第14話『信じて』
「んー! 今日もいい天気だね! お兄ちゃん! 授業で疲れ果てた身体が睡眠を欲しているから寝てもいい?」
昼休み。午前中のかったるい授業から解放された俺たち兄妹はすっかり慣れた手つきで屋上の扉のピッキングを済ませると、開放的な空間へと身を投じていた。
六月も終わりに近づいており、蒸し暑い日が続いていた。梅雨がまだ続いていることもあり、ジメジメでした空気が肌にまとわりつくようだったが、不思議と悪い気分にはならなかった。
「寝るのは勝手だが起こさないからな」
陽射しでいい感じに温まったアスファルトに寝っ転がる小夏にそう告げると、死刑宣告をされた囚人のような濁った瞳で隣に立つ俺を見上げた。
「え、何で。起こしてくれなかったら私授業遅刻しちゃうんだけど」
「だってお前寝ると起きねーし。無理矢理起こせばキレるしめんどくさい」
「お兄ちゃんは可愛い可愛い妹が授業に遅刻して先生に怒られても構わないって言うの」
「可愛い可愛い妹だからこそ、時には心を鬼にする必要があるんだ。ほら、ライオンは自分の子どもを谷に突き落とすと言うだろ? それと同じ」
「普通谷に落とされたら死ぬよね。親ライオンは我が子を殺そうとしているとしか私は考えられないよ。だから私を殺さないでお兄ちゃん」
「急に真面目になるなよ」
「とりあえずお昼食べよ、お兄ちゃん」
行きに買ってきたコンビニ飯を食べるためによっこらせと起き上がる小夏に袋の中に入っていたおにぎりを一つ投げ渡す。
「ありがと。そういえば他の人たちはどうしたの? 来るって話じゃなかった?」
「あいつらはみんな購買に行った。そっちこそひよりはどうしたんだよ。あいつは確か弁当派だろ?」
俺の記憶が正しければいつも手作り弁当を食べていたような気がする。だから巡たちみたく購買に行く必要も無いと思うのだが。
「花澤さんなら行っちゃったよ」
「行ったって何処に行ったんだよ」
大方、先生に呼び出しでも食らってしまったのだろう。そう思いながらも訊ねてみると、小夏は何故か遠い空を見上げた。
「円環の理に導――」
「おーけー。ストーップ」
俺は慌てて小夏の口の中に自分のサンドイッチを突っ込んだ。
「はにすふのはー」
もぐもぐと咀嚼しながら抗議の声を上げるが言葉になっていない。イントネーションから何が言いたいのかは伝わったがそれはこっちのセリフだ。お前今何言おうとした。
「もぐもぐ。このツナサンドなかなか美味しいね。私のおにぎりと交換しようよ」
「拒否する。お前変な味選びすぎなんだよ。何このアボカド納豆味って。どう考えたって地雷臭しかしねーよ」
他にも小夏が買ったおにぎりに、見た目は焼きおにぎりのチョコレートご飯味。罰ゲーム用の何かかと思わせる辛子マヨネーズ味とあるが、どれも食欲を失せさせる代物でしかなかった。これらを買った小夏もそうだが、仕入れた店側も何を考えているのか俺には到底理解出来なかった。
「――修平さーん! 小夏さーん!」
賑やかな声と共にひよりが屋上に姿を見せる。どうやらお説教タイムは早々に終了したようだ。
「? 随分と早い登場だね?」
が、しかし、小夏はひよりがこの場にいることに納得が出来ていないようで首を傾げていた。
「どういう事だ?」
「いや、花澤さんが怒らせた相手は虹ヶ丘高等学校の鬼と呼ばれる先生らしくてね。なんでそんな先生に怒られてこんなにも早く解放されているんだろうなぁって」
「やだなぁ、小夏さん。そんなの理由なんて一つしかないじゃないですかー」
ひよりはふふんと鼻で笑うと、腰に手を当て無い胸を張る。
「逃げてきました! 全力疾走で!」
おおっぴらに自らの罪を告白してドヤ顔を決める。何をどうしたらそこまで威張れるのだろう。
「うんまぁ……話の流れ的にそんな事だろうと思っていたよ。けどいいの? 後々めんどくさいなるだけじゃん」
「細かいことは気にしません! 先生のお説教よりも先輩たちとのお昼の方が重要ですからね! それはそうと……他の皆さんは何処へ?」
姿の見えない巡たちに疑問を抱き、その場でキョロキョロと顔を動かすひより。もちろんひよりが見る場所に巡たちがいるはずもなく、さ迷わせていた視線を俺の前でピタリと止めた。
「昼飯の調達中だ。そろそろ来る――お、ちょうど来たみたいだな」
「あ、そのようですね」
入り口の方からわいわいとお喋りをする声が聞こえてくる。
「みんな〜、お待たせだよ〜」
「遅くなってごめん。なんか今日はいつも以上に混んでて時間掛かっちゃった」
「葵雪ちゃんが人を蹴散らしてくれたおかげでわりと早くこっち来れたけどね」
「葵雪……お前は一体何をしたんだ」
「少なくともあんたが思っているような事はしていないわよ。あたしはちょっとお願いをしただけだから」
「脅迫ですね、分かります」
小夏の言葉に巡と椛は苦笑いを返すだけで否定はしなかった。おそらくそういう事なのだろう。
「まぁあたしが脅迫したことはさて置き、お昼食べましょうよ。若干二名はもう食べているみたいだけど」
「脅迫したことを認めちゃうんですね……。ひより、葵雪さんのことがちょっと怖くなってきました」
「大丈夫だよ、ひよりちゃん。葵雪ちゃんは仲間内には優しいからね」
「あ、あまり安心できる言葉じゃないと思いますよそれ……」
葵雪に対する警戒心が一段階上がったところでわいわいとした昼ごはんの時間が始まる。
思えば、何度も一緒に昼ごはんを取っているが、こうして屋上に集まって食べることは初めてかもしれない。
青く澄み渡った海のような空。何処までも続く青い空を泳ぐように飛ぶ鳥たちはあたたかい陽気に包まれて心地よさそうにしていた。
いつも食べているサンドイッチが今日はいつも以上に美味しく感じる。外で食べるという開放感と親しい友達と食べる安心感がそう感じさせているのかもしれない。
「こうしてみんなご飯食べるのっていいですよねー。ひより、学校にいる時はこの時間が一番好きです」
「私も。放課後に集まって遊ぶのも楽しいけどね。どうせなら今日も遊ぶ?」
「おお! ナイスアイデアです巡さん! ひよりは大賛成ですよっ! 皆さんはどうですか?」
ひよりの期待に満ちた眼差しに俺たちが拒否するなんて出来るわけもなく、みんなで揃ってオッケーを出す。
「そうだ。あたしは今日家の手伝いあるから18時頃には帰るわよ」
「そうなんですかぁ……。どうせなら皆さんで夕飯もご一緒にって考えていたんですけど……」
「ならあたしの家に食べに来ればいいじゃない。手伝いと言ってもどうせ暇だろうし、ご飯を一緒に食べるくらいはできるわよ」
「マジですか! ならそうしましょう! もちろん葵雪さんが作ってくれるんですよね?」
「別にいいけど」
「やりました! 今日は楽しくなりそうです!」
花の咲いたような満面の笑み。放課後が楽しみで楽しみで仕方ないのだろう。
「そんなに楽しみなら放課後になった瞬間に花澤さんは逃げないとね。お説教、忘れてるわけじゃないでしょ?」
ピキッと、笑顔に亀裂が走る。冷や汗を流しながらひよりは頭を抱えた。
「そうでした忘れていました……。こうなったら意地でも逃げ切るしかありません……。いざという時はあれを使って脅せば――」
ぶつぶつと物騒な言葉が聞こえてきたところで俺は耳を塞ぐことにした。平穏な放課後が訪れることを心の中で祈りながら俺はサンドイッチにかぶりつく。
「修平くんと小夏ちゃんっていつもコンビニだよね〜。夜も葵雪ちゃんのところで食べてるんでしょ〜?」
「ほぼ毎日食べてますよ。ごく稀にお兄ちゃんに頼んで何か作ってもらいますけど、ここ三週間は水ノ瀬さんの家にお世話になってます」
「よくお金持つね〜。食費だけですごい事になってるんじゃないの〜?」
「まぁそれなりの金額にはなっていますけど、仕送り金がそれを大きく上回っているので全然問題ないです」
「親は俺と小夏がめんどくさがり屋なのを知っているからな。おそらく仕送り金のほとんどは食費に使えってことだと思う」
毎日朝昼晩を葵雪の家で食べることが出来るくらいには毎月お金が送られてくる。
食費に使えとは言ったが、実際のところこんな地方に寄越したことを多少なりとも悪く思っているということもあり、自由に使っていいということで多めに送っているのだろう。
「あたしのお母さんが毎日の収入が二人のおかげで安定しているって言っていたわ。これからもよろしく」
「言われずとも毎日よろしくするさ。ただちょっとした要望を言うならメニューを少し増やして欲しい」
「あ、それなら心配いらないわよ。なんかお母さんの料理脳に火がついたみたいでメニュー研究しているから。多分近いうちに新しいメニュー増える」
「おお。それは楽しみだな」
決して飽きるということは無いのだが、小夏と共にメニューを制覇していたから物寂しさがあったのだ。新作が出ればその分楽しみが増す。ああ……新作早く食いたいな。
「私は久しぶりに葵雪ちゃんの家に行くから楽しみだなぁ」
「わたしも〜」
巡と椛は今から夕飯が楽しみで仕方ないらしく、昼飯を食べる手が止まっていた。そんな二人を見て葵雪はくすりと笑い、ワイシャツの袖を捲り上げる。
「腕によりをかけて作るからね。期待してもいいわよ」
「うん。楽しみにしてるね」
「夕飯は決定したとして、それまでは何して遊ぶんですか?」
ちょこんと首を傾げる小夏。ゴールデンイエローの髪は太陽の光を反射して鮮やかな光を返す。
「甘狐処で和菓子でも食べながらお喋りするってのいいんじゃないかな〜? お団子〜♪ お饅頭〜♪ 杏仁豆腐〜♪」
うんうん。美味いよなぁ、団子に饅頭に杏仁豆腐……杏仁豆腐?
「……あれ? 杏仁豆腐って和菓子だっけか?」
俺の記憶が正しければ、杏仁豆腐は中国発祥のデザートだったような気がするんだが……。
「そもそも杏仁豆腐ってのはデザート用に作られた食べ物じゃないはずよ。あれは確か薬膳」
「薬膳……? って何ですか?」
聞き慣れない単語にひよりは疑問符を浮かべていた。
「薬膳っていうのはものすごく簡単に説明すると健康食品ね。杏仁豆腐は今となってはデザートてして普通に食べられているけど、昔は喘息の治療の際に使われた杏仁霜ってやつを甘くして服用していたのよ」
雪のように白くて長い髪の毛をサッとかき上げ、得意げに豆知識を語る葵雪。ひよりは興味津々といった様子で饒舌に語る葵雪にパチパチと手を鳴らしていた。
「ちなみに日本で売られているほとんどの杏仁豆腐は――」
「アーモンドエッセンスを使って作られている――かな?」
突然口を挟んできた巡に葵雪は目をぱちくりさせて驚きを表現する。
「巡知ってたんだ。なんか悔しいわね……」
「知っていたというより、覚えていただけかな?」
歯切れの悪い返事に今度は葵雪が首を傾げる番だった。
「……」
この時、俺は巡から目を離すことが出来なかった。周りの誰も気づいていない、俺だけが気づいた些細な変化。
「? それは知っていたってのと何か違うの?」
「うーん。あまり変わらないかもね。私の知識として知っていた訳じゃなくて、前に教えてもらった事があるから覚えていたって感じなんだ」
「教えてもらったって随分物好きな友達ね」
「それを葵雪さんが言いますか。ブーメラン刺さってますよ!」
「ああ確かに!? 思いっきりブーメランだったわ……」
「水ノ瀬さんは物好きですねー。やーいやーい」
聞いているだけで笑顔が零れそうな明るい会話が進んでいく中、俺は会話に参加することも、みんなに混じって笑うこともせず、ただ傍観することに専念していた。
何故? どうして誰も気づかないんだ? 巡を見れば一発で気づくはずだろ?
頭に浮かんでくる様々な疑念を振り払って俺は考える。考えて分かるような事ではない理解していても、頭がこの状況に対する説明を求めて止まない。
冷たい風が肌を撫でた。照りつけるようだった太陽は俺の心情を表すように分厚い雲に覆われていく。
今にも泣き出しそうな空。けれど、みんなはそれに気づいている素振りすら見せずに会話に花を咲かせている。誰もその異変に気づかない。巡が泣いていることに誰一人として気づいていないのだ。
異様な光景だった。俺がおかしいのか、みんながおかしいのか。それすらも今の俺には正常な判断を下せる自信が無かった。何が正しくて、何が間違っているのか。考えれば考えるほど分からなくなってくる。
重たい身体が深い海の底に沈んでいく。俺はもしかしたらこのまま底まで落ちて這い上がって来れないかもしれない。
「――修平くん」
懐かしいその声が俺の意識を再び浮上させる。重い瞼を開くと先程までの時間が嘘のように晴れ渡った空が俺を出迎えてくれた。
ああ、やっぱりおかしいのは俺の方だったんだ。
「大丈夫だよ、修平くん」
巡は他の誰にも聞こえないように小さく口を動かして言葉を紡ぐ。
初雪のような柔らかい巡の言葉はすーっと俺の胸に溶け込んでいく。ああ、どうして巡の声はこんなにも安心することができるのだろう。その声が、その表情が、その優しさが、俺に安息を与える。
「何も考えなくて大丈夫。思考の波に攫われないで」
「巡……」
「修平くんは何も心配しなくてもいいんだよ。だからお願い――私を信じて」
信じて。信じて……ね。
ああもう……そんな事言われなくても俺はお前のことを信じているんだよ。あの日、風巡丘で出会った時から決めている……。巡のことは何があろうと無条件で信じると心に決めているんだ。だから――
「分かった。俺は巡のことを信じる」
「……ありがとう、修平くん」
儚げに微笑んで巡は目を閉じる。言葉を掛けるのは躊躇われたけれど、俺と巡は今、見えない糸で繋がっているようにお互いの気持ちや考えを理解出来ている気がした。
それから昼休みが終わるまで俺たちの間で会話は無かったが、胸につっかえていた不安の一つが解消されたような気がした。
けど――この時の俺はまだ何も分かっていなかった。
巡の言葉の本当の意味を。
そして、想像もしない未来が訪れてしまうことを、理解していなかったのだ。
to be continued
心音です、こんばんは。
不穏な雰囲気を残し第一章はエピローグを含めて残り三話となります。
それでは次のお話でまたお会いしましょう。




