B:第九話 それはそれとして
無事、事務所に戻ってこられた俺とフェインは妙なものを見た。
「我が漆黒の闇に身をゆだねるが良い……」
視線の先に居るのは椎名だ。未だに悪魔の姿で、なにやらポーズを決めている。
「椎名……一人で何しているんだ」
「え? 何って必殺技のポーズの練習。せっかく見た目が格好良くなったんだから必殺技の一つでも撃てないと駄目だよね。旦那もする?」
「疲れるからしなくていいって」
「出た、そうやって仕事帰りに疲れた発言が日本の出生率に響いているって何でわからないかなぁ。家に帰って選ぶのはまず愛妻でしょ」
浮遊したままフェインと俺のところまでやってきた椎名は言った。
「今の言葉を踏まえたうえで、質問します」
「はぁ」
上目遣いでこちらを見ると、近寄ってきた。
「ご飯にする? お風呂にする? それともダァクネス・エッジ・ボム?」
「じゃあご飯で」
自ら厄介ごとに首を突っ込むのは疲れていないときに限る。愛妻はどこに行ったんだと聞いたらここに居ますと突撃してくるだろうな。
「じゃあ、ご飯で。かしこまりぃ。ああ、旦那が無事に帰ってくると思ってご飯準備しておいたから。ほら」
鋭利な指の先にあるのはテーブルの上に載った茶碗とインスタントラーメン。
「ほら、フェインもあがりなよ。準備してあるからさ」
「あ、ちゃんと私の分もあるんだ」
どこかホッとした様子でフェインは食卓を囲む。といっても、インスタントラーメンにお湯を注ぐだけのお手軽な飯だけどよ。
「まぁ、何だ。椎名の見た目はいつでも戻せるんだろ?」
「ええ、まぁ。ここぞというタイミングで戻させてもらいます」
「ここぞというタイミングねぇ」
一体いつのタイミングで戻すつもりだろうか。
三人で晩飯を食べた後、フェインは準備があるから荷物を取りに出かけた。
「気をつけてな」
「……私を信用するんですか?」
「信用するつもりは全く無い。戻ってこなければまたフェインを見つけて連れ帰るだけだ」
俺の後ろでは椎名がヒューと口笛を吹いて見せた。
「私、フェインの事待ってるから。一時間以内に戻ってこないとこれ、つけてもらうからね」
椎名が恥ずかしげに見せたのはサルのきぐるみだった。
「別にいいけど?」
「いいの? 局部がクリア仕様になってるよ」
「……お断りします」
「じゃあ、旦那に使ってもらおうっと」
俺が着ても誰も得しない結末がみえた。
フェインが出て行き、俺と椎名の二人きりになった。
「家に帰ってきてすぐに戻してやるつもりだったんだ。ごめんな、いつものお前さんの調子に当てられてちょっと遅くなっちまった」
俺の前に居る人物は相変わらずの無表情だ。それでも、椎名だと確信できる。
「ね、旦那」
「何だ」
いつもだったらエプロン姿を拝めているのに今では悪魔の姿である。良くミニスカートをひらひらさせながら茶碗を洗ってくれているのに今日はそれが拝めていない。
「私の事、好き?」
「おう、好き……いや、待った。何だその質問は?」
つい、答えてしまったのが命取りだったようで椎名の顔には満面の笑みが……いつもだったら形成されていただろう。今では黒くて赤い電飾のような複眼があるだけだ。
「ありがとう、旦那。私も、旦那の事が好きだよ。今日も私のために何かをしてくれたから」
今日はやけに素直である。
「あのさ、キス、しよう?」
「は、はぁ? お前さんは何を言っているんだ」
「別に何もおかしなことは言ってないよ。普段だったら恥ずかしいけど、今は違う。今は、悪魔の姿をしているから私であって、私じゃない。だから、恥ずかしくない」
そうなのだろうか。
椎名がしていいというのなら何ら問題ない、わけがない。
まず学園の生徒だし、俺の彼女ではないし、ええと、ほかにはほかには……ああ、可愛いし、馬鹿やるけどそれもまた可愛いところだな。
「旦那、いくよ」
「……わかった、俺も覚悟を決めるよ」
今の椎名の見た目はいつもの可愛い姿ではない。大丈夫、だから何ら問題ないんだ。
しかし……。
「一体、どこら辺にすればいいんだ」
三角錐を横にしたような頭部である。頂点部分にキスすのが妥当に思えた。
「焦らさないで早くしてよ」
「別に焦らしているってわけじゃないけどさ」
こうなったら後は流されるままにってやつだ。
目を閉じ、自分の唇を先端に押し付ける。
「んっ……」
意外と、と言ったら失礼だろうか。先端は思ったよりも柔らかくて炭の味なんてしなかった。
ゆっくりと瞼を開けるとそこには可愛い顔の椎名がいた。目を閉じ、俺と唇を重ねている。
「ぷはっ……し、椎名?」
「何、旦那?」
あれ、こいつこんなに可愛かったっけと首を傾げてしまうこと数秒。俺のことを見つめていた椎名はそのまま胸に飛び込んできた。
「戻ったね」
「あ、ああ、うん。戻ってる」
一体これはどういうことだと考えてみる。
「王子様のキスで戻るなんて鉄板だね」
「鉄板だろうか」
気づけば玄関へと続く廊下のところにフェインが立っていた。口を軽く動かして、どこかへ行ってしまう。
追いかけたほうがいいのかもしれない。
俺の機微を察したのか、椎名が動いた。
「旦那」
「何だ」
椎名は俺から一度離れ、真正面から向かい合う。
「私、旦那の事が好きです。だから付き合ってください」
キスして告白か。ほかはいざ知らず、俺には効果があったように思える。
「……いいぞ、なんて上から目線は出来ないな。こちらこそ、お前さんが必要だ」
椎名が悪魔に姿を変えてしまって、気が動転した。本当、あれが最初から全身悪魔になっていたのなら……どうなっていたことだろうか。
「椎名こっち来い」
「お、早速命令ですか」
うししと笑う椎名を思いっきり抱きしめる。
「いた、いたたたたっ……旦那、痛いってば」
「椎名、やっぱり華奢だな」
「そらぁ、女の子ですから」
力を抜いて軽く抱きしめた後、お姫様抱っこに移行する。
「だ、旦那?」
「そんで、ぐるぐる周ってからのっ」
「からの?」
椎名が期待に目を輝かせている。
「特に何も考えてなかった」
「減点十点。罰として私にキスしてね」
「……仰せのままに」
その後も二人で少しだけ馬鹿をやった。




