創作物:よくこける男
俺はよくこける。
「大丈夫ですか?」
その日は珍しく、俺のことを駅で助けてくれた人がいた。時刻は夜八時過ぎ、珍しく仕事を早く切り上げての帰宅途中だ。
「ああ、助かりました。こんな中年の男がこけるだなんて、恥ずかしい限りです」
俺を助けてくれたのは青年だった。最近の流行なのか、髪は白髪で、短髪だ。人の良さそうな顔をしている。
「まぁ、誰だってこけること、ありますよ。それに足に引っ付いているからしょうがないかと」
「え?」
「ああ、すみません。変なことを言ってしまって。気をつけて歩いてください」
青年はそういって去っていった。最近の若い者は……と俺の周りはよく言うが、捨てたものじゃない。
普段は笑われる事も多々あった。小さい頃は嫌だった。そういう運命なのだと受け入れた後は周りなんて気にならなくなった。
こけるときは決まって俺が気を抜いたとき。晴れやかな気持ちで散歩したことなんて一度も無い。何も無いところでこけることに関して、俺の右に出る奴はいなかった。
安い川沿いのアパートの一室。それが俺の部屋だ。リバーサイド満開などというふざけた名前で気に食わなかった。今ではもう、気にならない。
「ふぅ」
冷蔵庫からビールを一缶取り出して軽く飲む。ついでにつまみはないかと見てみれば、友人からもらったうまいウィンナーの残りがあった。
「焼くか」
これが一番のつまみだ。俺はそう思っているが、友達はお前のアレと同じでお粗末だという奴がいる。
フライパンで焼きながら、ビールを飲むのも楽しみの一つだ。このことを他人に話すと、独身仲間は三十六になって寂しい奴だという奴もいる。俺は不思議と、独りでも寂しくは無かった。
「うおっ」
つい、ウィンナーの焼けた匂いに気が緩んでしまったのか、皿を取りに行く途中、こけてしまった。
「てててて、くそっ」
日本人の平均より、鼻が高いのが災いした。鼻血が出ていないことを確認し座り込む。いつもと違ったのは足にへんなものがくっついていた。
「何だ、これ」
もう少しビールを飲んでいれば、酔っていたことだろう。ただ、その程度の酔いでは一発で覚めていた。
俺の両足には人影ががっしりとまとわりついていたのだ。ガキの頃に見たホラー映画のそれにそっくりなのに、不思議と怖さは感じられなかった。
「……とりあえず、ウィンナーでも食うか」
俺は特別臆病というわけでもない。しかし、豪胆な人間ではない。
ビールを飲みながらウィンナーをかじる。テレビで馬鹿をやっているタレントの声がどこか遠くから聞こえてくるようだ。
せっかくのウィンナーの味がよくわからない。やはり考えてしまうのは、両足にまとわりついている黒い靄。そして何故だか、今日助けてくれた青年のことを思い出した。
「……あの子だろうな」
シックスセンスという言葉をこの前、テレビで見た気がした。俺にもあるとしたら、その類だろう。
一週間だけ、あの駅で探してみることにした。
「……今日で最後か」
あの青年を探してあっという間だった。今日、駅にいなければ俺は諦めるつもりだ。足にまとわりついている黒いそれは、他人には見えていないらしい。不思議なことに、見えていない割には俺の近くに無碍に近寄ってくる人間はいなかった。まるで足元に人がいるのを理解しているかのように、避けるのだ。
さすがに電車の中になると俺の近くにも人がやってくる。俺の足元付近を踏んだ奴は誰かの脚を踏んだかのように驚き、中には俺に頭を下げる人間もいた。
誰かに踏まれると途端に黒い靄は元気をなくしたように見えた。つい、かわいそうになって撫でてやったりすると元気になって俺をこかそうとする。
俺が良くこけるのは、こいつのせいだったのかと半ば納得がいった。しかし、こいつが一体何なのかは分からない。青年に聞いてみなくては。
「あ、いた」
「え?」
見つけたとき、つい声が出てしまった。青年は少し首を傾げて俺のことを見ると、手を叩いた。
「この前スーパーですれ違った人ですか」
何故俺がスーパーですれ違った程度で話しかけなくてはならないのだ。
「違います。俺は約一週間前、あなたにここで助けてもらった男です」
「あ、ああー」
わかっていそうで、いない顔だ。
「俺の足元、見てください」
「はぁ、いいですけど」
青年は俺の言うとおりに足元を見てくれた。そして、思い出したようで先ほどよりも強く手を叩いた。
「なるほど、あなたでしたか」
「はい。あの、俺の脚にはなにかついていますよね。教えてくれませんか」
しばらく青年は考えて、頷いてくれた。
「ここだとほかの人の邪魔にもなりますし、ゆっくり出来ませんから俺の事務所に行きましょうか。ここから近いので」
「お願いします」
これまで特にやりたいということがあって生きてきたわけじゃなかった。今は違う。俺はこの青年に会って、足元のそれの情報を聞くために生きてきたのだ。そう思えてならない。たとえどんなにくだらない理由だとしても、知っておきたかった。
青年が俺を連れてきたのは駅前のマンション。俺の住んでいるアパートとは全然違った。俺よりもくたびれたスーツを着ているくせに、金持ちなのだろうか。
「ここです」
「夢川探偵事務所? あの、探偵さんだったんですか」
「え、ああ、はい。探偵というよりも、駆除業者みたいなものですけどね」
中に通され、コーヒーが出された。それに口をつけて、俺は改めて相手を見る。
「こほん、では改めまして。私は夢川探偵事務所の所長、夢川冬治です」
名刺を差し出されたので受け取っておいた。そこで気づいた。これはもしかして、依頼になるのではないだろうか。探偵事務所が一体どれだけのお金を俺から取るのか想像も出来ない。
「あ、御代は結構ですよ。個人的に話を聞くだけですので」
「えぇと、何だかすみません」
「気になさらないで下さい。それで、足にまとわりついているものですよね。俺には二人の女がしがみ付いているように見えます」
俺には黒い靄としか分からなかった。
「……女? 幽霊がついてるって?」
「元はそうかもしれません」
やたらと真面目に言う。幽霊なんて本当にいるのだろうか。
「ただ、何かに影響を受けてあなたと同化しちゃってますね」
「同化って」
夢川さんはデスクの上においてあった一冊の本を持ってきてめくり始めた。
「幽霊という存在がいると仮定します」
「はぁ」
恐らく今の俺の顔は間抜けに違いない。
「それを具現化する道具を踏まれたみたいですね。それで、実際に影響を与えるようになってしまった。元はあなた、というかあなたの血筋を恨んでいた怨霊とでも言いましょうか。それが具現化されたのです」
「なるほど、だから私をこかすんですね」
「ええ、まぁ。ただそれだけではないんですよ」
「それだけではない?」
「トリニティって言葉、聞いたことありますか」
俺は首を振った。
「三位一体は?」
「聞いたことあります」
「あなたと、右足、左足にくっついているそれですね。一人と二体で一つ……そういうことです」
言われていることが理解できない。
「幽霊を具現化させる装置を踏み、さらに三つの存在で一つになる装置も踏んでしまったのでしょう」
「何故、俺はこけるのでしょうか」
「それは俺にもわかりません。ただ、それはあなたが足元を掬われる瞬間ということでしょうね。どういった経緯で両足の女があなたの血筋についたのかは知りません……まぁ、血筋はともかく、あなた個人を恨んではいないようですね」
「そんなこと言ったって、幽霊だなんていわれたら多少、気持ち悪いですよ」
「はは、そうですね。まぁ、おっさんが二人くっついているよりはいいでしょう?」
確かにそうだが。
一体何がくっついているのか分かったし、害もないとのことだ。
「又何かあったら私を訪ねてきてください」
最後に夢川さんは俺にそういってくれた。
その日、家に帰り着いた俺に電話があった。
「よぉ、元気か?」
「ああ。お前か。どうした」
ウィンナーをくれた友人からだった。
「お前さ、良くこけるって言ってたじゃん? もしかしたら何か憑いているかもしれないだろ? すげぇ霊能力者の人と知り合ったんだ。祓ってやってもいいっていってるんだけれど、どうする? あ、詐欺師じゃないから安心しろよ」
「……いや、いい。それより、この前くれたウィンナー、おいしかったよ。あれ、三人分くれないか? 金は払うから」
「三人分? いいけど、家族でも出来たのか?」
「まぁ、そんなところだ」
その後も、俺はよくこけた。仕事もこれまでとあまり変わっちゃいない。
かわった事といえば、結婚したことだろうか。鼻が高いという変な理由で俺を好きになった嫁はどこかおかしい……そう告げたらあんたのほうが良くこけるんだからそっちのほうがおかしいから大丈夫だといわれた。変な奴だ。
数年後、双子の女の子が生まれてから、俺は全くこけなくなった。




