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第十章:その弁当はゴミ箱に捨てなければならない件

1


夜の十時、静寂な部屋に鍵を回す音が耳に刺さった。


神崎詩織が鞄を手に、保温鍋を携えて部屋に入ってきた。


「まだ起きてるの?」

彼女はコートを脱ぎ、まるで自分の家に帰ったかのように慣れた動作だ。


こちらに目を向けず、まず机の上に視線を落とす。午後に宗一郎が持ってきたスーパーの袋が手つかずに置かれ、隣には半分残ったミネラルウォーターが転がっている。


「なるほど」

詩織が淡く笑い、指先で安っぽいビニール袋をなぞる。

「誰か来たみたいね」


2


彼女は怒るでも驚くでもなかった。


保温鍋を机に置き、蓋を開ける。薬膳の穏やかな香りが立ち込め、部屋に充満していたインスタント食品の冷たい気配を払い消した。


「こんなもの」

詩織は二本の指で弁当袋をつまみ、嫌悪感を込めて宙に掲げる。

「防腐剤や塩分、粗悪な脂分が過剰に含まれている。若い身空で老け込みたいの?」


「食べてないよ」

深夜の空気にかき消されそうな、弱い声で弁明する。


「食べてないことくらい分かってるわ」

詩織は躊躇なく弁当袋を玄関のゴミ箱に投げ捨てる。

「だけど、ここに置いておくのは嫌なの。こんなゴミは、私のコレクションを汚すから」



湯気が立つ澄んだスープを椀によそう。


彼女は椀を渡すことなく、自ら手に持ち、スプーンでそっとかき混ぜた。


「こっちに来なさい」

ベッドの縁に腰を下ろし、隣の場所を軽く叩く。


俺は身動きできず、その場に立ち尽くした。


「それとも」

詩織は首を傾げ、暖かい灯りに浮かぶ瞳は底知れぬ深さを帯びる。

「子供相手に食べさせてもらわないとだめなの?」


羞恥心と言いようのない圧迫感に駆られ、足を動かす。背筋をピンと張り、彼女の顔を直視できぬまま隣に座った。


3


温かいスープがスプーンに乗せられ、唇元へ差し出される。


思わず身をかわそうとするが、詩織のもう片方の手がそっと顎を支える。力強くはないが、逃れることのできない拘束だ。


「口を開けなさい」


柔らかな声に、拒絶できない命令が宿っている。


言われるままスープを飲み込む。熱さが喉を伝って胃に落ち、暖房のない部屋に奇妙な温もりが広がった。


彼女はゆっくりと食べさせ、一口ごとに熱さを調整し、まるで儀式を執り行うかのような優雅な所作だ。


「宗一郎がくれた程度のものなんて」

食べさせながら、低く穏やかな声が響く。

「体に負担をかけるだけで、何の意味もないわ」


瞳がまっすぐ俺の目を捉え、深く沈んでいる。


「佐藤悠真、覚えておきなさい。これからは、私が与えるものだけが君にとって善きもの。他人からの贈り物は、善意からのものであっても、毒になり得るのだ」


4


椀のスープを飲み干した。


詩織はティッシュを取り、ごく自然に俺の口角を拭う。あまりに親密な仕草に、背筋に寒気が走る。


「そうだ」

彼女は部屋の隅に置いた自分の鞄を指し示す。

「明日着る服を用意してある。コーディネートも済ませたから、朝に着替えなさい」


立ち上がり、スカートの裾を整える。


「今夜は新しい布団で寝なさい。暑くて目を覚ますこともないはず。もし暑ければ、すぐに言いなさい」


玄関まで歩き、ゴミ箱に捨てられた弁当袋を振り返る。


「今後は彼を部屋に入れてはいけない。ここに、もう彼の居場所はないのだから」


「おやすみ、私の……コレクション」


扉が閉まる。


部屋に残されたのはスープの余熱と、自由の象徴として捨てられた弁当だけだ。

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