第99話『孤独』
Another View ひより
「……」
夕陽で紅く染まった教室でひよりは独り、窓際の壁に背中を預けて外の景色を眺めていました。
少し視線を下ろせばグラウンドに隅に集まって終礼をしているサッカー部の人たち、そこから少し顔を上げれば仲良くお喋りをしながら帰宅する生徒。更にその先を見通せばこの町の豊かな自然が一望できます。
さっきまで聞こえていたはずの吹奏楽部の楽器の音色はとっくに聞こえなくなっていて、まるでひよりだけが孤独の世界に隔絶されているようにも感じました。
誰もいない教室で、孤独を感じながら、終わっていく一日を眺める――ああ……ああなんで――
「――こんな寂しい思いをしてまで、ひよりはこんなところにいるんだろう……」
小夏さんと修平さんに一緒に帰ろうって言われた時に、どうしてやる事があるから――なんて言って断ってしまったんでしょう? やる事なんて何も無いのに。
目頭が熱くなって、頬に温かいモノが伝う。
それが涙だということはすぐに分かりました。だって窓に自分の顔が映っているから。苦しそうで、悲しげで――何もかもを諦めてしまった酷い顔。
そんな自分の顔を見てまで、涙を堪えることが出来るほどひよりは強くなんてありません。決壊したダムのように涙がとめどなく溢れて、赤黒く染まった教室の床に零れていく。
胸が苦しい……。心が痛い……。独りは嫌です……!!
もうどうしようもなくなって、ひよりは自分自身の体を強く抱き締めました。
でも、こんなことで寂しさを紛らわせることなんて出来ません。それどころか、ひよりは誰にも抱きしめてもらえない悲しい子だって考えちゃって、それで余計に悲しくなって涙が止まらなくなる……。ああ本当にバカみたいじゃないですか……。
「……いッ」
腕に鋭い痛みが走る。咄嗟に腕を離してワイシャツを捲り、痛みのした箇所を確認してみると、そこは熟れた林檎のように紅く腫れ上がっていました。
明日には青タンになってるんだろうなぁ……。でも、普通にしていれば見られることのない場所だから……それだけはよかったのかもしれません。
他にもソックスで隠された部分、背中にも同じような痕が残っています。全部……佐々木さん達にやられた傷。
最初はどうしてひよりがこんな目にあっているのか理解出来ませんでした。でも、冷静に考えてみれば簡単なことです。佐々木さん達は復讐をしているのでしょうね。本来の標的はひよりじゃなくて小夏さん。でも小夏さんには手を出せないから、代わりにひよりがこうして暴力を受けている。
「……大丈夫。ひよりが我慢すれば済むだけの話ですから」
こんなこと誰にも話せない。苛められているなんて、口が裂けても言えるわけがない。
先輩方はみんな優しい人たちだから、話せばきっとひよりのことを助けてくれるんでしょう。もちろん小夏さんだって事情を話せば力になってくれる。でも……やっぱり言えませんよ……こんなこと。
視界が暗幕を降ろされたかのように暗くなる。夕暮れ時は終わり。今からは夜の時間。孤独がより一層際立つひよりの大っ嫌いな時間。
ひよりは独りが嫌いです。この世で一番嫌い。独りでいると心が空っぽになる。空白……そう表現すると分かりやすいかもしれませんね。誰かといる時だけがひよりの空白を埋めてくれる。だから独りになった瞬間、ひよりは真っ白になる。寂しさという感情だけを残してあとは全て消え去ってしまうんです。
「……そろそろ帰ろう」
家に帰ってもどうせ誰もいないから、結局今と変わらず孤独ですけどね。でも、こんな広い場所にいるよりは全然マシです。
涙で汚れた顔を無理矢理作った笑顔に塗り替えて、ひよりは荷物を取りに自分の机に戻ることにしました。
「あれ……?」
机に入っている教科書やらノートやらをスクールバッグに移そうと手を入れたところでその異変に気づきます。
机の中には教科書類は全部入っているにも関わらず、何故かノートが一冊も入っていませんでした。入れたことを忘れているだけかと思いバックの中を確認してみるけれど、バックの中には空のお弁当箱と財布、それに折りたたみ傘以外の物は入っていません。
「……まさか、ね?」
バックから顔を上げ、教室の隅にあるゴミ箱を見る。何の変哲もないただのゴミ箱なのに、見ているだけで心臓が激しく鼓動し出しました。
「はぁ、はぁ……っ、はぁ……」
過呼吸を起こした時のように呼吸が安定しない。嫌な予感が黒いモヤとなってひよりを支配していきます。
イジメモノのマンガならば王道の展開と言っても過言ではないシチュエーション。ゴミ箱の中を見るのが怖くて怖くてたまりませんでした。
薄暗い教室の中を手探りで歩く。机や椅子に何度も体をぶつけながらそれでも進む。一歩一歩進むたびに鋭利な刃物で切り裂かれているかのように胸が痛み、心は悪い方へ悪い方へ流れていきます。
それでもなんとかゴミ箱の前に辿り着いたひよりはゴクリと生唾を飲み込み、スマホのライトを付けてから意を決して覗き込みました。
「…………無い?」
何度確認してみてもひよりのノートは入っていませんでした。ホッとしたのは束の間、ならばノートは何処に行ってしまったのかという疑問が浮かび上がってきます。
佐々木さん達の仕業であるのはほぼほぼ確定でしょうから、明日辺りに聞くのが手っ取り早いかもしれません。……まぁ、教えてくれるとは思いませんけどね。
それに佐々木さん達に話しかけるなんて目立つ真似はできません。小夏さんに勘づかれてるしまったら余計な心配を掛けてしまいますから。
「――って、冷たっ!?」
とりあえずこの場から離れようと踵を返した時、つい掃除用具の入っているロッカーに体をぶつけてしまいました。
しかもぶつけた拍子に、中に入っているバケツの水が溢れて、ロッカーの隙間からひよりの足に掛かる……ああ、最悪です。梅雨時ならともかく、この時期に換えの靴下なんて持ってきていないのに……。
「……」
ふと、疑問が浮かび上がってきました。
どうしてバケツの水が入ったままなんでしょうか? 普段は掃除の後に水は捨てておく決まりになっているはず――なのに、どうして?
恐る恐るロッカーに手を掛ける。その手はプールの授業のあとのように震えていて、ただ開けるだけだというのにこれっぽっちも力が入りません。
薄暗い教室の中でロッカーに手を掛けたまま立ち尽くすひよりの姿を誰かが見たらどう思うのでしょう? そんな下らないことでも考えていないと、自分がどうにかなってしまいそうで本当に恐ろしい。
ロッカーを開けるべきか否か……そんなの開けない方がいいに決まっています。こういう時のひよりの予感は嫌ってほど当たるんですから。
でも、放置する訳にはいかない……。だってもしひよりの予感が正しければ、この中の惨状を他の人になんて見せられませんから……。
「……………………あ」
ロッカーを開けたひよりは情けない声と共に床に膝をつく。
目の前にある光景が受け入れられなくて、でもこれが現実なんだと理解するしかない。そんな理不尽な世界にひよりは今いるんだと。こんな酷い世界が今の現実なんだと――受け入れるしかない。
四角く切り取られた空間にはひよりの予想通り水が入ったままのバケツが入れられてました。
ひよりはバケツに手を伸ばして、その中に浸されていた自分のノートの成れの果てを掴む。完全に水に浸ってしまったノートは端っこを持つだけで千切れて、ちゃぽんと虚しい音を立てて水の中に沈んでいき、同じにひよりの心は完全に暗闇に沈んでいきました。
「……っ、うっ」
溢れてくる涙を堪えることなく、ひよりはバケツの中のノートを取り上げて、それを自身の胸元で強く抱きしめる。ワイシャツがぐっしょりと濡れてしまうのも気にせず、ただただ嗚咽を漏らしながらどうしようもならない現実を受け入れる。
助けて――その一言すら言えない。
言ったところで誰も聞き届けてはくれない。
ひよりは独りでいると決めたから。
どれだけ悲しくても、辛くても――ひよりはたった独りでこの現実で生きていく。
誰にも迷惑をかけられない。だから、この事はひよりの胸の中にだけ留めておくんだ。そうすれば誰にも迷惑は掛からないし、他の誰かが傷つくことも無い。
「……えぐっ、ううっ……あぁ……」
どうして……どうして、こんなことになってしまったんですか……? ひよりは何か悪いことをしましたか? こんな酷いことをされるようなことをひよりはやってしまいましたか……?
考えれば考えるほど虚しくなります。
だって――結局、答えは一つだけなんですから。
「――こんな世界、嫌だよぉ……」
そう。何もかもこの世界のせいなんです。
一度そう結論付けてしまえば、もう溢れてくる気持ちは止められませんでした。
「どうして? どうして神様は、ひよりに……こんな世界を与えたんですか? ひよりはただ、独りじゃないことを望んだだけなのに、どうして逆のことをするんですか……!? これが運命だって言うのなら、そんなの……残酷すぎますよ……あんまりですよ……!!」
言葉にして、何もかもを吐き出す。
誰にも届かない言葉。それは家畜の豚が解体場の中で殺さないでくださいと鳴いているのと同じ。それでも吐き出さずにはいられない。
「どうしてひよりなんですか……!? ひよりは何も悪いことしてないじゃないですか……!! 悪いのは全部……全部!! ……ぜん、ぶ……っ」
小夏さんのせいだ――なんて、言えるわけがないじゃないですか……。小夏さんはひよりのことを助けてくれたんです。その結果としてこの現在があるのだとしても、あの時ひよりを助けてくれた事実は変わらない。
「……ああ、戻りたいなぁ……。もしも過去に戻れるのなら、こんな現実にならないようにすることができるのになぁ……」
これからこのイジメはもっと酷くなるんでしょうね。
そうなったらひよりは……きっと耐えられない。今でさえもう限界だと思っているんです。これ以上のことなんて耐え切れるはずがない。
ふらりふらりと立ち上がり、バケツの中のノートを全部回収して、乾かすこともせずにそのままスクールバッグの中に詰め込みました。
そのまま真っ暗な廊下に出て、ゆっくり、ゆっくりと歩いていく。ひよりの足音だけが響く暗闇の世界。独りぼっちのひよりに相応しい世界。
「……ああそうだ。耐えきれなくなったその時は……」
迷惑を掛けるのが嫌ならば――。
イジメに耐えられないのなら――。
孤独でいることが苦痛ならば――。
楽になる選択肢を選べばいいだけじゃないですか。
「――死ねばいいんだ」
to be continued
心音です、こんばんは。
ひたすら重たい話に加えて最後に爆弾投下しました。うちの心は既に爆散してます(書いてるのはお前だ)。
イジメはどの時代にも必ずあるものです。
それにどう対応していくのか。ひよりみたく受け入れてしまったらそれで終わりです。この後書きを読んだ皆様、どうか決断を間違わないでください。




