第66話『私にしか出来ないこと』
Another View 巡
トイレに行くと言って教室を出た私は、そのままトイレを通り過ぎて階段を上った。
屋上へと続く階段は生徒たちに利用されない為、薄暗くて少しだけ不気味だった。掃除もあまりされていないせいで溜まった埃が一歩一歩歩くたびに宙に舞う。
くしゃみが出そうになるのを必死に堪えながら階段を上り切り、常備しているヘアピンを折り曲げてステンレス製の扉に突き刺す。
少しの間カチャカチャと弄っていると、引っかかるところにあたり、そこを中心に手を捻るといとも簡単に解錠することができた。
これは過去の修平くんから教わった方法。
これまでに何度もやっているせいで苦労することなく屋上に入れるようになってしまった。
いけない事だというのは百も承知だけど、私にとってこの屋上は校内の何処よりも落ち着ける場所だった。
「……気持ちいい風だなぁ」
ドアを開け放つと、心地よい風が出迎えてくれる。
春のぽかぽかとした日差しを全身で受け止めながら私は屋上へと足を踏み入れた。
それと同時に一限の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。無論、教室に戻るつもりはない。このまま一限の授業だけはサボらせてもらうことにする。
サボるのに抵抗が無いわけではないが、こんな心情で授業を受けたところで内容が頭に入ってくるとは思えない。それにもう何度も何度も同じ授業を受けているのだから、出る必要は正直なところ無いのだ。
フェンスのところまで歩いていくと、虹ヶ丘町全体が一望出来る。ここから見える景色は大好きだけど、悲しくて涙が溢れそうにもなる。
変わらない町並み――。
変わらない景色――。
変わらない時間――。
何度繰り返しても夢が終わることは無い。永遠の時間を繰り返し続けている。幸せな時間を手に入れるまでこの夢は輪廻し続ける。
「……葵雪ちゃん」
この夢は葵雪ちゃんの為の世界。
私が最も恐れていた夢になってしまった。
葵雪ちゃんの世界では分からないことがあまりにも多すぎる。警戒するに越したことはない。
これまで経験してきた葵雪ちゃんの夢を振り返る。
始まりはいつもと変わらない。流れる日常に身を任せて時間が過ぎ、いつの日か修平くんと葵雪ちゃんは付き合い始める。
大体の夢はこうなっていた。でももちろん今回のような例外だってある。とは言っても、この例外は今までに経験してきた夢に比べれば優しい方だった。というより何の害も無い。一目惚れして付き合い始めたんだなぁって納得することができる。
私の言いたい例外はそんな生易しいものでは無い。
忌々しい記憶が蘇ってくる。私はいつの間にか震え始めていた体をぎゅっと抱きしめて心を落ち着ける。
けれども一度思い出そうとしてしまったせいで、凄惨な光景が頭に浮かんで消えなかった。
ある夢ではひよりちゃんが殺された。
全身を刃物で滅多刺しにされて、涙と血で顔を汚して絶命していた。
それを最初に発見したのは椛ちゃんだった。どうやらその日、椛ちゃんとひよりちゃんは遊ぶ約束をしていたらしく、待ち合わせの時間になっても来ないひよりちゃんを心配して探しに行ったところで、見つけてしまったのだ。
そして当然のように椛ちゃんは壊れてしまった。友達の凄惨な姿を見て正気でいられる方がおかしい。
ある夢では椛ちゃんが葵雪ちゃんを殺した。
この時既に修平くんと葵雪ちゃんは付き合っていて、こんな結末になると予想していなかった私は流石に唖然としてしまった。
二人の間に何があったのかは分からない。でも、その時の椛ちゃんは泣いていた。泣きながら私に『ごめんなさい』と言葉を繰り返していた。
それが見るに耐えなかった私はすぐに世界をリセットした。どうせ繰り返すのは確定していたのだから、少しでも早く椛ちゃんにこの夢での出来事を忘れて欲しかった。
ある夢では葵雪ちゃんが修平くんを殺した。
私や小夏ちゃん、椛ちゃんにひよりちゃん。全員が揃っている場で葵雪ちゃんは修平くんのことを殺したのだ。あの日は確かみんなで川原に遊びに行っていた時のことだった。
楽しい思い出になるはずだと、誰もが信じていた。でも現実はそうならなかった。修平くんの首元から噴き出した血が、透き通るほど綺麗な川の水を赤く濁し、悲鳴が木霊した。
葵雪ちゃんの夢は運命の日を迎えるよりも前に終わってしまう。最初のうちはそんなことにはならなかったのに、繰り返しの回数を重ねるうちに葵雪ちゃんの夢ではそうなることが当たり前になっていた。
だから私にとって、葵雪ちゃんの世界はすぐにでもリセットしたい夢なのだが、私の力はそんなほいほいと使えるような優しい力ではない。
「ほんと……滑稽だよね。誰かが死なないと力を使うことができないなんて。誰も死なないようにしたいのに、誰かが死ぬことでしかこの力を使うことができない。皮肉だよ。何のための力なのか分からない」
けれどこの力のおかげでこうしていられるって考えると、やっぱり私は自分の力に助けられている。
「この力が無ければ私は……私は、これからの人生を独りで生きていかなければならなかった」
始まりの世界ではそう……私を除いた全員が死んだ。
つい一瞬前までみんなで仲良く笑いあっていたのに、次の瞬間には物言わぬ肉塊へと変わっていた。
私も死ぬはずだった。でも、修平くんが命を賭してまで私のことを守ってくれた。そして私の無事を確認した修平くんは、最期に笑顔を私に見せて息を引き取った。
大好きな人が、愛してる人が……目の前で――死ぬ。
二度と経験したくない。でも私はもう幾度となくそれを経験している。
そうしてまた繰り返すのだ。何度も、何度も、何度も繰り返して。諦めずに何度だって繰り返して私は幸せな結末を手に入れたい。
諦めてしまった時、私は本当の意味で独りになる。
その時私はどうするだろうか? 生きていこうと思えるのだろうか。
私は弱い人間だから多分……死を選ぶ。修平くんはきっとそれを許さないだろうけど、私は修平くんのいない世界で生きていく自信が無い。
椛ちゃん、ひよりちゃん、小夏ちゃん。それと葵雪ちゃんも。誰か一人でも生きていれば、私は生きようと思えるのかもしれない。
でも、現実は違う。みんな死んでしまう。これだけはもう変えることができない運命。変えたいのであれば、繰り返す世界の中で幸せな結末に辿り着くしかない。
「――絶対に、辿り着くんだ。これは私にしか出来ない事。弱い私に、神様がくれたたった一つの力」
世界を繰り返す力――。
奇跡の力――。
「この力には決まった代償も対価も無いけれど、私はたくさんの死を経験してきている。大切な人たちが死んでいくのを間近で見ている。だからこの力の代償はこれなんだろうね」
神様に試されているのかもしれない。
繰り返す度に大切な人が死ぬ。幸せな結末を手に入れる為に大切な人を何度も殺してしまう。殺していかないと、幸せな結末を手に入れることはできない。
なんて無情な因果なのだろう。
神様は私に何を求めているのだろう?
分からない。分からないけど、私がやらなければならない事だけは分かっている。
絶対に捻じ曲げてはいけない信念。何度繰り返して、何度殺してしまうことになっても、折れるわけには、諦めるわけにはいかない。
夢の終わり――。
その先に待つ、幸せな結末を手に入れる。
それが私が今やるべきこと。
絶対に成し遂げなければならないことなのだ。
葵雪ちゃんの世界でどこまでやれるか分からない。
でも、やるしかない。やれる限りのことを、やり続けなけれならない。
「――どうか、信じて」
吹く風に乗せて言葉を空に届ける。
神様。もしも私の声が届いたのなら、お願いします。
私たちに幸せをください。
to be continued
心音です。こんばんは!
今回の話は毎ルート恒例の『追憶』でした。
次回の話からはひよりも登場し、しばらくは『普通』の日常が続きます。




