A:第八話 僕はデートに行くことになった
ソファーに腰掛け、スーツの男さんが紅茶をすする。
「こうして面と向かって直接お話しするのは久しぶりですね」
「そうですね。普段は電話かメールで済ませますから」
「それで、アルケミスト捜索は順調ですか」
「そっちは順調です。まぁ、へんなことになりましたが」
「変なこと?」
全て話すと介入されそうなので適当にぼかして告げる。
「ま、信じられないことにデートが必要になりまして」
「でぇと? ほぉ」
何だかやけに生き生きした表情になった。大好物を前にした馬みたいになった。
「いや、ね。私のほうも順調でして……幸せって、いいですね。TPさん。是非、今度のデートは全力で行ってください」
「全力ですか?」
無論、力は尽くすつもりだ。コルクさんからも釘を刺されている。
「事件解決は早めのほうがいいのです。事件に関係していて、デートならば全力を出すべきです。仕事ですから」
「まぁ、そうですけど限度ってものがあるでしょ。デートで海外まで行ったら大変ですよ」
「日本国内にもいい場所はあります。是非、頑張って下さい」
「……やるだけ、やってみますよ」
デートのプランや提案をする前に、デート相手を探す必要がある。
「報告、待っていますからね」
早速次の日、俺は昼飯を食べ終えると階段を上っていた。
学園というものは本来、学習するためにあるのだ。
テストが近づいてくると、クラスは盛り上がりを見せる。真面目に勉強しているもの、現実から目を背けるもの、山をはるものなどなどだ。
「ちゃんと勉強するように。間違っても今度の休日に遊びに行ったりは駄目ですよ」
長閑女史もそうやって注意していたっけ。
俺がテストに臨んでいた頃は比較的真面目に勉強していた気もする。テスト勉強という形ではなく日々の勉強だ。今より軽い面倒ごとに足を突っ込みつつも、何とかこなしていたので、テスト前にそういうのがぶっこまれると怖かった。
「ここか」
今はアルケミストを捕まえることを第一に動くしかない。夜中出没したと連絡があってアルケミストと対峙したことも数度ある。たまに向かってくることはあっても基本は逃げだ。お互い、相手の力を計ろうとしている。
「すみません、焔先輩」
「ん? あれ、冬治君。どうかしたの?」
焔先輩は机に座ってノートに文字を書き込んでいっている。
「ええ、お話があるので屋上に来てくれませんか」
「いいよ。ちょっと待っててね」
勉強していたところ悪いなと思いつつ、ターゲットを屋上に連れ出すことに成功。俺がこれからやることは焔先輩をデートに誘うことだ。
屋上に続く扉の先に、アルケミストがいることは無かった。五月最後の風を浴びながら、二人で階下を見下ろす。
「最近、コルクちゃんと仲がいいみたいだね」
「ええ、まぁ」
「何かいい事でもあった?」
「ま、少しは仲良くなったって事です」
「そっか、よかった」
下手に答えることも出来ないので、さっさと本題に入るとしよう。
「焔先輩。今度の連休、俺と一緒に遊びに行きませんか」
「今度の連休って……週明けからテストだよね」
勉強、しなくていいのと視線を投げられるが関係ない。
「そっちは大丈夫です。ばっちり、とはいえませんが対策はしています」
一夜漬け、カンニング、テスト用紙の改ざん、賄賂……というわけでもない。元から勉強していれば慌てて勉強する必要もない。平均点を取るならちょろいもんだ。
「そっか、凄いね」
「先輩達も受験勉強大変でしょ? だから、一度息抜きに行きましょう……二人で」
「え、二人で?」
驚く焔先輩に俺は畳み掛ける。
「たまには男として振舞わず、自由にしたいと思いませんか。それに、もうちょっと上手く連携というか、俺が焔先輩のことを知ったなら助けられると思うんです」
「助けられる?」
「はい。変な嘘をついて面倒な事になるよりも阿吽の呼吸ができる様な関係になれるといいなって」
「で、でも、冬治君にはコルクちゃんが……」
「コルクは関係ありませんよ。それに、俺と焔先輩が二人で遊びに行くっていっても普通に送り出してくれますから」
「い、いや、しかし……」
よし、迷ってる。何だかちょっと口説いている気持ちにならなくも無いが……気のせいだろう。
「それに、俺、焔先輩に伝えたい事があるんです」
「え」
焔先輩の驚いた表情はお化け屋敷以来だろうか。
「俺は焔先輩が女だということに気づきました。偶然にしろ、秘密にしておきたかった焔先輩から見たらちょっと嫌でしょう。それなら俺のことも少しは話しておくべきだと思いました。ただ、学園やその近くだと聞かれる恐れがある。だから、ちょっと遠くに行きましょう」
「う、うーん」
散々焔先輩は迷っていた。もう少し押すべきか。
「俺、焔先輩ともっと仲良くなりたいんです」
「え、ええっと、あの、えっと、すごく、気持ちは嬉しい。でも、コルクちゃんが……」
「じゃあ、コルクさんがいいって言ったら行ってくれますか」
「う、うん。そうだね。コルクちゃんが許可をくれたら行くよ」
俺の勝ちは確定したも同然だ。計画どおりに事が運ぶのは気持ちいいものだね。つい、緩んでものすっごい悪い表情になるのも納得してしまう。
「じゃ、行きましょう」
「行くってどこへ」
「コルクさんのところですよ。許可、もらわないといけないですからね」
焔先輩の手をとって、二人で階段を下りる。
「さ、さすがに学園内で手をつないでいたら変じゃないかな」
「あ、そうですね。すみませんつい、嬉しくて」
「こ、今後は気をつけないとね」
「わかりました」
焔先輩を教室まで連れてくると、矢崎さんと目が合った。俺を見た後、焔先輩を見て何か言いたげだったが……静かに勉強を開始する。
「コルクさん、今度の休み焔先輩と遊んでくるよ」
さすが夢川君行動が早い。コルクさんは目でそんな語りかけてきた。
目で通じ合っている辺り、意外と相性悪くないのかもしれないな。
「そっか、うん。気をつけてね」
「え、いいの?」
焔先輩はコルクを見て、驚いている。
「ええ、いいですよ。焔先輩も受験勉強で疲れているのならたまにはガスを抜くべきです」
そういえば以前、ガス抜きを目的で遊園地に行ったっけ。ガス抜き、多いなぁ。
「ねぇ、それって私も行っていい?」
何か勘付いたのか、矢崎さんが立候補してくる。
「じゃあ、僕も行きたいな」
さらに幸雄まで食いついてきた。もし、この二人が来れば当然、焔はゆっくりできるわけが無い。適当に皆でまとまってうろうろ、無常のタイムアップで休日はつぶれるだろう。
「二人には悪いんだけれど、私と一緒に居残りで勉強会」
そして二人がついていきたいなんて言うのも想定済みだった。
「え、嘘……」
「僕も?」
「当然、さっき約束したよね」
約束なんて破るためにあるんだと幸雄は呟くが、誰も聞いちゃいなかった。
そして約束の連休。駅前で待ち合わせたときは男っぽい服装だった。充分着こなせており、格好いい。
「焔先輩、お待たせしました」
「あ、う、ううん。今来たところだよ」
ベタ過ぎる言葉を言ったからか、照れている。うん、普通に可愛いな。
「それで、今日はどこまで?」
「多忙の学園生活、勉強疲れ……ゆっくりのんびりすごすため、隠れ里っぽい場所に行きます。ああ、安心してください。旅費は全部俺が持つんで」
たまの贅沢にけちは禁物だ。予算は二十万……充分、余る金額である。
「あの、冬治君……さっき見せてくれた乗車券は新幹線用じゃないの?」
「新幹線じゃないとちと、遅くなりますからね」
「え、ええーっ」
焔先輩が叫んで数時間後、俺たちは温泉街へとやってきていた。
「まず、荷物を置いてきましょうか」
「え、う、うん。あの、凄いところに連れて来られちゃったんだね」
帰り、冬治君が居ないとどうしようもないねと笑っている。表面上のガス抜きはどうやら成功しつつあるらしい。
「まぁ、驚かせたかったので。多少、強引だったことは許してください」
「う、うん、それはまぁ、いいんだけど」
「さすがにここまでくれば知り合いはいないでしょ。さらに、テスト期間中です」
これで知り合いと遭遇するなら超優秀な奴か、それとも成績なんて関係ねぇぜという猛者だ。
「湖もありますからそっち方面に行けばさらにゆっくりできますよ」
「そっか」
「まず、お昼を食べに行きましょう」
おいしいご飯を食べて、湖を眺めて、後は町を散策する。計画は完璧である。明日も休みだから、少し遅くなっても問題ないはず。まぁ、一応確認すべきところではある。
「焔先輩の家って遅くなってもうるさくないですか」
「え? どうだろう。実家じゃなくて一人暮らしだから……別に大丈夫だよ。どうしてもというのなら、向こうに連絡しないとわからないかな」
女の子の一人暮らしか。羽津市全体的に見ても特別犯罪件数が少ないわけでもないし、多いというわけでもない。日々の防犯意識が必要である。
「あ、そうなんですか。ちなみに、どういった理由で一人暮らしなんでしょう」
「えっと……」
今更ながら立ち入ったことを聞いていることに気づいた。焔先輩とは深い仲ではないので聞かないほうがいいな。それに、親しき仲にも礼儀ありって言葉もあるぐらいだ。
「遅れ気味ですけど、言いづらいことなら言わなくてもいいです」
ちょっとくい気味過ぎだろうか。困っている焔先輩に俺は頭を下げた。
「……ちょうどいい機会かも。この事は湖で話すね。それで、遅くなってもいいって、どういうこと? 何かあるのかな」
「実は今日、これから食べに行く予定の旅館の隣で演劇があるんですよ。それを見ようかなって」
「なるほどね。うん、見てみたいな」
「ありがとうございます」
それからちょっとした知り合いの旅館でお昼をいただくことになった。
一息ついて女将さんにお金を渡す。何だか、にやにやしてこちらをみていた。
「……なんですか?」
「夢川さんが奥さんを連れてくるなんて思っても見ませんでしたよ」
「ぶっ……いえ、奥さんではないんですよ」
焔先輩には聞こえていないよう……に見えて、聞こえているらしい。そっぽを向いて顔を真っ赤にしている。こんなことで怒らせるわけにも行かない。
「奥さんじゃない? じゃあ、彼女?」
本当だったらそこで妥協して頷きたかった。相手をするの、面倒だしなぁ。しかし、それが通用するのは俺に彼女(嘘っぱちの)いないこと前提だ。女将さんはともかく、焔先輩はいることを当然知っている。
「……すごく、仲のよい友達です」
「あら、そうなの。なるほど、仲良しねぇ」
女将さんは誤解したらしい。俺の肩を叩いてほどほどにしときなさいよとよく分からないアドバイスをくれた。
湖へと歩きながら、お互い少しだけ黙っていた。
「今、さ」
「はい」
林道へと入ったとき、焔先輩は躊躇いがちに話し始めた。
「僕達、周りの人にどう見えるのかな」
「夫婦でしょう」
「え、ふ、夫婦って」
「女将さん、そう言っていましたから。俺じゃ不服でしょうけど、傍から見たら夫婦に見えるんじゃないですかね」
半分は冗談。半分は本気だ。
「その、友達とか、彼女とか……色々と段階、飛ばしている気がする」
「それは気のせいじゃありませんよ」
林道を通る人たちは誰もがカップルで、仲の良さそうな人たちばかりだ。どれがカップルで、夫婦なのかは判断のしようがない。子どもが居れば、話は別だが。
険悪な人なんているわけが……。
「本当、信じられない。手をつなぐぐらい、友達同士だってやってくれるのにっ。あんたときたら手もつないでくれないだなんて」
面倒くさそうな女性がヒステリーを起こしていた。
「お前のほうこそパンチは無いだろ、パンチは。腕組んで欲しいって言ったから冗談で腕組みポーズしたのに、顔面にパンチとかマジ、ねぇわ」
相当いいパンチを頂いたのだろう。男性は思わずモザイクを掛けたくなるような面構えをしている。
「……喧嘩、だね」
「喧嘩ですね」
ここが住宅街なら何事かと様子を伺う人がいただろう。林道にはそれなりの人がいるものの、誰もが気にしていない。大抵カップルのためか、仲良く腕を組んで甘い雰囲気を垂れ流していた。
二人だけの世界が広がっているのだろう。羨ましい話である。
「ほら、見ろよ。あいつらだって手、つないでないだろ」
男のほうが俺たちのことを指差してきた。まぁ、俺たちは恋人でもなんでもない、単なる先輩後輩だ。手をつないだり、腕を組んだりはありえない。
「はぁ?」
魔眼でにらまれた感じがした。少しだけ背筋に緊張と、汗が浮かぶ。それだけ、女性の視線には強烈なものがあったのだ。敵愾心を燃やす、獣……何故だかしっくりきた。
「……っ」
びっくりしたのか、焔先輩は俺の腕にくっついていた。慎ましやかながら腕に当たる柔らかい感じ……その、なんだ。
この感じ、恐らくノーブラ。
「ほら、見なよ。ちゃんと仲良くやってるじゃん」
「お前がにらんだからだろ」
真にその通りでございます。
「ったく、わかったよ。ほれ、腕」
「うん」
さっきまであれだけ騒いでいた二人はいつの間にかそこらのカップルの一組となってすれ違っていった。
「こ、怖かったね」
「そうですね。驚きました」
で、いつまでくっついているんですかともいえない。これはこれで、役得という奴だろう。
気づかなかったのか、そのまま焔先輩は湖にやってくるまで俺の腕を放さなかった。
綺麗な湖を眺めながら、俺と焔先輩は少し汚れたベンチの上に腰掛けた。肩を寄せ合って座るカップルが多く、一組ぐらい爆発すればいいのにと思ったりもする。
「一人暮らしをしている理由、話すね」
「え? あぁ、はい」
湖で魚が跳ねたのを見ていたらつい、生返事になってしまった。
「なんというか、僕の両親……変わっているんだ」
湖の向こう側、いや、それよりもっと向こうを見るような遠い眼をしている。
「変わってる?」
「うん」
焔先輩の表情は苦々しいながらも昔を懐かしんでいた。
「別々の姓を名乗っていてね、これだけならおかしなことじゃないと思う」
極稀にだが、俺も見つけることがある。
「焔先輩はどちらの姓ですか。確か、水主川ですよね」
「水主川は母方だよ。父方は津村」
津村? はて、どこかで聞いた名前のような気もする。いや、知り合いに津村という人はいないな。多分、何かの案件で関わった人の名前だな。
「父方の姓を名乗らなかったのは単純に、つむらほむらで何だか芸人みたいな感じになるからかな」
「ちょっと、面白……いえ、なんでもないです。他人の名前を面白いなんていう奴は滅んじまえばいいですよね、うん」
軽くにらまれてしまった。津村焔といわれるのがマジで嫌いらしいな。
「両親が変わっているという話はどういうことですか?」
「そうだね。まずは母親……水主川縷々について話そうか」
ふと、焔先輩の視線の先が気になってみてみると、幸せそうな家族がいた。ボール遊びをしていて、男の子が自身の半分はあるボールをお父さんにぶつけている。
「……」
良く見てみれば、子どもの癖にやたらと鋭い球を投げる。キャッチしようとすると手元でわずかにぶれ、顔面、喉、股間と……当たると痛い場所へ見事に命中させていた。お父さん悶絶してるぜ。
「僕が男装している理由も母にあるんだ」
「え? 男の子が欲しかったって事ですか」
男子が欲しかった。そういって娘に男の子の格好をさせる人物と会ったことがある。まぁ、娘さんは物心ついたときから母親と喧嘩ばかりしたそうだ。その後、女の子の格好を良く見かけるようになった。今では母親と和解したと聞いている。
「ううん、違う。母さんは……男装している女の子が大好きなんだ」
「は、い?」
俺の予想の斜め上へと何かが突き進んでいく。
「若い頃に某劇を見たのがきっかけで、虜になったんだ。子どもは絶対に女の子を生みたいって言ってた。もし、お前が本物の男だったらアレをちょんぎってやったからね……そうも言っていたよ」
アレをちょん切るなんてまぁ、恐ろしいママンだこと。俺が津村家に生まれてきていたら今頃かわいらしい女の子として過ごしていただろう。
「母さんが僕に課したこと。女だとばれずに大学まで入学さ。冬治君にばれたときは焦ったけれど、黙っていてくれているからね。感謝してるよ」
力なく笑う焔先輩の両肩に不憫という文字が見えた。
「ちなみに焔先輩のお母さんにばれたらどうなるんですか」
「しつけが待ってるよ」
苦虫を噛み潰した表情で、焔先輩は笑った。
「普段は優しいんだけどね。若い頃に着用していた白い特攻服にドレスアップするのさ」
それは恐らく、ドレスアップとは言わないと思う。
「それで、木刀で……親の言うことを聞けなかった子どもにはしつけが必要なんだってさ。いつもそう言ってるよ。特攻服は怖がらせるために着ているって」
TPOをわきまえて、わざわざドレスアップしちゃうぐらいだから徹底しているのだろう。実は焔先輩も怒らせたら特攻服仕様があるんじゃなかろうか。
「特攻服モードって、理不尽なことで殴られそうっすね」
「滅多にありえないよ。僕がよほど変なことをしなければね。だから、女だということがばれたということ、それがばれたときが本当に怖い」
自分を抱きしめるようにして焔先輩は言った。ドレスアップ効果、凄すぎるな。
母親の話はこれで終わったらしい。焔先輩は力なく笑った。
「……ごめんね、もうちょっと凄い理由を期待してたよね」
「そういうのは別に期待していませんでしたよ」
充分、凄い理由だ。ママンが子どもを怒る時に特攻服にメイクアップ……眼からビームも出るに違いない。
「次は父さんのほうだね。名前は津村俊和」
焔先輩は軽く震えていた。もしかしてこっちも似たような人なのだろうか。
「あの、焔先輩大丈夫ですか?」
震える手をつい握ってしまった。ただ、それで震えが収まるわけではなかったのでしばらく握ったままだった。
「静まれぇ、静まれぇ」
「……呪文?」
「いえ、想いをぶつけてみました」
「逆に怖いよ」
「……黙っときます」
数分後、ようやく震えが引いた。それだけ、怖い話なのだろう。
「冬治君はまだ僕と一緒に行ったお化け屋敷のこと覚えているよね」
「ええ、ちゃんと覚えてます。あのときの焔先輩、可愛かったなぁ。脳内のここら辺に留めてますよ」
頭の適当なところを指差すと軽く笑われてしまった。
「お世辞でも嬉しいよ」
「でも、関係あるんですか」
「うん、僕が怖いのは人っぽくて人じゃないもの」
人っぽくて人じゃないもの……。つまり、MAじゃなくてMSが怖いって事になる。
「……吸血鬼や狼男ですか?」
厳密に言うと、人間じゃないよなぁ。でも、人っぽくて人じゃないものだ。かっぱやモスマン、グレイなんかも怖いって事になる。
「そうじゃない、かな。いや、そういうのが本当にいたら怖いんだけどさ」
グレイはともかく、吸血鬼や狼男は俺、実際に見ちゃったからなぁ。居るといえないのがつらい。
「僕が怖いのは人形だよ」
「人形?」
俺の問いかけに焔先輩は黙り込んだ。湖の先の、林を見ている。
数分間、静かな時間がやってきた。耳掃除をしているカップルを眺めて俺は爆発しないかなぁと念じてみた。
「んと、話し始めたのに黙ってごめん」
あの耳掃除のカップルの後ろに、行列でもできてしまえばいいのに。そう考えたところで話は再開される。
「全然構いませんよ」
「父さんは、人形が好き……いや、執着しているんだ。部屋は人形だらけで、お風呂に入るときも、寝るときも、ご飯を食べる時だって下手すると一緒さ。僕が子どもの頃からそうだった」
「女の子ならお人形遊び、好きそうですけど。焔先輩は?」
「僕は嫌いだ」
恐怖と、若干の嫌悪を滲ませている。
「あんなもので遊ぶ奴の気が知れない……別に父さん自身を怖いとか、心の底から思ってはいないよ。何せ、その中で育ってきているんだから。だけど、人形相手だとそれは違う。ばかばかしいことを言うかもしれないけど……いいかな?」
「はい」
「生きているんだ。人形が」
子どもの遊ぶ声(それとその子の父の断末魔)が何故か遠くに聞こえてしまう。焔先輩と俺だけ、異世界に取り残されたみたいだ。
妙な真実味を帯びた言葉だ。これまで、無機物が生きているという依頼を受けたこともあった。大抵の場合、それは半信半疑で俺に確かめて欲しいという代物ばかり。ここまで断言した人はほとんど居なかった。
「生きているという証拠を焔先輩は見たわけですか」
焔先輩はあまり冗談を言わない。なぁに、嘘をついている目はなんとなくわかるもんだ。
彼女の目は本気だった。
「うん、動くところを見たよ」
眉根を寄せて、嫌な記憶を先輩は思い出そうとしている。
「子どもの頃はあの部屋……父の部屋が好きだった。あの頃はまだ、人形遊びも好きだった気がするね。ある日の夕方、父のベッドから人形……ううん、マネキンが出てきたのを僕は見た。陶器のような白い肌、無機質で、うつろな眼。瞳なんて無かったはずなのに、僕を確かに見たんだ。僕は、逃げたよ。走ってね。あいつは、追いかけてきた。家から逃げて、親戚の家まで走って逃げた。もし、転倒でもしていたら……怖くて身体が震えるよ」
マネキンに追いかけられる。思い出して震えるなんて、よほど怖かったのだろう。
「そいつに追いかけられて、それ以降……人形が駄目になった」
「捕まえてどうするつもりだったんでしょうね」
「さぁ、分からないけれど……多分よくないこと。父の部屋の人形の首がどれもこれも、ちぎられていたから……そういうことじゃないかな」
それは恐怖以外の何者でもないな。子どもの頃にそんな怖い体験をしていれば誰だってびびりになる。よほど肝が据わっているか、日常とどこかずれた感性を持っていれば話は別だがね。
「父さんはマネキンを追い出したと言ってくれた。呼び寄せなければ会うこともないといってくれたよ。呼び寄せるなんて馬鹿なこと、絶対にしない」
「この話をするとそいつが寄ってくる……なんて事はありませんよね」
俺は周囲を見渡した。マネキンが木々の間からこっちを見ていた……なんて、そんな非日常的なことはおきていない。
「ありえないよ、そんなこと」
焔先輩は忘れるように首を振ると声の調子を変えていった。視界の隅のベンチで、一人の男性が倒れている。動かない男性に、子どもがボールをぶつけて楽しんでいた。
「さ、湖も見たし、そろそろ町の方を散策したいんだ。案内して欲しいな」
「わかりました。んじゃ、行きましょう」
湖に向かってバカヤローと叫ぶ女性を尻目に、俺たち二人は町のほうへと向かうのだった。
適当に町をぶらついて、夕飯を食べるために再度旅館へとやってきた。町の中で焔先輩はずっと笑っていて良かったと思う。飲み物の間接キスなんてしたときは顔を真っ赤にしていたし、改めて女の子だなぁと実感したもんだ。
「夢川さん、今晩泊まり?」
「違いますよ。すぃんくぁんしぇんで帰ります」
女将さんが暇になったのか、飯を食っている俺たちのところへとやってきた。
「でも、事故があって鉄道関係はちょっと遅れるみたいよ?」
前掛けみたいなエプロンで手を拭いて、俺に教えてくれた。
「え、マジですか」
携帯電話ですぐさま調べると、なるほど、女将さんの言うとおりだ。俺たちが乗ろうとしていた時間帯から大幅にずれている。
「んー……芝居を見ずに帰るのも一つの手ですけど」
「泊まっていきなよ。知り合いって事でお風呂、貸切にしてあげるからさ」
悪くない提案である。次、いつここに来ることができるか定かではない。いや、待て俺。泊まるとなると、先輩も一緒なんだぞ。いっそのこと、先輩だけでも帰ってもらうか? それだと何だか味気ないしなぁ。しかし、一緒の部屋に泊まるのも……。
「ああ、そうか。別の部屋に泊まればいいのか」
「あいにく、相部屋ですよ。残り一室なので」
「うぐ……」
こうなったらもう、目の前でおそばを食べている先輩に委ねるしかない。先輩が帰るって言ったらそれに従おう。
「焔先輩、どうしますか」
「……僕は」
蕎麦猪口を置いて、先輩はためらいがちにいった。
「泊まっても全然、問題無いよ」
「はい、二名様ごあんなーい。お部屋にどうぞー」
「まだ飯食ってますって」
まぁ、焔先輩が良いと言うのなら構わないだろう。
きつねうどんをすすっていると女将さんに肩を叩かれた。
「ふぁい?」
「すっぽんとマムシのエキス?」
「ごほっ……しませんってば」
「そぉ? じゃあ、狼にならないようにね」
下世話な人である。
俺が残りのうどんを必死になってすすっている間、焔先輩はうつむき加減で蕎麦をすすっていた。
飯も食べ終え、芝居も見終わった。本来ならこれから帰るところだが……お泊りである。
「畳だぁっ」
小さな荷物を部屋の片隅に投げ込んで畳にダイブ。畳はいい、荒んだ日本人の和を思い出させてくれる。
「ぐはっ」
当然、腹を打ってのた打ち回るのが運命である。布団やベッドに飛び込むわけじゃないからまぁ、当然か。畳の楽しみ方はいぐさの香りを両手広げて感じる以外にないのだろう。
「はしゃいでますねぇ」
馬鹿にしたような女将さんの視線で俺は現実へと引き戻された。
「別に、いいじゃないですか」
「気持ちは分かるよ、冬治君」
焔先輩のささやかな援護を得たわけだが、女将さんは既に別の場所へと向かっていた。
「こちらが本日の貸切風呂です」
「……貸切って、これ、家族風呂ですよね」
「ええ、そうです」
それがどうしたと睨まれる。
「大浴場ではないんですね」
「いやだよ、夢川さん。誰がいつ、そんなこといったかねぇ」
確かに言っていないけどさ。旅館でお風呂貸切って言われたら大浴場を想像しちゃうロマンチストなんだよ。
「大浴場……」
「大、欲情? そんな客を大浴場に連れて行くのは嫌だねぇ」
「ちぇー、焔先輩、今から帰りますか?」
「まぁまぁ、いいじゃないか。是非ゆっくりしていっておくれよ」
「そうだよ、冬治君。充分大きなお風呂だよ」
焔先輩にもなだめられてしまったので、仕方がない。俺のほうが実際は年上なので抑える方向で頑張ろう。
「わかりました。ゆっくりしていきます……もちろん、大浴場のほうも貸し力じゃないとはいえ、使用していいんですよね」
「それはもちろんさ。当旅館自慢の大浴場、楽しんでいって下さいな。あ、覗きなんてしたらこの世の終わりを味あわせるからね」
「しませんってば」
それから数十分後、俺は家族風呂に入っていた。時刻は夜の九時半。既に暗いものの、淡いながらも足場が見えるライトがついてあるので何ら問題は無い。
「……相変わらずぼろぼろの体だ」
自身の体を見渡してため息をついた。一つ一つの傷が、蟹やらでっかいカブトムシやらに付けられた思い出である。傷をなぞれば思い出す、目くるめく研究室の思い出……。
「……嫌なアルバムだな」
一度深呼吸をして気分を変える。
「ふぅ、悪くないな。一人だとゆったり……いいや、違うな」
ゆったら、ゆったり、ゆったる、ゆったれ、ゆったろ……。
「超、ゆったろサイズ?」
家族風呂って何人を想定して作られているのだろう。戦後核家族化が進んだ要因でぱぱままちゃいるどの三人だろうか。ぽっちゃり系家族三人を前提とした平均的な人だと四人から五人用ぐらいだろう。
きっとローランドゴリラが三頭入ってもおそらくゆったりできる。
「ふむ? いや違うな」
子どももある程度成長したらパパママと一緒にお風呂なんて入らないよな。つまり、子どものサイズは大きくて中学生。そうなると、やはり四人ぐらいだろう。
「ふいー」
ま、そんなことはどうでもいいか。これから料理される海老がてんぷらになるかゆでられるかの違いだわ。
くだらない事を考えていると、扉が開いた。あれ? 誰か入ってきたのかな、なんて考えている暇はなかった。
「うぇ、ほ、焔先輩っ」
「や、ぁ、冬治君」
風呂場にやってきたのは焔先輩だった。湯気やかすかなライトのせいで良く見えない所為か、いつもより女っぽい。
まぁ、当然脱げば女の子である。ちゃんとバスタオルで身体を覆っているし。慎ましやかながら、今日は胸の膨らみを確認できるぞ、やったね。
普段足なんて完全に隠れているからな。すらっとしていて肌は白く、決め細やかで……。
「……うっ」
つい、鼻を押さえてしまった。
「そ、その、あんまり見られると……困るよ」
待て、俺。ガン見している場合じゃない。これ以上見ていたら鼻から情熱が迸っちまうよ。
「えーと、大浴場に行ったのでは?」
「は、恥ずかしかったからやめた。その、人がいっぱい居たから」
ああ、なるほどですね。じゃあ、仕方ない。無論、ここでじゃあ何で俺が要るところに着たんですかなんて無粋なことは言わないから安心してくれ。
まぁ、そうやって思考を素通りさせるわけにもいかんがね。これが恋人や意中の相手ならワラホーヤッホイだったよ。でも、一応学園の先輩だからな。
「ごめん、お邪魔するね」
「あ、はい」
「あ……」
焔先輩は何かに気づいたようだが、すぐに黙り込んで俺の隣に座った。多分、傷のことだろう。
「こういうの、憧れていたんだ」
「へぇ、そうなんですか」
「うん」
ちなみに俺の好きな異性とのシチュエーション高ランクに銭湯で背中合わせがあったりする。ま、そうすると変なフラグが立ってバッドエンドに向かいそうだからねぇ。実際は戦闘で背中合わせのほうが恐らく多い。
今入っている家族風呂はでっかい桶みたいなところだ。そして、内側の端に腰掛ける場所があるので、俺の望むシチュエーションにはなりえない。真正面に座るか、隣に座るしかないわけで……真正面だと変に意識するし、隣に座られると慎ましいといえど、胸元を盗み見てしまいそうだ。
「……でも、そこでえっちなんて言われるのもそれはそれで全然ウェルカム」
「冬治君?」
「戯言です、心からもれた、妄言です」
つい、邪念が頭から口にはみ出てしまった。
ま、風呂場で何かするわけでもないし一緒に入るだけが限界だ。変に意識して、焔先輩を怖がらせるわけにも行かない。狼になってはいけないのです。真摯な紳士になるのです。
スマートに会話をせねば。
「大浴場が貸切だとよかったんですけどね」
ちらと、やっぱり胸元を見てしまった。
うん、あれだ。さらしで押さえつけていたから破壊力が凄いなんて事は無かった。普通だ。しかも、普通というより慎ましやかな方だ。これなら、猛り狂うことも無いだろう。え、何が猛り狂うのといわれてもちょっと返答に困るけどさ。
「そうだね」
「本当ですねぇ」
「……」
「……」
会話、続かねぇ。黙ると超、気まずいんだよね。視線がついつい隣に反応しちゃうし、耳なんてお隣さんがかすかに動くだけで聞き耳を立てちまう。あぁ、絶体絶命のピンチかも知れない。
「……また、身の上話をしてもいいかな」
いつもの声音で、焔先輩はそういった。愁いを帯びたその声に、俺の心は一気に静まってしまう。
「焔先輩の身の上話ですか。教えてください」
これ、コルクさんならもろ手を挙げて喜んでいただろう。マネキンの話だって俺よりいい返答できたに違いない。俺じゃなくてコルクさんを連れてくるべきだったかな……ああ、いや、無理だわ。試験勉強の真っ最中だろうし。
「冬治君?」
「あ、はい」
「何か別のこと、考えてなかった?」
すねた表情に声音。素直に可愛いと思う。先輩らしいところなんて一つも(年下だが)見たことないけれど、変なところは色々と見てきたからな。こういう表情も似合ってる。
「もぅ、ちゃんと聞いてる?」
「はは、すみません。聞いてますよ。二人きりで、ちょっとどきどきしていただけです」
ちょっと前までのたけり狂いそうな何かは完全になりを潜めていた。また顔を出すこともあるだろう。今はただ、焔先輩と同じ時間を共有したかった。
「そっか。よかった。別の人の事を考えていたら僕のことだけを考えていてよってわがまま言いそうになったよ」
「……それ、口説き言葉っすか?」
危なかった。俺が女だったら今ので思わず子どもを生んでいたかもしれない。
それは冗談としても今の発言、どういうことだろう。意味深なのは俺の気のせいだよな。
「話は戻りますけど、先輩の身の上話ってどういった話ですか」
「まぁね。内容はお風呂の話、かな」
屋根の切れ目から星が見えた。カップルで入ったら出生率に影響を与えるほどいい眺めだ。
「お風呂、ですか? 中学生まで男湯に入っていた?」
「ぶー、違うよ」
まさか焔先輩の口からぶー、なんて言葉が出るとは思わなかった。こわもてのおっさんがでちゅ言葉を使うより凄い……別に凄くはないか。意外と赤ちゃんプレイ楽しんでいる御仁は多いらしいし。
「じゃあ、女湯に入って男と間違われた?」
「それも違う」
「……降参です」
白旗というのはさっさとあげるべきだ。今回の場合、事情が事情。俺の返答いかんによっては変態とレッテルを貼られる。何より、このちょっといい雰囲気を自らぶち壊しかねない。空気、読めてないよと言われるよりは無知を晒すほうがいい。
「さすがの冬治君でも分からなかったかぁ」
「そりゃあ、色々と分からないことはありますよ」
というかさ、ここでぴしゃり当てちゃう方が問題あるだろ。あなたの何でも知っていますなんて言った日にはストーカー的視線を向けられるのだ。それは是非、避けたい。
「実はね、僕……大衆浴場に行ったことがないんだ」
思ったよりも普通だった。
「あ、そうなんですね」
「うん。だから、知らない人に裸を見られるのはちょっと……ね」
俺ならいいんですかね。あ、タオルをつけている時点で駄目ってことじゃないか。
「前から風呂が嫌いだったんですか」
「……何だかその言い方だと僕がお風呂に入っていないように聞こえるんだけど」
「すみません、大衆浴場って言い方になれてなくて……大衆浴場が嫌いなんですか」
「ううん、デビューしたこと無くてね。あまり、外を出歩かないんだよ。動物園は一度だけ、遊園地はまぁ、三回ほど? 連れて行ってもらえるのはドールショップか、劇だよ」
両親の趣味に合わせられる子どもも大変である。
「泊りがけの旅行も無くてね。二人とも仕事で忙しいから……それに、ばれないようにって友達も少ないんだ」
俺の両親も今頃娘に食わせるため、頑張っていることだろう。元気にしているだろうか。
「だから、冬治君が転校してきてとても新鮮だった。僕を気にかけてくれて、嬉しいよ」
この年齢で感謝の言葉がこうもあっさり出てくるのは焔先輩が素直な証だ。俺の学園の頃の友達、ババァの作ったまずい飯なんて食えるかよと言って家族の弁当を作っているツンデレがいたからな。
お兄ちゃんが毎日おいしいおいしいって言っているお弁当、実は私の血が入っているのという妹にはまだあったことがないな。一度でいいから見てみたいものだ。あ、一度でいいぞ。誰かが願ったら実現しちゃうかもしれないし。
「えっと、さ。その、いつもありがとう」
素直な感謝に、俺はため息をついた。
「いいですよ、感謝なんて……」
そうなったのは俺がしたかったからではない。成り行き上、そうなっているだけだ。本来感謝すべき相手はスーツ男さんと、今回の件はコルクさんかな。
「ううん、それでも言わせて欲しい」
両手をつかまれ、握り締められた。不意打ちだったために軽く驚いた俺の視線の先には焔先輩の顔があった。
「ありがとう」
顔に血が昇ってくるのが分かる。こ、これ以上ここに居たら色々とまずいっ。
「こ、こっちこそ、その、ついて来てくれてありがとうございました」
理性が吹っ飛ぶ前に、ここから出たほうがいい。なけなしの理性が俺に語りかけてくる。
「その、大人びてますね」
「それはまぁ、当然だよ。情けないところばかり見られているけれど、一応先輩だからね」
くすくす笑う先輩を見て、俺の本能は阻止限界ラインを超えた。
「な、何だか照れるので、そろそろあがりますっ」
家族風呂を後にして、俺は部屋へと戻った。焔先輩がまさか、入ってくるなんて思いもしなかった。綺麗な肌だったし、あとは……。
「……やめとこ」
浴衣に着替えてテレビをつける。ちょうどサスペンスが流れていた。
「湯煙熱湯連続殺傷事件。地獄の淵で釜が鳴る! 酔いどれ女将の一升瓶が冴え渡る。遺恨の果てに見える真実。相変わらずなげぇな」
ちょうど犯人が女性を襲っているシーンだった。
悲鳴が、鳴り響いた。
「……焔先輩?」
間違えるはずも無い。俺は着替えから拳銃と弾丸を引っ張り出すとすぐさま家族風呂へと走る。
「焔先輩っ」
「あ、あああ、と、冬治君」
扉を開け放つ。シャンプーなどを置いてある場所に焔先輩が居た。怪我はしてない。震えているだけ。
一体何に、おびえているのか。小さい蜘蛛や不埒な覗きならまだよかっただろう。
「あれは……」
外から見えないための囲いの下、人が居た。そいつはどうやら落ちてきたところらしい。奇妙な動きで立ち上がる。どことなく、マネキンっぽかった。
無機質な肌に、うつろな眼。焔先輩の言っていた存在……あと、誰かが言っていた奴にも似ている。奴の視線の先にいるのは焔先輩だ。俺なんて、眼に入らないらしい。
首から丹田辺りにかけて、お腹が縦にさけた。草食系か、肉食系のどちらかというと間違いなく、肉食系。一体何を食ったのか、獣くさい臭いが漂っている。
異臭を放つそいつに、知性は感じられない。よたよたとした足取りながら、向かう先は見誤らない。間違いなく、焔先輩が狙いだ。
「焔先輩、ちょっと目を瞑っていてください」
弾を入れ替え、俺は躊躇無く引き金を引いた。
右手、左手、両足の付け根に一発ずつ。残るは頭と胴体だけ。そこでようやく動きが止まる。
「……ふぅ」
あっさりと終わりすぎて逆に死に真似が怖いが……まぁ、とりあえずは大丈夫かな。飛び道具は持ってなさそうだし……口が開いてビームなんて撃ってこないよな。
マネキンは一旦放置だ。そんなことよりも、焔先輩のことが心配でならない。
「焔先輩、怪我していませんか」
「と、冬治君っ」
焔先輩がタオルを巻いていてくれて本当に良かった。もし、家族風呂に焔先輩が入っていて、俺が大浴場だったらすっぽんぽんを見ていたところだ。いや、まて、それよりもあのマネキンに何かされていたかもしれない。
浴衣がぬれてしまったが、また着替えればいい。
焔先輩を抱きしめていると、視界の隅にマネキンが動いているのを見つけた。痛みなんて感じていないようで、まだ彼女を目指している。痛覚なんて、あいつにはないんだろうな。
「……まだ、動くのか」
威嚇で近くを撃ってみる。知性がなければ、脅しも効果はないようで頭の上げ下げ運動で、徐々に近づいてきていた。
「本当は回収したかったんだけどな。新種の動物かもしれないし」
動物界にマネキンなんて存在しないだろう。無機質科マネキン目……聞いたことが無い。
トリガーを引いて、首を吹き飛ばした。それで完全に沈黙。一応、残骸を回収するように地藤グループには連絡を入れておいた。
「焔先輩、風邪引きますよ」
「う、うん」
「俺、外で待っていますから……扉は閉めませんけどね」
そそくさと出るしかない。いくらバスタオルを身につけているといっても、良く見たら外れているではないか。
「待って! 一人にしないで!」
焔先輩の子どものような声を聞いて俺は動きが止まった。
「焔先輩? どうかしたんですか」
「父さんはマネキンを追い出してくれたけど、後悔だとかもったいなかったとか、そんな馬鹿なことばかり言ってた。あれはとてもいいものだったのにって。僕じゃなくて、マネキンのほうが大切だなんて酔ったときは言ってたもん。冬治君も、そうなの? あれ、とても価値があるものなのっ? さっき、新種の動物かもって」
「あれは冗談ですってば」
恐怖で軽く錯乱しているようだ。もう到着してくれた地藤グループの人たちも壁からこちらの様子を伺っている。
しょうがない、ここは落ち着かせないと駄目か。
「大丈夫ですよ。ちゃんとここに、焔先輩のすぐ近くに居ますから」
「……本当?」
言葉だけでは完全に説得できないらしい。疑惑の視線をゆらゆらと漂わせていた。俺は全力……とは言わないまでも、確実に痛いであろう抱擁を行った。
「ね?」
「あ、うん」
誰かに包まれている安心感、痛みによって眼を覚ますに違いない。俺の行動は間違っていなかったのだろう、地藤グループの皆さんが静かに拍手をしている。
焔先輩がくしゃみをするまで抱きしめ続けて、着替えさせた。今では何事も無かったように二人でサスペンスの終盤を見ている。
「あ、やられた」
一升瓶で犯人が昏倒。底で頭を叩きつけられたのではない。凄い速度で飛来した一升瓶の注ぎ口が犯人の後頭部に直撃したのだ。
「……何だこのドラマ」
「楽しかったね、これ」
「そう、ですかね」
賛同しかねる。
ドラマを見たら後は歯を磨いて後は寝るだけ。既にマネキンの身体も回収したという連絡を受けているし、念のため近くを地藤グループの人たちが見張ってくれているらしい。
布団を並べ、屏風を置いた。寅を屏風から出してくれれば私が退治してみましょうぞとぼけてみたものの、焔先輩はあまり反応してくれなかったのが悲しい。
「えっと」
ものすごく、いい雰囲気である。ピンク色の何かがほわほわ漂っているような感じだ。
「そ、そのっ」
だ、駄目だっ。これ以上何か言われたりしたら問題が間違いなく発生するっ。今後を左右するような、俺の想像している以上の出来事だ。
俺は、へたれと呼ばれてもいいっ。
「お、おやすみなさい、焔先輩」
先輩が何か言う前に消灯。いやぁ、今日は疲れたなぁ。二分後ぐらいには夢の世界へ片足突っ込んだ。
「もう、肝心なところでへたれなんだから」
聞こえてきた言葉はおそらく夢だ。
それから十分後ぐらい、何かが布団から這い出る音が聞こえてくる。
「冬治君、寝てる?」
「……ぐぅ」
ほとんど眠りの世界に旅立っていたので恐らく、これは夢だろう。
「今日は僕、女の子だから」
そういって俺の布団に入ってきた気がする。
――――――
夢の中で一生懸命俺は化け蟹どもを倒していた。
「くそ、きりねぇな」
「そりゃ夢だもの」
余計な茶々を入れた蟹に弾をぶっ放し続ける。元より量が多すぎるので逃げながら撃つしかない。
「眼を覚ますしか、ないよなぁ……」
すげぇ、嫌な予感しかないんだよね。なんというか、進退ここに窮まり、みたいな?
――――――
いい匂いに顔をうずめるようにして、俺は目を覚ました。
「……ん?」
眼を覚ました直後、誰かを背中から抱きしめていることに気づいた。かけ布団なんてなく、相手の着衣も完全に乱れていた。俺の手なんて完全にやわらかい何かをわしづかみしているし……まぁ、あれだね、うん。事後といわれてもしかたないか。
「ごくっ……」
「すー……」
幸運なことにほぼ全裸の焔先輩は眼を覚ましちゃ居なかった。
「邪念は消すんだ、俺」
さっさと着衣を整わせて布団を被せておく。俺も普段着に着替えておいたので何があっても問題はない。いつでも、どこからでも変な化け物が出てきても迎撃可能だ。
「……」
冗談で言ったつもりだけれどさ、やってきてもらったほうがいいかもしれない。そうすりゃ、うやむやに間違いなく出来るぜ。
まぁ、そんな非現実的なことが起こるわけもない。トイレにでも行って来るかと立ち上がるのと同時にふすまを叩かれた。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
「開けますよ?」
俺が返事をする前に戸が開けられた。この女将なら顔見知りだからといって寝ていても開けそうで怖い。
もし、さっきの光景を見られていたら……本当に、眼を覚ましておいてよかったぜ。
「下に朝食、準備しています」
「わかりました」
「夢川さん、昨日は……」
「はぁ……楽しみました」
夢の中でお楽しみでしたよ。ええ、蟹と仲良くやってました。
「それはそれはようございましたね」
俺のため息をどうとったのか、満足気味に女将は行ってしまう。全く、相変わらず下世話な女将さんだ。そういえばもう少しで仲人達成人数のキリがよくなるって言ってたっけ。
「……ないな。馬鹿なこと考えてないで先輩を起こそう」
焔先輩を起こして朝食を食べに行く。めざしや味噌汁等、想像していたよりも見た目は質素だった。
「と、冬治君。今日、あっちに戻ってからちゃんとするから……いいかな?」
照れた様子の焔先輩は、何が言いたいのかさっぱりだ。
「え、何のことですか」
「あ、あーん。したいんだ」
「はぁ、わかりました」
「い、いいんだね? もう、やっぱり無しとか受け付けないよっ」
めざしが俺と、こんにちは。違うな。おはようか。
「あ、あーん」
「あーん……うん、うまい」
「よかった」
そりゃ上手いだろうよ。作ったのは旅館の人だから。
女将さんや板長さんなど俺たちのことを見ている。女将さんは自分にもあんなときがあったのだと感慨深げだ。
「も、もう一度……」
租借しながら、平和だなぁと思うほかなかった。今後も多分、平和だよな。
――――――
羽津市の駅前で焔先輩と別れることになった。
「じゃあね、冬治君」
「はい、また学園で」
こっちに戻る途中から先輩はいつもの先輩で、妙に甘えてくることもない。得てしてそういうものだろう。旅の恥はなんとやら、である。
「けじめがしっかり出来てるんだな、焔先輩は」
帰りは新幹線ではなく、電車だったために結構な時間がかかった。人が少なかった電車内で俺は先輩に質問をぶつけたことを思い出す。
「焔先輩は俺の正体というか、そういったことを気にしないんですか」
いくら蛍光イエローの拳銃といえど、発砲したのは間違いない。見られていたし、音も聞いていただろう。
「気にはなるよ。ただね、僕が冬治君に自分から話したように、冬治君も僕に話してくれたらいいなと思ってる。いつになるかは分からないけどさ、体にある傷や、拳銃のこと……気長に待っておくよ」
別段、隠し通す必要性も無い。今度話す機会があったら話そうと思う。
家についてからコルクさんに呼び出され、探偵事務所内で打ち合わせとなった。
「で、プランは?」
「新幹線を使って知り合いの旅館に一泊。湖と森林浴が楽しめる林道に、家族風呂貸切、町の散策などを行ってまいりました。温泉、気持ちよかったです。あ、これお土産」
お土産、迷った末に温泉饅頭にしたんだよね。何の面白みもないけどさ、意外とこの饅頭がうまかったからこれにしたのである。変に奇を体ったものよりもベターなものをお土産なら選ぶべきだ。
「饅頭って……あのさ、夢川君」
「何さ」
「旅行に行くお金なんてっ、生徒の私にあると思うのっ」
「……あ」
完全に失念していた事を言われて、俺は黙り込むしかない。
「全力出しすぎっ」
「面目ない」
全力、ね。改めて考えてみたら……うーん、ま、焔先輩なら純粋な気持ちで俺のことを見てくれるだろう。真の友達、見たいな感じでさ。




