第20話 星に祈りを捧げる夜
7月7日──
星祭りの日が訪れた。
皇立マーラプア学園の、伝統行事。
星祭りは夜のダンスパーティとして、行われる。
太陽が地平線の下へ、降りてゆく。
空には、ひとつふたつと、星が煌めき始める。
涼やかな風が頬を撫で、夜の街に静けさが宿る。
マーラプア学園も、いつもとは雰囲気が違う。
昼間の騒がしさがなく、どこか穏やかに感じる。
「マナ、こんばんは!」
「ソフィ、フィーユ。こんばんは」
1年特級クラスは、女子更衣室となり、華やかな空気に満たされていた。
マナも机に鞄を置き、中からドレスを取り出す。
青を基調としたドレスは、レースがふわりと揺れる。
裾に星の刺繍が散りばめられ、星空を包み込むよう。
胸元にはペンダントが、小さく煌めく。
「マナの髪は、私が結うから!」
ソフィがそう宣言し、マナを座らせた。
慣れた手つきで、髪を梳き、編み込んでまとめる。
星と花が織り交ぜられた、髪飾りでそっと留めた。
その上にいつもの髪飾りも、優しく重ねた。
「完璧!世界一可愛い!」
「えっと、ありがとう」
鏡に映された自分の姿は、ほんの少しだけ、星姫に近づいているようにも感じた。
でもソフィがベタ褒めするので、くすぐったい。
フィーユもすでに、着替え終わっていた。
深い緑のドレスに、彼女の瞳を映えさせる。
普段とはまた違った、可愛さが溢れていた。
「フィーユ、可愛いね!」
「ありがとう。マナもとても……似合ってるよ」
少し、笑顔がぎこちなかったかもしれない。
ソフィは自分の準備を後回しにしていたようだ。
大急ぎでドレスに袖を通し、器用に髪を整える。
薄い紫色のドレスに、ラベンダーの髪飾り。
仕上げにくるっと、一回転して満足気に笑う。
「よし!星祭り、楽しもう!」
学園の大鐘が、時を告げる。
これが鳴らされるのは、星祭りのみなんだとか。
マナたちは扉を開け、廊下に出た。
すると隣の教室も扉が開く。
ここは男子更衣室だったので、正装に身を包んだ男子生徒たちが出てきた。
「か、かっこいい……」
女子と数人の男子が、見惚れる相手。
青い布地に、金の刺繍が鮮やかに映える。
本人は少し不満そうな表情の、サフィールだ。
マナは一瞬、サフィールと目が合った。
けれど思わず、逸らしてしまった。
(まだ、ちょっと気まずい……)
ほんの少し、かっこいいと思ったのかもしれない。
けれど同時に、あの日言えなかった言葉が、胸の奥に残されていた。
マナたちは言葉を交わさず、廊下を歩む。
夜の学園は少し不気味にも、感じる。
けれど夏の暑さも穏やかで、過ごしやすい。
1階のガラス扉をくぐった先には、中庭がある。
夜の闇の中、一際輝く中心のクリスタル。
植えられた花壇や木は、星灯が飾り付けられている。
足元の石畳は、微かに光を放っている。
「わぁ……幻想的だね」
マナは思わず、そうつぶやいた。
ソフィやフィーユも、目を奪われている。
端に置かれたステージには、管弦楽部が並ぶ。
演奏するのは、穏やかなダンス曲。
木の下や隅っこに、人の輪ができている。
踊りたくない人は、教室から見るだけもできる。
管弦楽部が、音楽を奏で始める。
何人かの男女が、ペアを組む。
ダンスのパートナーは、その場で決められる。
「とても綺麗だね」
「うん。ソフィは踊らないの?」
「私は写真を撮ることにとても忙しいのよ」
ソフィはカメラと三脚を、セットする。
マナはほのかに笑ってしまう。
その時、周りからわぁっと声が聞こえた。
学園で1番の美少女、クオーレがダンスを踊る。
視線も拍手も、全てが彼女に集まる。
その様子を、フィーユは静かに眺めていた。
けれど、俯いてしまった。
「マナ、ソフィ。わたしは教室に戻るね」
「……わかった。また後でね」
「うん。2人は楽しんで」
フィーユはそう言い残し、教室へと歩んだ。
何も、かける言葉が見つからなかった。
あの日のあと、4年生の剣術大会が行われた。
そこでクオーレは、優勝を収めた──。
どんな言葉を、視線を、向けられたのだろう。
マナはほんの少し、息をついた。
空を見上げると、小さな星々が煌めいている。
手を伸ばそうとした、その瞬間。
「踊らないんですか?」
なんだか、久しぶりに聞いた気がした。
金の刺繍が、月明かりに照らされる。
いつの間にか、サフィールが隣に立っていた。
マナは少し息が詰まり、声が出せなかった。
その瞳は剣を交えた日と同じ、綺麗な碧色。
「……殿下」
サフィールはいつもと同じ、丁寧な笑顔。
けれどどこか、視線が泳いでいるように見えた。
少しだけ、沈黙する。
柔らかな音楽だけが、2人の間を流れた。
本当なら、おめでとうと言うはずなのに。
「セレスティアさん、僕と一曲、いかがですか?」
マナは一瞬、言葉を失った。
疑問が浮かぶより先に、胸が少し跳ねた。
そっと差し伸べられた手が、微かに震えていた。
カメラにしがみつくソフィに、思わず視線を向ける。
迷う感情の逃げ場を、求めるように。
けれどソフィは、グッドポーズだけ返した。
「……私で、よければ」
かなり小さな声で、答えた。
サフィールの手に、自分の手を重ねる。
星へと伸ばそうとした手は、人の手を握っていた。
それがなんだか嬉しくて、笑みが溢れてしまった。
サフィールもまた、優しい微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
会場の中心へと、ゆっくり歩む。
隣の存在に視線が集まり、少し気恥ずかしい。
けれど不思議と体が、軽かった。
とても、静かだった。
まるで2人きりの空間だけ、切り取られたように。
サフィールは視線を逸らし、小さく、声をかける。
「……マナさん、とても、綺麗ですね」
褒め上手な皇子とは思えないほど、声が硬かった。
マナは胸がきゅっと、熱くなるのを感じた。
考えるより先に、言葉が溢れた。
「殿下も、お似合いですよ」
マナはそれを言ってすぐ、顔を赤らめた。
もう少し表現をぼかすべきだったかもと、思う。
けれどサフィールは、嬉しそうに笑った。
「……ありがとう」
いつもの丁寧語が、今だけ、なかった。
それだけの会話なのに、心のモヤが晴れた気がした。
手を引かれて、ぎこちなく一歩踏み出す。
柔らかな音楽が流れ、星灯が小さく揺れていた。
石畳を移動するたび、コツン、と靴音が夜に溶ける。
くるりと回り、ステップを踏む。
サフィールの丁寧な導きに、体が自然と動く。
「殿下、剣術大会の時……すみませんでした」
「謝らなくていいですよ」
ずっと、胸につかえていたこと。
サフィールの優しさに、甘えてしまった。
それでも彼は、笑顔で答えてくれる。
「僕は、あの試合が好きです」
マナは俯きかけた顔を、あげる。
「なぜ……?」
思わず、答えを求めてしまう。
サフィールは一瞬、視線を落とした。
そしてまっすぐ目を見つめ、言った。
「あなたの想いがまたひとつ、わかったから」
胸がドクンと、音を立てた。
その瞬間、音楽が止まった。
サフィールも、そっと手を離す。
ほんの少し、心細くなったような気がした。
さっきまで繋いでいた手が、急に遠く感じた。
「……ありがとうございました」
ドレスの裾を持ち上げ、頭を下げる。
サフィールも胸に手を当て、礼をした。
それぞれ反対方向へ、歩いていく。
マナは、ソフィの隣に戻った。
「マナ、可愛かった!写真100枚は撮ったよ!」
「撮りすぎじゃない?」
「だってあまりにも可愛くて!」
ソフィが撮った写真を見せてくれた。
そこに映るのは、手を取り合う自分と、サフィール。
高性能カメラが、頬の赤らみまで収めている。
「殿下には見せないでね」
「え〜?あとでプリントして渡す予定だったのに〜」
口を尖らせるソフィの隣で、マナは空を見上げる。
夜はまだまだ長く、星は輝き続ける。
ほのかな夜風が、髪を揺らした。
手を伸ばさなくても、星はそこにある。
マナは心の中で、ふと思った。
(このまま“星を見上げる側”でいたいな……)
いつか、“見上げられる側”になってしまわないかと、不安に胸が痛くなる。
でも今日だけはせめて、見上げていたいと、願った。




