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天地生まれの英霊譚  作者: 庵下 流
『騒乱の夜』
30/31

「騒乱の夜」10 ─ 精霊の秘め事 1 




  ─「精霊の秘め事」─




 火の手が上がっていた。

 暗い森の木々を縫って、燃え盛る炎が垣間見える。

 すぐに、霊域防衛についていた何人かの森の民が動いた。

 仄白く塗られた高い柵の近くに、守護選抜の狩人や木樵が集まってくる。この向こうは鑑別堂の敷地だ。つまりは貴族の領分。炎が暴れて立ち上る煙が、空の暗黒に溶けていく。

 篝火にしては火勢が広く高い。大きな爆発音も不審すぎる。

「怪異の仕業か?」

「それにしては……」

「火の粉が飛んでいる。燃え移ったら厄介だぞ」

 近場の守護を任されていた木樵や木挽の男衆が、口々につぶやく。


「持ち場へ戻れ。肝心な仕事が疎かになる」

 胸板の幅はある段平斧を担いだ偉丈夫が、周囲から近づいて来る男達を制した。

「この中はどうなっている。騒ぎもない。声も上がらぬ。あの火と音は異変ではないのか?」

 纏った厚手の防着に無数の破魔矢を立て揃えた早撃ちの射手が、矢を連射に構えたまま早口で言う。

「気味が悪いのう。あの『徒騎士』連中が現れてから、何やら不穏じゃ」

 付近の木樵をまとめる樵夫頭の長老が眉を顰めた。

「関わりたくもない奴等じゃが、あの暴れ火は放って置けぬ」


 出入りの塀門の前には、いかつい武器を手にした男達が待ち構えていた。

 貴族とは思えない草臥れた装束をつけた戦徒士がたむろしている。まるで山賊だが、紺地に染め銀粉で塗り縁取った「貴属印布」を、頭や首、二の腕に巻きつけていた。

 徒党を組んだ貴族崩れのならず者の集まり。精霊の絆が途絶え、「貴属の資格」を失ったにも関わらず、それを認められない哀れで傲慢な連中だ。


「氏団警護のナンフツと申す。いったい、あの火の手はなんだ」

 門前に槍を突いて立ち尽くす男達に、魔術院の長衣をつけた術師が問い掛ける。

 丸めた頭に無数の異字を彫り込んだ槍の男が、それを一瞥し、難儀そうに口を開く。

「森の民には関わりのないことだ」

「そうはいかぬ。あの火が流れて木々に回ったら一大事だ」

「なら、そうならんようにすればいい。そのための魔術師だろうが」

 術師は、唇を噛んで押し黙る。


「盟約を知らない貴族か?」

 術師の肩にそっと手を置き、間に割って入るかのように、尖耳の若者が現れる。

「霊域守護の統括を任された、エルブスのクレプライドだ。夏至の日の変事は相互確認が決まりだ。堂主のウクナイア殿に取り次いでもらおう」

 今度は、槍の男が口を噤む。


 すぐに門扉の内から足音が聞こえる。

「狩人の若頭がお出ましとは。しかし、この柵塀の中には迎えられん。この鑑別堂は、我らがマキータン党の拠点となった。党首は今、手が離せん。苦情があるなら、明日にしてもらおう」

 薄く開いた扉から、黒錆の艶消し鉄兜を被った鎧騎士が、重装備の逞しい戦士を引き連れてぞろぞろと出てくる。

「あの炎は我らの『明星の篝火』だ。怪異を照らし出し、消し去らんと燃え盛る」

 クレプライドは訝しそうに目を細める。

「マキータンの拠点? この鑑別堂は、領院直轄の施設だろう」

「貴族の内情に疑義があるか? ならば後日に訴え出るがいい。盟約にはそうあろう。さあ、怪異の警戒に戻ったらどうだ」

 鉄兜の鎧騎士は、不機嫌そうに首を振り奥に退こうとする。


「マキータン党にイミフ武闘連合か。ジャロサイツ卿の配下も随分な様変わりだな」

 一瞬で、周囲の熱気が寒気に変わり、そして殺気立つ。

 クレプライドは門扉の彼方を睨む。一触即発を招いても、ここは引けないと気負う。


「森の狩人頭が、貴族に対する礼儀も知らぬとは」

「堂主ウクナイア殿に、是非ともお会いし問い質したい。『明星の篝火』とやらが、なぜに人肉と脂の焼けた臭いを漂わせるのか」

 かち合う殺気が、一線を越えた。

 最早これまでと、その場の誰もが戦いを覚悟する。


 ヴォゴウゥゥ!


 強烈な豪風が、対峙する両陣営の間に勢い流れ落ちた。


『鎮まれっ! ヒトガシラ共!』

 殺気を削がれるに十分な怒号が響き渡る。

『森聖トクリカ、霊妙試練の只中で、「人象」の階位を貶めてなんとする!』

 その圧倒的な霊圧が、周囲を震わせる。

 怒気も殺気も一瞬で吹き飛んだ。

 立っていられない。呼吸すら困難になる。ただ平伏すほかなかった。


 正に「山麓の夜神」の降臨。


 先に貴族が動いた。一人残らず、這いつくばるようにしながら門扉の内に退いた。同時に塀門がよろよろ動いて閉じられる。

 集まっていた氏団守護の森の民も、その場に留まれず慌てふためいて森の中に散る。

 ただ一人、クレプライドだけが、白く霞む門とその奥で今も立ち昇る火の粉まじりの黒煙を睨んで微動だにしない。


─── 何をしている。まだ魑魅魍魎の勢いは衰えぬぞ。


 静かな意思が心に届く。クレプライドはようやく息を吐いた。

「恐れ入ります……」

 震える声を絞り出す。


─── 「緑柱の翠貴子」が、盟約を汚してどうするつもりだ。


「しかし、あの火は見逃せません。あれは『常火』でも『現火』でもない。人を贄として捧げる、邪まな儀式の炎だ」


─── そも、ヒトとはそういう者共であろうに。それに、あくまでも「貴族の内輪事」ではないか。この霊域の守護者を束ねる者として弁えよ。


「……焼かれる贄が、貴族とは限りません。夏至の日に、このような不届きな輩の企みを見過ごすわけには」


─── 弁えよ。見過ごすがいい。それがヒトではないか。


 深い森の夜神王にそこまで言われて、瞬間、クレプライドに返す言葉は見つからなかった。それでも、今この時ばかりは引くことはできない。

「神々の思し召しはそうでしょう。この森、この世界の均衡を保つため。しかし、最早それは叶わぬように感じます」

 クレプライドの目つきは厳しく、そこへ悲しみが深く滲む。

「いっときは沼の女神の戯言と呆れました。悲しき『逸れ神』の狂気の妄想と、心の中で苦笑いしました。でも愚かだったのは私かも知れない……」

 微かな疑念が膨れ上がり、気の迷いが確信へと変わる。奇妙な異変が重なり合い、その先に動乱の兆しが見え始める。

 異郷の神の靴を賭け、その美しい姿を晒した女神「ロ・リ・マ神」の問いに答えた時、まるで心を引き裂くような激しい神威の奏でる嘲笑を浴びた。


─── 魅惑の女神に誑かされたか。あの「卑し神」の放言に誠はないぞ。


「誠はなくとも、理りからは外れておりません」

 思い知ったのだ。精霊界は遠く、古くから伝えられる物語ではないと。

 クレプライドは、思わず項垂れていた。怒りの念すら長くは続かない。何もかもが古びて色を失っていく。


─── 「緑柱の翠貴子」よ。ただ、弁えよ。


「山と森の夜の支配者として、貴方の眷属はどこへ行ってしまったのでしょうか? あの大鼠の妖異は、どのような存在の齎した試練だというのです? ……ブ・ボ・ラ神。森の神々は、一体、どこへ?」

 神に問うてはならない禁句を吐く。この場で引き裂かれてもおかしくはない、人には許されない「神性への疑問」。


「大鼠の妖異も、魔神の噂も、神々は……」


─── クレプライド。弁えよ。


 届いたその思念は、怒りも威圧も含んではいなかった。

 ただ、張り詰めて、諭すように心に染み込んでいく。


 「夜帷王ブ・ボ・ラ神」の気配は消え去った。

 クレプライドは足腰に痺れを感じ、片膝をつく。

 疲れより苦悩が、項垂れた頭を満たしていた。


 この森、この大地が寿命を迎える。その因果は精霊界にあり、この世の何者も、その運命を変えることはできない。

 その期限は今夜。朝日の到来とともに大地は息絶える。


 数千年続く「ベリオス人」の種族に伝わる、太古からの滅びの説話。それはいつしか一巻の記録に纏められ、一族秘伝の「ベリオスの黙示録」と呼ばれた。その断片は神話や昔話となって、エルブス族の間では幼子ですら知っている。

 巷間では、枝分かれしたエルブス族の系統のどこかに、今でもその書物の原典が秘匿されていると囁かれていた。

 クレプライドは、その書物の在処を知っている。それを元にしたとされる写本を目にしたこともある。

 しかし、そんな破滅の到来を信じ切ることはできなかった。代々伝わる祖先文化の「御伽話」と考えて、何もおかしくはない。

 


『エルブスの先代は、なぜ首を括ったの? どうしてそこに疑問を感じないのかしら。祖先ベリオス人の諫言を信じずに、ただこの平和を享受して、目の前の真実の到来に気付かぬ愚か者。それが、あ・な・た、でしょうに』


 あの時、ロ・リ・マ神の問いに、知識を総動員して答え続けた。陰謀論者の呪文のように続く口撃に、否定の言葉を並べ続けた。

 その全てが潰えた時、目の前には「この世の破滅が、今夜訪れる」という論拠が立ち塞がっていた。


『あなたの負けよ。あの靴はお預け。ああ、哀れすぎて、とっても見ていられないわ。悔しくて悔しくて、もう何も言い返せないようねっ! ……でも、その表情は悲惨すぎて素敵だから、いいことを教えてあげるわ。わたしは慈愛の女神だもの』


 女神の後光に裏打ちされた強い威圧が襲う。罠にかかって身動き取れない小さな生き物のように、猛烈な頭痛と寒気に震える体を、もうどうすることもできなかった。

 

『これは内緒よ。あの幼神と靴の関係、解き明かしたなら……』


 ここで気を失ったクレプライドは、その先の言葉を覚えてはいなかった。




          ☆




 神秘の香りが途絶えた。 光の届かぬ深い森の地表に、微かな足音が吸われて溶ける。

「今の閃光と波動はなんだ……」

「静かに。香の痕が続かない。もう、すぐ近くだ」

「おい。闘いに巻き込まれたら」

「静かに……」

 カルケディスの小柄な姿が三つ、動くに動けず身を低くして固まる。



 霊屋の周囲で巻き起こった毒霧騒動の最中、侵入者の気配を最初に感じ取ったのは、モルカ集落のベルサだった。すかさず動いて、セディアンナが攫われたことに気づく。

 しかし、瘴気に巻かれた混乱の只中では、打つ手がない。

 一旦霊屋から離れて高い木に登り、侵入者の行方を探ろうとしたところに、見慣れぬ絣の胴着をつけ脚半を巻いた女が音もなく現れた。


「姫様を攫ったのは『豹の者』です。私が参ります」

 分けた前髪の垂れるその奥で、僅かな明かりを吸い込むように淡緑の瞳が浮かび上がる。式服は纏っていないが、すぐに護霊巫女のひとりとわかった。ただ、雰囲気がまるで違う。

 

「……巫女様のお手を煩わせるわけには」

「霊屋への不敬の極みを見過ごせません。これは巫女の務めです。『香遁漂』を追えますか」

「『香の帯』ならば修めておりますが」

 霊屋から届く薄明かりが揺らめき、白く透き通った肌の掌が差し出される。

 ベルサは一瞬躊躇い、それからゆっくりと、その手首に顔を寄せた。

 甘味に仄かに溶け混じる、刃の銀気が薫る。

 通常用いる香油にはない命の温もりを感じて、なぜか喉が渇いた。


「四半刻香ります。追うならば距離は十分に保って、近づき過ぎずに」

 巫女の姿が消え失せる。微塵の気配も残さずに。

 ただ、森の奥へと続く、淡い光の綿筋だけが残されていた。 


 「香の帯」。先行者が後続の仲間に残す、香りの道標。魔力によってその場に固定され、その香りを前もって覚えた術者だけに、匂いの粒子が光る帯となって目に見える。古くから伝わる追跡術のひとつだが、巫女の用いるそれは、ベルサの知っているどれよりも明瞭で輝いて映った。



 今、その光の帯は目の前で途切れている。

 ここで待機の印とわかる。

 辿り着いたと同時に、強い振動と光の破裂が起こった。

 ベルサは身を伏せて、様子を伺う。他の集落から参加していた二人のカルケディスの男を連れていたが、今ここで他にできることはない。


 遠くから物音が聞こえた。だが、背後から?

「守護陣の仲間だ。こちらへ来るぞ。どうする」

 担架の布袋を抱えた男が小声を出す。

「巻き込まれたら敵わん。俺が行って留めてくる」

 もう一人が動こうとした。


 その瞬間に全ての音が掻き消えた。

 直後に、巨大な火の玉が、轟音と共に炸裂する。

 衝撃が木々を薙ぎ倒す。

 吹き飛ぶ巨石と大樹が森の暗闇を転げ回り、地面は白熱化し溶けて空へと噴き上がる。

 

 ベルサはそれを見た。

 直後に視界が白く潰れた。

 体が浮いて、そして、全身に激痛を感じたのが最後だった。


精霊の秘め事 2 へ つづく。


※長すぎるので、章分けしました。

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