第15話『指切り』
「――なんで!! いつも!! こうなるんですかぁぁぁぁぁあああああ!?」
ひよりと仲良くなった頃を思い出させる、校舎全体に響き渡っているのではないかと思うほどの大絶叫が空気を震わせていた。
「俺に聞くなぁぁぁぁぁあああああ!! 元はと言えばひより!! お前のせいだろぉぉぉぉぉおおおおお!!」
前回と唯一違う点を挙げるとすれば、今回は逃げ回っているのが俺とひよりの二人というところだった。
「あははははっ!! 待て待てー!! ていッ!!」
「うお!? おいこら小夏!! シャーペンは書くものであって投擲するものじゃない!!」
「ペンは剣よりも強し――ってね!!」
「それは意味が違いますよーーーーーっ!! ひゃぁぁぁぁ!?」
次々に飛翔して来ては、ありとあらゆる法則を無視して壁や床に突き刺さるシャーペンを避けながら俺とひよりは廊下を駆ける。
「――ここから先は通さないわよ!!」
「追い詰めたんだよ〜」
廊下の死角から葵雪と椛が飛び出してくる。どうやら俺たちは小夏にまんまと誘導されていたらしい。
挟み撃ち――。絶体絶命の状態。けれど俺たちはこんなところで立ち止まるわけにはいかなかった。己の信念を貫く為にも――ありとあらゆる障害を乗り越えてみせようッ!!
「――ひよりッ!!」
「はいっ! 修平さん!!」
「あいつらに見せてやろうぜ!! 俺たちの本気ってやつをなぁ!!」
「はい! 見せつけてやりましょう!! これがひより達の全力ですッ!!」
ポケットから取り出すは手に馴染んだお馴染みのスマートフォン。
「いっきますよーーーーーっ!!」
ひよりは手の中に隠していた鉄製の球体を天井ギリギリの高さまで投げ上げる。不意に投げられたそれは、小夏たちの視線を奪うには十分な効力と時間を俺たちに与えてくれた。
「――さぁ、始めようか。俺とひよりの――」
呟きながら俺は起動させておいたアプリの画面をワンタップした。
※
さて、何が起きているのか全く分からないであろう人たちの為に、時は30分ほど前まで遡る。
「――放課後だぁ!!」
帰りのホームルームが終わると同時に無駄にテンションを高くした小夏が俺たちのクラスに突入してきた。
下級生が上級生の教室に乱入してくるという不自然極まりない状況だが、今となってはすっかりと見慣れた光景として日常に刻まれており、俺たちはおろか、クラスメイト達も担任も全く気にせずに小夏の来訪を迎えていた。
だが、そんな日常的な小夏の来訪に対して気になる点を挙げるとすれば、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴ってから数秒も経っていないのにも関わらずどうして俺たちの教室にいることができるのかという事だった。
当然、その事に疑問を抱いているのは俺だけでなく、クラスメイト一同クエスチョンマークを頭に浮かべており、必然的に俺の元へと視線が集まる。
「……なぁ小夏。お前ホームルーム終わってからここまでどうやって来たんだ?」
クラスメイトの期待に応えるべく、俺はクラスを代表して小夏に問いかけた。
息一つ乱していない小夏。まぁ小夏の事だから全力疾走したところでそうそう乱れることは無いだろうが、今回は走ってきたという線は捨てて考えるべきだろう。
「ふふー。そんなの答えは簡単だよ。実は――」
「あー!! 小夏さん見つけましたよーっ!!」
突然廊下の方から聞こえてきた大きな声が得意げに説明を始めようとした小夏の声を遮る。
「あら花澤さん。随分と遅い到着だね」
「あら花澤さん――じゃないですよ!! ひよりが遅いのは当たり前のことです!! 小夏さんはホームルームサボってこんなところで何しているんですか!!」
ひよりの言葉にクラスメイトは全員納得したように頷いた。まぁ常識的に考えればサボって出待ちしている以外考えられないわな。
「細かいことは置いといて、さぁ皆さん! 遊びましょう」
「置いておいていい話じゃないですよ! 先生怒ってましたよ?」
「小夏……何がお前を駆り立てているのか分からないが、ホームルームサボるほど早く遊びたかったのか」
「いや? 単に体育の後にホームルームがめんどくさかったので直行しただけだよ」
「ああ……だからわざわざ更衣室に荷物全部持ってきていたんですね……」
呆れたと言わんばかりにひよりは大きなため息を吐く。そんなため息も日常に溶け込むように消えていった。クラスは元の喧騒を取り戻し、小夏とひよりは堂々と教室に入ってくる。
「改めてこんにちはです、先輩方!」
ビシッと敬礼しながらひよりが挨拶してくる。
「こんにちは。ひよりちゃんは昼休みと変わらず元気だね」
「はい! 元気だけがひよりの取り柄ですからね!」
力こぶを作って元気さをアピールするひよりに小夏はやれやれと手を振る。
「体育であれだけ走り回っていた癖に、どうしてそんなに元気でいられるのか不思議でたまらないよ」
「小夏さんだってひよりと同じくらい動いていたけど息一つ乱していなかったじゃないですか」
「そりゃ私は運動得意だもん。あれくらい走ったうちに入らないよ。なので今からドロケイをしようと思います」
「おー。それは名案……いや待て。何でそうなったし」
あまりにも自然な流れに、自然と返事を返そうとしてしまった。
「え? 動き足りないから?」
さも当然のように答える小夏。そういや最近あまり運動する機会が無かったから忘れていたが、小夏は体を動かすことが大好きなんだよなぁ。
「小夏ちゃんもひよりちゃんに負けないくらい元気だね〜。わたしはもう年かな〜。走り回るよりお団子とか食べてのんびりしたいよ〜」
大好きな和菓子を食べている事を妄想しているのか、椛は幸せそうに空に浮かぶ雲を眺めて指をさしていた。
「あれはお饅頭で〜、あれはかしわ餅〜。あ! あれは桜餅なんだよ〜」
……悪い椛。俺には形の違いがこれっぽっちも分からない。お前が指さす雲、全部形同じじゃねーか。
「小此木さんの許可も出たところで風見さんと水ノ瀬さんはどうしますか?」
「あれれ〜? わたし一言もやるなんて言ってないはずなんだけどな〜」
「あたしは別にいいわよ。やるならやる」
「私もやるよ」
「じゃあ決定ですね」
「わたしの意思は何処へ〜? 疲れるのは嫌なんだけどな〜」
「じゃあとりあえず泥棒と警察に分かれましょうか」
椛の訴えをガンスルーして小夏は進行を続ける。
「ところで皆さんは玉子焼きは甘い派ですか? しょっぱい派ですか?」
それはあまりにも唐突すぎる質問だった。だから俺たちは質問の本当の意味を理解するよりも早く回答してしまう。それが波乱への火種となっている事に気づかずに。
「ちなみに私はしょっぱい派です」
「あたしはしょっぱい派ね」
「甘い方だな」
「ひよりは絶対に甘い派ですっ!」
「私は甘い派だよ」
「わたしはしょっぱいのが好き〜」
「「「「「「……」」」」」」
沈黙。それは表面上は嵐の前の静けさのように。しかし水面下ではプツンと何かが切れる音がお互いから確かに聞こえた。
それまで温かい眼差しで俺たちの会話を聞いていたクラスメイトも本能的に自分たちの危機を察知しそそくさと帰り支度を整え教室から出ていく。ものの数秒で教室に残るのは俺たち六人だけになっていた。
ところで海底火山を知っているだろうか? 普段は大人しいが地震などの影響を受けると噴火したりするあの海底火山だ。海底火山が何らかのきっかけで噴火するように、俺たちの怒りは水面下で膨大していき、やがては穏やかだった水面を突き破る大噴火を起こした。
「はぁぁぁぁぁ!? 小夏てめぇ!! お前俺の作った甘い玉子焼きあんなに美味そうに食っていた癖してしょっぱい派だ!? 何考えてやがる!!」
「確かにお兄ちゃんの作る玉子焼きは好きだけど本来の私はしょっぱい派なの!! これだけは絶対に譲れない!!」
「ぷぷぷー!! 甘い玉子焼きの方が美味しいに決まってるじゃないですかー!! しょっぱい玉子焼き? そんなの玉子焼きのニセモノですよ!!」
「言ってくれるじゃないひよりッ!! あんたこそ舌大丈夫? あ、お子様舌だから甘いのしか食べれないのね可哀想に!!」
「聞き捨てならないなぁ葵雪ちゃん!! 玉子焼きって言ったら甘いのに限るでしょ? 本来の美味しさを理解できないなんて可哀想だねぇ!!」
「巡ちゃんは何を言ってるのかな〜!? 甘い玉子焼きなんて玉子焼きに対する侮辱と言っても過言じゃないんだよ〜!!」
つい先程までの和やかな雰囲気は何処へ消えてしまったのか。今やここは学生達が呑気に勉学に励む場所ではなく、一つの戦場と成り果てていた。
「いいだろう!! ならドロケイで決着を付けようじゃねーか!!」
「ルールは前と同じでいいわよね? タイムリミットは最終下校のチャイムが鳴るまで。それまでに警察は泥棒を捕まえる。勝った方が正義よッ」
※
こうして戦いの火蓋が切って落とされたのが30分前の出来事であり、時は現在へと戻る。
始めは巡、ひより、俺の三人で行動していたわけだが小夏の奇襲により巡とは離れ離れになってしまっていた。巡の安否が些か不安ではあるがああ見えて彼女は頭が切れる。それに今の状況から察するに、小夏たちは俺とひよりを捕まえることを最優先に考えているようで巡はまだ捕まっていないと考えられた。
俺たちが捕まる訳にはいかない。頭が切れるだけで巡には体力という概念は存在せず、万が一俺たちが捕まってしまったら救出は困難と言えるだろう。
「――さぁ、始めようか。俺とひよりの――」
だからこそ手を抜かない。この戦場で生き抜くためにも手段は選ばない。ニヤリと悪役のように笑い、そう呟きながら俺は起動させておいたアプリの画面をワンタップした。
「――全力逃走をッ!!」
刹那、ひよりの投げ上げた球体が眩い光を放ち、周囲を白く染め上げていく。
「くっ……!!」
ホワイアウトする視界。閃光弾並の光量をモロに食らったしょっぱい派のくぐもった声が作戦が成功したことを知らせてくれた。
「よっと……」
俺とひよりはその隙を突いて二階から飛び降りる。
「とっとっと……!?」
高いところからのジャンプに慣れていないひよりは着地と同時にふらつく。俺は抱きしめるような形でひよりを受け止めしっかりと立たせる。
「あ、ありがとうございます」
「問題ない。それよりも早いところ逃げよう。走れるか?」
「少し足が痺れてますけど……いけます」
そろそろ小夏たちの視力が戻っている頃だろう。見つかる前に急いでこの場から立ち去る。
「下校時刻まであと30分程度だ。このまま巡と合流して時間まで隠れてやり過ごすぞ」
「了解しました! ふふ。ひより達の正義が勝ちそうですね!」
「ああ! 俺たちの勝ちだ」
それから巡と合流した俺たちは残り時間を隠れる事に徹し、見事なまでに勝利を納めたのだった。
※
「むー……。納得いかない」
こんがりと焼けた焼き魚の身を箸でほじくりながら小夏は頬を膨らませ拗ねていた。
互いの正義を賭けたドロケイを終えた後、俺たちは走り回って空かせた腹を満たすために、本来の計画通り葵雪の家の食堂に夕飯を食べに来ていた。
「納得いかなくても小夏の負け。道具を使っちゃいけないなんてルールは無かったし、小夏だってシャーペン使ってきたじゃん」
「いやまぁそうだけどさぁ。私のシャーペンなんてお兄ちゃんの武器と比べたら可愛いものだと思うんだよね?」
「いやいや!?」
その言葉に真っ先に反応したのは俺ではなくひよりだった。
「あれは完全にひより達を殺しに掛かってましたよね!?」
「投げただけじゃん」
あっけからんと答える小夏にひよりの怒声が飛ぶ。
「投げただけで壁とか床に刺さるわけないじゃないですか!? あれはシャーペンじゃありません!! 矢ですよ!! 矢!! れっきとした武器です!!」
「どうどう。落ち着いてひよりちゃん。勝ったんだからいいでしょ?」
「がるるる」
獰猛な獣をなだめるように巡はひよりの頭を撫でて落ち着かせていた。
「修平の使った閃光弾? には参ったわ。小夏のシャーペンも大概だけどあれも十分脅威よ」
「目がチカチカして大変だったんだよ〜」
「まぁまぁ、過ぎたことは気にしちゃダメだよ。とりあえずみんな今後は甘い玉子焼き食べるんだよ? お願いね?」
それはお願いというよりは命令に近しいものだった。口調こそ柔らかいものの有無を言わせぬ圧力が巡の言葉には含まれていた。しょっぱい派の三人は無言で何度も頷き、俺とひよりは普段見ることのない巡の恐ろしさを垣間見た気がして恐怖していた。
「そういえば皆、来週末暇かな」
俺たちの様子などお構い無しに会話を続ける巡。
「暇なら皆で星を見に行かない? ほら、ちょうど七夕だしね」
「ん、ああ。そういえばもうそんな時期か」
氷水を飲んで一息ついた俺はスマホでスケジュールを見ながら会話に参戦する。
「星かぁ。良いんじゃないか? 俺は予定無いし皆の都合が合えば行こうぜ」
七夕。年に一度織姫と彦星が再会できる特別な日。そんな日にここにいる皆で星を見るというのはなかなか魅力的な提案だった。普段遊んでばっかだから、星の観測会というのも悪くない。どうせなら色々と調べても楽しいかもな。
「楽しそうなのでひよりは大賛成です!」
「うんうん〜。ひよりちゃんの言う通り楽しそうだね〜」
「あたしも賛成。楽しくなりそうね」ー
「無論私もオッケーですよ」
異論は一切無く、スムーズに話が進む。ノリのいい友達に恵まれているなぁと改めて実感していた。
「皆ならそう言ってくれると思っていたよ。じゃあ――」
テーブルの中央に向かって手を伸ばす巡。俺たちはその行動の意味が分からず首を傾げる。
「約束しよ。皆で絶対に、一人も欠けることなく星を見るって」
拳を握り、小指だけ突き出して指切りの体勢を取る。何もそこまで大袈裟にしなくてもいいんじゃないかと思いながらも、俺たちは揃って手を伸ばす。
流石に六人で指を絡めることはできないから小指の先をちょこんと当てると、巡は嬉しそうに微笑んだ。
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ーます。指切った」
小さな小さな約束。
皆で星を見るというだけの言っちゃ悪いが些細な約束。指切りなんてしなくても破るやつなんていないだろう。
「約束だよ、皆。絶対に……絶対に、一緒に見ようね」
けれど巡は何かを恐れていた。まるで約束が守られないということを知っているかのように念に念を押してくる。巡だけが別世界にいるようだった。何処か遠く、俺たちの知らない場所から何もかもを見通している。儚げに笑う巡は俺たちとは違う視点で何かを見据えていた。
ふと、形容し難い感情が胸の内に産まれる。これはなんだ? 痛み? 苦しみ? 悲しみ……? その全てをミキサーでごちゃ混ぜにしたような負の感情。ドロドロとした液体となった感情が血液と混じって身体を駆け巡るような感覚に吐き気を覚える。
「……お兄ちゃん? どうしたの?」
あからさまに顔に出ていたのだろう。青ざめている俺を心配した小夏が不安げに覗き込んでくる。
俺は手を振って大丈夫と伝えると、すっかり元の表情に戻った巡を見据えて氷水を一気に飲み干した。
「……」
曇りなき真っ直ぐな顔で笑う巡。お前は一体その笑顔の裏に何を隠しているんだ……?
to be continued