30 : コンティニューの裏側 - 02 -
スポラトゥーンにはシーズンというものがある。
シーズンが切り替わる際には、武器やマップ、装備のアップデートなどプレイヤーにとっては楽しい要素がてんこ盛りだ。
しかし、ひとつだけランクを気にするプレイヤーにとっては、喜ばしくない点もあった。
それは、シーズンが切り替わる際に、現在のランクから1ランク下がった状態から始まる――ということである。
つまり稜はAランクまで上がっているこの時期に、なんとしてもSランクに上がっておきたいのである。
そしてそのシーズンが切り替わるタイミングは――明日の朝五時であった。
「はあ?! 今日、稜君家に泊まる?! あんた明日学校は!」
「徹夜すると思うけど、ちゃんと行く」
お願いします。とつばめは、実家で母に頭を下げていた。
母は真面目な娘が突然言い始めた冗談のような言葉に、開いた口が塞がらないでいるようだった。
「……乃愛ちゃん家に泊まるとか嘘つかないで、ちゃんと正直に言ったことは、認めてあげる。でもあんた……」
母はそこで頭を抱えると、真面目な顔をして言った。
「……茶化すわけじゃないから、ちゃんと答えて。あんた達、避妊はしてる?」
つばめはぽかんと口を開いた。
ついで、羞恥と嫌悪感で顔を真っ赤にさせる。だが、腹を立てて口を噤んでいても仕方が無いことである。ふて腐れたように眉間に皺を寄せて、つばめは口を開いた。
「……してない」
「はい!? なんて?!」
「それ、は。一度も、してない」
顔を真っ赤にして、つばめは言った。単語すら言えそうにない。
消え入りそうな声を出す娘の状況を見て、今にも怒髪天を突きそうだった母は察したのだろう。呆気に取られた顔をして頷く。
「あ、ああ、そうなの……そう。あんた、本当に真面目ねえ」
「……まだ付き合ってもないし」
「はい!?」
つばめは稜のことを母に「彼氏」だと紹介したことはなかったが、家族の誰もが当然のように、稜を「彼氏」だと思っていたらしい。
「稜君の中でどうしても譲れないことがあるらしくって……それを、手伝いに行きたい」
だから、お願いします。とつばめは母に頭を下げた。
「お母さんにはよくわかんないけど、二人にとって大事なことなのね」
ため息交じりに言う母に、つばめはうんと頷いた。
母はしばらく黙った後、「あのね」と小さな声で話し始める。
「……お母さんとお父さんも実は、高校から付き合ってたの」
「そうなんだ」
両親の恋愛事情など、初めて聞いた。両親にも高校時代があったことは知っていたが、それを実感として感じたことはなかった。
「高校で付き合い出すとね。周りの人はみーんな、どうせいつか別れる……って目で見るのよ。結婚までするわけないって。だからお母さん、結婚式する時、そんな目で見てた人間全員に招待状送ってやったの」
胸を張る母に、つばめは乾いた笑いを送る。父は基本的に、鉄砲玉のような母を好きに生きさせている。その時も、きっと静かな面持ちで復讐心から招待状を書く母を見守っていたのだろう。
「『付き合う』ってね、『努力する』ってことなのよ。ここで互いのために努力出来ないなら、付き合い出してから努力出来るはずない。だからお母さんは……つばめと稜君、応援したいな」
母はつばめの背中をぽんぽんと叩いて、久しぶりに聞くほどに、優しい声を出した。
「あちらのご家族によろしく言っておいてちょうだいね。おかず、少しだけでも持って行きなさい」
お父さんには上手く言っておくから。と言う母に、つばめは久しぶりに抱きついて、涙声で礼を言った。
***
「マップ開いた瞬間に全員何処の位置にいるかちゃんと見てる? 見たら意図考えて」
「裏から来てる!」
「一枚! 二枚、三枚! 偉い! よくやった!」
「死ぬな! 死んでもへこむな!」
「仲間の動きを読む! 読めないならマップ見て!」
狭い室内に、つばめの怒声が響く。
「はぁ。落ち着くわねえ」
その様子を、開け放った襖の奥――ダイニングテーブルに座った美沙が、湯飲みを両手に持ちながら見ていた。
「美沙ママ、ごめんねうるさくて」
「いいのよう。ここんとこ稜ったらずーっと一人で遅くまでゲームしてて。ほんっとカビでも生えるんじゃないかと思ってたけど、つばめちゃん帰って来てくれてよかったわぁ」
実際はオンラインで柏野と一緒にやっていたらしいので一人ではなかったのだが、ゲームを知らない人にゲームの説明をするのは大変なことである。つばめは曖昧に笑って、頷いた。
スッキリミントガム、強炭酸カフェインドリンク、冷えピタ――などの対徹夜対策アイテムが、稜の部屋に散らばっている。時刻は既に、十一時を回っていた。
今日はつばめはゲームをしていない。Aランクにもなると、集中して稜の画面だけ見ていないと、状況を掴めない。
「こーんな可愛く生んであげたのに、ゲームばっかして。初めてつばめちゃんがお泊まりに来てるっつーのに、ごめんねえ」
既にお風呂もいただいており、パジャマに着替えていたつばめは、ぶんぶんと頭を横に振る。
「私こそ。平日なのに、急にごめんなさい。お泊まり許可してもらえてよかった」
本当に急だったのに、美沙は二つ返事で了承してくれた。稜の遊園地の件と同じほどの速度感だった。
更にはつばめが泊まるならと、稜の兄まで彼女の家に泊まりに行ってくれたようで、申し訳なさに身が縮む。
「なあに。つばめちゃんと私の仲じゃない」
美沙が綺麗な顔で笑う。稜によく似たその顔に、つばめは頬を赤らめた。
「――そっちの仲はどうでもいいんで、つばめにはこっち見てほしいんですけどねえ!」
一人で昇格戦に挑んでいた稜が声を張り上げる。
「あ~あ、やだやだ。俺以外とは話すなって? メンヘラかっつーの」
「あはは」
「ちょっとつばめ! 否定してよ!」
メンヘラかはわからないが、面倒くささで言えば同じようなものなんじゃないだろうか。つばめは画面に視線を戻す。そしてすぐに顔をしかめた。
「また裏取られてる!」
「うっ」
「自分が裏取ることばっかり気を取られすぎって、前も言ったよね?」
「でも――」
「マップ開いたらインク動いてるの見えるから――」
つばめと稜の掛け合いが再び響き始めると、美沙はにこにことして、湯飲みの中の梅昆布茶を飲みきった。
***
――カチッ ピピピピピ ピピピピ
壁に掛けられていた時計の針が動いた瞬間、携帯電話のタイマー音が鳴り響く。午前五時。タイムリミットである。
開け放っている襖を通して、美沙の部屋まで聞こえないよう慌ててタイマーを止めた。
テレビ画面の中には、シーズンが更新されたお祝いのムービーが流れている。
そして稜の成績を確認すると――前シーズンでの稜の最終ランクはAランク、という結果が表示されていた。
「……終わった」
稜がしわがれ声を出して、ベッドに後ろから倒れ込む。いつも綺麗にセットされている稜の髪はボサボサで、顔からは全ての精気が抜け落ち、げっそりとしていた。
両手で顔を覆い、稜が絶望する。
ベッドの上には眠気覚ましに食べていたお菓子や、ペットボトルの空が散乱していた。
つばめがベッドに膝をかけると、きしり、と音が鳴る。
ぐちゃぐちゃのシーツの上でぼろぼろになった稜に、つばめはそっと近付いた。
「――好きだよ」
鳥もまだ眠っているような、冷たい朝の空気の中。ゲームの軽快なBGMだけが流れる稜の自室に、つばめの声が鮮明に響いた。
両手で顔を覆っていた稜は、一瞬自分が何を聞いたのかわからなかったようで、口を半開きにして固まってしまった。
そしておもむろに手を顔からずらすと、呆気に取られた顔をしてつばめを見た。
「……なんて?」
「好きだよ、って言った」
稜はガバリと身を起こすと、顔を蒼白させる。
「あんったが――! 言われたいって、言ったんだろ!?」
「なんかもう、いいかなって」
「いいかなって――!」
稜がショックを受けたような顔をする。途方に暮れたような表情を浮かべる稜に、つばめは柔らかく目を細めた。
「こんな頑張ってくれたの見たら、もう、いいかなって」
つばめは稜の頭に手を伸ばした。びくりと震える稜の髪を一房摘まみ、綺麗に整えてやる。
「……柏野君に聞いたよ。頭まで、下げたんだって?」
スポラトゥーンを教えてくれと、あの稜が、あれほど敵視していた柏野に頼み込んだという。
冬休み中、BGMを聞くのも嫌になるほど練習に付き合わされたという柏野以上に、きっと稜は練習漬けの毎日だったはずだ。
それほどの思いをもって、つばめの要望に応えようとしてくれたのだ。
これ以上の何を望むだろう。
「……Sになるのはさ。これから、いくらでも機会があるけど。でも多分これ言えるの、今だけだと思ったから」
つばめがふっと笑うと、稜はわなわなと震えて、項垂れた。
「……何にも格好がつかない」
「そう?」
「つばめはいつも、格好いいのに……」
「そうなんだ」
そんな風に見られてるとは、知らなかった。
つばめは項垂れたままの稜の前に、体操座りになる。
「格好つかない稜君も、割かし好きだよ」
「割かし?」
「すっごく」
「そうじゃないと困る」
不遜な態度は徹夜明けでも変わらないらしい。
徹夜など初めてしたつばめは、かなり頭が重かった。けれどそれも気にならないほどに、心が軽い。
項垂れていた稜が、ゆるやかに顔を上げる。
「――つばめ」
「ん?」
眠気からとろけた顔を向けるつばめに、稜が熱の籠もった視線を向ける。
あ、と。
つばめはその瞬間、稜が何を口にしようとしているのか、わかってしまった。
「俺――」
「ふぁあ……おはよー。ゲーム、勝てた~?」
十二時過ぎまで一緒に起きて見守ってくれていた美沙が、先程のタイマーで目を覚ましたのか、部屋から出て来た。
急速に、稜の目から熱が引いていくのが見えた。
意気消沈した稜の代わりに、つばめが声を張った。
「か、勝てなかったー」
「あらら。まあ、また次があるでしょ」
大人はきっと簡単にそう言ってしまえるのだろう。今回を諦めた代わりに、次があると当然のように知っている。
世界はこの一瞬だけで出来ておらず、ずっと地続きで続いていくのだと、その経験から知っているのだ。
美沙が洗面台に引っ込む。顔でも洗うのだろう。朝ご飯を作るなら、今日こそ少しは手伝えるかもしれない。そう思い、立ち上がろうとしたつばめの手首を、稜が掴んだ。
ぽすんと、二人でベッドに倒れる。
視界いっぱいに、稜の顔が広がった。
世界から音が失われたかのように、つばめの中から音が消えた。全身に鳥肌が立ち、瞼が震える。
顔を真っ赤にした稜が、つばめの頭を掴んだ。
「俺の方が好き」
掠れた声が、真上から降ってきた。
つばめの奥に、自分の言葉を焼き付けるように、強く睨み付けながら稜が言う。
柔らかいベッドを片腕で押して立ち上がると、稜は何食わぬ顔をして洗面台に向かった。
「お母さん、朝ご飯何~」
「あんたねえ。ゲームかご飯しかないの?」
つばめは指先一つ動かせず、真っ赤な顔でベッドに横たわることしか出来ない。
ようやく顔の熱が冷めたのは、朝日がカーテンの隙間から溢れ始めた頃だった。
準備も手伝わなかったつばめを美沙は何も言わずに迎え入れ、それがまた恥ずかしくて、つばめは一人で顔を真っ赤にした。
まだまだ春は遠い寒い朝――つばめは恋人と、その家族と初めて一緒に朝ご飯を食べた。
おしまい







