第67話『隠し事』
「――というわけで、昨日話した通りあたしの友達を紹介するわ」
午前の授業はつつがなく終了して今は昼休み。
転校生である俺のことをお昼に誘おうとしたクラスメイト達は、葵雪と一緒にいる俺のことを見て何かを察したらしく『ごゆっくり〜』と一声掛けて教室を出ていった。
仮に誘われていたとしても、葵雪との約束があったから断っていたわけで、察しのいいクラスメイト達で良かったと思う。自分から断るよりは気づいてくれた方が気が楽だからだ。
「初めましてなんだよ〜。わたしは小此木 椛って言うんだ〜」
淡い紅色のふわふわとした髪の少女。
確か、朝のホームルームの時に俺と葵雪が付き合っているという事実を聞いて、クラスを代表して質問をしてきた子だ。
髪の毛と同じようなほんわかふわふわとした喋り方が特徴的な可愛い女の子だった。
「改めて言うまでもないと思うが、深凪 修平だ。知っての通り、ここにいる葵雪の彼氏」
「よろしくなんだよ〜。葵雪ちゃんとは当たり前だけど、わたしとも仲良くしてくれたら嬉しいな〜」
「おう!」
元気に返事をして俺は椛の隣に立つ巡を見る。
どうやら巡も葵雪の紹介したい友達の中に入っているようだった。
「巡もよろしくな」
「うん。よろしくね、修平くん」
朝のうちに挨拶は済ませている。
葵雪にも中休みのうちにその事は話しており、今この場で新たに挨拶することはしなかった。
「さて、お昼ご飯の時間だけど、小夏のことを待つんでしょ?」
「待つ。昼飯食う約束しているからな」
「その小夏ちゃん? って言うのは修平くんの妹か何かなのかな〜?」
「そそ、俺の妹。俺と同じような性格してるから椛も巡もすぐに仲良くなれると思うぞ」
「そうなんだ〜。会うの楽しみだな〜」
ほんわかと答える椛はどんな想像をしているのか、にこにこと笑いながら小夏が現れるであろう教室の入り口に顔を向けて今か今かと待っていた。
「……ん?」
それから数秒もしないうちに、廊下の方から小夏と思われる足音が聞こえてくる。ただなんつーか……なんでそんな全力で走ってきているんだ?
ドアからは離れたところで待機しているのだが、その足音は遅れたから急いでいるという訳ではなく、何かから逃げるように全速力でこちらに向かってきているように思える。
その証拠に聞こえる足音は一つだけではない。もう一人誰かがいるようだった。
「? なんか廊下の方が騒がしいね?」
巡も足音に気づいたらしく、廊下の方へ顔を向けて首を傾げる。その足音は多分小夏のものだと言いたかったのだが、もうすぐ側まで音は迫ってきており、今この場で説明するよりはちゃんと小夏がここに来てからの方がいいだろうと判断して口を噤――
「――お兄ちゃん―――っ!!」
そう叫びながら教室のドアを開け放ったのは言うまでなく小夏だった。
突然の来訪者に弁当組の教室待機勢が一斉に振り向くが、小夏は視線の嵐に臆することなく右手を振り上げて全力投球で俺の外履きを投げ渡してきた。
正確なコントロールで俺の胸のあたりに飛び込んできた靴を何の苦労もすることなく受け取ると、とりあえず外履きに履き替えながら小夏の方へ顔を向ける。
「お兄ちゃん飛ぶよっ!!」
視線を靴に落として、顔を上げるまでわずか一秒。そんな短時間で小夏は俺のすぐ隣に立ち、なんの脈絡もなくそう告げた。
「こ〜〜〜な〜〜〜つ〜〜〜さ〜〜〜ん!!」
と、ほぼ同時に教室の入り口から聞こえてくる若干怒気の含まれた女の子の声。
自分で言うのもあれだが、頭の回転がそれなりに早い俺は、小夏の言葉と突如教室に乱入してきた女の子の姿を見て、何となしに小夏が置かれている状況を察した。
「みんな、10分で戻るからここで待っていてくれ」
そして驚き戸惑っている面々に簡潔に告げると、既に窓にスタンバイしていた小夏と共に窓の外へと飛び出した。
「ちょぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!?」
乱入少女の絶叫が遠ざかっていく。
それもそのはず。ここは二階。地面に向かって落下しているのだから当然と言えば当然のことである。
「――よっと」
小夏と共に綺麗に着地を決めると、反動をそのまま活かして駆け出した。
チラッと後ろを見ると、蜜柑色のサイドテールの少女が窓から身を乗り出して『待てー!! 逃げるなー!! というか危ないことしないでくださいよーっ!!』と叫んでいた。
心配してくれるのは有難い。しかし、待てと言われて待つような馬鹿ではない俺たちは、少女の必死な叫びをガン無視して走り続けた。
「――小夏、お前あの子に何したんだよ」
しばらく走ったところで自動販売機を見つけ、休憩がてら足を止めて当然の疑問を訊ねる。
何をどうしたら二階から飛び降りてまで逃げるような事になるのか、きちんと説明して貰わなければならない。
「話せば長くなるんだけど……」
言いながら小夏は財布から千円札を取り出す。
ジジッという音と共に自動販売機に飲まれていく野口さんを横目で見ながら言葉を待つ。
「……話さないとダメ?」
「話したくないならその振りはやめようぜ?」
「話したくない訳じゃないんだよ。ただ、とても10分で話しきれるような内容じゃないんだよね」
「朝俺と別れてから何があったんだよ」
「まぁ単純な話、私がさっきの子のお昼ご飯を食べちゃっただけなんだけど」
あはは。と、笑う小夏とは正反対に、俺は引き攣った笑みを浮かべているに違いない。表情筋が強ばっているのが自分でもよく分かる。
小夏はそんな俺の表情に気づいているのかいないのか……いや、ほぼほぼ確定で気づいているんだろうが、そんな素振りを一切見せずにホットコーヒーのボタンを押す。
「なんで初対面の相手の昼飯食うんだよ……意味が分からねぇよ……」
嘆くように俺は呟いた。
というか、どういう流れでそんな事になるんだよ……。
「美味しかったよ、花澤さんのお弁当。やっぱり手作り弁当っていいよね。はい、お兄ちゃんも飲むでしょ?」
買ったばかりのコーヒーを俺に向かって投げ渡す。
パシッと缶を受け取り、そのままプルタブを開けるとほろ苦い香りが広がった。
「手作り弁当の良さは分かる。でもそれとこれとは話が別だ。とりあえず謝れ」
「それは――私が高校一年の春の話でした」
「夏にやるホラー特番の前振りやめい」
「私は授業が終わると同時に中休みの時間を利用してプリンを買うために、100円を片手に全力ダッシュで売店に出掛けました」
「続けるんかい!! あとその全力ダッシュって言い方が雰囲気をぶち壊してる!!」
盛大にツッコミを入れるも、小夏は話をやめるつもりは無いらしく、俺は仕方なく小夏の語りに耳を傾ける。
まぁ一応、10分で戻ると言った手前、話が本当に10分で収まらないのであれば、話の途中でもぶった切ってみんなのところへ帰ることにしよう。
「売店にはなんと私の好きなプリンが売っていました。買うしかありません。私は買いました」
「……どうでもいいが、何でそんなに説明的なんだ?」
「説明だからだよ、お兄ちゃん」
そこで言葉を区切り、小夏は自分の分のコーヒーを買って飲み始める。
「それで? プリンを買ってどうしたんだ?」
「ルンルン気分で私は教室に戻ってプリンを食べようとした時にね、スプーンが無いことに気づいたんだよ。売店のおばちゃんが付け忘れちゃったみたい」
「ほお。それで?」
「時間も僅かだったから全力ダッシュで売店に戻ってスプーンを貰ってきた。でね、いざプリンを食べようとしたらなんとびっくり。机に置いていたはずのプリンが忽然と姿を消していたんだよ」
しゅん。と、小夏は肩を落としてしまう。
そんなにプリンが無くなったのがショックだったのか我が妹よ。
まぁでも、気持ちが分からないという訳ではない。俺だって前に楽しみに取っておいたケーキを親に食べられてしまうという経験をしたことがある。
「で、その流れだと、花澤さん? が小夏のプリンを食べちまったってわけか」
そう訊ねると、小夏は首を横に振る。
ゴールデンイエローの髪が陽光を反射して煌めく。踊った髪が元の位置に戻ると同時に小夏は口を開く。
「結論から言うと、プリンを食べたのは私」
「……は?」
「プリンを食べたのは私」
「聞き取れなかった訳じゃない」
同じ言葉を復唱する小夏の頭目掛けてチョップを叩き落とす。しかし、当たる瞬間に小夏は俺の手を掴んで直撃を回避する。
握られた手が驚くほど冷たい。まるで冬場の川の中に手を突っ込んでいるようだった。そんなことを思っていると、小夏はすぐに手を離してコーヒーを飲み始めた。
「プリンを食べた私は中途半端にお腹が空いちゃったんだよね」
そして何事も無かったかのように話を再開する。
「お昼休みまでまだ一コマ分の授業がある。困った私は辺りを見渡したんだよ。そしたらなんと、花澤さんの机の横にお弁当袋が掛けられているではありませんか」
「……」
もう何を言えばいいのか分からなかった。
俺はただただ小夏にお弁当を奪われてしまったあの女の子に同情した。
「……小夏、売店行くぞ。自分の分の飯を買うがてら、可哀想な女の子に恵みを与える」
「え? 何か奢ってくれるの?」
「小夏にじゃねーよ!! お前のどこが可哀想なんだ!? あぁ!!? 花澤さんに何か買ってあげるんだよ勘違いすんな!!」
「じょ、冗談だからそんなに怒らないでよ……」
時間はまだ五分も経っていない。売店が混んでいなければ宣言通りの時刻に戻ることは可能だろう。
小夏の手を引っ張ってささっと売店まで行こうとした時、俺はふと今までの会話に疑問を持つ。
「……なぁ小夏。お前、売店一人で行ったのか?」
それは本当に些細な疑問だった。
売店なんて一人でも余裕で行けるところ。人に聞ければ普通に行けるような場所。でも、小夏は授業が終わってからすぐに行ったと言った。
「お前、どうして売店の場所を知っていたんだ?」
「……」
小夏の横顔に影が差した。
それは空で煌々と輝く太陽が分厚い雲に覆われていくように、光が閉ざされて影の世界が舞い降りる。
小夏は横目で俺のことをじっと見据えていた。こちらを伺うような鋭い瞳には光が灯っていない。まるで幽霊に見つめられているようだった。
「クラスメイトに教えてもらったんだよ」
無表情のまま小夏は答えた。
嘘だとすぐに分かる言葉。俺にすぐバレるのを分かって尚、小夏は言葉を続ける。
「分かりやすいところにあったからね。迷うことなく辿り着くことができたよ」
「……そうか。なら――」
売店の場所だけならば俺はきっと納得していただろう。でも疑問はそれ一つだけではない。あともう一つ、おかしいと思うには十分な疑問がある残っていた。
「どうして――プリンが100円だって知っていたんだよ」
「……」
「それもクラスメイトに聞いたのか? 突発的に思い立ってすぐに教室を飛び出したってのに、よくそんな余裕があったな?」
こんな事を真面目に話すなんてどうかしていると思う。でも、俺はそんな些細なことが無性に気になって仕方がなかった。
分からない。どうしてこんな風に思うのかこれっぽっちも分からない。けど納得のいく答えを聞くまで引き下がれる気がしない。
「……」
小夏の表情が険しくなる。
余計なことを言ってしまったと後悔しているようだった。
「朝の言葉と言い、今の事といい……お前は一体何を知っているんだよ。なぁ、俺には話せないようなことなのか?」
「……私だって話せることなら話したい。けどね、お兄ちゃん。誰にでも隠したいことの一つや二つはあるんだよ。それに……この事は口が裂けても言えないよ、お兄ちゃんにだけは、絶対に……」
俺にだけには絶対に言えない秘密。
やはり小夏は何かを知っている。知っててそれを黙り続けている。
「――喧嘩でもしているのかしら?」
「葵雪……」
気づけば葵雪が近くにいた。
こちらの会話の内容は聞いていなかったらしく、何も知らない様子で笑いながら話し掛けてくる。
「もう10分以上経っているわよ? 迷ってるんじゃないかと心配になって探しに来ちゃった」
「あ、ああ……悪い。時間のこと忘れてた」
「時間を忘れるほどの話をしていたのなら席を空けた方がいい?」
「いや、もう戻るから気遣いは無用だ」
「そう。なら戻りましょ? 何もかも全部忘れて」
突然、虚無感が俺を襲った。
頭の中が空っぽになるような感覚。穴の空いたバケツのように底から記憶が零れ落ちていく。
「あ、れ……?」
今の今まで何を考えていたんだっけ……?
「修平はお昼ご飯を買いに売店に行ったのよ」
「ああ……そうだ。俺は昼飯を小夏と買いに来たんだったな」
なんでそんなことを忘れて俺は小夏とこんなところにいるんだろうか……?
「やっぱり売店の場所が分からなかったのね。ちょっと入り組んだところにあるからあたしが案内してあげる」
「それは助かる。んじゃ案内よろしくな」
思い出した途端、急にお腹が空いてきた。
俺の満腹メーターは切れかかっており、すぐにでも何か口にしないと倒れてしまいそうだった。
「小夏も行こうぜ。腹減ってるだろ」
「……うん。とっても」
何故か小夏は悲しげに答えた。
けど今は空腹のせいでまともに思考が回らない。
「じゃあ行きましょ。早く行かないとお昼食べる時間が無くなっちゃう」
「おー」
俺は先行する葵雪の隣に並んで歩き出す。
その後ろを小夏が無言のままついてきた。
しかし……俺たちは本当にこんなところで何をしていたんだろうか?
手に持っていた缶コーヒーを見ながら俺は首を傾げるのだった。
to be continued
心音です。こんばんは。
なぜ修平はつい一瞬前までの会話を忘れてしまったのか。葵雪は修平に何をしたのか。




