A:第十話 私はまだ一緒にいたかった
待ち合わせする際は時間と場所を相手にきちんと伝えるのがマナーだ。今晩、だけでは何時に来ればいいのか分からない。
「矢崎さん」
「あ、冬治君」
本来、金城コルクと夢川冬治のデート待ち合わせ場所。そこに矢崎優奈は立っていた。
「こっちにコルク、来なかったよ。そっちは?」
コルクとのデート約束時間まで残り十分。アルケミストにつかまっているコルクが、この場所にくることもないだろう。
「俺のほうも駄目だった。見つけられなかったよ」
「……警察は、どうしようか」
優奈の言葉に冬治は頬を掻いた。
「俺は上手く説明できそうに無い」
「私も同じ」
双子も居ないのに、同じ顔をした奴に連れさらわれました。それだといたずら扱いで終了である。
「明日の朝、コルクさんが学園に来ていなかったら警察に連絡をしよう。ううん、それだと矢崎さんが厄介なことに巻き込まれるから……コルクと連絡がつかないって長閑先生に言って。そうすれば、とんとん拍子に話が進むから」
「冬治君はどうするの?」
「一応、彼氏だからね。探してみるよ」
「……やっぱり、あの鏡みたいに変なことに巻き込まれているんだよね」
事ここに至っては全てを優奈に説明しても良さそうな感じはする。アルケミストのことではなく、実際にほれたはれたの恋人関係ではないことを……ただ、やはりアルケミストのことが関わっているので冬治は伏せておいた。
「どうだろう確定できないからまだ話せない。ごめんね」
「ううん、いいよ。いつかちゃんと聞き出すから」
やはり優奈はどこかアグレッシブだった。
「さっきの話の件だけど……多分、コルクさんを見つけたら疲れて家で寝ているよ。見つけてなかったら探してる。だから、長閑先生にはいえないんだよね」
「うん、わかった。あの、さ。コルクが戻ってきたらまた皆で遊園地、行こうね」
優奈の言葉に冬治は天を仰いだ。
「私、おかしなことを言ったかな」
「全然、そんなこと無いよ。凄く普通。ただ、そういう約束ってすると、誰かが欠けたりするんだよねぇ」
不吉な話である。
「え? そう? 約束したらそれを絶対に守ろうとすると私は思うけどな」
今一つ、優奈は納得していないようで冬治が適当に話を交わそうとしている。そんな封に見えていた。冬治も上手く説明できそうに無い。
一つ、ため息をついて言った。
「……夏休みに入ったら、皆で海に行こう。戻ってすぐは何だか……ばたつきそうだから」
「海、か。うん、スケジュール空けておくね」
これで話は終わった。そんな雰囲気が二人の間に横たわる。夕暮れが確かに近づいてきているものの、人はまばらで蒸し暑かった。
「矢崎さん?」
別れを切り出さない優奈に冬治は眉をひそめた。準備をまだ終えていない。まぁ、コルクを連れ攫われた以上、さして準備なんて必要は無いのだが。
「あの、さ……これからデートしない?」
「え、俺とデート?」
「うん」
夕焼けを浴びて、優奈の顔は赤かった。
「別に恋人同士だけがデートをするわけじゃないし……それに、何だか冬治君が遠くに行っちゃうような気がしてならないんだ」
「矢崎さん、それは矢崎さんがフラグをたてるから……」
「デートだから、優奈って呼んでよ」
この前、最終決戦に臨んだアニメの主人公がデートをして散ったことを冬治は思い出していた。思い残すことは全部やったから大丈夫だろ、みたいな事を言ったのがまずかったと冬治は思っている。
「優奈さん、マジやめてってば。ここでそんなこと言われたら戻ってこられるものも戻ってこないよ……」
「デートしてくれなきゃ、焔先輩のことばらすよ」
「え」
「あの人、女の子でしょ」
かまをかけられている可能性もある。冬治は首をすくめた。
「さぁ、どうかな」
ばっちり女の子である。風呂でも、布団でも、更衣室でもその事実は確認済みだ。あれで実は男だったとなれば冬治はもう何を信じて生きていけばいいのか分からなくなってしまう。
「引っ掛けるつもりじゃないよ。ほら、証拠の写真もあるから」
優奈は大切そうに写真を取り出して、冬治に渡した。
「やれやれ、焔先輩、迂闊だねぇ」
渡された写真に写っていたもの。それはスクール水着に着替える焔だった。
「いつ、撮ったんだい?」
「着替えてすぐに。コルクに教えられたんだ。多分、あのコルクは……コルクをさらった偽のコルク」
「……なるほどね」
アルケミストが旧校舎の近くに居たのは盲点だった。思えば最初であった場所も屋上だった。
ついでに言うのなら、そのまま優奈が待っていなくて本当に良かっただろう。コルクをやり過ごしても、また何か修羅場チックな事が起こっていたかもしれない。
矢崎さんと焔先輩に限ってそんなこと起こるはずがないよね。遭えて気づかない振りをするのも一つのやさしさなのだろうか。
「で、どうかな」
写真をちらつかせて優奈は様子を伺っている。
「その写真が偽物だと思われるかもしれないよ。今のご時世、加工なんてよくあることだよ」
「でも、疑惑は持たれる。確実に……後半年以内にばれるんじゃないかな。あと、さ、一つ聞いていい?」
「何?」
今度は一体どんなカードを準備しているのか。冬治は自身の正体がアルケミストを通じてばれていないことを願っている。
何かほかにばれてやばいことはあるか。ふと、思い当たったのは焔との旅行。あれがばれたら何故だか知らないがやばいと感じてしまった。
黙りこんだ優奈に冬治は首を傾げる。
「聞きたいことって、何かな」
「……そんなに、私とデートって嫌かな」
町行く人たちは冬治と優奈の事なんて気にしちゃ居なかった。下世話な学生が首を伸ばしたものの、隣に居た彼女に引っ張られていく。
「嫌ってわけじゃ無いよ」
どこか安堵しながらも、冬治は言葉を考える。
「じゃあ、やっぱりほかに理由があるんだ? ミラーハウスでの一件を話してくれるなら……黙るけど」
どの道、アルケミストを捕まえてしまえば学園にいる必要性は無くなる。冬治は正体をばらすことにした。
「わかった。降参。俺のことを話す」
優奈は冬治の言葉を見逃さないように距離を詰めた。
「……俺は探偵だ」
「探偵?」
「そう、探偵。アルケミスト……あの偽のコルクさんだね。あれを捕まえるために、俺は学園に転校してきたんだ」
「……コルクはこのことを」
「知ってる。彼氏彼女という関係も世間のそれと違うんだ。なんだろうね、お互いを利用してきた関係……そう思ってもらったほうがいいかもしれない」
途中まではお互いの勘違いによって成り立っていた関係だ。コルクが冬治を利用してからめまぐるしく周りとの関係が変わったのだ。おそらく、焔に全力を出したのがまずかった。
「そっか」
「コルクさんのことを騙していて俺にむかついた?」
「ううん、コルクもコルクだから。冬治君からそういわれて嬉しいのもあるし、コルクの行動にも納得できた」
まだほかに何かいいたい事がありそうだった。しかし、優奈は一言だけいった。
「じゃあ、私からのデートの申し出、断るわけないよね。コルクは本当の彼女じゃないもの」
「……デートなら今度ね。俺がフリーに戻ったら受けるよ。絶対に、戻ってきたら優奈さんとデートする……約束するよ」
そこでふと、冬治は冗談交じりの言葉をつなげた。
「デートするなんてさ、俺の事好きなの?」
途端、優奈の顔が真っ赤になった。
「べ、別に好きじゃない。友達としてデートするだけだからっ」
そういいながらも、冬治のことをじっと見ている。
「ムード読んでよ馬鹿っ……じゃあね」
軽く手をあげて優奈は人ごみに消えた。
「最後に……最期に、余計なことを聞いちゃったかな」
冬治は優奈を見送ると頭を掻いて、事務所へと戻るのだった。
事務所の物置部屋で、冬治はあれこれ引っ張り出していた。
「決戦にふさわしい装備を」
あれをもっていこうこれをもっていこうと決めていたものの、いざ準備の段階になると忘れてしまうのはうっかりだからか何かの魔法だろうか。
結局、冬治が持ち出したのはいつもの蛍光イエローの拳銃と、ちょっとした装備だけだった。バックパックの中にはミネラルウォーターが入っていたり、一体何を入れるのか大きなガラス瓶もあった。竜の失敗作と戦ったときなんて信じられないほどの重武装だったのに今回の装備は実に貧相である。
学園内へと侵入し、指定された場所へと行く。ホラーテイスト溢れる生物室はジャンルが違えば間違いなく化け物が出てきたことだろう。
「うん、薄気味悪くて素晴らしい場所だな」
生物室の中を通り、アルケミストから指示された準備室へと入る。
「入り口なんてないよなぁ」
そういうと同時に、冬治の膝程度しかない戸棚が開いた。そして、勝手に下の段の床が外れたのだ。どういう仕組みだろう。
「なるほど、ここから下に来いってか」
戸棚の中を除くと、はしごがかけられていた。奥から生暖かい風が冬治の頬をなでていく。
「降りたら底なしってわけじゃなさそうだ」
一人で奇妙な場所に向かうのは慣れっこだ。ただ、慣れたからといってなめて掛かると危険である。
「よっ……っ」
はしごなんて使わず、夜目を効かせて冬治は飛び降りた。結構な高さから飛び降り、すぐさま周囲を見渡す。
「何で来たの」
躊躇無く声のしたほうへと冬治は銃口を向けた。薄暗い床に一人の少女が立っていて、それは非常にコルクに似ている。元より、コルクとアルケミストは同じなのだから違いなんて思考ぐらいだろう。
「ごめん、コルクさんかアルケミストかわからない……よって、私は銃口を下ろしません」
「私はコルクだよ……」
「疑わしきは罰せよ」
「そんな酷い……」
「酷くはないさ。人の摂理だ」
コルクが言っても、冬治が銃口を下げることは無かった。
「と、いいつつ背後の私の眉間を狙っているなんてとんだ嘘つき。私とそっちを間違えないところを見ると、一応、彼氏なのね」
その言葉と同時に、部屋は明るくなった。実験道具ばかりが散乱していると思いきや、驚くほど部屋は綺麗で、静かだった。部屋にあるものといえば、立ったまま人間を固定する拘束具が二組だろうか。天井には大きなガラスの箱が吊られている。
コンクリート打ちっぱなしの部屋は暑く、湿気がすごかった。
「拘束具なんて、いい趣味してるね」
「それ、本気で言ってる?」
コルクの冷たい視線に、冬治は首をすくめてみせた。
「いや、まさか。冗談だよ」
やっぱり、コルクさんはSだったのかと冬治は呟くとコルクから睨まれる。
「それに自分で拘束されて頂戴」
「……あいにく自分で自分を縛るなんて趣味、ないんだけどね」
ぶつくさと文句を言っていると、アルケミストは右手にコップを持っていた。中に入っている液体は赤く、粘性の高そうな代物だった。
「それ、誰の血液だ」
久しぶりに嗅いだ血の匂いに冬治は顔をしかめた。あまり好きな匂いの類ではない。
「へぇ、これが血って分かるんだ?」
小ばかにしたようなアルケミストの言葉に冬治は頷く。
「そりゃ、分かるさ。赤くて、血液っぽい。つまり、血だ」
「トマトジュースという可能性もあるでしょ」
「誰かがこんなシリアス場面でトマトジュースを見せ付けるんだよ。普通、ありえねぇよ」
「その理論はよくわからないけど、残念。この液体は……私が身体を取り戻すためのもの。この前、話した液体よ。これを飲んでしまえばそっちのコルクは消えるわ」
アルケミストに視線を向けられ、コルクは軽く震えた。自分が消えるなんて唐突に言われても、理解できるわけが無い。
「……町の平和を担っている。それがあなたのお仕事よね」
銃口を下ろさない冬治をアルケミストはせせら笑う。
「町の平和かどうかは知らないけれど、ある程度は頑張っているつもりだ」
俺は警察じゃないぞといおうとしてやめた。話が脱線するとものすごく、長引きそうな気がしたからだ。
「そう、それなら身内を犠牲にできるというわけね?」
「夢川君……」
コルクに見られ、冬治はため息をつく。
「オーケー、いいだろう。新しい自分の趣味でも見つけようかな」
冬治はしばらく考えて、拳銃を仕舞った。そしてそのまま拘束具へと近づいて、自分で両足を固定、右手も難なくクリア。左手もどうにかこうにか苦心しながらも拘束することに成功した。
「俺、自分で自分を拘束するなんて凄くない?」
そんな言葉を恋人へと投げかけていた。
「凄くないってば! 何、こんな一大事のときにわけのわからないことを……」
「できれば拳銃をこちらに渡して欲しかったわね」
「……そういうのは拘束する前に言ってくれよ。近づいて取ってしまえばいいだろ?」
こっちに来たらどうしてやろうか。冬治の顔は何かをたくらんでいる人のそれだった。
「嫌よ。あなたに近づくと何だか危ない気がするもの」
「残念」
相当冬治のことを警戒しているようで、アルケミストは一歩も動かなかった。
「じゃあ、お楽しみはこれからね」
「え」
いやらしく笑ったアルケミスト。そして戸惑うコルク。
何かが作動する音が聞こえてきて、コルクの上へと何かが落ちてきた。
「何、これ」
底の開いた箱がコルクの上に覆いかぶさったのだ。箱の上にはホースが繋がれており、水が中へと流れ始める。
「人の闇を見せて頂戴」
「人の闇?」
「そう、人の闇。そっちの私を助ける方法は簡単よ」
アルケミストは指をぱちりと鳴らす。すると、冬治の右手側にレバーが出てきた。
「え、何このレバー。引いていいの?」
「待ちなさい。説明がまだよ」
早速レバーに手をかけようとした冬治を制する鋭い声が飛んだ。
「そのレバーを引くと、この部屋の床がスライドするの。そっちのコルクの足元にはたくさんの小さな排水用の穴。探偵さんの足元にはあなたが拘束されたまま、落ちる大きな穴が開くわ」
「あっぶねぇ。何引かせようとしてるんだよっ」
「あなたが勝手に引こうとしたんでしょっ」
早速落ちることを選択する所だった冬治はレバーから手を離した。自分で拘束した挙句、人の話を聞かないで落ちるのは非常に間抜けな気がしてならない。
「何かあなたが小細工をしようとするのなら……私がこの液体を飲むからね。そうすればそっちのコルクは強制的に終了よ」
「ジャッジ気取りか」
冬治はアルケミストを睨み付ける。アルケミストは冬治の睨みを鼻で笑って受け流して見せた。
「あなたたち、二人は恋人でしょ? どちらが助かるつもり? 紳士的に彼氏が奈落に落ちるのか、それとも彼女がおぼれるのか……罵りあう様を見せて頂戴」
稀に見る狂人なのだろうか。コルクは呆然とアルケミストを見ていた。冬治のほうは何かを考えているようで、ぼーっとアルケミストを見ている。
「何、その眼」
冬治の視線よりコルクの視線のほうが気になったらしい。アルケミストは侮蔑するような目でコルクを見始める。
「何で、私なのにそんなことをするの?」
「何でって、忘れてない? 私は、あなたの本質よ。私があなたから抜け出す前……あなたは私と何ら変わりはなかったの。ただ、他人と接するときに上っ面のあなたという人格がいただけ。何か生物を捕まえていたときは嬉々として下劣なことをしていたわ」
「う、嘘よ。私にそんな記憶なんてない」
「記憶は私が全部もっているからね。私の身体は偽物だけれど、記憶は本物。あなたの肉体は本物だけれど中身は偽物も同然よ」
口元を吊り上げて、笑いながらアルケミストは続ける。
「あなたは中身がかすかに残った単なる器なの。もし、またあなたと私が一つになればまた、前と変わらない一般人の振りをして実験を繰り返す狂人に戻るだけ。そっちの彼みたいに正体を知ればへんなものを見る眼であなたの、私のことを見たあと……消えるわ」
膝まで浸水したコルクは絶望的な表情で冬治を見る。どこかすがったような目つきは単なる一般人だった。
「ゆ、夢川……君?」
「んー」
冬治のほうは、眼を鼻によせ、上唇を鼻にくっつけようと努力しているようだった。顔面中央へと顔を寄せた変な顔。
「え、何か言った?」
「……話を聞いてなかったの?」
こいつ、この状況でどこまでふざけているのか。アルケミストは凄みを帯びた視線を冬治とへと向ける。
「いや、聞いてたよ?」
半分だけ。その言葉を冬治は心の中で呟いた。
「じゃあ、言ってみなさいよ」
「……つまり、コルクとアルケミストはイコール。そう言ったんだろ?」
これで間違いは無いはず。冬治はアルケミストではなくコルクを見て言った。
「う、うん」
「そんな彼女でいいの?」
アルケミストは冬治の言葉が気に食わなかったのか、変わらず睨み続けていた。
「いいもなにも、コルクさんはコルクさんだ」
「あなたとは決して、わかりあえないわよ」
「彼女と彼氏が全部わかりあえるわけ無いだろ」
冬治は二人の関係が偽りと気づいていないことに驚きだった。てっきり思考や意識も共有しているもんだと思っていたので意外だった。
「綺麗事をっ……どうせあなた達どちらかはここで死ぬのにっ」
「ああ、そうそう。そのことで言い忘れてた」
冬治はいつもと変わらない調子でのんびりと答えていた。
「あのさ、俺がもし、穴に落ちたら……悪いんだけれど、コルクさんの記憶から俺を消してくれないか」
「え」
「何故?」
冬治は困ったものだと眉根をひそめていった。
「いや、ほらね、俺が死んじゃったらぞっこんらぶのコルクさんが悲しんじゃうのは間違いない。自分と全く同じ容姿の人間が彼氏を殺したも同然だ。絶対にトラウマものだぜ? 死んでしまった彼氏のことなんて、すぐに忘れて新しい生活を始める……それが一番いい方法だって俺は知ってるからな。傷心をなくしてやりたいんだ」
アルケミストは冬治の眼を見た。眼を見れば、嘘かどうか分かるのだ。
「そもそも、俺のことだけ忘れる方法……あるかね?」
ふざけて言っているようではないらしい。アルケミストはそう判断した。
「……いいわ。やってあげる」
「ついででさ、コルクさんはこのまま一般人として過ごさせてあげたいんだけど」
「それは横暴ね。許可できないわ」
「何故」
すぐさま冬治は突っ込む。
「何かあったときの人質にはちょうどいいもの」
冬治はしばらく黙り込んでアルケミストを見ていた。アルケミストも視線を逸らすことなく冬治を見ていた。
「……よし、わかった。首を縦に動かしたら……すぐに、レバーを下ろしてあげようじゃないか。嘘じゃないぜ、本当だぞ」
「夢川君、何、言ってるの。あなた、死ぬのが……怖くないの?」
信じられない。呆然としたコルクが冬治を見ていた。そんなコルクを見て、冬治は苦笑する。
「月並みだね、コルクさん。それに、最後まで冬治君と呼んでくれないなんてご無体だよ」
「だ、だって……」
私達は本当の恋人じゃないのに。唇がそう動いた気がした。
「……いいかい、コルクさん。さっきの俺とアルケミストのやり取りを聞いていなかったのかな?」
「聞いていたけど」
「俺が落ちても、コルクさんは俺の記憶を失って何ら問題はないんだよ。俺を思い出して気に病むことはない。今、君にアルケミストの記憶はない。それといっしょさ。だが、俺が助かった場合はどうだろう? アルケミストを運よく仕留めたとしても、俺はコルクさんのことを引きずって生きていかなきゃいけないんだ。俺はそんなの、耐えられないよ」
アルケミストのほうを一瞥して、言った。
「最後のお別れにもうちょっと演説していい?」
「好きにしなさい」
「すまんね、ありがとう」
口先だけの言葉で冬治はアルケミストに礼を述べ、コルクを見た。
一度も見たことない、他人のことを慈しむやさしい表情だった。
「本当はね、もっとコルクさんのことを知りたかったよ。抱きしめて、キスして、えーと、ベッドでごにょごにょしたかった。それから、卒業をして……子どもを生んでもらって、幸せな家庭を築きたかった」
思いの丈をぶつけられ、コルクの目の端に涙が浮かぶ。
「……と、冬治君」
「最後に、辛くさせてごめんね。俺、意外と我侭なのでこのまま自己中心的に進ませていただきます。ま、忘れるからいいよね」
えへへと笑う冬治に、コルクは反論する。
「よくないよ。聞きたくないよそんな言葉……もう、辞めてよ」
その場にへたり込んだ。そのせいで首近くまで水に浸かる。浸水した床を見ても何も思いつかなかった。
「う、うううっ……なんで、何でこんなことになったのっ」
「おっと、ごめんね……泣かせるつもりはなかったんだ」
冬治は苦笑して、言った。
「短い間だったけれど、君に告白されて面倒だった。でも、楽しかったのかもしれない」
コルクは冬治のことを見ることが出来ない。ずっと、床を眺め続けている。
「……あとさ、コルク、さよなら」
「え」
がこん。
何かが開く音がした。すぐさま音のしたほうへとコルクは視線を向ける。音のした場所には既に何もなかった。
「……案外、あっけなかったわね。まぁ、命なんて最期はあっけないものか。いつものことね」
同意を求めるようにアルケミストはコルクを見た。
「どうして……どうしてこんなことをっ」
コルクのほうはアルケミストを睨みつける。
「嗅ぎまわっていたし、あの人、危険だもの。私があなたを人質としてとらなかったら……負けてたわね」
ずぶ濡れのコルクにアルケミストは笑う。コルクを捕らえていた分厚いガラスの箱はまた天井へと上昇していく。
「何も殺すだなんてやりすぎよっ。あんたは私なんかじゃない」
「じゃあ、あなたが代わりに死ねばよかったでしょ。選択権はあったでしょう。そうよね?」
「……そうだけど」
レバーを引かなければ、冬治がコルクのおぼれる様を見る羽目になったのだ。どのみち、レバーを引いていただろう。
「結局人間なんて生きるためには必死なの。他人を蹴落とすなんて当たり前。さっきの男、恋人としては正解だけれど人としては……人間としては失敗作ね。別に、あなたの責任ではないわ」
アルケミストの評価は終わった。放心しているコルクへと近づいて、注射をするのだった。
暴れることもなく、コルクはそのまま倒れた。アルケミストは周囲を見渡す。
「記憶は後でちゃんと消してあげるわ。私もこことお別れね」
「おやおや、それは悲しいですね」
高い音をたてながらはしごを降りて誰かがやってきた。
「誰?」
「スーツの男です」
そして男の後ろにはたくさんの武装した人たちが下りてきていた。
「TPさんは落ちましたか。役に立たない便所紙ですね」
「TP? だれそれ」
「そこに張り付いている、ごきぶりの名前です」
アルケミストが首を傾げると同時に、冬治の落ちた穴が開いた。そして、一人の男が苦労しながらも這い出てくる。
「だ、誰が便所紙ですか」
「おや、ごきぶりが便所の穴から顔を……」
「失礼な!」
這い上がって冬治はスーツの男を一度睨んだ。
「やだな、ちょっとした冗談ですよ」
「それ、嘘ですね。ま、それはいいです。じゃあ、観念してもらえますか」
冬治は蛍光イエローの拳銃をアルケミストへと向ける。
「……どうして生きているの。四百メートルあって、下は硫酸なのよ」
「魔法で空を飛びましたぁ」
ふざけた調子で片手を羽ばたかせる。冬治が浮かび上がることなんてなかった。
「投降しなさい。あなたに逃げ場はありませんよ」
スーツの男がそういうと、アルケミストは不敵に笑う。
「馬鹿ね、こっちには奥の手があるのよ。もう脅しには使わないから」
何かの液体が入ったコップを取り出し、アルケミストは一気にあおった。
「ふ、ふふふ……」
掴まれていたコルクの身体に、アルケミストが入っていく。いろいろなものを見てきた隊員たちも化け物が人の中に入っていくのを見るのはこれが初めてだった。
「どう? これで、金城コルクは……アルケミストに戻ったわ」
ずぶ濡れのアルケミストは笑っていた。
「隊長、一般人が……」
隊員の一人が動揺し、銃口を下げた。普段は化け物どもを相手にしているのでこういうのには弱いらしい。
「静かにしてろ。TPさん、どうしますか。あれ、あんたの恋人の身体でしょう? あの女の身体に別の男が穴を開けてもいいんですか」
「ああ、じゃあ俺が撃ちますよ」
その場の全員が……スーツ男以外がぎょっとした顔で冬治を見た。
「い、いいの? これ、本当にあんたの彼女の体よ? 意識だって、ちゃんと残っているわ」
アルケミストの言葉を聞いて、冬治は静かに頷いた。酷く、冷たい表情をしている。
「それはさっき聞きました。実は私の狙いはこれだったんですよ。ええ、液体なんかに何発打ち込んでも効かないですし、焦土弾も作りましたけど、危険だ。何より、無駄弾。今のアルケミストの身体は単なる人間。撃てばどうなるかわかりますよね」
「ちょ、ちょっと待ってなさい」
「わかった、十秒待つ」
五秒ほどだろうか? アルケミストの顔が変わって冬治の知っているコルクの顔になった。
「あ、と、冬治君。よかった、生きてたんだ。えっと、何で私に銃が向けられてるの?」
「さん、に、いち……」
トリガーが引かれ、アルケミストはそのまま後ろに倒れた。冬治は銃口を近づけたままアルケミストの頭に近づき、そのままハンカチを落とす。
「てぃ、TPさん……本当に、恋人を撃ったんですか」
覆面の特殊部隊の一人が化け物を見るような目つきで冬治を見た。
「そりゃ撃つよ。チャンスだったろ? さっき撃たないでいつ撃つんだ?」
何を馬鹿なことを聞くんだ。冬治は冷たい表情で隊員の一人を見返した。
「いや、しかし躊躇の一つも……」
「おい、やめておけ」
スーツの男に肩をつかまれても、隊員は不満そうだった。
「……ですが」
「命令だ。静かにしておけ」
「……は、はい」
スーツの男がそういって黙らせた。
「そいつ、新人ですか」
「ええ、まぁ。今回が実践初めてです」
「ちゃんと教育させたほうがいいんじゃないですかね。じゃないと、命を落とす大怪我しますよ。もしくは、眼科に連れて行ってあげてください」
「あなたに言われなくても、分かっています。おい、撤収だ」
「隊長、アルケミストの死体は……」
その後ろで冬治が拘束具にアルケミストの身体を貼り付けにしていた。
「隊長っ、あいつ……」
「彼のすることは放っておくといい。今からTPさんのお楽しみタイムだ」
「狂ってる」
そういった隊員の額に、冬治は躊躇なくトリガーを引いた。
「躊躇なく麻酔針を撃つの、辞めてもらえますかね」
「そいつが俺のことを狂人だなんていうから悪いんですよ」
どこかすねた調子で冬治は拘束具をはめ終え、額に刺さっていた針を引っこ抜いた。ほかの隊員はそんな冬治をぽかんと見やるのだった。
「スーツの男さんは上で待機をお願いします……アルケミストに逃げられるとまずいので」
「わかりました。ほら、そいつを担げ。上に戻るぞ」
特殊部隊が居なくなったところで冬治はミネラルウォーターを取り出してコルクにぶっかけた。
「……ん? あれ?」
「お早うさん」
コルクかと思えばそれはアルケミストの表情だった。
冬治はアルケミストの額を軽くノックして言った。
「コルクさん出してもらえる?」
「何故? 私はもうコルクよ?」
「嘘ばっかり。じゃあ、身体に聞くしかなさそうだねぇ」
下卑た笑みを冬治は浮かべた。
「いいの? 恋人の身体なんでしょ?」
「……身体がくっ付いているのなら記憶も共有してるでしょ? 俺とコルクさんの関係は偽物だよ」
「……」
アルケミストは静かになった。そしてまた、別の表情を見せる。
「そんな、焔先輩は……女だったの?」
アルケミストが見たものも、コルクに流れていたらしい。呆然とした様子でコルクは冬治を見ていた。
まさか開口一番でそっちが出てくると思わなかった冬治は苦笑するしかない。
「ああ、コルクさん。やっと出てきた。あのさ、万物融解液ってまだあるかな? アルケミストの記憶をたどって欲しいんだ」
「んっと、う、うん……」
しばらくして、コルクは泣き出した。鼻水、よだれを出しながら泣いているので冬治もさすがに放置できなかった。
「……どうしたの?」
「その、昔色々なものに酷いことをしていたのを思い出した。私が……万物融解液を使って本質とわかれて、本当に色々と忘れていたんだなって改めて感じたんだ」
「ああ、そうなんだ。何で液体を自分に使用したんだい?」
「嫌に、なったから。自分の本質と、向き合いたかったから」
「そっか」
自分の本質と向き合うなんて常人には無理だ。冬治は努力や思考することもなくそう結論付ける。目の前の人物がどういった経緯で、それを作り出したのかは知らない。そして興味もなかった。
「それで、万物融解液はここの部屋、もしくはどこかにあるの? ないの?」
「そこの壁、たたくと扉が開く」
言われたとおりにすると、フラスコが納まっている扉が開いた。それを一つ手に取ると冬治は首を傾げる。
「万物融解液の癖に、このフラスコ溶けないんだ」
「それはまだ万物融解液じゃないから。栓を抜いて逆さにすると出てくる……そうすると万物融解液になるよ」
「そっか、説明ありがと」
冬治は栓を外すと万物融解液を頭からコルクにかけた。
「と、冬治君何をっ」
「……本質って早々変わらないよね。だから、こうすればアルケミストとまた分離するかなって」
コルクの表情が変わった。
「や、やめろっ、せっかく戻れたのにっ」
アルケミストの表情は苦悶に歪んでいた。
「やめろっていわれても、もうかけちゃってるよ」
「ううううっ」
何かの道具になることなく、コルクは人の形のままだ。ただ、彼女の足元には緑色の水溜りができて、それが波紋を見せ始めた。そして、人の形を成す前に……冬治がガラス瓶を被せて捕まえるのだった。
「よし、封印完了」
差し押さえと書かれたラベルを貼り付けて、冬治は満足そうに液体を眺める。
「冬治、くん?」
「コルクさんお疲れ。俺が誰だか分かる?」
「う、うん」
「アルケミストのことも?」
「ちょっとは……」
「そかそか。残っているのなら覚えていたかったからかな……ちなみに、焔先輩のことは?」
「女の子、だよね」
「さぁ」
冬治は首をすくめるしかない。
「終わったんだね、色々と」
感慨深げに辺りを見渡して、最後に冬治の胸の中の大きなビンを眺める。
「色々ね。終わったのは俺らの関係、俺の学園生活、コルクさんと焔先輩の恋愛、このぐらいかな」
「……冬治君、いなくなるの?」
「知ってのとおり、社会人だよ……ああ、拘束は後でちゃんと解かせるから」
さっき狂人だとか抜かした奴に外してもらおう。冬治はそう考えてコルクに背中を見せる。
「ま、まって冬治君」
「何?」
「もう行っちゃうんだよね」
事件は恐らく解決している。解決すれば、冬治が学園に通っている意味もなくなる。
「まぁね。この通り、アルケミストは捕まえることが出来たから」
ガラス瓶の中の液体を軽く見せる。
「焔先輩が女の子だって事、知ってたんだよね」
「さぁね」
「お願い、答えて」
もう会えないと思うと人間は弱い。野となれ山となれ、である。
「……知ってたよ」
「何で教えてくれなかったのっ」
少女の叫びに冬治は黙る。焔と約束したから……では何だか焔と角が立ちそうなので(野となれ山となれといった割にはへたれである)、偽善者ぶることにした。
「正直、複雑だった。だって、コルクが焔のことをすきなのは気づいてた。恋人が別の相手、しかも女の子に憧れを抱いているなんてさ……何だか悔しいじゃないか」
「そうなの?」
いや、適当なことを言っているんだけどね。心の中でぺろりと舌を出し、冬治は続ける。
「だけど、結局俺はここから居なくなる運命だからね。焔のことは黙っておいたほうが無難だ」
「……私の事、本当に好きだったの?」
「好きじゃなければ、助けに来ないよ」
右手で拳銃の形を作ってばんっと言ってみた。ちょっと古いけれど、探偵っぽいから冬治はこれが好きだった。
「じゃ、じゃあっ、好きなら私にキスしてよ。私、冬治君のこと、ふゆ君のこと絶対に忘れない」
「……恋人でもない女の子に、するわけないでしょ。さよなら」
お店の人でもないんだし。冬治はそういってはしごを上っていくのだった。
「終わりましたか」
準備室にスーツの男を含めた二名が待機していた。残りは隣の生物室で待機している。
「ええ、終わりました」
抱えているガラス瓶の液体を冬治は見せた。ここから出せとわめいている。
「まさか生け捕りにするなんてね……さすがです」
「あとは研究チームが逃げ出さないように気をつけてくれれば大丈夫です」
「本当ですねぇ。まぁ、大丈夫でしょう」
スーツ男は表情を変えずに言った。
「それで、地下にいるあの子はどうしますか?」
「さてね。もうただの一般人です。ああ、さっき俺を狂人だといった人に解放させるように」
「あなたの彼女でしょう? これから感動の一夜を楽しむつもりでは?」
「……いえ、浮気されました。さっき破局したんですよ」
「浮気? ぷっ、ざまぁみ……こほん、それは実に残念ですね」
冬治はむっとしながらもその場を先に去る。今度、絶対に納豆を投げつけてやる。そう硬く心に誓う
こうして、アルケミストの事件は終わりを迎えるのだった。




