驚くほど冷たい。雨というのはこんなにも冷たいものだっただろうか。
「私が聞きたいのは修平くんのいう単純なことだよ。それ以外の答えはいらない。たった一言だけ言ってくれればいいんだよ? 葵雪ちゃんのことが好きだって。そう言ってくれれば私は満足なんだよ」
「……分からねぇ。巡、俺はお前が分からない。何が目的だ? なんでそんなことを聞きたがる」
「聞きたいからだよ。修平くんの気持ちを。修平くんとこうやってちゃんと向き合って、葵雪ちゃんが好きって言って欲しい。ただそれだけ」
「だから……そこまでして聞きたい理由を教えろって言ってるのが分からないのか!?」
「ちょ、ちょっと修平!! 落ち着きなさいよ!!」
語尾を荒らげたせいで危うさを感じた葵雪が俺を止めようと間に入ってくる。
しかし、それでは俺だけしか止まらない。葵雪は気づいていなかった。感情が沸点に達しているのは俺だけじゃなくて巡もだということに。
「――いいから答えてよ、修平くん……っ!!」
間に入ってきた葵雪を押し退けて巡は俺の肩を掴む。
「私に向かってちゃんと言って!! 葵雪ちゃんのことが好きって……!!愛してるって言ってよ!! 私は君のその言葉が聞ければ満足なんだよっ!! そんな簡単なこともできないの!? 修平くんの葵雪ちゃんへの想いはそんなものなの!?」
「な、に……? 大人しく聞いてりゃ言いたい放題言いやがって!! そんなに聞きたいなら言ってやるよ!! 俺は葵雪が好きだ!! この気持ちに嘘偽りなんて……な、い……?」
肩を掴んでいる巡の手を引き剥がして叫んでいる途中に俺は気づく。
「巡……? どうして……こんなに震えているんだよ?」
まるで氷のように冷たい手。その手から伝わってくる震えは尋常ではない。
こんな手で肩を掴まれていたのならすぐにでも異変に気づけたはずなのに、熱くなりすぎて巡の変化に全く気づけなかった。
「私は……私は、修平くんが幸せなら、それでいいんだよ……」
全身から力が抜けていくように巡はその場に崩れる。
俺は慌てて手を離して倒れていく方へ体を入れて巡を抱き抱える。
手はあんなにも冷たかったのに、体は全身火照っていて息が荒い。こんな状況でさっきまで平気そうな顔をしていたのが信じられない。
「葵雪、先生呼んできてくれ!!」
「わ、分かった!!」
「小夏とひよりは俺のカバンからタオル取って濡らしてきてくれ!! 椛はスポドリを買ってこい!!」
みんなに指示を飛ばして俺は巡を診る。
ただの風邪だとしても熱が異常なまでに高い。変なウイルスにやられている可能性も考慮した方が良さそうだった。
「しっかりしろ。もうすぐ先生が来てくれるはずだ」
救急車を呼ぶことも考えたが、何故かそれだけはしてはいけないと頭が警鐘を鳴らしていた。
「……修平、くん。お願い……信じ、て……」
「こんな時に何を言ってるんだよ!?」
朝も聞いた信じて欲しいという言葉。
巡は俺に何を信じて欲しいのだろう。
「――修平!! 先生呼んできたわよ!!」
葵雪の声が届くと同時に保健の先生らしき人が教室に飛び込んでくる。それとほぼ同タイミングで他の三人も戻ってきて、持ってきた物を先生に渡す。
それからすぐに巡は後からやってきた先生たちによって保健室に運ばれていった。
to be continued
心音です、こんばんは。
今回の話は巡と修平がぶつかる話でした。序盤とのアップダウンの差が激しいのはうちの小説では良くあることです。ここまで読んでくれている方はもう分かりきっていることだと思いますけどw




