episode 05|真意
バカ騒ぎも収まってきた頃、一人の屈強な男が向かいの席に座る。
「で、どうだった?使ってみたんだろ?」
右手にビールを持ちながら、その巨体をこちらに寄せてくるのはエリオットだ。特別仲が良いわけではないが、何度かクエストを一緒に受けたことがある。そうして酒場でたまに呑むくらいの仲にはなった。俺の数少ない友人の一人と言えるだろう。
「間違いなく最強のスキルだな。使い勝手も良い。二刀流さえあれば誰にも負けないだろうさ。」
俺は自信満々に告げ、ジョッキを口につける。冷たさが喉に染み渡っていく。この爽快感は何事にも代えがたいもので、ごくごくと一気に飲み干してしまう。
「おいおい、そこまでかよ!さすがは『神童』だな!」
「だからその名前で呼ぶのはやめろって!」
__神童。それは奇偉な子どもや、幼年期から驚異的で並外れた才知を発揮する子どものことを指す。そして俺はかつてそう呼ばれていた時期がある。当時は特に気にも留めていなかったが、この年になってそう呼ばれるのはむず痒いものがある。
「神童ってなんだ?」
神童という聞きなれない単語を聞いて、一人の男が会話に入ってくる。
「こいつのことだよ!そりゃもう有名人さ!それに二刀流まで習得したってんだ!向かうとこ敵なしって感じだ!」
「へー!あんたそんなに強いのか!?ぜひ一度手合わせお願いしたい!」
エリオットが下手に持ち上げるせいで、男は俺に興味を持ち始めた。こうなるのが嫌だから俺は極力神童のことについて隠してきた。けど、こうなってしまっては仕方がない。なんとか興味を削ぐことができればいいのだが。
「昔の話だ。今はしがない冒険者さ。」
そう言って俺はバッグから冒険者カードを取り出す。冒険者カードには名前や年齢などの個人情報と、所属ギルドや、冒険者ランクなどが記載されている。
「Cランク。これが今の実力だ。」
冒険者カードにでかでかと記載されている『C』の部分をトントンッと人差し指で突く。冒険者ランクにはS~Eまでのランクがあり、Cランクは丁度真ん中の立ち位置となる。一応、Cランクで一人前とされているが、世間一般的には強くも弱くもないという認識で通っている。
「ふーん、神童つってもこんなもんか。」
そう言って男はこの場を去っていく。嫌味を残していったが、特に気に留めることもなくビールを一気に呷る。
「おい、言われっぱなしでいいのかよ。」
納得していないのか、エリオットは俺にそう語りかける。
「そもそも誰のせいでこんな展開になったんだろうな…?」
俺は固く拳を握り、怒りを露わにする。エリオットがこの話題を出さなければこうはならなかった。
「悪かったって!もう言わないからよ!な?一杯奢るから飲みなおそうぜ!」
一杯じゃ割に合わないと思ったが、これでエリオットも懲りただろうし、今回は不問にすることにした。
「そんじゃ気を取り直して、乾杯!!」
エリオットが音頭を取り、ジョッキをぶつけ合う。勢いが強すぎて少しこぼれてしまったが、俺たちはそんなことなど気にも留めずに、ビールを呷る。
「ッカアァァァ!…そんで?具体的にどうなんだ二刀流は?やっぱりバフ系なのか?」
ビールを一気に飲み干したエリオットは再び二刀流の話に戻してきたが、俺は答えない。
「おっとこれ以上は教えられない。なんせトップシークレットだからな。」
「お前あれだけ騒いでおいてトップシークレットはねーだろ!さっさと教えやがれ!」
そう言って俺の脇腹にチョップを打つエリオット。俺はそれをもろに食らうと、直前まで口に運んでいたビールを豪快に散布させる。
「ブフォォ!!エリオットてめぇ、やりやがったな!!」
そういって俺も脇腹にチョップを食らわそうとする。が、その動きを読んでいたのであろう、エリオットはひらりと身を翻し、俺のチョップを躱す。
「甘いなレイ!お前なら、やられたことをそのままやり返してくると思ったぜ!!」
鋭い読みだ。してやったと言わんばかりに満面の笑みを浮かべる。
「なるほどな!けど、お前のその思考を俺が読んでいたとしたら?」
そう言って俺は、右手を振りぬいた勢いをそのままに体を回転させ、予備動作無しで強烈なチョップを繰り出す。エリオットは俺の動きに対応できず、無防備な脇腹にクリーンヒットする。
「んげふうゥゥゥ!!」
俺の一撃を受けたエリオットは、勢いを殺しきれず、そのまま後ろへと倒れこんでしまう。様子を見ると完全に目を回していた。回転の力が乗った分、凄まじい威力だっただろう。そう考えると初撃のチョップを食らった方がましだったはずだ。
「いっけね、やりすぎた。」
そう言ってエリオットのもとへ駆け寄ろうとするが、近くにいた男に右手をがっちりつかまれる。俺が追撃すると思ったのだろうか。さすがにそこまで鬼じゃないが。
「違う違う、俺は__」
「You win!!!!」
弁明しようとするが、それを遮り酒場に大きな歓声が響く。俺の手をつかんだ男も、止めに入ったのではなく、俺の手をつかんだまま腕を高く上げている。まるで格闘技で勝利を収めたような状況になっている。よく見たら店主までもこのバカ騒ぎに参加しているようだった。
「お前は注意しろよ…」
そんなこんなで宴は最後まで異常な盛り上がりを見せるのであった。
「流石に飲みすぎたぁ~」
そう言って俺は、体を投げ出すようにベッドに倒れる。そこまでいい宿ではないが、この疲れきった体だと、ベッドの感触が最高に思える。今すぐにでも眠りについてしまいそうだ。
「着替えくらいしないとだめだよ、レイ。」
そう言ってフィリアが奥から出てくる。風呂上がりなのだろう、爽やかな柑橘系のシャンプーの香りが、鼻腔をかすめる。
「疲れたんだって~いいだろ、着替えくらい。」
正直喋ることすら億劫だ。そんな状況で着替えなど不可能に近い。もし着替えようものなら、途中で眠りについてしまい、半裸の状態で寝ることになってしまうだろう。
「もー、しょうがないなー。」
そう言うとフィリアはそれ以上何も言ってこなかった。諦めてくれたのだろう。俺は安心して眠りにつく。
が、寒気を感じ目を覚ます。見ると俺はパンツ一丁になっていた。
「はぁ!?何で俺裸に!!?自分で脱いだのか!?」
あまりの出来事に脳が混乱する。酒を飲んでたとはいえ、寝相はそんなに悪くないはずだ。それに脱いだはずの服や装備がないのも不自然だ。
「まさか…空き巣?!」
俺が二刀流のスキルカードを入手したことは、もう広まっててもおかしくない。となれば盗んで金儲けしようとする輩も出てくるだろう。
「くそっ!」
俺は慌てて部屋を出ようとするが、この格好のまま外に出るわけにもいかない。とりあえず寝間着でもいいから服を着て…
「あれ?レイ、起きたんだ。」
寝間着を取りに行こうとしたところ、フィリアが俺の寝間着を抱えて出てくる。
「ちょうど良かった!ナイスフィリア!やっぱり俺たちは心で通じ合ってるんだな!」
寝間着を取りに行く時間すら惜しいと思っていたが、フィリアが持ってきてくれていたみたいだ。俺はフィリアから寝間着を奪うように取ると、急いで着替えた。
「よし!行ってくる。フィリアは留守番しててくれ!」
俺はそう言うと、返事を待たずしてドアノブに手をかけようとする。しかし、フィリアに腕をつかまれ、ドアノブを握ろうとした手は空を切る。
「ちょっと待って!何?どうしたの一体!?」
状況を察して服を用意してくれたフィリアだったが、なぜか心配げな顔でこちらを見つめてくる。
「おい!放してくれ!じゃないと逃げられちまう!」
強引に手を引きはがそうとする俺。そうはさせまいと粘るフィリア。玄関先で繰り広げられるその様子は、傍から見れば修羅場のカップルだ。
「逃げられちゃうって、誰に!?全く状況が分からないんだけど!?」
「空き巣だよ!ていうかフィリアも気づいてたんじゃないのか!?」
「え?」
「え?」
フィリアが頭上に?を浮かべると、俺も続くように?を浮かべる。
「空き巣が入って、俺の装備盗んでったんじゃ…」
「私が脱がしたの!着替えてから寝た方がいいって言ったのに、レイそのまま寝ちゃうから…」
状況を思い出す。確かにフィリアが脱がせたというなら合点がいく。フィリアが寝間着を持って現れたのも、着替えさせるためだったのだろう。
「…俺の早とちりかぁ~」
装備やスキルカードが無事だと知り、一気に体の力が抜ける。酒を飲んでいたということもあり、正常な判断ができていなかったみたいだ。
「あはは。鬼の形相で外に出ていこうとするんだもん。びっくりしちゃった。」
フィリアは苦笑いを浮かべながら、ティーセットを広げ始めた。深夜のティータイムといったところだろうか。
「レイも飲むでしょ?」
「ああ。頼む。」
「頼まれました!」
そういって、茶葉とにらめっこを始めるフィリア。昔からの趣味なだけあって、持ち歩いている茶葉の種類も多い。その時の気分で淹れる紅茶も違う。今日は何になるだろうか。そんなことを考えていると、キッチンの方からいい匂いが漂ってきた。
「おまたせ~」
ティーカップを両手に持ちながら、こちらにやってくる。表情からして今日の紅茶は上手くいったみたいだ。
「この香りは…セイロンか?」
「おっ?正解!レイも段々分かるようになってきたね!」
「流石に十年以上こうやって飲んでると、嫌でも分かってくるさ。」
この十数年、ずっとフィリアと一緒に紅茶を飲んできたんだ。流石に違いも分かってくる。なんなら違いが分かるまでに時間がかかりすぎたくらいだ。
「嫌でもってどういうこと?まさか嫌々飲んでるとか…?」
「違う違う、言葉の綾だ!!美味いよ!毎日飲みたいくらいだ!」
「あはは!冗談だよ!ていうかそれプロポーズみたい!」
慌てて弁明したが、どうやらからかわれていたみたいだ。フィリアは悪戯な笑みを浮かべてとても満足そうにしている。俺は何も言い返せず、顔を隠すように紅茶を啜る。
追い打ちをかけてくると思ったが、フィリアはそれ以上何も言わずに紅茶を嗜んでいた。俺も特に話すことがなかったので、必然と場が静まり返る。30秒ほど経った頃だろうか、フィリアが口を開く。
「ねぇ、なんであんな嘘ついたの?」
「ん?なんのことだ?」
あまりにも唐突だったのでそう言うしかなかった。心当たりは…あるにはある。というかあれのことで間違いないだろう。
「エリオットさんとの会話。二刀流について話してたでしょ?」
「あぁ、そのことか。」
やはりそうか。まさか聞かれていたとは思わなかった。あの騒ぎの中、俺とエリオットの会話を聞き取ることができたということは、かなり近くにいたということだろう。酒を飲んでいたとはいえ、全く気が付かなかった。まぁ、フィリアが近くにいたと分かっていたとしても、同じ事を言っていたと思うが。
「どうして『二刀流を使ってみた』、なんて嘘をついたの?」
そう。俺は、エリオットに二刀流について聞かれた時に嘘をついた。実は弱かった?使い勝手が悪かった?そんな嘘ではない。そもそも前提違う。俺は二刀流をまだ使用していない__。
「そりゃあんだけ騒いだ手前、使ってないなんて言えないだろ?」
まだ使ってすらいないのにあの騒ぎ様。それで『実はまだ使ってません』なんて言えるはずもなかった。完全に自業自得だ。
自分の馬鹿さ加減にやれやれと肩をすくめる。フィリアはまだ納得していないようだ。それも当然。フィリアが本当に聞きたいのはこんなことではない。
「…なんで二刀流使ってみないの?」
痺れを切らし、ストレートに聞いてくる。気になって当然だろう。俺はフィリアにも、まだちゃんとした理由を言っていない。
遡ること4時間。メウスト森林にて二刀流のスキルカードを手に入れた後の出来事だ。
「ねぇ、二刀流使ってみないの?」
手を後ろに組み、上半身を曲げて顔を覗かせてくるフィリア。相変わらず自分のことのように喜んでおり、やけに上機嫌だ。二刀流を早く見てみたいという気持ちが溢れ出ている。もしかすると俺以上かもしれない。けれど、俺はその期待に応えることはできない。
「あー、うん。そうだな。ちょい待ってくれ。」
そんな言葉で場を濁しつつ、歩みを進める。ちょい、というにはあまりに長すぎる時間、俺は二刀流を使う素振りすら見せずにいた。それを怪訝に思ったのだろう、フィリアは少し眉を曲げて言う。
「レイ…?どうしたの?」
疑問というよりも心配、といったような表情だった。十数年追い続けた二刀流を手に入れたというのに、大して喜ばず、使おうとすらしないのだ。フィリアからしたら心配しないという方が無理な話なのだろう。それでも俺は真意を告げようとはしない。
「ハハ、なんかちょっと疲れちゃったみたいだ。わりーな。」
「そっか。大変だったもんね。」
実際修行の後であるため、疲れてはいる。しかし、スキル一つ発動するくらい造作もないことだ。それはフィリアも分かっているはずだ。だが、それ以上は何も言わなかった。いや、もしかしたら俺が無意識に、これ以上は聞かないでくれ、そんな表情をしていたのかもしれない。
そうして俺たちは黙って歩みを進めるのだった。
「どうして、か…」
スキルカードを手にしてからずっと考えていた。なぜこんなにも素直に喜べないのか。なんとなく分かってはいるのだが、どうも言語化できない。それにフィリアが相手だと余計に言いずらいことなのは確かだ。
「言いずらいなら、言いずらいって言って欲しい…かも。無理に聞き出すつもりはないから。」
そういって微笑を浮かべるフィリア。俺を傷つけまいと慎重に言葉を選んでいる、そんなフィリアの気遣いが嬉しかった。しかしそれ以上に、いつまでもうじうじしている俺の心の弱さがより際立ち、自分が嫌になっていく。
俺は弱さを他人に見せるのが怖い。弱みを握られるのが嫌、ということもあるが、単純に弱さがあると知られたくない。弱さは悪だ。今までそう捉えてきた。だからこそフィリアには、フィリアだけには悟られまいと、ここまで気丈に振舞ってきた。それでここまでどうにかなっていた。
だが、それも今日までのようだ。このままでいいはずがない。ここで踏み出さないといつまで経っても成長などできる訳がない。俺は決心する。
「…まだ考えがまとまってなくて、自分でも何が言いたくてどうなりたいのかも分かってないんだけど…それでも、聞いてくれるか?」
自分でも信じられないような、か細く、自信のない声。極力顔が見えないように俯きながら声を絞り出す。
「うん…。ありがとう、レイ。」
ここでお礼が言えるのだから、やはりフィリアには頭が上がらない。お礼が言いたいのは俺のほうなんだから。
俺は一つ大きめの深呼吸をする。気持ちを整え、言葉を紡ぐ。
「俺、ずっと考えてたんだ。なんでこんなにも嬉しくないんだろうって。どう考えてもおかしいだろ?だって十年以上追い続けてた二刀流が手に入ったのに、やっと願いが叶ったのに…達成感がなかったんだ。」
うんうんと、首をかすかに縦に動かすフィリアだが、口は出さない。黙って俺の話を聞いてくれていた。
「俺さ、てっきり二刀流は修行で身につくんだと思ってたんだ。一生懸命修行して、研鑽に研鑽を重ねて、その先に二刀流がある、そんな思いで今日までやってきた。けど、蓋を開けてみりゃ、宝箱から二刀流のスキルカードが出てきた。傍から見たら、十年以上の修行の結果二刀流が身についた、最高のハッピーエンドだろうさ。けど、俺は最初に何を考えたと思う?」
フィリアは黙ったままだ。もちろんフィリアに答えさせるために疑問形で言葉を終わらせたのではない。これは一種の自問であり、皮肉だ。
「『これが俺の十年?』だ。」
自嘲するように乾いた笑いを混ぜながら俺はそう告げる。今まで表情を変えずに聞いていたフィリアだったが、少し顔をこわばらせていた。
「馬鹿馬鹿しいだろ? 習得しちまえばスキルカードだろうが、修行で身につけたものだろうが一緒だ。何なら売ることができる分、スキルカードの方が価値が高いとも言える。それなのに俺はプライドや拘りが邪魔して素直に喜べなかった。だから二刀流を使うのが億劫だった。」
「これが二刀流を使わない理由だ。」
とりあえず思っていたことをそのまま言葉に、そして何とかオチをつけて話をすることができた。何でこのことを黙っていたのか、ということについては話せていないが、敢えて言う必要はないだろう。
「そっか。」
短く一言。それ以上は何も言わなかった。さぞ幻滅したことだろう。こんな安いプライドを持ってるガキみたいなやつと十年以上一緒に居たのだから。…だから言いたくなかった。だがこうするしかなかった。こうでもしないと進むことも止まることもできないと思った。そんなことを考えていると、フィリアが口を開く。
「最初に一つ謝らせて。二刀流を手に入れたとき、レイの気持ちも知らないで勝手に騒いでごめんなさい。」
それは予想できない言葉だった。何故フィリアが謝るのか、フィリアに悪いところなど一つもない。
「っ…何言ってんだよ! フィリアは何も悪くねえ! 俺が全部悪いんだ!」
とっさのことで反応が遅れたが、フィリアの謝罪を素直に受け取ることはせず、あくまで自分が悪いと主張する。
「ううん。私、十年以上もレイと一緒にいるんだよ? なのにレイのこと全然分かってなかった。だから、ごめんなさい。」
今回の件についてというよりは、俺のことを分かってあげられなかったということについて謝っているようだった。そんなの俺も同じだ、そう言いたいのは山々だったが、この話は水掛け論になる。それに、『最初に一つ謝らせて』フィリアはそう言った。つまりフィリアの話はまだ続く。フィリアは黙って俺の話を聞いてくれた。なら俺もここは黙って話を聞くほうがいいと思った。
「…はは。相変わらずだなフィリアは。お前には敵わない。」
「あはは。私、こういうところだけは意外と頑固だからね。」
お互いに顔を見合わせ、くすくすと笑う。先ほどまでの重苦しい雰囲気が少し明るくなったような気がした。
「じゃあ、続けるね。まず、改めて話してくれてありがとう。きっと今まで何回もこんな風に悩んでたと思うの。けど、何らかの理由があって話せなかった。」
完全に見透かされていた。昔からフィリアは人の思考を読むことに長けている。もしかすると弱いところを見られたくない、という俺の気持ちまで見透かされているのではないかとひやひやする。そんな俺の表情を見て悟ったのかフィリアはすかさず答える。
「あっ! 勘違いしないでね。その理由は分からないし、無理に引き出すつもりもないよ。私が言いたいのは、そんな状況で話してくれたことが凄く嬉しかったの。レイって優しいけど、どこか気を使いすぎというか、一線を引いていたように感じるというか…まぁ、それは私も人のこと言えないと思うんだけど…ってそんなことは今はどうでもよくて! とにかく! 話してくれてありがとう!」
「お、おう…。」
フィリアにはいつも驚かされる。確かに俺は人に弱みを見せたくないという思いから、ある程度人と距離を取ることが多かった。それはフィリアも例外ではないが、十年以上の仲だ。自分の中では上手くやり過ごせていると思っていた。だが、フィリアは俺の些細な言動からそれを読み取ったというのだ。挙句の果てに、そんな俺に感謝の意を述べた。俺は今後、フィリア以上の聖人に会うことはないだろう。
「で、レイの話を聞いて思ったことなんだけど…」
いよいよ本題に入るようだ。ここまで何度も驚かされたんだ。もう何を言われても驚くまい。そう心構えて、フィリアの話を待つ。
「ほんっっっとうにレイって優しいね!!」
「…は?」
完全に不意打ちだった。思わず気の抜けた声が出てしまう。一応今までのフィリアのお人よし理論には筋が通っていた。けれど、今回は話が別だ。なぜなら今回の話は、完全に俺の独りよがりな思いが招いた出来事だ。ここに優しいなどという気持ちが介入する余地などない。
「だってレイは、私のことも考えてくれてたってことでしょ?」
「え、いや。は?」
分からない。どうしてそのような思考に至ったのか。俺がフィリアのことを考えていた?いや、そんなことは一言も言っていない。俺が困惑していると、フィリアが続ける。
「二刀流を使うのが億劫だったのは、スキルカードで習得した二刀流は使いたくない、そういうプライドや拘りがあるって言ってた。多分本当のことだと思う。けどそれが全てじゃない。むしろ他の要因の方が大きいんじゃないかな?」
「他の要因…?」
そんなものある訳がない…とは言い切れない。実際俺は最後まで何かに引っかかっていた。プライドや拘りのせいだと頭では分かっていたが、どうもわだかまりが消えない、そんな感じだった。どうやらフィリアにはその原因が分かるらしい。
フィリアには一体何が見えているというのだろうか。他の要因について知りたいのはもちろんだが、それ以上にフィリアの見ている世界そのものを見てみたいと思った。
「レイは二刀流のスキルカードを手にした時、『これが俺の十年?』って思ったって言ってたけど」
「本当は『これが俺【たち】の十年?』って思ったはずだよ。」
「あ……。」
フィリアにそう指摘され、頭が真っ白になる。たかが二文字、されど二文字。この二文字があるか無いかでは、大きく意味が変わる。確かに今、改めて考えるとこの十年は俺だけのものではない。フィリアと共にあった十年だった。そんな大事なことどうして抜け落ちていたんだ?
「無理もないよ。それだけ精神的に追い詰められてたってことだから。無意識に自分の立場が悪くなるように、思考が寄ってっちゃったんじゃないかな。だから自分の感情にまで一線を引いて、私のことは考えないようにしたんだと思う。」
俺自身ですら気づけないことを淡々と述べるフィリア。こんなのただの憶測に過ぎない…はずなのになぜか腑に落ちる。それでもどこか認めたくない俺も居る。
「違う、俺は…」
「違わないよ。お昼にも言ったけど、レイは昔からずっと変わらない。それにさっきも自分一人で空き巣を追おうとしたでしょ?それって私のことを危険な目に合わせたくなかったからじゃないの?」
もう騙せない。フィリアはもちろん、自分自身も。焼くように熱い感覚が俺の瞼を襲う。
「お、オレは…っ」
感情が堰を切って漏れ出す。今まで泣きそうになったことは何度かあるが、ここまで感情が表に出たのはあの時以来だ。もはや隠し通せるものでもないので、顔を歪めて盛大に涙を流す。
「っ…俺と、フィリ、ぅアの時間が全部無駄になってっ…否定されたような気がっして…こんな十年なんて、必要なかったんじゃないかってっ…」
「いいよ。おいで、レイ。」
フィリアが俺の隣に腰掛け、両手を広げる。
「っ…あ、っ……、ぅあ……!」
もはや涙なのか鼻水なのかもわからない液体が、フィリアの服を濡らしていく。あの時と全く同じ光景、シチュエーション。俺はまたこの小さな体に縋ることになる。