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episode 05|真意

 酒場の騒ぎがようやく落ち着き始めたころ、

向かいの椅子にずしりと屈強な男が腰を下ろした。



「で? どうだったんだよ。使ってみたんだろ、二刀流」



 ジョッキ片手に身を乗り出すのは、冒険仲間のエリオットだ。

特別仲がいいわけでもないが、気づけば酒の席では並んでいる――そんな間柄。



「間違いなく最強のスキルだな。使い勝手も良い。

 二刀流さえあれば、誰にも負けないだろうさ」



 胸を張って言い切り、ビールを流し込む。

店内の熱気も相まって、言葉がやけに大げさになってしまう。

だが──今この場では、それくらい強く言ってしまいたかった。



「おいおい、すげぇな“神童”! やっぱりお前は別格だ!」



「だからその呼び方やめろっつってんだろ!」



 周囲の酔っ払いまで「神童だってよ!」と騒ぎ始める。

昔ついた大げさな二つ名ほど、今となってはむず痒いものはない。



「神童ってなんだ?」



 横から別の冒険者が顔を突っ込んでくる。



「こいつのことだよ。昔っからすげぇんだ。

 しかも今日は二刀流を習得したって話だ!」



「へぇ! そんな強ぇなら、一度手合わせして――」



 面倒な流れになってきたので、俺は慌てて冒険者カードを取り出す。



「ほら、今のランクは“C”だ。しがない一冒険者よ」



「……なんだ、普通じゃねぇか」



 興味をなくした冒険者は、そのまま席を離れた。

するとエリオットが、肘で俺を突ついてくる。



「いいのかよ、言われっぱなしでよ」



「誰のせいでこうなったんだと思ってんだ……?」



「わ、悪かったって! 一杯奢るから許せ!」



 言い合いながらジョッキをぶつける。

ビールが少しこぼれたが、そんなの気にもならない。



「で? 二刀流ってどんなスキルなんだ? バフ系か?」



「トップシークレットだ」



「はぁ!? あんだけ騒いでおいてそれはねぇだろ!」



 そう言って俺の脇腹にチョップを打つエリオット。

俺はそれをもろに食らうと直前まで口に運んでいたビールを豪快に散布させる。



「ブフォォ!!エリオットてめぇ、やりやがったな!!」



 やり返そうとした瞬間、エリオットはひらりと避ける。



「甘い甘い! お前は絶対仕返ししてくると思ったぜ!」



「じゃあ、その思考を読んでいたとしたら?」



 勢いのまま体をひねり、無駄のない回転からのチョップを叩き込む。



「ぐへぇッ!!?」



 完全に決まった。

エリオットは椅子ごと背中から倒れ、白目をむく。



「……やりすぎた」 



 そう言ってエリオットのもとへ駆け寄ろうとした瞬間

近くにいた男が俺の右手をがっちりつかんだ。

俺が追撃すると思ったのだろうか。さすがにそこまで鬼じゃないぞ。



「違う違う、俺は――」



「――You win!!!!!」



 弁明の隙すら与えず、酒場中に歓声が弾けた。

男は俺の手をつかんだまま高々と掲げ、完全に“勝者の腕上げ”をしている。


 見ると、店主までがカウンター越しに親指を立てて叫んでいた。



「お前は注意しろよ……」



 気絶したエリオットを横目に、俺は深いため息をつく。

その後も酒場は、まるで優勝祝いでも始まったかのような大騒ぎを続けた――。






「……流石に飲みすぎた」



 宿に戻った俺は、ベッドに倒れこむ。

着替えどころか、喋るのも面倒なほどの疲労感だ。



「着替えくらいしよ、レイ」



 風呂上がりのフィリアがひょこっと顔を覗かせる。

柑橘系のシャンプーの香りがふわりと漂う。



「無理……眠い……」



「もー、しょうがないなぁ」



 そこで意識が途切れた。


 ――が、寒気を感じ目を覚ます。見ると俺はパンツ一丁になっていた。



「はぁ!?何で俺裸に!!?自分で脱いだのか!?」



 あまりの出来事に脳が混乱する。

酒を飲んでたとはいえ、寝相はそんなに悪くないはずだ。

それに脱いだはずの服や装備がないのも不自然だ。



「まさか…空き巣?!」



 スキルカードを狙った空き巣かと焦った俺は、半裸で部屋を飛び出しかける。



「レイ、起きたんだ」



 寝間着を抱いたフィリアが現れる。



「フィリア! それ俺の寝間着!? ……ちょうど良かった! ナイスフィリア!」



 寝間着を取りに行く時間すら惜しい俺に代わって、

フィリアがすでに手にしてくれていたらしい。


 俺はそれを半ば奪うように受け取り、慌てて着替える。



「よし! 行ってくる! フィリアは留守番しててくれ!」



 返事より先にドアノブへ手を伸ばす――が。


 その腕を、フィリアががしっとつかむ。

ドアノブをつかむはずの手は、むなしく空を切った。



「ちょ、ちょっと待って! 本当にどうしたのレイ!?」



 フィリアは寝間着を持ってきてくれたときの柔らかい顔とは違い、

今は完全に“状況が理解できない人の顔”をしている。



「放せって! じゃないと逃げられる!!」



「逃げられるって……誰に!? 意味がわからないんだけど!!」



 強引に行こうとする俺。必死に押しとどめるフィリア。

傍から見れば、完全に痴話げんかのそれである。



「空き巣だよ!! 気づいてたんじゃないのかフィリア!?」



「え?」



「え?」



 間抜けなハモりが、部屋にこだました。


 

「空き巣が入って、俺の装備盗んでったんじゃ……」



「……レイ。違うよ。私が脱がしたの。

 着替えてから寝た方がいいって言ったのに、そのまま寝ちゃうから……」



「…………あ」



 記憶がつながる。


 確かにフィリアが何か言ってた。

確かに俺は「あとでやる……」とか言いながら寝落ちした。

そして、確かにフィリアなら俺を着替えさせる。


 ――全部筋が通る。



「……俺の早とちりかぁ~……」



 装備もスキルカードも無事だとわかり、

膝から力が抜けてその場に座り込みそうになる。


 酒のせいで、冷静さが1mmも残ってなかったんだな俺。



「あはは……。レイ、さっきすごい顔して飛び出そうとしてたよ?

 鬼の形相ってこういうのかなーって思ったもん」



 フィリアは苦笑しながら、当たり前のようにティーセットを広げる。

深夜の宿。静かな空気の中でティーカップの触れ合う小さな音が

いつもの“俺たち”を取り戻してくれるようだった。



「レイも飲むでしょ?」



「ああ……頼む」



「はーい、了解しました!」



 フィリアは慣れた手つきで茶葉の瓶を並べ

どれにしようかと真剣な表情で“にらめっこ”を始める。


 しばらくすると、奥のキッチンからふわりと湯気と香りが流れてきた。

柔らかくて落ち着く匂い。胸の奥に温度が戻ってくる。



「おまたせ~」



 両手にティーカップを持って戻ってきたフィリアは

にこっと満足げに微笑んだ。



「この香りは……セイロンか?」



「おっ、正解! レイもだんだん分かるようになってきたじゃん!」



「十年以上こうやって飲んでりゃ、嫌でも分かるさ」



「嫌でもってどういうこと? まさか嫌々飲んでるとか?」



「違う違う! 言葉の綾だよ! 美味いよ! 毎日飲みたいくらいだ!」



「あはは、冗談だよ。

 ……でも、その言い方、ちょっとプロポーズみたいだったよ?」



「~~~っ!」



 軽い一言のはずなのに、

俺の心臓は不意打ちの攻撃を受けたみたいに跳ねた。


 俺は何も言い返せず、

顔を紅茶の湯気で隠すように啜るしかなかった。


 フィリアは満足したのか、それ以上追撃してこず、

二人で静かに紅茶を味わっていた。


 しばらくの沈黙。


 落ち着いた空気が部屋を包み――



「ねぇ、レイ」



 柔らかいのに、不思議と逃げ場のない声だった。


 俺はカップを置き、ゆっくりと顔を向ける。



「ねぇ、なんであんな嘘ついたの?」



「ん? なんのことだ?」



 反射のように返したが、心臓が小さく跳ねる。

“あれ”しかない。だが、まだ言葉にしたくなくて、とぼけるしかなかった。



「エリオットさんとの会話。二刀流について話してたでしょ?」



「あぁ、そのことか。」



 覚悟はしていたはずなのに、思ったより近くで聞かれていた。

酒場の喧騒の中で聞こえたということは……

本当にすぐそばにいたんだろう。気づけなかった自分に苦笑したくなる。



「どうして『二刀流を使ってみた』なんて嘘をついたの?」



 核心に触れる声。


 フィリアがこういう切り込み方をしてくるのは、本気で心配している時だけだ。



「そりゃあんだけ騒いだ手前、使ってないなんて言えないだろ?」



 自嘲気味に笑ってみせるが、フィリアの表情は変わらない。

“それだけじゃないよね?”と目が語っていた。


 沈黙のあと、フィリアはためらいもなく踏み込んだ。



「……なんで二刀流、使ってみないの?」



 真正面からぶつけられた問い。


 誤魔化しは、もうきかない。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 


 遡ること四時間前。

メウスト森林――二刀流のスキルカードを手に入れた帰路。



「ねぇ、二刀流使ってみないの?」



 フィリアは弾むように俺を覗き込んでいた。

期待に胸を膨らませ、まるで自分のことのように喜んでいた。


 ――それに応えたかった。


 なのに。



「あー、うん。そうだな。ちょい待ってくれ。」



 自分でも分かるくらい曖昧な返事しかできなかった。



 フィリアは最初こそ疑わなかったが、

歩き続けても俺が何もしないことに気づき、眉を寄せた。



「レイ……? どうしたの?」



 その声音には、疑いよりも心配が混じっていた。

十年以上追ってきた夢の達成に浮かれるべき俺が

まるで他人事のように無反応だったのだから当然だ。



「ハハ、なんかちょっと疲れちゃったみたいだ。わりーな。」



「そっか。大変だったもんね。」



 本当の理由じゃないと気づいていたはずなのに

フィリアはそれ以上踏み込まなかった。


 



◆ ◆ ◆ ◆ ◆





「どうして、か…」



 スキルカードを手にしてからずっと考えていた。

なぜこんなにも素直に喜べないのか。

なんとなく分かってはいるのだが、どうも言語化できない。

それにフィリアが相手だと余計に言いずらいことなのは確かだ。



「言いずらいなら、言いずらいって言って欲しい…かも。

無理に聞き出すつもりはないから。」



 そう言って、フィリアはふわりと微笑んだ。

俺を追い詰めないように、慎重に言葉を選んでくれている

――その優しさが胸に沁みる。


 けれど同時に、そんな気遣いをさせている自分が情けなくて、

いつまでも踏ん切りのつかない

“弱さ”ばかりが浮き彫りになっていく気がした。


 俺は、弱さを他人に見せるのが怖い。

弱みを握られるのが嫌だ――そんな理屈もあるが、もっと根は深い。

ただ、自分に“弱い部分”があると知られたくなかったのだ。


 弱さは悪で、隙で、欠点。

ずっとそう思い込んで生きてきた。


 だからこそフィリアには……いや、フィリアだけには悟られまいと、

強がり、気丈なふりをして、ここまで誤魔化してきた。

それで何とかやってこれたんだと、自分に言い聞かせながら。


 ――だが、それも今日までだ。


 このままでは前に進めないことくらい、本当は分かっていた。

ここで踏み出さなければ、何も変わらない。

逃げ続けてきた自分を、今日こそ終わらせる。


 俺は、静かに――けれど確かに、覚悟を決めた。



「……まだうまくまとまってなくてさ。

 自分でも何を言いたいのか、どうしたいのか……正直、よく分かってない。

 それでも……聞いてくれるか?」


 自分でも驚くほど小さく、頼りない声だった。

視線を合わせる勇気がなくて、思わず俯いたまま言葉を絞り出す。



「……うん。もちろん。ありがとう、レイ」



 フィリアの返事は、驚くほど柔らかかった。

責めるでもなく、急かすでもなく……ただ、受け止めるだけの声。


 胸の奥がじんわり熱くなる。

本当は俺のほうが礼を言うべきなのに。


 俺はひとつ、ゆっくりと深呼吸した。

肺の奥まで空気を満たし、静かに吐き出し――

ようやく、自分の言葉を探す準備ができた気がした。



「……ずっと、考えてたんだ。

 なんで俺、こんなにも喜べないんだろうって。

 だってさ――十年以上追い続けてきた二刀流が、ついに手に入ったんだぞ?

 本当なら跳び上がるほど嬉しいはずなのに……胸の奥が、妙に空っぽなんだ。」


 言いながら、自分でもおかしいと思う。

ようやく願いが叶ったのに、達成感どころか実感すら湧かない。


 フィリアは、ただ小さく頷きながら聞いてくれていた。

相槌は打つが、言葉は差し挟まない。

“遮らず、否定せず、ただ受け止めよう”としてくれているのが分かる。


 その沈黙に背中を押されるように、俺は続きを口にした。



「二刀流ってのは、いつか修行の果てに“自分の力で掴み取る”ものなんだって。

 鍛えて、積み重ねて、何年も何年も続けたその先に――

 やっと手が届くんだって、ずっと信じてた。」



 言葉にするほど、喉がきゅっと締め付けられる。



「なのに……蓋を開けてみたら、祠からぽんっとスキルカードが出てきた。

 外から見ればきっと『十年以上の努力が実った最高の結末』なんだと思う。

 俺が長年追い続けてきた夢を、とうとう叶えたって……そう見えるだろうさ。」



 そこで一度言葉を切る。


 胸の奥の、ずっと触れたくなかった部分。

そこに手を伸ばすように、静かに呟く。



「でも俺が最初に考えたのは……『これが俺の十年?』だったんだ。」


 その言葉は、自嘲というより “痛みに触れる” 音に近かった。


 それを聞いていたフィリアの表情が、わずかに揺れる。

驚きでも否定でもなく――

ただ、胸のどこかを締め付けられたような、そんな色だ。



「馬鹿だよな、俺。結局さ……習得しちまえば

 修行だろうがスキルカードだろうが“結果は同じ”なんだ。

 むしろ売れるぶん、スキルカードの方が価値が高いくらいだ。

 頭じゃ分かってんのに……プライドとか、拘りとか

 くだらねぇもんが邪魔して……素直に喜べなかった。」



 そこで言葉が自然と落ちていく。



「……だから、二刀流を使う気になれなかった。それだけだ。」



 ようやく言えた。


 濁さず、偽らず、逃げずに口にできた。


 フィリアはしばらく黙っていた。

否定も慰めも急がず、ただ俺の言葉を丸ごと受け止めたような沈黙。


 そして――静かに一言だけ。



「……そっか。」



 フィリアはただ、それだけを口にした。

責めもしないし、慰めもしない。

でも、不思議とその一言が胸に刺さる。


 ――こんなの、幻滅されても文句言えないよな。


 長い時間を肩を並べてきたのに、俺はこんなふうに拗らせて

……自分でも嫌になる。

だからこそ言いたくなかった。言えば壊れる気がしていた。

けれど、言わなきゃ前に進めないのも分かっていた。


 そんなぐちゃぐちゃな思考が渦を巻いていると――



「レイ、ひとつ……謝らせて。」



 静かな声が落ちた。


 顔を上げると、フィリアはまっすぐこちらを見ていた。

責めるでも、泣きそうでもなく。

ただ、決意した人の目だった。



「二刀流を手に入れたとき……レイがどんな気持ちだったか知らないまま

 私、勝手にはしゃいじゃった。本当に……ごめんね。」



「っ……なんでだよ! フィリアは何も悪くねぇだろ!?

 悪いのは全部……俺で……!」



 反射的に否定する。

フィリアが謝る理由なんて、ひとつもないはずだ。


 だがフィリアは小さく首を振り、静かに続けた。



「ううん。十年以上もレイの隣にいたのに……

 それでも、レイの“今の気持ち”を分かってあげられなかった。

 だから……ごめんなさい。」



 今回の件そのものというより、

“俺の気持ちを汲み取れなかったこと”

について謝っているのだと、すぐに分かった。


 そんなの――俺だって同じだ。

そう言い返したい気持ちは確かにあったが

ここで口を挟めば結局ただの水掛け論になる。


 それに、フィリアは最初に「一つ謝らせて」と言った。

つまり、まだ続きを話すつもりだ。


 さっきまで俺の話を一言も遮らずに聞いてくれたフィリアだ。

なら今度は、俺が黙って耳を傾ける番だろう。



「…はは。相変わらずだなフィリアは。お前には敵わない。」



「あはは。私、こういうところだけは意外と頑固だからね。」



 顔を見合わせて笑うと、張りつめていた空気がふっと緩んだ。

ついさっきまで胸の奥を締めつけていた重苦しさが、少しだけ軽くなる。



「じゃあ――続けるね。まず、話してくれてありがとう。

 きっとレイは、今までにも何度も同じことで悩んでたんだよね。

 でも、言えない理由があったんでしょ?」



 フィリアの言葉は、柔らかいのに鋭い。

まるで心の奥をそっと覗き込まれたようで、思わず視線をそらしそうになる。


 昔からそうだった。

フィリアは他人の表情や声の揺れを読むのが妙に上手い。

もしかして――弱いところを見られたくない

という俺の気持ちすら悟られていたのではないか。


 そんな不安が顔に出たのだろう。

フィリアはすぐに柔らかい笑みを浮かべ、首を横に振った。



「あっ! ち、違うからね? 深読みしないで。

 理由は分からないし、無理に聞き出す気もないよ。

 ただ……そんな状態でも“話してくれた”ってことが、すごく嬉しかったの」



 フィリアは胸の前で指を絡め、少しだけ視線を落とす。



「レイってさ、優しいんだけど……どこかで距離を取ってるっていうか。

 気を遣いすぎて、自分の気持ちを隠しちゃうところ、あるでしょ?

 ……まぁ、人のこと言えないのは私も同じなんだけどね!

 って、そういう話じゃなくて!」



 ぱっと顔を上げ、まっすぐ俺を見る。



「とにかく! 話してくれて、ありがとう!」



「……お、おう。」



 まいった。


 フィリアは時々、心の奥にずかずか踏み込んでくるくせに、全然嫌じゃない。


 確かに俺は、弱いところを見せるのが苦手で

無意識に人との間に線を引いてきた。


 フィリアも例外ではなかった……はずなのに。


 十年以上一緒にいた彼女は、俺が隠していたつもりの“心の癖”を、いつの間にか読み取っていた。


 そして――責めるどころか、感謝を向けてくる。


 こんなの、敵うわけがない。

たぶん俺は――フィリアの前では、一生勝てないままだ。


 そんな考えが胸に落ち着いたところで、

フィリアがそっとティーカップを置く音がした。



「で、レイの話を聞いて思ったことなんだけど…」


 いよいよ本題に入るようだ。

ここまで何度も驚かされてきた。

もう何を言われても動じないつもりで、俺はフィリアの言葉を待った。



「――ほんっっっとうにレイって優しいね!!」



「……は?」



 思考が一瞬止まった。

今までの流れからして何か深い話が来ると思っていたのに

突然そんな方向へ飛ぶとは思わなかった。


 いやいや、優しい?

今回の件は、完全に俺の独りよがりでこじらせた結果だぞ。

優しさなんて入る隙間すらないはずなのに――。



「だってレイは、私のことも考えてくれてたってことでしょ?」



「え、いや。は?」



 どうしてそうなる? 俺はそんなこと一言も――。


 困惑している俺をよそに、フィリアは静かに言葉を重ねていく。



「二刀流を使うのが億劫だった理由

 プライドとかそういうのも確かにあると思うよ。

 でもね……それだけじゃない気がするの」



「他の要因……?」



 そんなもの、あるわけが――

……いや、断言できない。

胸の奥にはずっと説明のつかない“引っかかり”があった。

フィリアはどうやら、そこを見抜いているらしい。


 この子には一体、何が見えているんだ。


 知りたい。


 知るのが怖い。


 そんな気持ちが同時に湧き上がる。


 俺の沈黙を見て、フィリアはそっと息を吸う。

そして、まるで“核心へ踏み込む許可”を確認するように

穏やかな声で続けた。



「レイがスキルカードを見つけた時さ

『これが俺の十年?』って思ったって言ってたよね」



 フィリアはそっと俺の目を見て、優しく続けた。



「本当は――『これが俺"たち"の十年?』って思ったんじゃない?」



「あ……」



 ただの二文字。


 けれど、その二文字が胸の奥に突き刺さる。


 その瞬間、頭の中で何かが静かに崩れ落ちた。



「無理もないよ。それだけレイ、自分を追い込んでたってことなんだと思う。

 無意識のうちに“自分が悪い方へ”考えが寄っちゃって……

 気づかないうちに、自分の気持ちにまで線を引いて。

 私のことなんて、考えないようにしてたんだと思う。」



 フィリアは淡々と言うわけでもなく、責めるわけでもなく、

ただ“事実をそっと置く”ような声音だった。


 胸の奥がちり、と痛む。


 こんなの、ただの推測のはずだ。

……なのに、どうしてこんなに的確に刺さるんだ。



「ち、違う。俺は――」



「違わないよ。」



 フィリアはすぐに遮ったわけじゃない。

否定の色を含んだ俺の声を、ちゃんと聞いてから優しく返した。



「今日のお昼にも言ったけど、レイって昔からずっと変わらない。

 それに……さっきもそうだったよね?」



「……さっき?」



「空き巣だと思って、真っ暗な外に飛び出して行こうとしたでしょ。

 あれ、私を危険な目に合わせたくなかったからじゃないの?」



 何もかも見透かされている。


 フィリアを守ろうとした――

その事実まで、俺の仕草ひとつで読み取られていた。


 もう、誤魔化せない。フィリアにも、自分にも。


 瞼の裏がじんわり熱くなる。視界も、じれて滲んでいく。



「お、オレは……っ」



 言葉と一緒に、()き止めていた何かが一気に溢れ出した。

普段なら胸の奥に押し込み、絶対に外へ漏らさないはずの感情が

もう止められなかった。


 視界が歪む。喉が詰まる。自分でも驚くほど、声が震える。



「……っ、俺と……フィリアの時間が……全部無駄になったみたいで……っ」

 十年が……何も意味なかったみたいで……っ

 全部、否定された気がして……っ」


 言葉を絞るたび、胸が裂けるように痛い。

十年の重さが、一瞬で崩れていくようで――怖かった。



「……こんな十年なんて、必要なかったんじゃないかって……っ」



 口にした瞬間、自分でもひどいことを言っていると分かった。

でも、止められなかった。



「いいよ。おいで、レイ。」



 フィリアの声は驚くほど静かで、やさしくて。

その一言で、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。


 気づけばフィリアは、そっと隣へ寄り、

小さな両腕を、迷いもなく広げていた。



「っ……あ、……っ、ぁ……!」



 もう隠せなかった。

情けなさも、弱さも、涙も全部。


 フィリアの胸元に顔を埋めた瞬間

()き止めていた涙が、決壊するように溢れ出した。


 涙か、鼻水か、もう分からない。

彼女の服を濡らしながら、それでもフィリアは一切拒まなかった。


 ――あの日と、まったく同じように。


 俺はまた、この小さな体にすがっていた。


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