第五節 空葬
わたしはそれを、花の成長から散るまでを、一瞬で見ることのように近いと思っている。
徐々に半透明になっていった体は、まるで溶けるかのようにいくつかの花弁に変わって、閉じられる。そのあとそれは、ぱしゅっ、という微かな音とともに開いて、花弁は地面に散っていく。花が開くと同時にそこから出てくる中の見えない泡のような球体がいくつかあって、その特に大きな球体を、原形と呼ぶらしい。
ふわふわと空中を漂った原形は、同じような見た目のいくつかの泡をともなって、上へ昇っていく。
いま、わたしの目の前で起こっているように。
――うん……いつみても慣れないね。
「ん……?」ランドは、元の姿勢に戻った。「どうした?」
ええっ? そんな感じでくるの!
「あの、えっと! ……さっきの! ……さっきのはなに?」
わたしは、さっきランドがやっていたように、両手の手のひらを合わせて真似してみせた。なんかぎこちなく思えた。
「……いのりだ」
「え……?」なにそれ……。
「イノリダ?」
「いのり、だ……知らないのか……やっぱり」と、つぶやいたランドは、ジカが昇っていった空を見上げた。
……やっぱり?
「いのり……」と、わたしは言った。「うん。知らないよ。そんな言葉も、あんな構えも、する人はいないよ?」
ランドは何も言わなくなった。
もうっ、今日は不思議なことが多すぎるっ!
思えば――ろくに情報をくれないままわたしを送り出したヴァン。来てみたら本当に黒い森があったし。暗いところですら貫いてくる太陽の光とか、出処のわからない木漏れ日――と思ったらランドがきて、案内されたのは本物の木漏れ日の見えるおあつらえ向きのこの場所。
そして、空葬が始まらないと思ったら……
いのりをしたら始まった。
いのり? ランドはなんでそんなことを知ってるんだろう? おそらく、近くの街と森の往復しかしないランドが……。
あれ……ランド? 駆けつけてくれたランド……。
ここに住んでて、家があるって言ってた。このひと、普通にあらわれたから気づかなかったけれど……。
誰にも気づかれなかったこの森になんでいるんだろう。
――そもそも、ランドって?
わたしがいろいろ考えてるあいだ、お互い無言の間があった。だけどランドは、ジカがいなくなった木の台を見たままで、なにも言ってこなかった。
わたしが更に質問しようと口を開きかけたとき、ランドもちょうど振り向いて、こっちを見た。
「祈りだよ」
――あ。
その言葉をもう一度繰り返せば伝わると思って、そうはっきりとした口調で、なんだか諭すように、なにやら穏やかに微笑んだ顔で、見つめられたままそう言われて、なぜだかわたしはさっきまでの何でも聞いてやるんだという気分ではなくなってしまった。
それに、わたしは柄にもなく、どぎまぎしてしまった。なぜか――そう、あわててしまった。落ち着かなくて、理由もないのに急いでポーチを触って、中から何か取り出そうとしたぐらいに。そんなことしつつも、ランドの青い目から目は逸らせなかった。
ランドはまだ少しの間わたしを見ていたけれど、首を横にふって、もう何も言わないぞ、という風に――少なくともわたしはそう感じたよってこと――また視線を元にもどした。
「……ランド、聞いてもいいですか?」
ああ……。と、ランドは言った。
「……わたしは、さっきの、空葬の光景をよく見るの。獣を狩ってるランドよりも多いと思う。ぜったい」
わたしはこれから聞きたいことのために、なぜこの前置きをするのか、自分でもよくわからなかった。それでも、
「わたしは、魔獣戦線の戦士。
黒い森の魔獣を殺すよ。この大地に生きる人を守るために」
沈黙。
「……だろうな。強いんだろ」と、ランドは言った。「……ん? 聞きたいこと……」首をかしげた。
「うん。あんなに空葬が遅くなったことはないよ。もちろん、お肉をとったりとか、状況が違うのは分かってる。でも……」わたしは、ランドを見た。
「……いのりってなに? 空葬が遅かったり始まったり、なにか関係してるよね」
これだけは聞いておきたい。聞かなきゃならない気がする。
ランドはまだ、木の台を見ている。
「……感謝、だろうな」と、ランドは言った。
「……そっかあ……」
うん……なんか、そんな気はしてたんだよね。
「……ありがとう、か。ランド、やっぱりいのりは知らないよ。おそらく……そんな考え、誰も」
嫌な言い方しちゃったかな。
「……」。ランドはなにも言わなかった。
わたしは上を見た。
泡たちは木漏れ日のなか、ゆっくりと上昇を続けている。この黒い森の狭間から、空へ逝くために。
そういえば、この広場、似てるんだ。まるで黒い森に囲まれた光の大地みたい。
この開かれたわずかな――だけど広大な――光の大地を守るために、人は黒い森の魔獣を殺す。
そしていまこの時も、黒い森の魔獣は光を求めて森を抜ける。
暗闇に遮られない、本物の光を求めて。
ランド、わたしのいるところにいのりはないよ。ジカ一匹のためにいのる余裕すら。
「最初はな……」
あっ。なんか感傷に浸ってたらランドの方から話しかけてきた。
「解体したあと、肉の保存だとか、そういう作業が終わったあと……すぐに空葬が始まってたんだ。
気づかないうちに空に逝ってたこともある。でも、そのあと、手を合わせて、いのってた。で、そんなことを何回も続けるうちに……空へ送ってるうちに、少なくとも、作業が終わるまでは、そいつのことを頭の片隅で考えるようになってた。自然とな。
おれが殺したそいつのことを考えるようになったんだよ。そしたら……。
……そしたらだな、空葬が始まらなくなった。不思議だよな。それで、解体したあとは、さっきあんたが見たような状態にしてやる時間ができた……。なに、少し手間が増えただけだ。
それでまた、いのりを続けるうちに、いつの間にかあの所作をすると空葬が始まるようになった。いや、所作をするまで始まらなくなった、と言った方がいいか。
……あんたはいのりについてはっきりとした答えが欲しいんだろうけど、おれにはこれしか言えることがないよ」
ここでランドは話すのをやめた。
急にめっちゃ話すじゃん。なんてからかう気にはならなかった。
わたしにいのりのことを伝えようとしてるのはわかったから。それを、懸命に考えながら話していたことも。
そして、わたしだってばかじゃない。返事を受け取ったからには、ちゃんと理解する。
「ありがとう。つまり……自分が殺した命について、ずっと考えることがいのりってことね? 考え続けることで空葬が遅くなって、あの構えで……そうか、なんていうか、あれはあくまで感謝の気持ちを形にする行為でしかない?」
と、聞いたらランドはわたしの質問なんて耳に入っていないようだった。相変わらずジカのいなくなった木の台を見つめていた。その凝視はこわいくらいで、ある一点を見続けて、そこにある何かを探しているみたいに思えた。
「……でもな……ずっとそうしてたら、気づいたんだよ。自分勝手すぎやしないかって。
……なんというか、自分のやり口がだ」
「……へ……?」どうした?
「一方的ないのり、つまり感謝をだよ。
殺された方は、感謝されたって知ったことじゃないんだ。すでにそいつはいないんだから。
それに、勝手にいのりはじめて、そいつを地上に縛り付けてるのもおれ自身だ。たとえその行為の根もとにあるのが、おれの善意だったとしても……いや、善意だなんてな。
結局は、いのることもおれの勝手にすぎないんだ。
それはな……なにしても、おれの自我でしかないんだよ。
いやになるよ、考えてみたら何もかもだ。
でもな……祈りを、その存在を知ってしまったから、やらないわけにはいかない。
だから……なにをしてもどうせ勝手ならな、好きにやろうと思った」
ランドは上を見た。
「それで、空を想うようにしたんだよ。
そいつをこれから送る、あの場所のことを。
……結果はな、あんたが見た通り、ジカを想っても、空を想っても、同じだったよ」
――空を、想う……?
それは、無口だと思っていた人から次々と溢れ出てくる言葉に対する驚愕、なんだか的を射たような独自の解釈に対する称賛をすでに通り越していて、わたしはこれからさき折に触れて、いまランドから聞いた言葉と、この光景を思い出す気がする、そんな予感。
わたしはすっかり心を乱されてしまった。つまり、泣きそうになってきた。
この木漏れ日の場所で、ランドがひとりで密やかにおこなっていた活動。
その健気な活動を続けるうちにランドは気づいたんだ。自分の行為のゆがみに。何度も自問自答を繰り返し、葛藤の末――その葛藤すらランドが本来もつ優しさゆえのものなのに――
たどり着いた結果がどうであれ――それについてわたしになにも言う権利はない――
結局のところ、いのることをやめなかった――感謝をやめられなかった、ランドの優しさに、
その情愛に、できる限りの尊敬の念でもって、最大級の賛辞を贈りたい。そんな気分。
――あれっ?
なんだろう……。
「……おれの勝手なんだよ、いのることも。なにもかも。
なにをしても、自分勝手に変わりないんだよ。
だから、あんたも黒い森の魔獣を…………
あっ……? どした?」
「だっ、だいじょうぶだからっ……!」
気にしないで。ちょっと、顔を見られたくないだけ。
「リオナッ!」
その声の近さで、ランドは屈んでいて、うずくまるわたしの側にいることがわかった。あれ? いま、名前……。
「大丈夫か? だから言っただろ、焦げた肉なんて食うから」。…………は?
……え? ん?
「少し、待ってられるか? 急いで薬とってくる」
はあああああーッ?




