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B:第三話 穏やかな日常

 椎名が俺の部屋に陣取って二週間が経った。

 土日は休み、平日は学園があるから手伝えるのは夕方以降……晩御飯を作ってご飯食べて終わりだ。

 夜に二度ほど仕事が入ったときはふざけて怪我すると思ったので事務所で待機してもらった。

 現場は危ないとしても、それ以外の仕事はこなしてもらっている。意外なことに才女だといっていたためか飲み込みは早かった。事務仕事は教える端から覚えてくれている。

「あの子、どう?」

「優秀ですよ。事務仕事や家事に関しては」

 元は現場での助手も欲しかった。しかし、それは高望みだ。

「あれで変な方向に突っ走らなければいいんですが」

「ふんふん、おおむね関係は順調?」

「まぁ、ですかね。うるさいですけど」

 電話を切ってここ数日のことを思い出す。あまり深い関係ではないものの、椎名は自分をあまり隠そうとしない性格なので打ち解けるのに時間はかからない。

 食事中も良く騒ぐ。料理は上手いがたまにふざけるから大変である。

「今日は頑張ってうなぎとすっぽんとにんにくを使っちゃうよ」

「ああ、そうか。頑張れよ」

 そして食後、風呂に入って長湯したら鼻血出して椎名が倒れていたりしたっけな。

 後は朝から豚の丸焼きが出てきてびっくりしたんだよなぁ。

「作ってみたものの、どうやって食べるんだろ」

「う、豚の頭がこっち向いてやがる」

「旦那、完食してね」

「無茶言うなよ」

 椎名相手だと気が楽で、女の子をあまり意識しなくて良かった。仲の良い兄と妹といったところだろうか……数日で気兼ねない関係になるんだから椎名の才能というべきだろう。

 そして水曜日、ふて腐れた表情で椎名は言った。

「あきた」

「秋田?」

「違う、飽きた。助手飽きた」

 チャンスだ。俺にはそう思えて仕方がなかった。

「そうか、飽きたか……」

「うん、飽きた。やめていい?」

 やるといったら訊ねることなんてしない人間だからな。居なくなるときは突然だろうよ。だからこれは、冗談で言っている。

「いいよ」

「早いっ。諦めるのが早いっ。私、事務仕事速いでしょ? 助手としても結構優秀だしもうちょっと引き止めてよ」

 ははぁ、要は引き止められたいのか。

 だが、相手をしているわけにもいかない。こっちも仕事中だからな。いつものように適当に相手するか。

「ねぇ、旦那ぁ、そろそろ現場に連れて行ってよー。旦那がすぐ戻って来るんだし、現場もちょろいんでしょ?」

 軽い調子で俺の肩を叩く椎名に俺も合わせてやることにしよう。

「駄目だ。お前さんはふざけるから危ない。数の多い奴だったら分断されると助けるのが難しい。椎名優先で守るつもりだがな、俺がやられちまったら椎名が危険に晒される。だから、駄目だ」

「……な、何もそんなにマジにならなくてもいいじゃんか」

 ぶぅとさらに膨れてしまった。いかん、ついマジになって答えてしまった。

「俺は椎名のことを考えて言ってるんだ。昨日まで元気だった人間が……病院のベッドの上に居たりしたら嫌だろ?」

「それはまぁ、そうだけど。旦那だってそうじゃん」

「まぁな。でも椎名より丈夫だから問題は無い」

「ぶぅ」

 それからしばらくの間は静かだった。

 そして六時過ぎ、椎名がいつも晩御飯を作り出す時間だ。料理の腕は誉めるに値するので、毎日期待している。

「……あーあ、やになっちゃう。出て行こうっと」

 そういって出て行ってしまった。

 これまでも突発的に出て行くことが多かったので、別に心配は要らないかな。

「っと、電話だ」

 受話器を持ち、耳に当てるとどうやらSさんのようだった。

「それで、どう?」

「主語が無いのでわかりません」

「……あの子みたいなことを言うのね」

 はぁ、一度ため息をつかれた。俺だって誰のことを指しているのか分かっているつもりだ。

「間山椎名のことよ」

「ああ、椎名ね。この前話したとおりですよ」

 頭の中で椎名がこちらにあかんべぇをしている映像が流れた。あいつは俺の頭の中でも小ばかにしたいらしい。

「もう一度お願い。上への報告義務だから」

 組織の一端も大変だ。ほうれんそうが大切だからな。直属の上司が駄目なら数ヶ月で別の仕事に就くなんてざららしいし。

「能力に関しては高いほうじゃないでしょうか。言ったらすぐに理解するし、家事全般も強いですから」

 家事はあったほうがいいスキルだろう。そりゃ、なくても今のご時世、お金さえあればどうとでも出来る。

「でも、実際の現場には連れて行ってないんでしょ」

「そりゃあね。まだ入って間もないです。それに性格や適性もあります。そもそも、お偉いさんの娘さんを危険な場所に連れて行くわけにも行かない。あと、女の子だし」

 変に消えない傷を残すのなんてNGである。

「……男だったら連れて行っていたと?」

「男だろうと女だろうとお偉いさんの子どもなら考えるでしょ」

「道理ね……もし、椎名以外の現場の助手が手に入ったらどうする?」

 ふむ、それはそれでありかもしれない。補助があったらもっとスマートに解決できた案件もいくつかあったと思う。

「もし、そんな人がいるなら雇いたいですけど」

 頭の中に思い浮かぶのはマッチョな外国人だ。肩にミサイルランチャーなんかを担いで歩くイメージがある。

「そうね、そのときはとびきりマッチョがいいでしょ? マッチョ、かっこいいものね」

「……相変わらずSさんはマッチョが好きなんですね」

「ええ、そりゃもう。夢川さんがマッチョになるなら喜んで抱かれに行くわ」

 マッチョなら何でもいいのかよ。

「ところで、話は変わるけれど……アルケミストの捜索はどうなってます?」

「ん、ぼちぼちです」

 途中で別の案件が入ったので完全に放置状態。あれから被害者も出ていないのでどうにも出来ないというのが事実か。地藤グループの調査員も用事が積み重なって動くに動けない状態との事。

「そう」

「……今、そっちも忙しいって聞いてますよ」

「そうね、悪魔を見たって言う人がいるからね。被害者がちょいちょい出てる。そっちを優先するしかないわ」

「悪魔ですか」

「んー、悪魔って言うかまぁ、人なんだけど。炭みたいな外殻に、二本の角、三角錐を横にした頭に、赤い複眼……その状態になって現れるのよ」

 活動時間は夕暮れから深夜。力は強く、被害者は出ているものの、死傷者は出ていないらしい。建物を壊したり車をぶちのめした程度で済んでいるとのことだ。

「どうして人間がそうなるのか、原因はわかってないと?」

「うん。残念ながらね。ただ、良かったのは一体目を見つけたとき、そいつが半分人間だったこと。意識を混濁させて色々やったら人間に戻ったわ」

 色々の部分が聞きたかった。恐らく、人には言えないようなあれやこれなのだろう。

「そいつら、何かを探してた」

「何か?」

「うん、一度研究施設に入り込んできてね、何かを探していたの……というより、その悪魔が研究員だったからよかったんだけど」

「地藤グループの研究品を探しに来たという可能性は?」

「ないわね、がらくたばっかりじゃない」

 身内をばっさりと切り捨てて、Sさんは続ける。

「長い指で書類をつまんでいたからね。あいつが持っていたのはいくつか種類があって……龍の失敗作、アルケミストの捜索調査報告書、子祭りの資料ってところ。まぁ、これ以外のものを探している可能性もあるから一概には言えないかな」

 個人的にはアルケミスト以外の龍の失敗作と、子祭りとやらが気になった。

「夢川さんがアルケミストを探していて、悪魔に出会ったら……アルケミストを探しているということでしょう。恐らく、悪魔を操っている人がいるからね」

「ふむ、わかりました。注意しておきます」

 悪魔か。

 厄介そうなアルケミストにその悪魔とやらが絡んできたらややこしいな。もしかして、適当な人間に液体を掛けまくった結果が悪魔と呼ばれる存在かもしれない。

「……まぁ、駄文を吐き続けるタイプライターよりはいいのかな」

 人型だし、何かしらすれば元に戻るんだろうから。

「ねぇ、そういえば今、椎名は何をしているの?」

「椎名ですか? さっき飽きたといって出て行きましたよ」

「出て行った?」

 電話の向こうで眉根を寄せる姿が想像できた。

「ええ、この電話を切ったら探しに行くつもりです」

「そうなの? 長話してごめんなさい」

「いや、こっちもそれなりに有益な情報をもらったのでいいですよ。じゃ、そろそろ椎名を探しに行きます」

「変なことに巻き込まれてなきゃいいけど」

「不吉なこと、言わないで下さいよ」

 それから数十秒後、俺は受話器を置いた。

「ふぅ」

 悪魔、ねぇ。後で出現した場所なんかを聞いておかないといけないな。

 ほかにも頭の中で情報をまとめて外に出ようとすると、チャイムが鳴った。

「間が悪いな」

 これ以上放置すると不安が募る。だからといって、居留守を使うわけにも行かないので、お客さんなら早めに切り上げよう。

「はい、いらっしゃいま……」

 目の前に居たのは近所に住むおばちゃんだった。パーマに、小太り……緑色のチェックのエプロンをつけていた。

「ちょっと、お兄さん。妹さんをたたき出すなんてどういうつもり?」

 じろりとにらまれた。肝がちぢみあがっちまうぜ。

「えぇっと?」

 おばちゃんの後ろにはにやにやしている椎名がいた。面倒ごとに巻き込まれなくてよかった。俺が面倒ごとに巻き込まれたようだが。

「家の前で膝を抱えて座っていたのよ?」

「あ、そ、そうなんですね。ご迷惑をお掛けして、すみません」

 いや、こいつ笑っていますし、妹じゃありませんよ。目が血走ったおばちゃんに説明してもややこしくなるだけだよな。

「ほら、妹さんなんて泣いてたし」

 おばちゃんが振り返った瞬間、椎名は顔を伏せて泣きまねを始める。

「すんすん……良かれと思ってフィニッシュに四十番かけちゃってごめんよ兄ちゃん」

 分かりづらい話を持ち出すんじゃあない。

 とにもかくにも、今必要なのは表面上でもいいから謝罪だ。

「ごめんな椎名。お兄ちゃんが悪かったよ」

 ここはなりきるしかあるまいよ。

「うわぁあんっ、おにいちゃーん」

 そういって俺の胸に飛び込んでくる。相変わらず恥じも外聞も無い奴だ。

「……おい、こりゃどういうことだ」

 目の前のおばちゃんに聞こえないよう、耳打ちをする。

「やだ、息がかかってこそばゆい……生んじゃいそう」

「何を? じゃなくて、どういうことだ」

「話、あわせておいたほうがいいよ。おばちゃんはお節介と突っ込みに生きているからね」

 知らんがな。

 椎名の言葉を無視して彼女を引き剥がしたいが、なにやらおばちゃんが俺に疑惑の視線を送っている。

 何故か警察を……なんて口走っているし、これ以上面倒なことになるのはごめんだ。

「あ、ああ、妹よー」

「そうそう、やればできるじゃん」

 妹をいつくしむように(俺に妹は居ないが)、抱きしめて髪の毛を撫でてやる。

「兄妹、仲良くやりなさいよ。お兄さんも妹に今後は手をあげないこと」

 俺、一回も椎名に手なんてあげてないぞ。きっと椎名があることないこと吹き込んだのだろう。

 おばちゃんを撃退……帰っていただき、俺と椎名はとりあえずソファーに座った。

「さーて、まずは」

「お茶だね!」

「話に決まってるだろ」

 椎名を座らせ、俺も対面に腰掛ける。

「さて、話を聞こうか」

「出てったら追いかけてくれるかと思った。来なかったので出てすぐのところで膝を抱えて絶望していました。そうしたら近所のおばちゃんが出てきて根掘り葉掘り聞かれたのです」

 てへっ。

 笑う椎名に俺はもやっとした。口調、変わってんぞ。

「で、おばちゃんに何を言ったんだ」

「私と旦那が血の繋がっていない兄妹だということ。実際は深く愛し合っているけれど、最近お兄ちゃんが冷たくてどう対処すればいいのか分からないこと。そして、親に打ち明けたいって事を」

「何一つとして真実が入ってないな……」

 根掘り葉掘り聞かれて嘘しか言わないのも凄い。普通は適当に本当のことを入れ込んで高度な嘘にすると思うんだが。

「信じてもらえたのか」

「ううん、信じてもらえなかった」

「だろうな」

「……あれかな、お腹に赤ちゃんが居ますといってなかったからまずかったのかな」

「例え嘘がまかり通っても十ヵ月後にお腹が膨れてないと近所だからばれるだろ」

 そういうとにやぁっと笑いやがった。何だろう、つい口が滑ったと思わせてしまう嫌な笑い方だ。

「へぇ、十ヶ月後も私をここにおいてくれてるって事だよね」

「……出て行ったのはそっちだろうに」

 俺がいつ追い出すと言ったのだろう。

「ま、そうなんだけどね」

 ちろっと舌を出して自分の頭を軽く叩く。

「でも、さっきのおばちゃんの様子だとある程度は信じてなかったか?」

 俺のことをお兄ちゃんといって、妹よと俺は言った。それがまかり通ったということは戯言を信じていたことになる。

「うん、お兄ちゃんを柱に縛り付けて目の前で一冊一冊秘蔵のエロ本を燃やしてやったら殴られたと告げました」

 えげつねぇことをしやがる。

「あのおばちゃんと話してみて、正体が分かったかもしれない」

 精一杯のシリアス顔。悪い表情じゃない。

「あ、私のシリアス顔耐久時間は四分三十秒だから。それ以上やると顔が弛緩しちゃう」

「いいから、それでおばちゃんの正体はなんだ」

「あのおばちゃん、錬金術……ふにゃあ、はい終了」

 まだ四分経ってないぞ。

「……本当か。どうしてそう思うんだ」

 その言葉はにわかに信じがたかった。しかし、もしもという言葉がある。

「パソコンがあってね」

「うん」

「モニターがたくさんあった。画面も株や外国為替証拠金取引っぽかったし……小さい元手でお金を手に入れてるって言ってたもの」

「それ違う錬金術師だわ」

「あ、旦那ぁ、喉が渇いたからお茶」

「……はいはい」

 お茶を出してやると満足そうに飲みやがる。この緩みきった表情、ちょっとでも心配した俺が馬鹿だったようだ。

「んー、安っぽい味。戻ってきたんだなぁ、私」

「勝手に出て行ったのはお前さんだし、さして長い間外に出ていたわけじゃないだろ」

「旦那が寂しいだろうなと。常に私が眼の届く範囲に居ないと心配でしょ」

 何をしでかすか分からないから非常に心配である。

「お前さん、平日学園にいるだろ」

「まぁぬー」

 何だよ、まぁぬーって。

 まぁ、いいや。無事に戻ってきたんだしそれでよしとしておこうじゃないか。

「……その時、冬治はまだすぐそこまでアルケミストの魔手が迫っていることに気づいていなかった」

「変な茶々いれるのやめぃ。それで、飽きた飽きたと言っていたのはもういいのか」

「うん、今のところは」

 また言うのかもしれないな。

 たまには、別の仕事をしてもらったほうがいいのかもしれない。

「事務作業って息抜きが欲しいんだよねぇ、ストレスたまるしぃ」

「はいはい、何か考えておくよ」

 わかったOLコスだとか叫ぶんじゃない。無駄に大きな声を出すとまたおばちゃんが来るかもしれないだろっ。


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